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子宮全摘術後二日目お腹に入っていたドレーンが抜けた。日中担当の看護師さんがやってきて検温。朝食が全部食べられていないこと排便がないことを気にされている。朝食は3日ぶりにご飯を口にできたが全体を通しても3割食べたかどうか。看護師さんのジャッジでは「7割」が目安なのか「7割は食べれてない?」と2~3回繰り返して聞かれた。ひとまず朝食の話題はそこで終わり、昼食が食べられるかでまた考えるとのことで点滴の針は抜いて貰えなかった。シャワーに入れると思っていたのに点滴の針が…と思って
円錐切除術して、ブチギレて大出血して緊急入院&退院してから一週間。急遽予約を入れた外来日。貧血の症状が出ないといいなと思いながら行ってきました。この日に限ってムシ暑い。駅から大学病院までの道のりが一番疲れた。いつもなら10分で行く道も、とにかく道端で倒れたくなかったので無理せずゆっくり15〜20分かけて歩いた(疲)そして病院着。待合室で少し休んでから血液検査で採血してもらって、婦人科外来へ。待つ間【本来は来週の診察日に聞くと思われる病理検査結果も今日言われたりして…】と妄想をしなが
15時術後2時間経過。看護師さんは1時間毎にやってきて検温をしてお腹の傷と膣からの出血と膀胱と直腸の間に挿入されているドレーンの排液量をチェックされている。寝ていると、生理の時のように膣から血が流れているのがわかる。そんなに沢山の量ではないが漏れないか気になるのでオムツの中に敷かれているナプキンを押し当てるようにしていた。「酸素も後、1時間で外れますしね」と看護師さんが声をかけてくれる。頭上に目をやると、酸素チューブが繋がっている機械がついている。数値は3に合わさ
今日は、定例の医局会でした。勉強会は、上大岡院の高橋寿子先生が担当されました。テーマは、「子宮頸部嚢胞について」。子宮頸部には粘液(頸管粘液)を産生・分泌する頸管腺が存在していますが、この開口部が詰まったりすると、子宮の中に粘液が貯留して、嚢胞状になります。これは、「ナボット嚢胞」あるいは、「分葉状頸管腺過形成(LEGH:LobularEndocervicalGlandularHyperplasia)」と呼ばれ、一般的には、病態意義はないものですが、稀に悪性化する場合もあります。高
手術室に入ってベッドに寝て全身麻酔がかかって一瞬で意識が飛んで次に意識が戻ったのは手術室からベッドで部屋へ戻る時。遠い意識の彼方の方で背中で感じた振動。ベッドを押されて運ばれているのかもしれない現実なのか夢の中なのかぼんやりとした遠い意識の奥で目覚めつつあった。目覚めたというか身体はまだ全然動かせなくて目すら開けられない状態で背中と耳だけで覚醒を感じていた。あれ、でもちょっと前にとてもザワザワした環境で名前を呼ばれたのかはっきり覚えてないけど眩しい光とザワザワ
す子宮全摘術後二日目※閲覧注意(ドレーンパックや血液の写真がありますので、ご気分を悪くする恐れのある方はこの先読まないでください)朝の7時に検温熱は37.2で昨日からずっと微熱が続いている。普段は35度台なので、やや高いがだるさはあるがしんどくはない。痛みは動かなければ10段階中3のレベル。4時頃にロキソニンを飲んだので次に痛み止めが飲めるのは10時以降だと看護師さんから伝えられる。そして、今日もご飯が食べられなければ点滴をするとも言われたのでなんとしても食べなくては腕
子宮全摘術から3時間後、鼻につけられていた酸素が外れた。外れたのに何故か右の鼻だけがスースーする。痛みはない。看護師さんは麻酔から完全に覚めたことを確認してスマホを取ってくれる。充電器まで差し込んでくれる。気遣いがありがたい。スマホを開けると旦那からLINEが届いていた。「主治医の先生から無事に手術が終わったと電話がありました。無理せずに。」LINEの通知時間は12時32分になっていた。部屋に戻ったのは13時過ぎだから…その間の時間は麻酔からの覚醒を待ったりがあった
