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YOSHIKI直筆楽譜が予想外の安値だった理由YOSHIKIさんの直筆楽譜で弾きたかったですが、符頭が不明瞭でよく見えず、早々に諦めました。YOSHIKIファン感情がそこそこあった2017年頃までの私なら、演奏録画を聴いて音符を推測したと思いますが。(今も”作曲家YOSHIKI”のファンだとは思っています)YOSHIKIさんの筆跡は驚きでした。Toshlさんの字も個性的ですが、YOSHIKIさんの字はとても○○ですね。(○○は想像して下さい)正真正銘本人の直筆だと
2025年5月2日。8時52分。今年も空に向かって手を合わす。2025年5月2日の朝の空雲ひとつない、夏空のような青空。blueskycomplexなhideちゃんの「青い空なんて大っ嫌いだー!」の声が聞こえてきそうなほど嫌味な空だけど。笑空気がとても澄んでいて、昼も夕方も上空を飛び交うジェット機がよく見えた。JETS。。hideちゃんのFC。パスポートみたいな会員証、遊び心満載でワクワクしたなぁ❤︎普段はToshlまみれの生活だけど、毎年"今日という日"だけはどっぷ
(つづき)〜食事・チェキ・握手会〜コンサートを終え、B班は食事とチェキ(握手会)へ。。階段を降り、33Fの『Dining33』へと移動。もうスキップして向かいたいぐらい胸が高鳴る。笑ToshLOVEの聖地だった『オテル・ドゥ・ミクニ』当時はまだ新米のLOVEだったので、自分なんかがそんな聖地にはまだまだ‥と勇気がなくて行けずじまいで。。だから今回は7年越しの夢叶い、初めて三國シェフのお料理がいただけることが楽しみで仕方ありませんでした。入口でチケットを提示し名簿で確認後、自分の
〜番外編①〜この番外編を書き終えたら、本当の意味での有終の美を飾る『美しき天空のコンサート』最後は、それにまつわる出来事や出逢い、旅の思い出など諸々のエピソードを2回に分けて。(※今回は運命共同体寄りの話題になります)その中でも、まずは"出逢い"私は、一期一会を大切にしたくて。その時々で初めて出逢ったLOVEさんと一緒に楽しく過ごすのが好きなタイプ。特に今回は、食事で2人席だったLOVEさんが同じくXからの運命共同体だったこともあり、沈黙の時間がほとんどないぐらいずっと語り合
PATAさんの本「酔っ払いの回顧録」読後、気になったところを記録としてまとめようと思いつつずいぶん日が経ってしまった。そもそもこの本は、PATAさんの「著書」ではなくインタビューの編集本である。(ということは、PATAさんが話したこと全てが書かれているわけではないだろう。)だから、著者としてのPATAさんの名前はない。PATA酔っ払いの回顧録発行人松本大輔編集人本間彰編集長鈴木伸明編集担当辻井恵/島村花インタビュー長谷川幸信(
祝☆12月13日。hideちゃん、60歳のお誕生日おめでとっ❤︎私が10代の頃、、、「40、50になってもこの姿のワタシを愛せますか?」と言っていたhideちゃん。40、50になったあの時代のファンの他、たくさんのファンが、60歳になった愛するhideちゃんをお祝いしていますよ!私も、40代になったあの時代のファンのひとりとして、今、九州に来ているhideちゃんに逢いに行ってきました。遡ること10月10日。。それは偶然にも、としくんの誕生日の朝のこと。TVをつけた瞬間、RO
最近本読んでない。活字が頭に全く入ってこない。日本語の読み取りが不可能になったかの如く、自宅警備員に必要な宅内資料を読んでも右から左…。若者の活字離れが大分前から指摘されていますが、初老の活字離れというこれからの警備盛りを完全に放棄したような己の人生に対するやる気の無さを痛感する日々です。諸事情により結構な量の本が積まれている状態ですが、とにかく本が進まない。苦しいんです。読んでいるのが。そこで「好きな内容か興味のある内容のものなら読めるだろう」という安易な考えによりAmazonで『洗脳
