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ONEOKROCK2018AmbitionsJAPANDOMETOUR3月31日初日京セラドーム大阪1日目行ってきたどーーブロ友のまめたろしゃんが当ててくれたツアー初日ありがと〜腹が減っては………という事でドーム内のレストランでランチそこは野球観戦しながら食べるレストラン🍴LIVE前に🍺でカンパーイすると………なんと❗️リハ中のワンオクの演奏がドカドカギュイ〜ン聞こえてきて振動が🥁…何か産まれるか思うた←歳をわきまえよそして………〜
前回の続き。訳わかんないけど、一旦退院手続きして、再入院します少し時間が出来たから、家に帰りました。いっちゃんは大喜び❤️❤️『ただいま〜💙オレの家〜はぁ〜、やっぱ落ち着くぅ♥️久々に誰かに会ってみようかな…』この言葉にはビックリ&喜び❤️実は、テモダール&放射線治療開始してから髪の毛がずいぶん抜けていた。病院のお風呂は母も一緒に入ってて、先にいっちゃんが洗髪。シャワーで流すと、ゴソッと抜ける。サラサラの綺麗な髪の毛が、排水口にたまるのを見ると泣けてきた。
播種した脊髄への放射線治療を終了し、いよいよ効果の確認のため、MRIを撮りに行く日がやってきました。いっちゃんの脳腫瘍は、浸潤してるので手術不可能放射線に強い抗ガン剤に強いどうしようもない強敵だから、どうしても心から期待できない私がいただけど、いっちゃんはいつだって前向きだ。《放射線したからもう大丈夫》ぐらいの自信があるようで、腰の痛みも全くとまではいかないが、かなりマシになっているらしい。いっちゃんには、目標がある。夏休みに入ったら始まる《夏の大会》に
テモダール&放射線治療を始めて2週間少しずつ食欲も戻り歩いて教室まで通える位にはなったが日によっては、しんどい時もある…と言う一進一退の感じだった。同時進行していた発達検査、知能検査、言語療法や、作業療法の時間も終了した。これらは簡単に言うと、“今のいっちゃんの出来る事と出来ない事を調査するテスト”みたいなものでした。『図を10秒見て記憶して、閉じて、覚えている物を全て答える』とか、『左の籠のを、できるだけ早く右の籠に入れる作業をする』とか。しんきくさくて、彼にとって
2014年6月中旬前回の続き月末に予定された放射線治療の準備に病院へ。急に決まった事だったので、この日私は仕事を休めず、いっちゃんひとりでへ。主治医先生が、全て段取りしてくださっていると言うことで、いっちゃんも安心して出かけて行った。🚌💨前年度の頭部放射線の時は、頭を固定し毎回決まった場所にキチンと照射できるように、いっちゃんの頭の形に合わせたオーダーメイドの網状のフルマスクを作っていただいた。そんな感じの脊髄照射用の固定器具か何かを作らはるのかな?と思っていましたが、、
すここしばらく脳腫瘍の発覚のお話をしたので、退院して学校に復帰したところから、お話が止まっていました。どんな話だっけ…❓という方はこちらをタッチ祝✨退院〜中学へ〜久々の登校をして、大好きな友達と楽しい楽しい毎日を過ごし始めたいっちゃん各教科の担当先生からも、提出物やテストの解答用紙に赤ペンで【退院おめでとう❗️】や【おかえり❗️】とコメントしていただいたり、10/28のが再登校初日の授業やったんやな。日付の右隣は【挙手】の回数で、31回ってスゴイな笑いっちゃん
体育祭当日の朝、お天気は快晴☀️でもいっちゃんは、起きてしばらくどうしても頭痛と首痛が強く出ていて、動き出すことができなかった。学校に電話を入れ、制服の準備をしてから1時間、2時間………フェントステープを貼って、効果を待つだけの時間が過ぎて行く。フェントステープ(癌性疼痛鎮静薬)の調整。1時間〜1時間半、効果が発揮されるのを待ち、観察しながら眠くならない程度まで0.5ミリずつ増やしていく。もう体育祭は、始まっている。行きたい行きたい何度も時計を見ては目を閉じ
