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体育祭の2日前9月の2回目の化学療法の日。この日も朝から調子悪く、公共の🚌バスには乗れなかった。車🚘で病院へ向かう。🅿️に着いても、そこから歩くことが出来ないと言うので、入り口で車椅子を借りて移動した。『お母さん、早く早く行って。しんどいわ…』以前のように、「今日のお昼ごはんどうする?どこに食べに行こうか〜💕」なんて会話は出来なくなった。一刻も早く外来診療棟に着いて、ベッドに横になりたいと言う。先月はまだ、何を食べたい?と楽しみにしていたのに。病状の進行が早いんや
そう言えば……いっちゃんの病気が見つかった時の話、してなかったこれ、大事なお話ですよねこのブログを読んでくださってる方々の健康を守るためにも✨早期発見早期治療につながるためにも。でも…ご自身の判断で苦手な方はスルーしてくださいね。今思えば…の話もひとつ。いっちゃんはご存知の通り少年でございまして、クラブチームは高学年になると、遠征や合宿など🚌やでの遠出が増えました。6年生になってから、頻繁にに酔うようになりました。「今まで酔った事なかったのにねー」
余命2年。先生によると、この脳腫瘍が子供に出るのは世界的に見ても例が少ないらしく、成人のデータしかないから治療は難しいと。彼の場合、かなり短期間でこの大きさになったと思われるので進行がために速いと言えます。2年も厳しいかもしれません、覚悟しておいてください。と。涙を拭き、充血を取る目薬を差し、カンファレンス室を出ていっちゃんが待つ病室に行く。どう伝えようか……ふーーーっ深呼吸。「いっちゃん、検査結果やねんけど…」『俺はいいわ。お母さんが分かってたらいい
ひーくんママに電話して病室に戻る途中……主治医先生に呼び止められた「お母さん、少しお時間大丈夫ですか?」先生の厳しい表情を見る限りあまりいい話ではないな…と言うことは想像できた先生について、当直室に入った初めて入った当直室。まずシャワー室があり、続いて二段ベッドが並んでいる。その奥に診療室と同じデスクとパソコン、更に奥に、茶色の接客用テーブルと黒い皮のソファーがあった。これだけ部屋の奥に進めば、先生同士の密談はまず外からは聞こえないだろうな…と、ぼんやり考えながら
初めまして(≧∇≦)いっちゃんです😊💕💕(中1の夏休み初旬)これは検査入院初日のpic。この時は頭痛と首痛でしんどいけど、それを治してもらえる♪という喜びで彼は嬉しそうでした。しんどい中、すごく頑張って過酷な検査をたくさん受けてくれました。早くこの頭痛の原因を解明して、治して、秋の⚽️新人戦にスタメン出場する事が、彼の一番の目標になってました。小1から続けて来た大好きな⚽️は、たくさんの熱い素晴らしい友との絆を作り、彼の生き甲斐と誇りでした。勉強の100倍くらい打ち込ん
内視鏡での腫瘍生検術を終えて治療方針も決まり、いっちゃん自身も髄液が流れるようになった事で頭痛もかなり楽になったらしく、久々に夏休みの宿題に追われる毎日でした。(彼は勉強大嫌いwww)い『なぁなぁ!いつから⚽出来る?』母「んなアホなー抜糸したばっかやのにー❗️宿題もまっさらやで⁉️」い『』分かるけども〜。ここは病院ですしね〜。でも、久々のいっちゃんの笑顔とおふざけは本当にホントに頼もしくさえ感じました。でも、わずか術後2週間で再び頭痛と首痛と吐き気が出る様になった
2013年8月の終わりもう夏休みも終わるころから、小児科病棟に転科しました。病棟は、他科と違って、壁の色もとても明るくてドアには可愛いキャラクター。廊下で聞こえる声も可愛い小さい子の声。中学生はいっちゃんと、1学年上の女の子の2人だけ。親の付き添い泊がほとんどなので、保護者用の銭湯のような♨️お風呂も、料理ができるキッチンもありました。いっちゃんは入院当初、少しフラつきがあって不安だと言うので、母が一緒に患者用のに付き添って入る事に。(フラつきが取れても結局ずっと一緒に入ってま