先日撮影した骨盤腔MRIの検査データを持参して三度目の婦人科受診です。MRIの結果どうか何もありませんように‼‼と祈る気持ちで診察室へまずMRIの所見結果が届いているとのことで所見用紙を渡される。何やら色々書かれているけど「LEGHの可能性はあるけど断定はできない」とのこと。パソコンで画像を見せて貰いながら説明を受ける。子宮頸部に大小いくつもの嚢胞が房のようになって存在しているのが良くみえる先生は「コスモスパターンに見えなくもない」と言う。「子宮頸部に接して腟
子宮全摘術後一日目の夜小さな小さなガスがやっと出た後少しだけお腹の張りが楽になった。ほんのつかの間、痛みから解放された時ふと思い出した。今日1日歯磨きもしていなければ顔も洗っていない。看護師さんからはおしぼりを渡して貰ったので顔は2度拭いたが、化粧水もつけていないので乾燥したままだ。寝る前に歯磨きはしておきたい。点滴台を押しながら洗面所まで歩く。ほんの数歩の距離がなかなか遠い。立って歯磨きをしているとお腹の中の傷が引っ張られるように痛い。本当は洗顔もしたかったが立
前回の続きから…子宮全摘の手術説明が終わって、入院説明が終わったのが16時。12時前に病院へ来たので4時間が経過していた。疲れはてたが、これから処方薬を貰いにいつものクリニックへ行かねばならない。電車で来院していたので、夫とは自宅方面とクリニック方面で乗る電車が違うので駅で分かれる。夫には仕事場に診断書を持って行くからと嘘をつく。薬を貰いにクリニックへ行くなんて言いたくなかったから。やっと1人になれた。なかなか電車がこない。誰もいない駅の待ち合い室でかばんに入った
なにやら流れに身を任せる感じで、12年ぶりの婦人科受診です。出産は扱っておられないクリニックなので、妊婦さんがずらーっと並んでいる光景はなくてなんとなくほっとした記憶があります。初診なので、問診票を記入。今回は眩暈とイライラ、不眠を主訴で記入しました。子宮がん検診を2年以内に受けたかの項目があったので、そこは正直に❌まさか、12年も受けてないなんて言えないですけどね。1時間以上待って診察室へ。年配の先生、気楽ーな感じでお話くださる。しかし「眩暈とイライラ?生理は来てるんだよねぇ~
手術は朝の9時からということだったが手術直前に診察があった。8時35分処置室とかかれた入り口に入りドア前の長椅子へ向かう。昨日、お臍の掃除と剃毛をしてもらった場所。昨日は明るい看護師さんと談笑しながら和やかな雰囲気で処置していただいたが今日は手術前の内診。緊張して入ると既に二人の患者さんが長椅子に座っていた。二人とも私と同じ手術着を着て白いソックスを履いているが上着を着て、白いソックスの上には温かそうなソックスを重ねて履いた格好で座って待っていた。はだける胸を押
回想中・・・・・・定かではなぃ。今の彼氏と5年近く経っている出逢った時には、今より薄いシートを使っていた。「尿漏れ女」を言えずにいた。ずっと言えないまま。途中、大きい尿漏れシートに変えたから確実に数年歴の水っぽいおりもの。いつからだろういつからだろう記憶があいまいはじまりは?いつ?ここ数年の話じゃないのは、確か。急激に大量になったわけでは、ない。徐々におりものシートから尿漏れ用に5㏄から10㏄にと増量になったのは記憶してる。数年前からにせょ歳が
この説明適当にわかりゃすい。かな。
毎回、、途中で保存、途中で保存してしまって、、、UP出来てない最近です。わたくし、めちゃ元気でございます不安げな連絡してきた友人乳がんのゼッケンをもらってきておりました。ガンセンターと名のつく病院で手術をしたわけですが8/25に手術して8/28には退院するとゆー彼女の状態が良かったのかその名前のままの病院の技術やお道具が凄いのかすごっ「癌」とゆう言葉を久々に身近に感じて、自分の病名、ググってみた。私が発病した3年前「つい最近きちんと名前がついた」と当時