1999年雑誌「feature」YOSHIKIインタビュー僕のレコーディングはTOSHIにとっては過酷だったと思いますよ。彼を毎日毎日歌わせて、彼の喉を道具のように使ってしまって。TOSHIの声が本当に嗄れても「歌え」って言って。僕には、TOSHIの声で描かれる歌のイメージがあるんですよ。僕のレコーディングっていうのは、譜面を描き終えた瞬間に浮かんだイメージと、実際の曲をどれだけ近づけるかっていう作業だったんです。僕の頭の中にあるイメージ、ビジョンを伝えるんですが、彼にはなかなか伝わら
2023年5月15日。なんてことない普通の日が、極上の記念日となった夜。龍玄としのニコ生@秘密の花園『心は天晴五月晴れSP!』「いろいろ色々、あなたに語りたいことがあるんだよ!お便りくださいな秘密の花園で待ってるね!龍玄とし」としくんからの"お便りくださいな"に弱い私。まんまとのせられて送ってしまいました。笑そしてなんとなんと!としくんは、私のそれを見つけてくださいました。。身に覚えのある文が読み上げられた時は、私の小豆(こまめ。笑)の心臓がバックンバックン。「ちゃんと
ブログにXJAPANの想い出を綴り始めましたが、解散とLastLiveの事はあえて触れないでおこうと思っていました。とくにLastLiveは、思い出すと今でも苦しくなる。あれからXJAPANは復活を遂げたというのに…昔、テレビで放送された時に録画したVHSがあるものの、20年以上眠ったまま。DVDが発売されても、観るのが怖くて買えない。これまでLastLiveをずっと避けてきました。平常心でいられる自信がなかったから…。そんな中、WOWOWスペシャル。XJAPANのL
YOSHIKIとToshlって幼なじみだけども親友ではない昔から凄く仲良かったかと言えば、何か違うと思う水と油…とまでは言わないけれど、音楽だけでかろうじて繋がってた感じX結成当初(学生時代)からすでに、YOSHIKIとToshlの間には上下関係があったように感じる(もちろん、YOSHIKIが上)作詞作曲をするYOSHIKIがリーダーだから仕方ない部分はあるんだけど一般的には、曲を作った人のイメージを重視しながら、「ここはこうした方が良い」とかメンバーの意見を交えて曲が完成していく
タイム社は2013年にレイオフと分社化があり、2018年にメディア・コングロマリットに買収された際も大幅なレイオフがあり、1年も経たない内にマーク・ベニオフに売却されました(Wikipedia)。SNS・動画やニュースコメントには、「何故YOSHIKIが‟世界で最も影響力のある100人”に選出されたのか?」という疑問/疑惑の声が溢れていますが、ベニオフ氏がタイム社のオーナーであることが大きく関係していると推測します。YOSHIKIさんとベニオフ氏との親密度が分かる、この無邪気な笑顔の
としくんへ♡.昨夜も楽しい嬉しい幸せ満開な春爛漫のニコ生ありがとうございました(*^^*)FORLOVEメッセージも毎回嬉しい!それに全然ごめんなさいじゃないYo♡時間ギリギリまでたっぷりお話してくれてほんとうにありがとうLOVE。NoGuest(小瀧プロ不在)で、単独ライブだったのが久しぶりすぎて初めての2人きりみたいな気恥ずかしさを感じたりもしました。(ドキドキ)イエローにゃんくんパーカーもめっちゃ可愛かったなぁ♡黄色すきdesu♡前回に引き続き、EIGHT-JAMの20
TVで喋るYOSHIKIに対して放った一言に、家族がビックリして私の顔を見る。朝のワイドショーで、新BAND結成の事を取り上げられていた時のことだった。もちろん結成の件は知っていたが、記者会見は観ていなかった為、YOSHIKIらが何を喋ったのかはこの時まで知らなかった。『THELASTROCKSTARS』のメンバーについて。YOSHIKI:「オレ、まだロックしていいんだ!と思わせてくれたメンバーです。」は?何言ってんの?思わず出た言葉。あまりの冷ややかな私の態度に家族の方が戸
ふYOSHIKIが東京ドームで日米の国歌をピアノ演奏した🎹アレンジに悩んで完成したみたいですが私はそのへんの詳しい音符とか音程とか分からないので普通に綺麗なピアノ演奏に聴こえましたが悪しからずYOSHIKIが一礼して去って行く時に予想だにしなかったToshlの歌声でForeverLoveがーーー一瞬だったけど東京ドームに響くToshlの歌声にはやっぱり魂が震えましたねToshlさん、リアタイで観てたのかしら?でもYOSHIKIのピアノ演奏があるって分かってるからその時間帯は外