念願の体育祭を終え、燃え尽き症候群になるかと思いきや……意外にも、この最高のお薬は、体育祭の翌日まで効果を発揮したのだった翌日は、いっちゃんの母校の小学校の運動会だったのだが………なんと!!卒業生としてお手伝いに行ったのだったもちろん帽子にマスクがいっちゃん💕中学校から、いっちゃんの健康状態については事前に連絡が入っている。いっちゃんの6年の時の担任の先生には、私からも詳しい話をしている。いっちゃんの学年は、中学年の頃、学級崩壊で1年間で担任の先
食欲がなくなって8日目お通じも1週間出ていない…😫💩吐き気も止まらない日に日に弱っていくいっちゃんだった昨日までは……………そう!食べれなくなって8日目の朝『お母さん、お腹空いた』え?い、いま、なんと?『笑おなかすいた』「ホンマに?ホンマのホンマに???」「あーー、よ、、よしよし!何食べたい?あ、やらかいもんにせなアカンで!胃が胃がビックリしよるわ、な?まずはおかゆさんからやな!よ〜し、よしよし、今
いっちゃんの中1の夏休みは、予定に全く無かった入院でスタート。入院10日後に生検手術を受けた。予定の2時間が過ぎ「難航してる」と連絡を受けた時は生きた心地がしなかった。そして4時間後、無事に帰って来たけど主治医先生がすぐに私達を呼び出した。「生検のための腫瘍細胞をほんの少し取るだけでも、やはり場所も難しく脳にも浸潤していて、とても困難でした」と。だから、全脳放射線と抗がん剤で現状維持をするしかないと。「治す」ではなく「維持」。進行を食い止めるのみ。どこに希望があります
予定通り、夏休み終わりから《テモダール》と《放射線》の治療に入ったいっちゃん。スタートして3日程で首痛もマシになり、食欲も少しずつ回復し始め、治療開始から1週間経った9月に入ってからは、※院内学級のベッドサイド授業も受けられるようになっていった。※在籍中の中学から転籍して通う、長期入院の子供の為の学校、『院内学級』。小児科病棟から廊下で繋がってて、しんどい時は病室に先生が来てくださり、10分だけでもベッドサイドで授業が受けられます。授業途中リタイアOK✨、点滴しながらとか、授業中診察
『カテーテルは嫌や言うたのに』初めての入院の時、鎖骨のあたりからカテーテルを入れ、3ヶ月間入院したと言う経験がある彼にとってカテーテル=長期入院のイメージがあり、長引く事に懸念を抱いているらしい。看護師さんに状況を聞いたのか、しばらくして懐かしい足音がパタパタと急ぎ足で近づいてくるのが分かった。🚪扉を開けるなり、心配そうに眉をハの字にしたU主治医先生が現れた。『いっちゃん?カテーテル、嫌なんだって?』黙ってうなづく。『もちろん、麻酔するから大丈夫だよ?』『………
あんちゃんの学祭の夜ひーママからメールが来たいっちゃんが小1から6年間所属していた⚽️クラブチームの仲間と、コーチが、懐かしの練習グランドに集合することになったから、いっちゃんにぜひ来て欲しい🙏✨と。この前日に、病院にお見舞いに来てくれたひーママが、いっちゃんの現状を知ったことで、急遽企画してくれたらしいチームメイトには、ひーくんが声をかけてくれたそうだ急な声掛けだから全員は揃わへんかったけど、ほとんどの子が二つ返事で来てくれることになったと。コー
入院して9日目嚥下指導を受けた翌日から、一日中吐気を訴えるようになった。朝食も、昼食も、ほとんど食べたがらない。嚥下の問題ではなく、ただ気分が悪いだけやと言う。薬を飲むのも💊苦労した。頭痛、首痛、加えて吐き気。まるで、1年前、水頭症を起こした初めての入院の時のようだ。原因はなんなんやろ………。U主治医先生といろいろ考える。私が考えつくのは、普段の生活や様子からのみ。医学的なことは、U主治医先生の分野になる。私に分かる体調悪化の原因は入院してから、まだ
入院して10日目入院した時より体調が悪くなってきた頭痛、首痛と吐き気は毎日消える事なく続いている今回の入院の目的の1つでもある麻薬系の鎮痛薬の調整それも、様子を観察しながらの調整なので痛く辛い日々が続いているのだオキシコンチンを増やしても、痛みは感じない代わりに眠気が強くなってしまい、彼にとってはそれも辛いようだったそんな中小児病棟では、ハロウィン🎃パーティが行われた。お菓子と共に、とても可愛い💕手の込んだ素敵なカードをいただいた。たくさんの子供達の人
