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世間は連休モードかな❓私は暦通りの休みです(≧▽≦)💦あと2日・・・製作してるMP4/5B(^^)🖐シャシーにコクピットとエンジンを載せました。賞味期限切れだと思ってたキット付属のデカールの元気の良いこと(^^)wコクピット内側にもデカール指示。タミヤさん、芸が細かいです👍配線も少し増やして終了です。タミヤのマークフィットスーパーハードを初めて使ってみたんですけど・・・シビアですけど悪くないです👍この状態で、ボディを載せてみたんです。なんか合いが・・・💦💦カ
1992年F1第15戦日本GPリタイア:アイルトン・セナ選手/マクラーレンMP4/7/ホンダホンダのF1活動終了(第二期)に伴い、鈴鹿でのF1開催以来見慣れてきた「セナ選手とホンダのタッグ」もこれで見納め。地元で必勝を期すために「鈴鹿スペシャルエンジン」を投入したホンダだがの、予選ではウイリアムズ二台に及ばず、決勝もエンジントラブルによりたった3周でリタイアに終わった。土曜日予選’90年日本GPの「仕返しでぶつける」、'91年のスタート前に着順を決めていた「八百長」があ
インテリアの塗り分けです。上はインタークーラー、下がラジエター。モヤっとクリアブラウンを吹いておきます。アンダートレーの断熱シートは水場用アルミテープにメッシュを押し付けてテクスチャをつけてその場合わせで貼り付けます。シートのラチェットを銀で筆塗りしてスタジオ27ベルトセットを貼ります。では組んでいきます。
2024.04.04〜04.07今年から春開催になったF1🏎️もう十数年、毎年三重県住みの私の従姉妹の旦那様と一緒に参戦している我が家の旦那さん従姉妹からのお誘いもあり私も三重県の従姉妹宅に一泊させてもらうことにしました(←旦那さんは毎回連泊ねw)F1は5日からですが4日の夜の便で名古屋に飛び実家でゆきぽよを拾って翌朝レンタカーで三重県に出発するコースです亡きじーさんのお墓参りも兼ねていくのです〜🙏私も名古屋に行くと決まった瞬間おっ!!と反応したゆかりんこ家
タミヤ1/20フェラーリSF70H(ItemNo:20068)の製作記6回目です。今回はカーボンデカール貼りの製作日記。SF70Hの製作の中で一番時間がかかったのがこのカーボンデカール貼り。でも、デカールを綺麗に貼るには時間をかけて丁寧にやるのが一番だと思いましたよ。キットのデカールにも目立つ箇所のカーボンデカールが入ってはいますが、ほぼ全てのカーボン剥き出しパーツにデカールを貼るには社外品のカーボンデカールが必要です。今回はStudio27のSF70H専用フルカーボンデカール
塗ります。透け止めと透け具合を見るため裏を先に筆塗り。仕上げは研ぎ出し後なので均等に塗れてれば大丈夫。クレオス白缶吹きました。缶スプレー大好き。3回くらいでこのツヤ。赤の準備。クレオス蛍光赤とイタリアンレッドの調色ををストックしてはありますが、使えるカーナンバーの色に少し近づけるよう再調整。
先日、再放送があったので、柳の下のどじょうを願い、5月からフジテレビTWOを契約しました。そしたら、Xで何方かが上げて下さっていました。5月12日、20時〜21時、21時〜22時まで、#1と#2が連続で再放送されるそうです。やったぁー!随分迷いましたが、契約したのは正解でした😂光ちゃんが心からの笑顔で、楽しそうに語る姿。#3に繋がる事を願います。フジTVさん、お願いします🙇
