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12月2日3年前のこの日、いっちゃんは星になった。以来、祥月命日はずっといっちゃんのお友達が我が家に集結して、お仏壇のある居間でわいわいと賑やかに食べて喋って遊んで、いっちゃんを楽しませてくれてた。でも、今年は仕事がどうしても休めないので、いっちゃんが大好きだったもの食べて、家族でゆったり過ごそうかと思っていました。が、仕事から帰ると、我が家は駐輪場を経営したのか?と思えるほどのチャリが停まってる玄関開けたら…この後も、続々と増えていくのだが…なんと、母が居てなくても、
前回の続き。訳わかんないけど、一旦退院手続きして、再入院します少し時間が出来たから、家に帰りました。いっちゃんは大喜び❤️❤️『ただいま〜💙オレの家〜はぁ〜、やっぱ落ち着くぅ♥️久々に誰かに会ってみようかな…』この言葉にはビックリ&喜び❤️実は、テモダール&放射線治療開始してから髪の毛がずいぶん抜けていた。病院のお風呂は母も一緒に入ってて、先にいっちゃんが洗髪。シャワーで流すと、ゴソッと抜ける。サラサラの綺麗な髪の毛が、排水口にたまるのを見ると泣けてきた。
テモダール&放射線治療を始めて2週間少しずつ食欲も戻り歩いて教室まで通える位にはなったが日によっては、しんどい時もある…と言う一進一退の感じだった。同時進行していた発達検査、知能検査、言語療法や、作業療法の時間も終了した。これらは簡単に言うと、“今のいっちゃんの出来る事と出来ない事を調査するテスト”みたいなものでした。『図を10秒見て記憶して、閉じて、覚えている物を全て答える』とか、『左の籠のを、できるだけ早く右の籠に入れる作業をする』とか。しんきくさくて、彼にとって
テモダール+放射線の治療が始まりそれまでの頭痛と首痛、吐き気が徐々に治まってきて、それとともに食欲が出てくるようになったのは良い事なんだけど……この頃いっちゃんが一番嫌がったのが点滴の刺し替えだった。子供は血管が細く、入れにくいとは言え、何度も刺し直すのは大人でも辛い。そこで登場したのが《静脈スキャナー》。小さめのリモコン位の大きさで照らすと手の甲の血管が透けるように見える優れもの👍🏼(Dr.によると高級車1台買える位の値段らしいよ😳)それでも、刺し方なのか痛いらしく、刺し替
髄液注射💉をしに処置室に連れて行かれいっちゃんが戻って来たのは、約40分くらい経ってから。ストレッチャーのまま帰って来た彼はまだ穏やかな顔で眠っていた。「おかえりいっちゃん」『まだ、しばらくは眠ってくれると思います。1時間くらいでしょうかね。』「注射は💉?うまくいきましたか?………って聞くのも変な質問でしょうか……」『大丈夫ですよ。少しでも成果が出ると良いんですけどね。。。ところで、お父様は何時頃来られますか?』「ええ、たぶん18時位になると思うんです。」
体育祭当日の朝、お天気は快晴☀️でもいっちゃんは、起きてしばらくどうしても頭痛と首痛が強く出ていて、動き出すことができなかった。学校に電話を入れ、制服の準備をしてから1時間、2時間………フェントステープを貼って、効果を待つだけの時間が過ぎて行く。フェントステープ(癌性疼痛鎮静薬)の調整。1時間〜1時間半、効果が発揮されるのを待ち、観察しながら眠くならない程度まで0.5ミリずつ増やしていく。もう体育祭は、始まっている。行きたい行きたい何度も時計を見ては目を閉じ
播種した脊髄への放射線治療を終了し、いよいよ効果の確認のため、MRIを撮りに行く日がやってきました。いっちゃんの脳腫瘍は、浸潤してるので手術不可能放射線に強い抗ガン剤に強いどうしようもない強敵だから、どうしても心から期待できない私がいただけど、いっちゃんはいつだって前向きだ。《放射線したからもう大丈夫》ぐらいの自信があるようで、腰の痛みも全くとまではいかないが、かなりマシになっているらしい。いっちゃんには、目標がある。夏休みに入ったら始まる《夏の大会》に
