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ジャーナルCELLセルインパクトファクター高い憧れわかい若い末期がんなぜ?ぼくなん?ぼくは研究医🩺かんがえたよなんで?うちら若いのに若い末期がんなんぼくは研究医🩺基礎系研究実験したよ自分にどーせ死ぬぼくは若い末期がん転移してるどーせ死ぬなら世界初NAD+ふやす世界初🌍途中ハイライト•加齢により、HSCから2つの並行した血小板特異化経路が生まれる•ショートカット血小板経路は、非常に拡張性の高いMkPによって永続化される•
手術が終わっても、私はずっと眠くてたまりませんでした。気づけば眠りについてしまう。遠くから、自分のいびきも聞こえてしまう。代わる代わる、看護師もやって来ます。「めち子さん、お名前と生年月日を教えてください。」私は乾いた声でようやく答える。「めち子、センキュウヒャク…」何度も何度も、このやり取りを繰り返しました。その度に看護師さんが液体を取り替え、私の身体に異常が無いかを聞いてきます。よく見ると、右腕には点滴、左腕には輸血がされていました。しばらくして、先生が来てくださいました
実は、よんちゃんのお父さんは医療従事者です。周産期医療センターも入っている大きな病院に勤めています。夫は、同僚である医療従事者の方に、よんちゃんが常位胎盤早期剥離で亡くなったことを伝えていました。その中には、産婦人科やNICUで働く看護師さん達が何人もいたそうです。そして、その方達はだいたい「えー!早剥!!早剥はねぇ…」という感じで、言葉を失う。夫の勤めている病院では、年に4、5件くらい、常位胎盤早期剥離があるそうです。この症状を訴える妊婦の受診があると、医療スタッフも軽くパニッ
診察室に戻り、先生から今後の流れについて説明を受けました。とりあえず、2週間後、もう一度赤ちゃんを見てみて、成長が確認できたら、妊娠届を提出。それ以降、妊婦健診に入ることとなりました。私は、今回の妊娠確認に際し、電子問診表の備考欄に前回の死産後、総合病院の先生には次回妊娠が可能か相談しています。妊娠した場合は、妊娠後期から総合病院で管理入院をする必要があるとの説明も受けています。と、入力していました。(これは、無計画に妊娠したわけではないとわかって欲しかったという意図もありました。)
産婦人科にはお昼の最終受付時間に予約しました。朝イチは患者さんも多いし、昼前の方が助産師さん達と会えるじゃないかと期待を込めて。駐車場に着きました。結構車が多くて。あー、待つ時間ありそうだなぁ。と、思いつつ中に入ります。受付を済ませて待合室のソファに腰掛けます。妊婦さんがいっぱい。いいなぁって、思っちゃいます。純粋に、羨ましい。かつての私もそうだった。妊娠中は幸せいっぱいで、隣の席に座る同世代の患者さんを見ても「まだお腹ぺったんこだから妊娠初期の方かなぁ」なんて、思ってたん
診断書に記載されていた休職期限が間近となりました。かかりつけ医に行くため、ひとり、車に乗り込みました。ハンドルを握り、病院へと向かいます。大きな河川に架かる橋に差し掛かかりました。私の視界には、もくもくとした入道雲が浮かぶ青空。車外の暑さが目に見えます。1年前の通勤途中、私は、この場所であ、たぶん、妊娠してる。と、思いました。あの時の私は、迫りくるつわりにソワソワしていました。まさかこんな未来が待っているだなんて思いませんでした。あの時も、今日と同じような真夏の景色が広がっ
先生から休むことを勧められた私は、職場に電話連絡をしました。もう、復帰まで10日に迫っていました。職場からも了承を貰い、診断書を取るように指示されました。そもそも私は、育休で1年間休む予定であり、抜けた穴には新しい方もいらっしゃいました。職場への負担も無いわけで、私自身、申し訳無さもあまりありませんでした。みなさんも事情を知っているので、無理させようともしません。その点では、本当にありがたかったです。後日、再度かかりつけ医に行き、先生に診断書を書いてもらいました。先生はとりあえず
緊急帝王切開をしてから3週間くらい経過したある夕方。37度台の微熱が出ました。疲れかなぁ、(何もしてないのに…)と思い、そのまま安静にして休みました。その翌朝には熱も下がりました。その日の夕方、シャワーを浴びようと服を脱ぐと、帝王切開をした場所の皮膚が少しだけ赤くなり、腫れ上がっていることに気づきました。よく考えたら、昨日から痛かった。帝王切開の傷の痛みだと思っていたが、違ったのかな。触ると痛かったです。シャワーを浴びてから、また熱っぽく感じたので熱を測りました。今度は38度台