X時代のプロデューサーでYOSHIKIさんを高く評価している津田直士氏は、2000年頃にYOSHIKIさんと一緒に仕事していた立場から、こう言っていました。「その時によっちゃん(YOSHIKI)がどういう風にToshlを見てたか分かるんだけど、何にも無理をしてないの。ただ黙って待ってる。ただ黙って見守ってるから。それはね、もうやっぱりほら、2人の関係だからさ、何ももうできないよね。その時にToshlのほうから動くからあれは成立するのよ。で、要するに何でもかんでも全部攻撃してく
「すみれ組幻想」は前から書いてみたかったテーマです。先日、他所様にコメントした文章(未反映)をほぼそのまま使い回して記事化してみました。未だにある「Toshlが救われたのはYOSHIKIのお陰」という主張への反論に役立ちそうだったからで、特定の方に宛てた記事ではありません。♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦初めまして。猫巻と申します。コメントを失礼致します。Toshlさんがどうしてメンバーに助けを求めなかったのかということですが、洗脳の被害者が他人を頼るのは非常にハードルが高い
春なのに、、、なんか最近元気が出ない。。心が全くウキウキしない。。外は桜満開で、春爛漫。ぽかぽか陽気の過ごしやすい季節になったのに。イチゴ狩りを体験したり、美味しいご飯を食べに行ったり、大好きなスイーツだって食べてるのに‥満たされない何か。この『何か』の正体はナニ?でも、実はちょっと心当たりもあるとかないとか。。たぶん‥Toshl不足。笑『美しき天空のコンサート』が終わってから、としくんはずっと多忙なご様子。描画中なのか‥何かしらの作業中なのか‥次の企画に向けての準備
下記は「FOOL'SMATE」2000年9月号(2000年7月28日発行)のYOSHIKIさんインタビューからの引用で、インタビュアーは羽積秀明氏です。─────「あの日「ForeverLove」をやって、僕、センター・ステージヘ向かって歩いて行ったじゃないですか。実はあの瞬間まで、"殴ってやろう"と思ってたんですよ…」──ああ…。「殴ってやろうというか、もう自分が何するか解かんなかった。もう自分でも、わけが解かんなくなって、頭の中は混乱してるし、悲しいし、怒ってるし、フ
まず最初にすみません。Toshlさんがアルバム発売だのリリイベ開催だのおめでたい話題で盛り上がっている時に、解散前のことなど持ち出していいものかちょと迷ったのですが。。でもこのようなLOVE界隈歓喜の盛り上がりはこれからも途切れることなく続くのだろうし...ん?だとしたら、ずっと記事書けないんじゃね?ということに気づきまして。。こちらは先週末突然Youtubeのお薦めに上がって来た動画なんですけどね。Toshiさんの4枚目のアルバム『碧い宇宙の旅人』の収録曲を歌うス
強行突破。ついに、YOSHIKIが、SNS上でToshlに呼び掛けた。いい加減、だんまりはやめて欲しい。逃げずに向き合って欲しい。白黒はっきりして欲しい。いちファンとしての願い。【追記】これは↑(上記)、YOSHIKIに向けた言葉です。文章の流れからして、Toshl宛てだと誤解されるだろう…とは思いましたが、二人の事は散々書いてきたし、分かる人に分かればいいやと思い、そのままにしていました。単に私の願いを書いただけだし、考察とは異なるので、「DAHLIA…の願い?そんなの知
はじめに『「PATA酔っ払いの回顧録」から①』PATAさんの本「酔っ払いの回顧録」読後、気になったところを記録としてまとめようと思いつつずいぶん日が経ってしまった。そもそもこの本は、PATAさんの「著…ameblo.jp先日、このブログをUPした後、「メンバーを、他の人を叩いたり、誹謗・中傷したり、批判したりするためだけに利用する道具にして欲しくない」という厳しい批判コメントをいただきました。その方への私の返信は前回ブログでお読みください。私は、PATAさんの本を単に娯楽の