皆さんこんにちは〜!!(*^^*)現在、コロナウイルスで問題となっていますが個人的には花粉がひどくて辛いですが、そんな花粉を押し退けてラジコン走らせてます(ᐛ)さて、今回はZENの新しいシャーシについて、長く発売されているZFC-014と比較しながらご紹介をしたいと思いま〜す!!(*゚▽゚ノノ゙☆過去に1度発売されていたシャーシをリニューアルして登場した「F103カーボンメインシャーシ2」前に販売していた頃はラジコンをやっていなかったのでわかりませんが、かなり人気があったと聞きます
昨日でバイトが一旦終わり(^^)明日は早起きしなくていい・・と思ったら何故か謎のスイッチが入り昨晩から今朝の4時まで模活w徹夜はお肌の大敵💦←時すでに遅し💧時間の経つのは早い💦ようやく就寝(つ∀-)オヤスミー起きたら朝の7時30分。何故か手がサクサク動いて結果、完成しましたƪ(‾.‾“)┐製作の続き(^^)🖐ホイール内側のデカール🖐STUDIO27のデカールは完全に死亡でした。デカールリキッドフィルムを塗布してからマークセッターで柔らかくしてもダメ🙅塗装するしかない
ローランド・ラッツェンバーガー。1960年7月4日オーストリア生まれ。1989年トヨタチームサードのドライバーとして初来日。以降サード加藤眞代表とは親子のような二人三脚を。トヨタワークスドライバーとしてサードからJSPC、ル・マン24時間に参戦する傍ら、ステラからキグナスローラで全日本F3000、オートテックBMWM3で全日本ツーリングカー選手権に参戦。日本で過ごした5年間で耐久2勝、F3000で1勝、JTC2クラスで6勝。JTC-2では90,91年クラスチャンピオンに。93年
TAMIYABENETONFORDB188【068】今回は、タミヤのベネトンフォードB188の完成写真の巻です。初めて作るF1は、私にとっては難しい工程の数々で苦労しましたが、何とか完成にこぎつけられましたではサイドポンツーンは、後ろのボディの開閉の際にチップしたりで少し剥げがあります。色差ししつつきましたが、最後は放置です完成写真終わったらゆっくり補修しておきます。遠目から見ると、ちゃんとベルトに見えます全体的にカラーチョイスはなんだ
こんにちは~気持ちいい秋晴れ~作業机から秩父の山々が見えて気持ちがいいです仕事のほうは…最近会社が不祥事スゴイことなってて現場は混沌!!ってかんじで、製作3になります。デカール貼り終わったものから、クレオスのスーパークリアーでコートして組み立て。スプレーの距離をあけてざらざらな砂吹きを2回して、そこから3回コート。んで、時間置いてから組み立てていきました↑リアウィングのマルボロのロゴ、いい感じです!
順調に組んでます。両サイドのPCとモノコック後端のPCに配線を足しました。フロントの建て付けは素組みだと少しポジキャンになるので、フロントのアップライト下部のダボを切り落としてネジ半分内側にずらしたところに穴を開けてビス留めにしました。ロゴは組んでから貼らないとはめた時にわれます。はめたらフラットクリアで保護します。ウインドシールドが欠品だったので残りのキットから持ってきて型をとってます。透明レジンで複製します。アラインメントが取れてタイヤつけてインテリアは終了。あとはシールドが複製でき
こんばんは~写真もたまってきたので製作その2ですヘ(゚∀゚ヘ)今回はタイヤのホワイトレターを。こちらは「Finisher`s1/24.1/20タイヤテンプレート」を使用して塗り分け。キット付属のデカールは破れてしまい(劣化してたかな?)、MSMクリエーションのフルスポンサーデカールにもホワイトレターはありましたがいっそテンプレ使って塗るか~という感じです。テンプレートで覆えない部分はマスキングで