いっちゃんの病室では主治医先生がこの病気のこの先の事を話してくださっている私は同席せず先生と2人だけの空間で話していただいた私は洗面所を出てナースステーション前のベンチ椅子に座って、主治医先生の戻りを待った。15分くらい経っただろうか……先生が病室を出てドアをゆっくり閉めいつもと同じリズムでパタパタ音立てて歩いて来られた「先生、ありがとうございました。。」「話し始めは少し泣いてたけど…今は大丈夫。たぶん分かってくれたと思います。」「そうですか。。。あ
2014年9月末いっちゃんが楽しみにして来た体育祭の日がとうとう来た中1の時は入院してて行けなかった体育祭もともと体育好きのいっちゃんとしては、今年こそは絶対に行きたかったのだ小6の時は、赤組の応援団長📣もやったくらい、体育が大好きだった❤️いや、むしろ体育だけはと言うておこうか。小6の時応援団長として優勝旗を受け取ってるのがいっちゃんって……見えへんやないかい雑な画像処理…すみません彼はこの日のために、調整して来たのだ。下剤を使い排便を
2013年11月から2014年3月までの5ヶ月間、元気に登校して楽しい楽しい学校生活を再開できたいっちゃん髪の毛も少しずつ増えてきて、毎日鏡で見ながら『お母さん!ここ撮って』と、放射線で薄くなったところをよく撮らされました(笑)少しずつ濃くなっていくのを見るのが、至極の喜びだった様ですカワイイ❤︎また、彼にとっては恐怖のステロイド薬リンデロンも飲まないで良くなったので、副作用のムーンフェイス、こちらも少しずつでしたが改善してきました病気のせいで顔の形は変わってしまった
13歳の誕生日を迎えて間もなくから始まったいっちゃんの悪性脳腫瘍との闘い。基本治療の抗がん剤テモダールがいっちゃんのソレには無効力だった為、新薬アバスチンとイリノテカン(カンプト)投薬が始まった。吐き気と、全身の倦怠感、冷や汗、ふらつき、脱毛。。。しんどいけど、嫌だけど、辞めるわけにはいかない。苦しみながらもなんとか一週間がんばって、、経過観察のMRI。朝から絶飲食して、造影剤を入れて。終えて病室に戻りご褒美の果実まるごとゼリーを食べてたら、結果が出たよう
12月2日3年前のこの日、いっちゃんは星になった。以来、祥月命日はずっといっちゃんのお友達が我が家に集結して、お仏壇のある居間でわいわいと賑やかに食べて喋って遊んで、いっちゃんを楽しませてくれてた。でも、今年は仕事がどうしても休めないので、いっちゃんが大好きだったもの食べて、家族でゆったり過ごそうかと思っていました。が、仕事から帰ると、我が家は駐輪場を経営したのか?と思えるほどのチャリが停まってる玄関開けたら…この後も、続々と増えていくのだが…なんと、母が居てなくても、
いっちゃん、お母さんな、貴方の写真見るのは大丈夫なんやけど、実は、まだ動画は見れへんねんなぁ。だって、動いてるんやもん。まるで目の前にいるかのように、こっち見て笑って、話しかけて来る。そんなん無理。すぐ鼻の奥がツンとする。胸が苦しくなって、鼓動が早くなる。だったら、見ないようにすればいい。うん。でも、今日は不意打ちやった。お風呂の石鹸が無くなってて、誰かが新しいの入れてくれてた。綺麗なグリーンの石鹸。あ、キレイやなぁ…って思いながら泡立てたら…鼻がツーンとして、涙がぶわ
夏休みが明けてから頭痛や首痛が続いて中学をお休みする日が続いた。昨日のMRIの結果を踏まえ、では治療法の検討も進んでいるだろう。そこは先生方にお任せだが、今はよろしくない状況だと言う雰囲気は先日の主治医先生の表情からもなんとなく感じていた。妙な焦りというか、時間が足りない不安というか、もっと彼と一緒にいたい、いなければ………私は、家に1人いっちゃんを残して仕事へ。仕事中もいっちゃんが気になって仕方がない。トイレに行くと言って教室を出る。トイレで急いでメッセ
夏休みが終わり9月の外来診察&MRI&化学療法の日職場にお休みをいただいて、いっちゃんと2人で病院へ行く。新学期が始まってからも、朝、頭痛がする日が多くなり、鎮痛剤を飲んで痛みが引くのを待つ日々。登校も午後からが多かった。休む日も一気に増えた。外来のこの日も朝からキツく痛がった。いつものように鎮痛剤を飲んで、しばらく静かにしてみたが痛みが治らないと言う。今日はバスは無理❗️と判断して、タクシー🚕で病院🏥に向かった。🚕の中でも、私の肩に頭を乗せて目を閉