入院して2週間食欲がなくなってから1週間途中外泊時に1度だけいつもの半分くらい食べることが出来たが、その一度だけで病棟に戻ってからまた吐き気で食べることができない日々が始まった。あの日は奇跡の1日やったんか……❓いっちゃんは、腫瘍の影響で視野狭窄が出ており、右半分が見えていない。外泊前、その進行具合を診るために眼科を受診したのだが、麻薬系鎮痛薬からくる眠気と吐き気で耐えられなくなり中断してしまっていた、その続きを受けに行った。吐き気止めの点滴を付けた車椅子で
突然ですが先日友人が「写真整理してたら〜懐かし〜いっちゃんが出て来たよ」と写真をいただきました。何かのサインかもと思いココに記録しておこう…とかっわいい〜天使〜←バカ今ちゃみ📱の待受画面になっておりますです(◦ˉ˘ˉ◦)ニヤおそらく2歳になる少し前梅小路公園さて❗️前回の続き。がんばったご褒美の2泊3日の外泊金曜の夜から我が家に帰宅がんばって元気な声で『たっだいまぁ〜』兄2人が玄関に出てきてくれて長男が荷物を持ってくれて、次男がいっちゃん
入院して3日目。全身のかゆみの対処策として処方された飲み薬とローションで、なんとか眠れたわと、いっちゃんは言う。いやいや、私は聞いたで。寝言。『なぁ?このビル誰が建てたん?』『おすもうさんやろ?』『貴乃花やんな?』いったい何の夢見てたんや?ま、そう言う私も眠りが浅く、何度も目が覚めてた訳で。看護師さんが巡回でたびたび部屋に入って来られ、点滴などを調べた後、淡い明かりで顔を照らさはる。そのたびに寝たふりをしていた。はははそして看護師さんが部屋を出て行
12月2日3年前のこの日、いっちゃんは星になった。以来、祥月命日はずっといっちゃんのお友達が我が家に集結して、お仏壇のある居間でわいわいと賑やかに食べて喋って遊んで、いっちゃんを楽しませてくれてた。でも、今年は仕事がどうしても休めないので、いっちゃんが大好きだったもの食べて、家族でゆったり過ごそうかと思っていました。が、仕事から帰ると、我が家は駐輪場を経営したのか?と思えるほどのチャリが停まってる玄関開けたら…この後も、続々と増えていくのだが…なんと、母が居てなくても、
2017.3.15いっちゃんの弟ゴボの卒業式ゴボが手紙をくれました【ありがとう感謝しています】このワードは、小学校卒業の時の手紙にもたくさん登場してたけど、今回の手紙には、初登場にしてダントツの数で登場してた言葉がありました。(彼は無意識の様ですが)それは【生きていてください】内容はスゴく面白いのに、(高校に行ったらもっとお金がかかるから、がんばって働けよ!とかww)至る所に【生きていてください】と書かれてるから、泣き笑いしながら読んだよアホやけど、
久しぶりに自分の足で立ってみたら足の筋肉がプルプル震えて立ってるだけで精一杯だったみたいで。そこから、1歩目を踏み出す勇気。すごく不安やったと思う。案の定、グラつく膝からバランスを崩し尻もちをついてしまった彼は……ショック以上に、すごく怖かっただろうと思う。俺の足、どうしたんや?と、不安に思ったんやと思う。抱きしめたいっちゃんを支えながらベッドに座らせた。えっと……な、なんて言おう……「なぁ、普通食に戻ったお祝いに、食べたいもん言うてみ!何でも買うて来たる
2014年5月いっちゃん中2になってまだ2ヶ月5月末に撮ったMRIで脊椎に小さな小さな播種が見つかった。前回の闘病ブログ播種新しい主治医のU先生のお話の通り、2週間後の診察の時に、角度を変えて再撮影していただいた。脊椎の中にうっすら白いシャボン玉みたいに映ったいくつかの小さな丸。コレが播種した腫瘍😰2週間前より、白い小さなヤツはハッキリ見えるようになっていた。今回の映りが良かっただけか………2週間で大きくなったのか………。いっちゃん治療チ