タミヤ1/20マクラーレンMP4/8フォードの製作記3回目です。今回は下地塗装⇒基本塗装⇒ボディ塗装までです。前回の更新からまた期間が空いちゃいました。この間何をやっていたかというと・・・ってクマが言っているようにぼーっとしてましたよ。いや、そんなことないな。モデルアートの「エッチングパーツコンプリートガイド」を眺めて超絶エッチング技術を身に着けた気になったりホビージャパンの「ミリタリーモデリングマニュアルイスラエル戦車編」を眺めて積んであるメルカバを作った気
ミニチャンプス新作F1モデルカー発売中迫力あるBIGスケールのレッドブルRB19が入荷しました入荷したのはこちらのGP仕様ですっ途中の雨による混乱も冷静に対処しシーズン4勝目を挙げたモナコGPタイヤマネジメントに徹しポールトゥウィンを挙げたスペインGPミニチャンプス1/18スケールオラクルレッドブルレーシングホンダRB19マックス・フェルスタッペン2023年モナコGP優勝¥35,200(税込)ミニチャンプス1/18スケール
製作①はコチラ今回は製作記4回目、最終回です~ではさっそく。塗装の境界線や、吹き込んでしまったミストをコンパウンドで落としました。マスキングテープを使って余計なところ削らないように注意!んで、Mr.カラーのスーパークリアー光沢でコート。ざらざらな砂吹き→薄くクリアがかかるように砂吹き→→本塗り2回です。乾燥中はこんな感じの神殿(?)をつくり一応ホコリをガード。丸一日24時間
2024年F1観戦記、ラストになります。『2024年4月3日(水)F1日本GP観戦へ、いざ出発!【観戦記①】』2024年今年もF1日本GP観戦へ行ってきました。鈴鹿、初の3月開戦ということで全体的に桜推しとなっています。2024年4月3日(水)今年も午前中に仕事を切…ameblo.jp『2024年4月4日(木)F1日本GP木曜日【観戦記②】』2024年F1日本GP観戦記2回目です。『2024年4月3日(水)F1日本GP観戦へ、いざ出発!【観戦記①】』2024年今年もF1日本GP観戦へ行
2024年F1第4戦日本GP予選結果2024年4月6日(土)開催(サーキット)鈴鹿サーキット天候:晴れ予選順位ドライバーマシン1マックス・フェルスタッペン(レッドブル・ホンダRBPT)2セルジオ・ペレス(レッドブル・ホンダRBPT)3ランド・ノリス(マクラーレン・メルセデス)4カルロス・サインツJr.(フェラーリ)5フェルナンド・アロンソ(アストンマ
サイドポンツーンに付いてるCPの配線をネットの写メを見ながら自作します🖐かなりオミットしてます(^^ゞサイドポンツーン左右の配線をした後に🖐エンジンと干渉しないかチェック💦もっと情報を増やしたいんですけど配線の太さの種類が少なくて(T_T)エンジンの方で、もう少し情報を増やしてディテールアップは終了にしようと思います😊今夜はこれにて(≧▽≦)💦
🏁本日は伝説のF1ドライバーと呼ばれたアイルトン・セナがサンマリノグランプリのレース中に事故死してから30年になりますが、あの当時F1グランプリ中継でアイルトン・セナ事故死のニュースを報道してアナウンサーが泣きながら中継していたというけど、吾輩がF1が好きになったきっかけはアイルトン・セナと中嶋悟でしたね。R.I.P.