とうとう…Yahooニュース(スポニチアネックス)https://t.co/PIMyO49GtV#YOSHIKI首の手術痕を公開人工椎間板を装着「痛そう…」「痛々しい」「凄いレアな写真」@YoshikiOfficial—YOSHIKICHANNEL(@YoshikiChannel)2024年11月1日YOSHIKI関連の記事を書くことは時間の無駄だと思えて、この数ヶ月、敢えてブログからも遠ざかっていた。久しぶりにちょこっと書いてみた。先日来のXY関連の無責任極まりない無
1996年アルバム「DAHLIA」発売後のインタビューYOSHIKIインタビュー今回、TOSHIには、すごいプレッシャーを与えちゃったからなあ。けっこう侮辱するようなこともいっぱい言っちゃったし。でも、それに耐えて一生懸命歌ってくれたんだからね。最初は、英語の発音がまったくダメで「2時間くらい練習してろよ」って言ったこともある。英語の歌に関してはコーチをつけていたけど、本当にラクじゃなかった。TOSHIの声をずっと聴いてるから、彼の声を聞くだけで頭にきた時もあって、TOSHIに向かって
とうとう見えてきた…心配させてごめん。🙏スタジオで一瞬、落ちて仮眠たらスタッフが写真を撮って、”アメリカンユーモアでインスタにあげよう”って言われて。。。凄い勢いで働いてるけど。😆Sorryformakingyouworry.Itookaquicknapinthestudioandthestafftookapictureofmeandsaid,"Let'spostit…https://t.co/vB3fV5Itm4—Yoshiki(@
RedSwanは最初から「Toshl抜き」で、「XJAPAN名義」だったんでしょうね。XJAPANのボーカルであるToshlが歌っていないのに、XJAPANの新曲(!)として発表された『RedSwan』最初、「XJAPANfeat.HYDE」名義だったが、ファンの反発もあり、「YOSHIKIfeat.HYDE」に変更された。この件について、YOSHIKIは「交通整理ができていなかった(手違いだった)」と強調。…はい?★YOSHIKIPR事務局でもしっかり宣伝しちゃってるの
例えばの話。音楽で世界を目指していた二人がいた。同じ目標に向かっていると思われた二人。でも片方には違う目的があった。──自分の作った曲、自分の名を後世に残すという夢。自分が一番。自分に注目を集めたい。仲間のことは二の次──盟友、戦友だと思っていたのに違っていた、利用されていた…と分かったら、共に歩むのは難しいと思いませんか?私は無理です。そんな人と我慢して付き合いたくありません。利用されるのも御免です。自分の時間を奪っていくような人とか、誠意がない人とか、自分の人生にそぐわないよ
あれが最初で最後のライブだったXJAPAN「紅に染まった夜」~幕張メッセ3DAYS~私にとって最初で最後のXJAPANライブコンサート長年、隠れXシタンだった私にとって、ライブへの参加は至難の業。遠征など以ての外だった。Xのメジャーデビューの年に仕事復帰して30年間、仕事最優先で過ごしてきた。わずかな自分の時間でCDを聞き、ビデオを観る。XJAPANと過ごせる時間は貴重でもあり、エネルギー源でもあった。実は、この3
女性セブンに『YOSHIKIうつ告白』という見出しで記事が出ました。週刊誌はコチラ←YOSHIKIチャンネルでのYOSHIKI発言が引用されていますが、これがなんと!私のブログの書き起こしと酷似しているという ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄【女性セブン】「うつっぽくなってしまって(中略)『XJAPAN』と聞くだけで体中に蕁麻疹が出てくる」「アルバムって言葉も嫌い。呪われてるみたい。ノイローゼになってくる。(中略)アルバムなんか出さない!…こんな言い方よくないな。ごめんなさいね。出
2014年「音楽ナタリー」Toshlインタビュー(一部抜粋)家族が起こしたトラブルでメンバーに迷惑をかけてしまって、僕のほうにクレームも何度も入るようになっていったんです。さらに個人事務所の社長を任せた人物も金銭トラブルを起こしてしまった。彼はXJAPANの事務所の社長にまでなったのにバンドに甚大な迷惑をかけてしまって。それが尾を引いていろいろなトラブルが続き、僕はメンバーに顔向けできなくなってしまったんです。さらに、そんなふうに自分が信頼していた家族や友人がお金や利権などで豹変