日々楽しく過ごすようにしていましたが頭の片隅にはいつもLEGHのことがありました「はい、全摘ね〜」とあっさり言われる夢を見たりしてました緊張しながら大学病院へ向かい今日の診察ではお友達に紹介頂いた先生に会えました産婦人科医と放射線科医による画像診断は「画像的にはLEGHではない」ただしLEGHかどうかは病理診断で確定するためやはり子宮全摘しなければ分からないという事でした内診エコーの結果子宮頸部も大きくない(LEGHならもっと大きいとの事)水様帯下もない
久々に胸がギュッってなった(イ)問題ありませんでしたに、◯がついとらんゃん?軽度の異常ちゃなんね?異常ちゃろーもん‼️グレー診断のハガキは受け取りましたが今は全然、他人事。なぜって今のわたくしめちゃくちゃ元気先日も90分2本ZUMBAれる身体やし毎週日曜は筋トレ追い込んでもらってるし食事制限もやりよーしなのにぃ〜♪なぜぇ〜~♪子宮を取って悪かろうブツはもうないはずやがいったいヤツらはどこからやってくるのだろうこの年末で5年の執行猶予があける予定でし
♪hinaのプロフィール夫と息子の三人暮らし。32歳で結婚して、なかなか子どもが出来なかったので不妊治療の道へ。やっと授かり幸せ妊婦ライフ♪のつもりが妊娠4ヶ月で子宮口が開いてシロッカー手術。その後自宅安静を続けて無事出産。子宮口は開いてるのに陣痛が全くこなくて陣痛促進剤で産ませて貰いました。この時代に生まれていなければ、授からず産まれることもなかった命に感謝しています。………………………………………………………………………………そして、そんな産婦人科とのご縁に感謝しつつも、もう通い
この前のMRIの結果を聴きに大きな病院へやはり家から車で40分かかる再診なので機械で受付を済ませ2階の婦人科へ又そこでチェックでバーコードをピッとしたやはり午前中の方が混む💦駐車場もA駐車場がいっぱいでBに行けと言われて前の車の後をついて行った🤣ここにあったのねって思った2階になんとか置けたチョイ早すぎて車の中で少し待つなんやかんやで移動時間とか考えると今度から1時間20分前に家出ればいいかなぁって思った今日は早く行ったせいもあり3時間位待ってたかもなんか疲れたな💦
手術室看護師さんが去ったあと再び明るい看護師さんが訪室。「変なことを聞きますが、先生からは卵巣はとると聞かれてます?手術同意書お持ちですか?見せてもらっていいですか」書類関連のファイルから手術同意書を取り出す。どうやら、手術同意書には子宮全摘、(卵巣温存・卵巣摘出)のように印字されているが、なにも印がついていないので看護師さんが不備がないかチェックをして気付かれたらしい。私は全然気付かなかったけど。「先生は卵巣は残すと言われていました。まだあと5年は働くだろうからと言われて
2回目の婦人科受診で「LEGHの疑い」という病名を告げられて…頭の中真っ白になりましたが、家に帰ってからネットで沢山調べました。今でこそLEGHってすぐ言えるけどなかなか覚えられないこの病名…日本語名もいまだに言えない(笑)折角なので覚え書きLEGHとはLobularEndocervicalGlandularHyperplasia分葉状頸管過形成と言われるものらしい。子宮頸部の嚢胞疾患はナボット嚢胞、LEGH、MDA.GASという風に分けられるらしくM
①の続きです。手術が終わり目が覚めた私の第一声はおしっこしたいでした子宮鏡検査もしていたので膣の奥がムズムズするといいますか何かそんな感覚があったからなんですかねー。その場にいた看護師さん達から管入ってるので大丈夫ですよと3人位に言われちゃいました(笑)その後は足動きますかー等確認して病室に戻る訳ですがとにかくお腹が痛い。涙流しながら痛いと訴えう〜う〜と唸りながら病室へこの間ぼーっとしてるので時間の経過はわかりませんが痛み止めいれますねーと看護師さんの声。
前回の婦人科受診の翌日手術を受ける予定の病院の診察予約がとれたとクリニックから連絡があった。「朝の9時半ですけど大丈夫ですか?」と確認されたが、その日は1日オフだったので大丈夫ですと返答した。紹介状が出来ているので紹介先の病院へ行くまでに取りに来て欲しいとの事だった。すぐ取りに行けばいいのに取りに行ったのは2週間後紹介先の病院の受診3日前。もうとにかく「婦人科」という文字を見たくなくて、クリニックのあの独特の匂いも嗅ぎたくなくて、まだまだ現実逃避したくてたまらなかった。
