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甲斐バンド、その名前をきくだけで胸キュン、70年代のラストヒーローであり、80年代のトップランナー。昨年11月に出版された「ヒットソングを創った男たち~歌謡曲黄金時代の仕掛人」の第13章に甲斐バンドの初期メンバーの長岡和弘氏がプロデューサーとして登場。ウィキでの長岡氏の略歴は1974年甲斐よしひろ・大森・松藤英男とロックバンド『甲斐バンド』を結成し、シングル「バス通り」でベーシストとしてデビューする。1979年シングル「HERO」が大ヒットするものの、体調不良のため10
ボズ・スキャッグスの「JoJo:ジョジョ」で、アルバムは80年『MiddleMan:ミドルマン』ですね。AORは熱心に聴いた者でないのですが、洋楽好きでラジオを聴いていれば、この時代70年後半から80年代は、必ず覚えた聴いたボズ・スキャッグスが正しい言い方、書き方かもしれない。小生も!オンタイムの有名アルバムは76年『シルク・ディグリーズ』80年『ミドル・マン』で、AOR好きでなくても、自然に耳に入りました。ヒット曲「JoJo」はディスコでも、かかりました。ブログするようになってから
メディア・バーン・ライブ/坂本龍一坂本龍一とトーマス・ドルビーの85年「FieldWork:フィールドワーク」で、アルバムでは86年『メディア・バーン・ライヴ』にも入ってますね。日本では、YMOで始まるテクノPOPもニューウェイヴ時代にUK本国のミュージシャンと交流で、特に坂本龍一は活発に行い、この曲「FieldWork:フィールドワーク」では、トーマス・ドルビーとコラボでした。小生的には高橋幸宏にも、かなり興味を持っていた時期ですが、坂本龍一はイロイロな方と活動で俳優も、映画音楽まで
この記事の第二弾みたいな。80年代の日本のロックを聞いていてえええ、そういう曲だったの?って感じたのが「目を閉じておいでよ」バービーボーイズこの曲が発売された1989年当時は、好きな音楽の一つっていうくらいでバービーボーイズに特にのめり込んだ訳ではなくただ、カラオケで歌いやすいから友達の前でたまに歌っていた。目を閉じておいでよ違う夜を見たいならほらいつもを凌ぐ熱い汗と息づかいで。今回歌詞をみてはじめて「寝とる」男性とそれに堕ちていく女性の「そのもの」を歌った歌詞だって知った
桑田佳祐さんが1年間限定で結成したKUWATABAND。スキップビートは1986年リリースの3枚目のシングル。当時は、1枚目のシングルの、BANBANBANの方が好きだったかな2枚目のMERRYX'MASINSUMMERもメチャ好きで、カラオケでよく歌ってましたねKUWATABANDの曲はサザンとも桑田さんのソロともちょっと違って何ともいえないバンド感とお洒落でムードあるんですよねスキップビートは大人になるにつれて好きにな
1980年代を代表する英国マンチェスターのロックバンド、ザ・スミス(TheSmiths)。アズテックカメラ(こっちはグラスゴー)が好きだった私は、同じ英国ロック好きの友人から「もっといいバンドがあるよ」と言われ、何気にレンタルしたのが「TheSmiths」。「なんて暗い曲なんだ」と思いつつ、ひたすら友人の言葉を信じて繰り返し聞いていたのですが、モリッシーの和訳歌詞とオリジナル歌詞を両目に睨みつつ、なんとも英国のこのどんよりとした暗さが妙に自分の身体に染み付いてしまい、すっかりThe
ZZTopの「SharpDressedMan:シャープ・ドレスト・マン」で、アルバムは83年『Eliminator:イリミネイター』ですね。70年代のアメリカン・ハードロック、ブギ・ロックが、80年代になって、テクノ系と融合で再ブレイクでしたね。小生の世代は、75年『ファンダンゴ!』に思い強しで、始めのサザン・ロックがZZTopで、なんか垢抜けないカンジですが、迫力ありリフのハード・ブキでした。それが80年代に入り、良い意味でのシーケンサー・サウンドに、爽快感ありで、アメリカでトラ
It’sHard/TheWho大好きなフーですが、80年代の解散前の82年・アルバム『It'sHard』の「EminenceFront」です。ボーカルのロジャー・ダルトリーでなく、フーのメイン・コンポーザーのピート・タウンゼントが唄い出しですので、やりたい放題です。(このバンド、ジョン・エントウィッスルも唄いますが)この時期のピート・タウンゼントは新たしい元フェイセズとのドラマー、ケニー・ジョーンズとの折り合いも悪く、ケニー・ジョーンズに楽曲のいいところはピートのソロばっかと言わ