ローガン・サージェントにとって、今週末のF1マイアミGPがF1最後のレースになる可能性があるとの噂が、マイアミのパドックにF1が到着してからここ数時間で飛び交っている。この噂によると、トト・ヴォルフの17歳の愛弟子キミ・アントネッリが次のイモラでのエミリア・ロマーニャGPでウィリアムズから即デビューする準備をしているという。この若いイタリア人はつい数日前、イモラで2022年型メルセデスF1マシンをテストしたばかりだ。イタリアのF1ジャーナリスト、レオ・トゥリーニは「イモラ以降、キミはすぐ
もちろん速いですよ。レッドブルのリザーブドライバーでF1が目前。遅いはずがない。F1で活躍できるほど速いのかという話です。初めての日本のレース、しかもトップフォーミュラで開幕戦でいぎなり優勝。知らないサーキット、日本独自のカテゴリーで今年6レース中3勝、勝率50%、圧倒的な速さでF1へ。とはならないんですよ。たぶん。いやもちろんバケモノ級に速いんですが。なぜかといえばポールポジションがない。レースだから決勝で勝てばいいというアレはありつつ、予選トップ
1994年5月1日に、稀代のF1スターであるアイルトン・セナがこの世を去ってからちょうど30年。その30年の間に、F1は安全性が増しただけでなく、当時とは比べ物にならないほど世界中からの注目が高まることになった。そのセナと切っても切れない関係にあるのが、ホンダの存在である。セナはロータスに在籍していた1987年に初めてホンダエンジンが搭載されたマシンに乗り、以後1992年まで、一貫してホンダエンジン搭載マシンでF1を戦い続けた。当時の日本では、セナとホンダF1はいわば同一視され、大ブームを牽
タミヤ1/20マクラーレンMP4/8フォードの製作記5回目です。今回はクリア塗装、研ぎ出し、艶出しです。パトラッシュ、疲れたろう。僕もシコリ疲れたんだ。なんだか、とても指が痛いんだ。カーモデルの光沢塗装ってやっぱ難しいですね。そんな感じの製作日記。ウレタンクリアを吹く前に一旦ラッカークリアを砂吹きしました。AFVのときは一気に吹いちゃってたけど、ここでデカール溶けたら心が折れるので慎重に吹きました。デカールを溶かすラッカークリアをまず吹くことにより、デカールの密着度
きれいに塗れました。斜め上から見た時に白線が同じ太さに見えるような引き方にしてあります。しっかり乾燥させます。タイヤ削ります。よく書くダイソードライバーにガムで巻いたロクロで1本30秒ほどで剥けます。シートはベルトがモールドされてる好物なのですが、後述のエッチングがついてるのでと削っておきます。ボコボコになるのでパテ整形しますが、実物もファイバーでドライバーの背中とお尻を型取りして変な形なのであまりきれいにしなくてもいいかと思います。ウチのリューターはとても大袈裟なのですが低速高トルク回
元F1最高責任者のバーニー・エクレストンが、ルイス・ハミルトンが2025年にフェラーリに移籍するという決断に疑問を呈し、「奇妙な決断」だと非難した。ハミルトンは今年初め、新シーズン開幕前にスクーデリア・フェラーリへの移籍が発表され、スポーツ界に衝撃を与えた。マクラーレン時代とワークス時代のF1ではメルセデスのエンジンのみでドライブしてきたハミルトンだが、メルセデスを離れる決断を下したことで、同ブランドとの長い付き合いに終止符が打たれることになる。ハミルトンは、フェラーリでレースをすると
370708#XRAYX120241/10EPF1カー税込59840円パーツも少しずつ入荷しています。
【転載、複製、自主発言を禁止します】Hieveryone!お元気ですか?うちのホテルもスーパーボウルのジャイアントバナーがお目見え。なんだか盛り上がって来た。今朝のニュースで、最安値のチケットを紹介してた。コレ、1番安いチケット。1万ドルかい。もう世間の人は、どんだけお金持ちなん?!F1でもそうやったけど、こういうイベントに何万ドル、何10万ドルとかけられる人が、世間にはこんなにもいてはる事実に愕然とする。こういう人は多くがプライベートジェットで来るでしょ。いつやったか主
シムテック、94年から95年途中までF1に参戦したチームでした。94年からの参戦ですが、3戦目でいきなりラッツェンバーガーを事故で失い、後釜のモンテルミ二も事故で骨折。1年目だけでも十分波乱だらけでしたが、2年目は僅か4戦で資金難の為チームは消滅。波乱だらけのF1生活だったような気がしますね。このシムテックもですが同期のパシフィック、1年後輩のフォルティコルセと89年から90年代の新規参戦チームはジョーダンやザウバー、BAR以外は大体1,2年で撤退でしたねF1に生