髄液注射💉をしに処置室に連れて行かれいっちゃんが戻って来たのは、約40分くらい経ってから。ストレッチャーのまま帰って来た彼はまだ穏やかな顔で眠っていた。「おかえりいっちゃん」『まだ、しばらくは眠ってくれると思います。1時間くらいでしょうかね。』「注射は💉?うまくいきましたか?………って聞くのも変な質問でしょうか……」『大丈夫ですよ。少しでも成果が出ると良いんですけどね。。。ところで、お父様は何時頃来られますか?』「ええ、たぶん18時位になると思うんです。」
8月中2の夏休み結果的にいっちゃんにとって、最後の夏休みになった。2014年の夏日に日に朝のしんどさが増すいっちゃんを見ていて、急に思いついた。《よし、田舎へ行こう》←ローカル番組か!思い切らないと、なんだかもう一生会わせてあげられない気がしたから。朝がシンドイいっちゃん、嫌がるかな。「なぁ、いっちゃん夏休み中に田舎のじーちゃん、ばーちゃんに会いに行ってみーひんか❓」『ん〜U先生(主治医先生)が行っていい言わはったら行きたい』「もちろん、
テモダール+放射線の治療が始まりそれまでの頭痛と首痛、吐き気が徐々に治まってきて、それとともに食欲が出てくるようになったのは良い事なんだけど……この頃いっちゃんが一番嫌がったのが点滴の刺し替えだった。子供は血管が細く、入れにくいとは言え、何度も刺し直すのは大人でも辛い。そこで登場したのが《静脈スキャナー》。小さめのリモコン位の大きさで照らすと手の甲の血管が透けるように見える優れもの👍🏼(Dr.によると高級車1台買える位の値段らしいよ😳)それでも、刺し方なのか痛いらしく、刺し替
前回の闘病記【母としての決断】から、ずいぶん経ちました⬆︎ワンオクのライブレポが続いたのでどんなお話だっけ?って場合は、上の⬆︎をクリックしてください。私は、長年続けていた仕事を辞め、9月からずっといっちゃんのそばにいることを決断した。田舎に帰った後くらいからの彼の不調続き、毎朝の頭痛と吐き気、登校出来ず課題を家で横になっては起き…と、少しずつこなす日々。家で課題に取組むいっちゃん(ヅラを付けて遊んだ写真)その姿を、こうやってそばで見守る。やっぱ安心
チリンチリンチリンチリンゴボの帰宅から1時間ほど後玄関の風鈴が鳴った🎐『ただいま』私は、普段通りの足取りで玄関に向かう。「おかえりー!遅かったなぁ」腰掛けて👟靴を脱いでいる後ろ姿を確認して、心からホッとしたのを覚えている。いっちゃんは、靴を脱ぎながらこちらに振り返りえへへって顔でニヤッと笑った。不覚にも笑顔を想定してなかった私は、彼が見せた笑顔の裏にある意味を感じて、グッと込み上げるものを堪えた。その時、2階からゴボがトントントンと降りて来た。「お
もう3年そのままのものがある。いっちゃんが無言で帰宅した日からずっと同じ場所に置いたままだ。埃被ってきたけど、サワレナイ。病院での書類を入れたフォルダーケース。今日は(昨日)祝日やから朝からずっとワンオク聴いて元気いっぱいだし、このテンションのまま仕分け作業をしてみようか…。よし、やろう!やらねば。開けてみた。…お、おぉ…一番手前の書類を出してみると…最後の救急外来でのCT画像と、当直医の先生が説明した跡のボールペンのグルグル書き。おぉ…き、厳しいの出たなぁ。……………
前回の続きから〜入院して3ヶ月が経った頃いつものように病室に来てくださった主治医先生が帰り際(お母さん、ちょっと)と、手招きをされましたいっちゃん抜きでお話があるときは、大概良い方の話では無い足に子供が7・8人しがみついてるかと思えるくらい足が重〜くなりつつ先生に付いてナースステーションへ。『どうぞここにお座りください』「あー……はい」『お母さん、メイクアウィッシュって聞いたことありますか❓』「❓❓いえ、なんでしょう❓」『コレ見てください』と、
