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忌野清志郎スーパースター烈伝(2024年12月の投稿に加筆しています)近藤雅信さんと言っても、ご存じない方も多いかもしれません。元東芝EMIのプロデューサーで、RCサクセションやタイマーズを担当し、RCの作品で言うと「ハートのエース」から「Babyagogo」までの最もエキサイティングな時期を清志郎とともに歩んだ方なのです。清志郎の信頼は絶大なものがあったようです。近藤さんは業界的にいうと、A&R(ArtistsndRepertoire、アーティスト・アンド・レパー
忌野清志郎スーパースター烈伝※2023年に投稿したブログに一部加筆しております。坂本龍一編2023年3月28日、坂本龍一さんがお亡くなりになりました。享年71歳。。厳しい闘病生活の中でも、音楽活動への情熱を注ぎ続けておられることは知っていましたが、こんなに早く逝かれてしまったこと、とても残念で仕方ありません。YMOの時代坂本龍一さんの足跡は、多くのメディアで伝えられているところですが、その中で私の心の中にスッと入った坂本さんの偉業を説明する
RadioGirlやさしい声でRadioGirlささやいて胸のシンバル鳴らしながら手に入れたい君なのさなんで曲名が「憧れのラジオ・ガール」なのさ。「憧れのRadioGirl」だろ。もちろん発音はRadio(レイディオ)。昔からそう思っていたんだ。憧れのラジオ・ガール南佳孝1980年中学生の時、外国の短波放送が聴ける少し大型のラジカセを親に買ってもらった。それ以来、夜はラジオを聴きながら学校の宿題や受験勉強をしていたんだ。大学に入るまで、ずっと
11月14日の日経新聞の社説に、日本人の気質には「YMO」があるという興味深い指摘があった。YMOといっても、あの音楽ユニットではない。ここでのYとはヤンキー気質のことだ。高市内閣の“ヤンキー漫画”のようなひな壇高市内閣の発足時のひな壇写真を見て、社説は「まるでヤンキー漫画の実写版」と評していた。たしかに、頼り甲斐のある“姉御肌の総理”を中心に、秀才肌、マブダチ(親友)、秘蔵っ子、少し頼りない後輩――そんなキャラの立った面々が揃っている。政治家がこれほど“物語性”を帯びて語られること
今私は中国にいるのだが、最近よく見るYouTubeの映像がある。このブログでも「ドラマーへの道」と題して私のドラムへの思いや苦労話を書いてきたが、まぁ実際書いたのはほんの1部に過ぎない。東京にいる7年間でほんとにいっぱいのライブをやった。音楽が好きだし、演奏の上手い先輩から「ライブの機会は一切断るな。すべて出ろ」それが1番の上達の道だと教えられたからだ。自分で会社のバンドで洋楽のポップスとかもやっていたが、最大の目標はもちろんYMOである。ちなみにこれはもう1年前以
~~~自分の好きなものを繋げていく“ターンダウンって?”という、このblogの不定期連載があります。その中で「細野ピアノ」というシリーズ。Part1の記事が2017年ですから約8年が経ってしまい、この前のPart3の記事からも約2年半かな?かなりのブランクが空いてしまいました。長くなったのには個人的な様々な理由もありますし、他に、どうしても家の中で探し出せない音源や資料が・・・どこかにあるんです・・・、という理由もありました。記事を寝かせている間に細野さんの新たな新譜と
(写真左から)大川正義、牧村憲一、サエキけんぞう、清水信之、松武秀樹既にFBなどで簡単に報告しているが、その反響は大きく、たくさんの方が興味を持って読んでいただいたようだ。加藤和彦と安井かずみが作った“ヨーロッパ3部作”、並びに“マリー・ローランサン”をかくも長きに渡り、愛し、聞いている方がいることを改めて知った。先週、9月4日(木)に渋谷「ロフトナイン」で行われたサエキけんぞうのコアトーク110「加藤和彦:ヨーロッパ3部作とマリー・ローランサンを解く」を“受講”している。
作曲家・ピアニスト、坂本龍一氏の命日(1952-2023)没。坂本さんは音楽だけでなく、環境や平和、被災地支援など幅広い分野で社会に影響を与えました。その中でも彼は動物好きとしての一面を持ち、特に猫との関わりが深いことで知られています。以下に具体的なエピソードを挙げさせていただきました(Grokにより生成)猫とのエピソードノラ猫との写真1984年頃、坂本龍一が高円寺の自宅で迷い込んできたノラ猫と一緒に過ごしていたことがあります。このときの写真は、彼の元妻である矢野顕子によって撮影
ななな、なんと!日本の至宝、矢野顕子さんのレコーディングに参加して参りました〜!なんとも光栄で、嬉しい出来事♪以前、母のマナはあっこさんに楽曲提供を受けているのですが、まさか母娘2代続いてご一緒できるとは!ありがたや〜♪母がまだ小さな私を育てていた頃、アッコさんから子育てのアドバイスを頂いたそうです。それは「まずは3日がんばる!その次は3週間がんばる!そうすると3ヶ月がんばれて、3年もクリアできるようになるのよ、マナ!」と、アッコさんに教えてもらったそう。この考えは、その後