2014年6月中旬前回の続き月末に予定された放射線治療の準備に病院へ。急に決まった事だったので、この日私は仕事を休めず、いっちゃんひとりでへ。主治医先生が、全て段取りしてくださっていると言うことで、いっちゃんも安心して出かけて行った。🚌💨前年度の頭部放射線の時は、頭を固定し毎回決まった場所にキチンと照射できるように、いっちゃんの頭の形に合わせたオーダーメイドの網状のフルマスクを作っていただいた。そんな感じの脊髄照射用の固定器具か何かを作らはるのかな?と思っていましたが、、
2014年9月末いっちゃんが楽しみにして来た体育祭の日がとうとう来た中1の時は入院してて行けなかった体育祭もともと体育好きのいっちゃんとしては、今年こそは絶対に行きたかったのだ小6の時は、赤組の応援団長📣もやったくらい、体育が大好きだった❤️いや、むしろ体育だけはと言うておこうか。小6の時応援団長として優勝旗を受け取ってるのがいっちゃんって……見えへんやないかい雑な画像処理…すみません彼はこの日のために、調整して来たのだ。下剤を使い排便を
翌朝昨夜から服用したオキシコンチン、(以前9月に服用した時は、効果を発揮してくれず。朝晩飲んでも痛みを全く抑える事が出来ず、服用を中止した翌日に気分が良くなった…😓と言う前歴があるのだが)今回は問題なく活躍してくれたようで、フェントステープを4mgから増やすこと無く眠ることが出来てひさびさにかゆみで目を覚ますこともなくぐっすり眠れたようだった🙌ヤッターやはり、睡眠がしっかり取れると体も少し楽になるようで、久々にお風呂🛀も楽しむことが出来た❤️小児科病
入院して9日目前日、嫌がる中浣腸をして……💩だいぶ出たはずなのにまだ食欲は湧かないらしい。リンデロン(ステロイド)を毎日点滴で入れてるので、食欲も普段より出るはずなのに……朝食メニューの中から、食べれそうなものだけでもいいと、ゼリーやヨーグルトを勧めるけど『考えただけで吐き気がする……ムリ』と言う……。そんな中、今日は化学療法の日。朝イチの血液検査の結果、抗がん剤を受けるための数値は問題ないらしい。すごく不安だったが、もともと、あまり副作用が出ないい
2013年11月から2014年3月までの5ヶ月間、元気に登校して楽しい楽しい学校生活を再開できたいっちゃん髪の毛も少しずつ増えてきて、毎日鏡で見ながら『お母さん!ここ撮って』と、放射線で薄くなったところをよく撮らされました(笑)少しずつ濃くなっていくのを見るのが、至極の喜びだった様ですカワイイ❤︎また、彼にとっては恐怖のステロイド薬リンデロンも飲まないで良くなったので、副作用のムーンフェイス、こちらも少しずつでしたが改善してきました病気のせいで顔の形は変わってしまった
前回の闘病記【母としての決断】から、ずいぶん経ちました⬆︎ワンオクのライブレポが続いたのでどんなお話だっけ?って場合は、上の⬆︎をクリックしてください。私は、長年続けていた仕事を辞め、9月からずっといっちゃんのそばにいることを決断した。田舎に帰った後くらいからの彼の不調続き、毎朝の頭痛と吐き気、登校出来ず課題を家で横になっては起き…と、少しずつこなす日々。家で課題に取組むいっちゃん(ヅラを付けて遊んだ写真)その姿を、こうやってそばで見守る。やっぱ安心
すここしばらく脳腫瘍の発覚のお話をしたので、退院して学校に復帰したところから、お話が止まっていました。どんな話だっけ…❓という方はこちらをタッチ祝✨退院〜中学へ〜久々の登校をして、大好きな友達と楽しい楽しい毎日を過ごし始めたいっちゃん各教科の担当先生からも、提出物やテストの解答用紙に赤ペンで【退院おめでとう❗️】や【おかえり❗️】とコメントしていただいたり、10/28のが再登校初日の授業やったんやな。日付の右隣は【挙手】の回数で、31回ってスゴイな笑いっちゃん
「出発しよう」と外に出たとこで📱が鳴る。教頭先生だった。「お母さん、もう🚘向かわれてますか?」「これから出ます」「今回特別に直でグラウンドに入れるよう配慮していただけましたので、会場校に着かれたらグラウンド横に🚘をつけてください!体の大きな先生が、肩を貸してくださるそうなので、お待ちしてますね」F先生が《いろいろ理解と協力を得ていますから》とおっしゃってたのは、試合に出ると言うことだけではなかったのだ。会場校に着くと、グラウンドの扉を開けてくださり、2人の男の先