無事手術終了!やっぱ手術室に入ると一気に緊張(笑)ダヴィンチ見てやや興奮の私。麻酔もあっという間に効いちゃって麻酔科医「◯◯さーん、終わりましたよー」で目覚めた。なんか夢はみてたっぽいけど目覚めとともに全て忘れちゃったよ(笑)円錐切除術のときは喉に管が入っててそれを抜く前に目が覚めてオエーってなったけど、今回は目が覚めたときには抜けてた。あと眠さMAX状態だったからかなぁ?話しかけられたけど声が出せなくて頷くことしかできなかった。病室に戻ってからはひたすら寝て起きての繰り返し。
円錐切除術をして診断された病名【LEGH】は子宮頸部多発嚢胞の部類?になる。で、術前に色々と書いた書類にあったような…と思ってたら、輸血の同意書に似たような名前で書いてあった。『書類確認で気づいた事』入院時に持っていく用紙に書き忘れがないかチェックしていたときにふと見た【円錐切除術に関する説明書・同意書】《患者の病名》子宮頸部異形成・子宮頸がん《患者の状態…ameblo.jpLEGHを調べるとこれまた珍しい病気。長野県の信州大学が症例数も多くあるらしく、分かりやすく掲載されてた。信州
前回からの続きで紹介先の病院で診察と組織診をすることになり内診台へあがりました。内診はここ最近、続けてやっているので心構えが出来るようになったけど「組織診って何??」やったことない検査だよ…いつ来るのかとドキドキ。内診台があがると直ぐに先生が来て「器械をいれますね」と声をかけられ最初は膣鏡を入れて電気を照らして中を見ているような感じ。(カーテン向こうが光っていた)次は「少しお腹を上から押さえますね」と言って腟から指を入れてもう片方の手で下腹部をぐいぐい押さえる
手術から1週間起き上がるにも一苦労だった痛みも今ではかなり軽減してる。ただ、退院してからなんだかんだ子どもたちに注意したり叱ったりすることが多いからストレスは急上昇(笑)特に次女と末っ子(長男)の喧嘩がほぼ毎日なんで、退院して2日目だった私にとっては鬼畜の所業としか思えず(•_•)スンッ…ダンナヨ…タノムカラムスコヲドコカニツレダシテクレムスメヨ…オマエノイモウトヲドコカニツレダシテクレこのままだとブチ切れて暴れそうだったので外に連れ出してもらったわ(;
ここへ1通のメッセージが届ぃた。「感謝」とゆう言葉とともにたくさん彼女の気持ちが伝わるメッセージでした。嬉しかったぁ聞けば?!同じ市内に住むとゆー!ならば、会おうぞ!で、、、お会い出来ました。定期検診のエコー診断画像ではっきり、ぶどう房状態を子宮頸部に目視。おりものは、ライナーで気にならない程度円錐切除は、ぶっ飛ばし今週末、単純子宮全摘手術待機中今に至るまでを根掘り葉掘りとお話ししてくれました。彼女から知れた事「病気の情報が乏しい」やは
っと明るい退院であるはずだった。自分で想像していた以上に術後の回復が進まず。本日、社会復帰しました。元気満々で出掛けた入院でした。翌日には、くじけておりましたぃや~、かなり、くじけていました私、2度子宮外妊娠をして手術経験があったもんで20代に、開腹30代に、腹腔鏡両者、経験もしていたもので初心者ではなかったから鮮明ではないけど、術後の雰囲気は想像がついていました。しかも、7日手術して11日には退院。その間にそこそこは復活するもんだと・・・・・。しか
診断をつける為ということで骨盤腔のMRI検査をすることになりました。大きな総合病院の受付にビックリ。綺麗…ホテルみたい…でも周りは高齢の方が多くてあ、病院か…って直ぐに思い直す。仕事を早退して来たのはいいけど、検査の予約時間より1時間近く早く着いてしまいました。昼食も抜きでということだったのでお腹もすいた。大分待つだろうなぁと思っていたけど放射線科の受付を通過すると、15分ほどで問診票と身に付けている物のチェック表を渡されセルフチェック。そうしたら直ぐに中に呼ばれてお着替え。