(最初に………ごめんなさい🙇♀️アメンバー申請がどんどん来るので、何事か😳と思ったら、投稿の方法を間違えてました😱戻しましたので、ごめんなさいっ🙏)入院して3日目疼痛に詳しい専門の先生が病室まで来てくださった。胸の名札には、緩和医療科だったかな?ガン治療専門の病棟名が書いてあった。なるほど、そうか。おっとりと穏やかにしゃべらはる先生だ。顔は少しイカつい感じの背の高いおじいさん先生。ベッドサイドに腰掛け、ニコニコしながらいっちゃんに話しかけてくださる。『こん
翌日の朝5日間出ていない便を出すために、浣腸をすることになった。以前に書いたとおり浣腸が大嫌いないっちゃん朝、処方された中に浣腸を見てすでにブルー。『嫌やねん!ホンマに嫌やねん!しんどなるし、ホンマに嫌やねん……』もちろん、しなきゃいけない状態だと言うことは、彼はよーく分かってる。いっちゃんは、お腹がキュルキュル痛む事だけを嫌がっているのではない。きばる時に力を入れると頭痛が増すことが怖いのだった。何もしなくても吐き気と頭痛がひどいのに、気張った後の
もう3年そのままのものがある。いっちゃんが無言で帰宅した日からずっと同じ場所に置いたままだ。埃被ってきたけど、サワレナイ。病院での書類を入れたフォルダーケース。今日は(昨日)祝日やから朝からずっとワンオク聴いて元気いっぱいだし、このテンションのまま仕分け作業をしてみようか…。よし、やろう!やらねば。開けてみた。…お、おぉ…一番手前の書類を出してみると…最後の救急外来でのCT画像と、当直医の先生が説明した跡のボールペンのグルグル書き。おぉ…き、厳しいの出たなぁ。……………
文化祭の翌日2人で病院に行った🏥いつものようになんやかんやお喋りしながら🚌バス停へ………と言いたいところだが、普段なら5分くらいで行けるバス停までが歩けない……車で病院へ向かった。病院の玄関に置いてある車椅子を借りていつもの外来の手順採血採尿をして、身長体重を計測彼のその日のモチベーションを上げるひとつである身長は………149.8cm(いっちゃんは150cmを目指している)ジャジャーーーン的な演出で計測を発表したのに、リアクションはイマイチだった
いっちゃんの病室では主治医先生がこの病気のこの先の事を話してくださっている私は同席せず先生と2人だけの空間で話していただいた私は洗面所を出てナースステーション前のベンチ椅子に座って、主治医先生の戻りを待った。15分くらい経っただろうか……先生が病室を出てドアをゆっくり閉めいつもと同じリズムでパタパタ音立てて歩いて来られた「先生、ありがとうございました。。」「話し始めは少し泣いてたけど…今は大丈夫。たぶん分かってくれたと思います。」「そうですか。。。あ
夏休みが明けてから頭痛や首痛が続いて中学をお休みする日が続いた。昨日のMRIの結果を踏まえ、では治療法の検討も進んでいるだろう。そこは先生方にお任せだが、今はよろしくない状況だと言う雰囲気は先日の主治医先生の表情からもなんとなく感じていた。妙な焦りというか、時間が足りない不安というか、もっと彼と一緒にいたい、いなければ………私は、家に1人いっちゃんを残して仕事へ。仕事中もいっちゃんが気になって仕方がない。トイレに行くと言って教室を出る。トイレで急いでメッセ
髄液注射💉をしに処置室に連れて行かれいっちゃんが戻って来たのは、約40分くらい経ってから。ストレッチャーのまま帰って来た彼はまだ穏やかな顔で眠っていた。「おかえりいっちゃん」『まだ、しばらくは眠ってくれると思います。1時間くらいでしょうかね。』「注射は💉?うまくいきましたか?………って聞くのも変な質問でしょうか……」『大丈夫ですよ。少しでも成果が出ると良いんですけどね。。。ところで、お父様は何時頃来られますか?』「ええ、たぶん18時位になると思うんです。」
はじめに。前回の記事に追加で、チームが負けたのは2回戦目チームの名誉のために⚽️秋季大会新人戦終了後、そのままの足で、病院に向かった🚘車中は、ずっと静かだった。信号で止まるたびに、後部座席を見た。「しんどいの?お昼、何か食べる?」『なんも食べたくない。』そう言って、少し上を向き、目を閉じた。後頭部と首のあたりを自分で押さえている。辛そうで、痛そうで…「ここからやと1時間はかかるし寝とき」そのまま、シートに横になった。私は、力ないいっちゃんの左手を取