外泊2日目今日は、いつメンがたくさん来るいっちゃんの何にも勝るお薬ですからね朝は、おかゆさんを食べてくれて……昨夜同様リバースしないかヒヤヒヤしてたけどどうやら大丈夫そう👌疼痛鎮痛薬💊も効果を発揮してくれてて、頭痛もなく眠気もないそうで、いつメンを迎える準備は万端だったまず、午前中小学生の頃のクラブ⚽️チームの時の友達が来てくれた。私も2年ぶり?かな、シュッとしたイケメンは相変わらずやけど、背がウンと伸びて……170cmはありそうだな。中学になってからは、
8月中2の夏休み結果的にいっちゃんにとって、最後の夏休みになった。2014年の夏日に日に朝のしんどさが増すいっちゃんを見ていて、急に思いついた。《よし、田舎へ行こう》←ローカル番組か!思い切らないと、なんだかもう一生会わせてあげられない気がしたから。朝がシンドイいっちゃん、嫌がるかな。「なぁ、いっちゃん夏休み中に田舎のじーちゃん、ばーちゃんに会いに行ってみーひんか❓」『ん〜U先生(主治医先生)が行っていい言わはったら行きたい』「もちろん、
抗ガン剤アバスチンとイリノテカン投与を始めて二週間、初めての外泊。まずは、その時のお話いっちゃんのリクエストに応え京都駅近くの大好きな《萬福》っていうラーメン屋さんに行きました大将「いらっしゃいっっ❗️」『ラーメン大盛りで❗️えっと…ネギはいりません』大将「❓ボン、ネギは嫌いなんか❓」『いいえ、大好きです』大将「❓………ん、そうか。」しかし出てきたには大量のネギが。『あ……』大将「ネギな、大丈夫やで‼️熱湯通したからな❗️生がアカンのやろ❓わかっと
夏休みが終わり9月の外来診察&MRI&化学療法の日職場にお休みをいただいて、いっちゃんと2人で病院へ行く。新学期が始まってからも、朝、頭痛がする日が多くなり、鎮痛剤を飲んで痛みが引くのを待つ日々。登校も午後からが多かった。休む日も一気に増えた。外来のこの日も朝からキツく痛がった。いつものように鎮痛剤を飲んで、しばらく静かにしてみたが痛みが治らないと言う。今日はバスは無理❗️と判断して、タクシー🚕で病院🏥に向かった。🚕の中でも、私の肩に頭を乗せて目を閉
入院して1回目の週末血液検査の結果、数値には問題なかったので外泊許可が出た💕おうちに帰り、食べたいものを食べ、食後にたくさんたくさんのお薬を飲むもともとお薬は嫌いだけど、最近はかなり嫌なようで、飲むのを拒んだりする。でも飲まなければ、痛みを抑えることが出来ないってことも、よくよく分かってるんだけど相当嫌みたいで………『苦しいねん。息しづらいねん』と、半泣きで言う。そだね、病院戻ったら先生に言おうね。日曜の夜🌙病院に戻った。看護師さんに
『カテーテルは嫌や言うたのに』初めての入院の時、鎖骨のあたりからカテーテルを入れ、3ヶ月間入院したと言う経験がある彼にとってカテーテル=長期入院のイメージがあり、長引く事に懸念を抱いているらしい。看護師さんに状況を聞いたのか、しばらくして懐かしい足音がパタパタと急ぎ足で近づいてくるのが分かった。🚪扉を開けるなり、心配そうに眉をハの字にしたU主治医先生が現れた。『いっちゃん?カテーテル、嫌なんだって?』黙ってうなづく。『もちろん、麻酔するから大丈夫だよ?』『………
入院して9日目嚥下指導を受けた翌日から、一日中吐気を訴えるようになった。朝食も、昼食も、ほとんど食べたがらない。嚥下の問題ではなく、ただ気分が悪いだけやと言う。薬を飲むのも💊苦労した。頭痛、首痛、加えて吐き気。まるで、1年前、水頭症を起こした初めての入院の時のようだ。原因はなんなんやろ………。U主治医先生といろいろ考える。私が考えつくのは、普段の生活や様子からのみ。医学的なことは、U主治医先生の分野になる。私に分かる体調悪化の原因は入院してから、まだ