出産時、常位胎盤早期剥離に伴う産科DICになった私。帝王切開が終了し、縫合後も出血が止まらず、帝王切開の傷口周辺には皮下血腫ができていました。術後3週間目に発熱、血腫に気づいて病院受診。そこから抗生剤を1週間服用して解熱したため、そのまま血腫が自然と体内に吸収されるのを待っていました。先生曰く、血腫は固くなっているので、治癒には1か月はかかるとの説明を受けていました。それから6週間以上が経過。今でも居座っています…しばらくは帝王切開の傷の痛みとともに改善しているような感じでした。
ファミリールーム外泊扱いでお家で過ごす体制に切り替え注射で入れていた薬も内服薬に切り替えEDチューブ(十二指腸)は入れずSTチューブ(胃)から入れることになりましたが無事一晩過ごし病棟に戻りました。病棟のスタッフさんに家族で過ごした写真を見てもらったり様子を聞いてもらうと私以上に喜んでくれたり涙してくれたり。風ちゃんのここまでの頑張りを間近で支えてくれていたからこそ家族が揃った一枚の写真にも心を震わせてくれています。私はというととにかく
2019年4月27日(土)3日目初めて個室で目覚める朝。1日前と違って、ぐっすり眠れて・・・ない。騒音は解決したけど、体が環境変化に適応できないのか。数時間おきに目が覚める。ついこの間まで、布団に入ったらすぐ眠りについて、朝6時の目覚ましまで熟睡だったのに。初日の反動で昼間、ちょこちょこ寝てしまったからだろうか?朝の採血。基本的には毎日採血があって、採血のない休みの日もある、という感じ。朝の採血は大体6時。結果を午前中に先生が伝えに来てくれる。先生は二人。外来から見て
もうすぐBabyLossAwarenessweekが始まりますねまめの事があるまで、全く知らなかったこのイベントに、せっかくなので参加してみようと思っています。WaveofLight用のキャンドルも準備ができましたキャンドル作家さんにイメージを伝えて、作ってもらいました赤ちゃんの命を想い、讃える。この週間を迎えるにあたって、中途半端になっていたあの子の勇姿を、きちんと振り返っておきたいと思います。NICU*3日目産まれてから輸血に薬剤を点滴し続けたまめの体は、パ
日々の生活に追われて、振り返り放置してました忘れないうちに…NICU①続き赤ちゃんの描写があります、ご注意下さい。出産&搬送翌日朝、目が覚めた。それなりに寝たらしい。夢であって欲しかったのに、夢じゃなかった。身体中は猛烈な筋肉痛…ベッドから起き上がるのもままならない。NICUの中にある家族室に、車イスで向かった。旦那はまだ寝ていた。朝5時まで寝られなかったらしい、足音がする度にびくびくして…。許可が出てNICUに入る事に。旦那と競い合うように手を洗った。お互
赤ちゃんと告知の描写があります。苦手な方はスルーしてください。NICU*5日目朝イチの搾乳をしていたら、なんとも言えない空しさが込み上げてきた。まめは本当におっぱい飲めるようになるんだろうか…そうしていたら、まめにたまらなく会いたくなって、NICUに向かった。その日最初に部屋に入る時、その時はドキドキがMAXだ。逢える嬉しさと、わからないなりに少しずつわかってくる数値がすぐに目に入るから。やっぱり今日もおしっこは出ていなかったけど、可愛いさだけは日に日に増していく。
dic株主優待品到着2024年3月30日100株以上12月基準スピルリナネクストNEXT140粒入×2袋セットDIC川村記念美術館入館券付絵葉書2枚4名入場可能6月基準でカレンダーが後日送付される。株主総会通知には、吉岡里帆の写真が掲載され、株主総会に参加したが吉岡里帆のCMが待ち時間に上映されていた。
waveoflight初めて参加しましたが、キャンドルを灯している間、誰にも邪魔されずにまめの事を想うことができましたNICU*通院の日々朝、待ち合い室で体温を測る。記入するのは私の担当。ドアを開けて手を洗う。そこからは旦那と競争だった。早くまめに逢いたくて…NICUの入り口ドア、そこで一度深く呼吸をする。まずは画面の数字、それからおしっこの管…昨日より1つでも良くなってないか、それを探す。そしてまめの顔を見る。それだけで蕩けるような心地になった。隣の保育