今回は、冒頭からpic実は、我が家の1階のトイレはいっちゃんミュージアム。(それがなぜかはまたいつか…)今朝、そのpicの差し替えをしたのでここに記録しとこって経緯で(笑)❤️かわいい極まりない🌼では、前回の続き闘病記録を。主治医先生に退院をほのめかされ俄然、ヤル気を出し始めたいっちゃん理学療法をスタートしました。まっすぐ歩くこと全体の筋力アップが、目的です。院内学級が終わった夕方から始めて30分くらいのメニュー。頭使うより、断然身体動かしてる
あんちゃんの学祭の夜ひーママからメールが来たいっちゃんが小1から6年間所属していた⚽️クラブチームの仲間と、コーチが、懐かしの練習グランドに集合することになったから、いっちゃんにぜひ来て欲しい🙏✨と。この前日に、病院にお見舞いに来てくれたひーママが、いっちゃんの現状を知ったことで、急遽企画してくれたらしいチームメイトには、ひーくんが声をかけてくれたそうだ急な声掛けだから全員は揃わへんかったけど、ほとんどの子が二つ返事で来てくれることになったと。コー
ひーくんママに電話して病室に戻る途中……主治医先生に呼び止められた「お母さん、少しお時間大丈夫ですか?」先生の厳しい表情を見る限りあまりいい話ではないな…と言うことは想像できた先生について、当直室に入った初めて入った当直室。まずシャワー室があり、続いて二段ベッドが並んでいる。その奥に診療室と同じデスクとパソコン、更に奥に、茶色の接客用テーブルと黒い皮のソファーがあった。これだけ部屋の奥に進めば、先生同士の密談はまず外からは聞こえないだろうな…と、ぼんやり考えながら
突然ですが先日友人が「写真整理してたら〜懐かし〜いっちゃんが出て来たよ」と写真をいただきました。何かのサインかもと思いココに記録しておこう…とかっわいい〜天使〜←バカ今ちゃみ📱の待受画面になっておりますです(◦ˉ˘ˉ◦)ニヤおそらく2歳になる少し前梅小路公園さて❗️前回の続き。がんばったご褒美の2泊3日の外泊金曜の夜から我が家に帰宅がんばって元気な声で『たっだいまぁ〜』兄2人が玄関に出てきてくれて長男が荷物を持ってくれて、次男がいっちゃん
『カテーテルは嫌や言うたのに』初めての入院の時、鎖骨のあたりからカテーテルを入れ、3ヶ月間入院したと言う経験がある彼にとってカテーテル=長期入院のイメージがあり、長引く事に懸念を抱いているらしい。看護師さんに状況を聞いたのか、しばらくして懐かしい足音がパタパタと急ぎ足で近づいてくるのが分かった。🚪扉を開けるなり、心配そうに眉をハの字にしたU主治医先生が現れた。『いっちゃん?カテーテル、嫌なんだって?』黙ってうなづく。『もちろん、麻酔するから大丈夫だよ?』『………
そう言えば……いっちゃんの病気が見つかった時の話、してなかったこれ、大事なお話ですよねこのブログを読んでくださってる方々の健康を守るためにも✨早期発見早期治療につながるためにも。でも…ご自身の判断で苦手な方はスルーしてくださいね。今思えば…の話もひとつ。いっちゃんはご存知の通り少年でございまして、クラブチームは高学年になると、遠征や合宿など🚌やでの遠出が増えました。6年生になってから、頻繁にに酔うようになりました。「今まで酔った事なかったのにねー」
余命2年。先生によると、この脳腫瘍が子供に出るのは世界的に見ても例が少ないらしく、成人のデータしかないから治療は難しいと。彼の場合、かなり短期間でこの大きさになったと思われるので進行がために速いと言えます。2年も厳しいかもしれません、覚悟しておいてください。と。涙を拭き、充血を取る目薬を差し、カンファレンス室を出ていっちゃんが待つ病室に行く。どう伝えようか……ふーーーっ深呼吸。「いっちゃん、検査結果やねんけど…」『俺はいいわ。お母さんが分かってたらいい
内視鏡での腫瘍生検術を終えて治療方針も決まり、いっちゃん自身も髄液が流れるようになった事で頭痛もかなり楽になったらしく、久々に夏休みの宿題に追われる毎日でした。(彼は勉強大嫌いwww)い『なぁなぁ!いつから⚽出来る?』母「んなアホなー抜糸したばっかやのにー❗️宿題もまっさらやで⁉️」い『』分かるけども〜。ここは病院ですしね〜。でも、久々のいっちゃんの笑顔とおふざけは本当にホントに頼もしくさえ感じました。でも、わずか術後2週間で再び頭痛と首痛と吐き気が出る様になった