今年2018年の祥月命日は日曜日数日前から気忙しいです。いつメン達はもちろん中学時代の先生方からも連絡が来て今年もお参りに来てくださると。ある意味毎年恒例の同窓会ですいっちゃん主宰者の(笑)いっちゃんは小学校6年間クラブチームの⚽️をしていたこともあり校区を超えて、たくさんの⚽️少年たちと交流がありました。それは、中学になって更にバラバラになり高校になってそれより更にバラバラになったこの⚽️仲間がいっちゃんの祥月命日には集合するのです💕だから
いっちゃんの病室では主治医先生がこの病気のこの先の事を話してくださっている私は同席せず先生と2人だけの空間で話していただいた私は洗面所を出てナースステーション前のベンチ椅子に座って、主治医先生の戻りを待った。15分くらい経っただろうか……先生が病室を出てドアをゆっくり閉めいつもと同じリズムでパタパタ音立てて歩いて来られた「先生、ありがとうございました。。」「話し始めは少し泣いてたけど…今は大丈夫。たぶん分かってくれたと思います。」「そうですか。。。あ
食欲がなくなって8日目お通じも1週間出ていない…😫💩吐き気も止まらない日に日に弱っていくいっちゃんだった昨日までは……………そう!食べれなくなって8日目の朝『お母さん、お腹空いた』え?い、いま、なんと?『笑おなかすいた』「ホンマに?ホンマのホンマに???」「あーー、よ、、よしよし!何食べたい?あ、やらかいもんにせなアカンで!胃が胃がビックリしよるわ、な?まずはおかゆさんからやな!よ〜し、よしよし、今
(最初に………ごめんなさい🙇♀️アメンバー申請がどんどん来るので、何事か😳と思ったら、投稿の方法を間違えてました😱戻しましたので、ごめんなさいっ🙏)入院して3日目疼痛に詳しい専門の先生が病室まで来てくださった。胸の名札には、緩和医療科だったかな?ガン治療専門の病棟名が書いてあった。なるほど、そうか。おっとりと穏やかにしゃべらはる先生だ。顔は少しイカつい感じの背の高いおじいさん先生。ベッドサイドに腰掛け、ニコニコしながらいっちゃんに話しかけてくださる。『こん
夏休みが明けてから頭痛や首痛が続いて中学をお休みする日が続いた。昨日のMRIの結果を踏まえ、では治療法の検討も進んでいるだろう。そこは先生方にお任せだが、今はよろしくない状況だと言う雰囲気は先日の主治医先生の表情からもなんとなく感じていた。妙な焦りというか、時間が足りない不安というか、もっと彼と一緒にいたい、いなければ………私は、家に1人いっちゃんを残して仕事へ。仕事中もいっちゃんが気になって仕方がない。トイレに行くと言って教室を出る。トイレで急いでメッセ
そして、試合前日夜🌙🌟📱を触ってたいっちゃんが、私を呼ぶ『お母さん!今日みんながウチ来るって』「へ?今から?」いつメン達がなぜか我が家に集結した明日の決起集会でもするのかと思いきや、サッカー⚽️の話はチラッとも出て来ず(笑)ゴボも加わり、ただただいつものバカ騒ぎある授業の時、△△があり得ない勘違いで〇〇してしまったとかいう学校の報告?とか………オマエはホンマに✖️✖️や!と、いつメンの中のいじられキャラをみんなでいじっては爆笑したり……
翌日の朝5日間出ていない便を出すために、浣腸をすることになった。以前に書いたとおり浣腸が大嫌いないっちゃん朝、処方された中に浣腸を見てすでにブルー。『嫌やねん!ホンマに嫌やねん!しんどなるし、ホンマに嫌やねん……』もちろん、しなきゃいけない状態だと言うことは、彼はよーく分かってる。いっちゃんは、お腹がキュルキュル痛む事だけを嫌がっているのではない。きばる時に力を入れると頭痛が増すことが怖いのだった。何もしなくても吐き気と頭痛がひどいのに、気張った後の
はじめに。前回の記事に追加で、チームが負けたのは2回戦目チームの名誉のために⚽️秋季大会新人戦終了後、そのままの足で、病院に向かった🚘車中は、ずっと静かだった。信号で止まるたびに、後部座席を見た。「しんどいの?お昼、何か食べる?」『なんも食べたくない。』そう言って、少し上を向き、目を閉じた。後頭部と首のあたりを自分で押さえている。辛そうで、痛そうで…「ここからやと1時間はかかるし寝とき」そのまま、シートに横になった。私は、力ないいっちゃんの左手を取