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皆さんこんにちは。久しぶりの更新になります。1995年8月元町駅付近での撮影分ですが前回とは、別な日になります。特急スーパー雷鳥17号富山行です。元町駅下りホームから大阪方に向けて撮影しました。右奥が三宮駅です。大阪駅より西の区間でこの編成を撮りたくて足を運びました。特急スーパーはくと2号新大阪行です。真ん中に白い帯の入った車両が入っていますが、増結の貫通型先頭車です。快速西明石行。考えてみたら本数の多い姫路行や網干行の写真の方が少ないような。103
今日はNゲージ鉄道模型、色々弄ったばかりのKATO20系寝台客車ですが、ふと気になったことがあって寝台特急あけぼの用赤色テールサインを作ってみました。実車の写真も出てきます。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。ほんのり赤い表示になったナハネフ238とナハネフ2218”あけぼの”です。きっかけはカヤ2110(写真奥)のテールサインに爆光感があったので減光するなど作業して右のナハネフ2218と並べて撮影したところ、なんとなく違和感を感じました。製品付
20系寝台はいつか手に入れたいと思っていた車両。20系の現役時代は当然見たことないのだが、寝台車の風格は凄く感じる車両だなと持っています。自分が寝台列車でお世話になったのは14系・24系で、やはり鉄道模型を購入する対象は20系より先になります。ですがここでやっと購入しました!20系!KATOランドハウスから2004年に発売した20系唯一のジョイフルトレイン!ホリデーパル!なんでホリデーパル!?あさかぜとかでは!?もちろん、あさかぜ編成もさくら編成も欲しいですが、ホリデーパル
DD54と言えばやはり20系特急《出雲》です。それはDD54が最も華やかに見えた時代でした。腕木信号機が並ぶ温泉津駅を出て来る浜田発・東京行の2002レ特急《出雲》1972年8月9日運転開始間もないDD54《出雲》小田-田儀2001レ1972年3月30日昭和47年梅雨末期の集中豪雨の影響で、山陰西部地方では各所で大きな被害が出て、山陰本線のダイヤも大きく乱れていました。通常なら《やくも2号》が待つ田儀駅を通過のはずの20系寝台特急《出雲》が、乗降用通
新年開けてから早4日が過ぎました。新年初出社が、目に浮かんでしまい、休みにどっぷり浸かった日々とそろそろお別れしなくては、行けません。そんな冬休みの後半、今年最初の入線となった、KATOさんの客車急行セット「かいもん・日南」のセットアップを行いました。以前の記事でもご紹介した通り、このセットだけでは、「かいもん」、「日南」が組成出来ず、座席車の12系が必要だったりします。『2025年の初入線~KATO「かいもん・日南」セット導入~』新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い
こんにちは。今日はNゲージ鉄道模型、KATO3060-2EF65500(F形)のDCC基板を載せ換えました。右がそのEF65F526号機ですが、左のED79とED75が関係します。これからED7582号機(TOMIX9135ヒサシ付き)の動力ユニットを、左のED79シングルアームパンタグラフ(KATO3076-1)へと載せ換えます。既に74号機、76号機(ED751000の動力ユニット使用)に同様の改造を実施、これで3両目になります。この改造を進めると、TOMI
皆さんこんにちは。この日は、元町駅での撮影の後西に向けて移動して鷹取駅に行きました。特急はまかぜ1号浜坂行。この駅で撮影したのはこの時だけ。あまり縁のない場所でした。この駅に来た目的は右側に写っている車両でした。確か運用を外れた20系客車が留置されていました。元町駅で現役で走っている20系を撮影したばかりでしたが、20系使用の臨時列車は減少していたので余剰となった車両が留置されていました。カヤ21-8ナハネ20-229ナハネ20-139乗降扉は狭幅
『点と線』列車食堂と領収証の疑問!「松本清張の『点と線』①」「松本清張の『点と線』②」「松本清張の『点と線』③」の続きです。福岡警察署(↑映画は東福岡警察署)では、香椎浜で心中した死体の検視が始まっていた。死亡した男(佐山)のポケットから、列車食堂の受取証(領収証)が見つかった。小説では「受取証」、東映の映画では「領収証」となっている。↑日付の昭和33年10月14日は東映映画であり、小説では前年の昭和32年1月14日となる。
今日はKATO20系客車の続きです。本来切断できない部分を切断して半端増設したLEDがコンデンサーを付けると怪現象?を起こす話と、カヤ21の室内灯対応などです。走行動画や鉄道博物館の実車写真など出て来ます。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。殆どの自作室内灯が60→120LED/mへ換装になった20系客車;KATO10-366他単品、Assyで構成されます。写真のナハネフ2313など車端部=車掌室まで光が行き渡るよう60LED/m10cmに増設1チップ
前回記事の続きです。高架の大阪市営地下鉄中央線九条駅から・・・大阪市営地下鉄20系2631のコスモスクエア行きに乗車して、向かったのは朝潮橋駅でした。“中央線”という路線名は、東京、名古屋とここ大阪にあるわけですが、東京と名古屋の中央線は同じ路線(国鉄→JR東日本・JR東海で並行路線との重複区間を無視すれば東京駅~塩尻駅~名古屋駅間)、一方、大阪のはそちらと無関係の地下鉄になります。東京の中央線は、国鉄時代に導入された90系(称号改正で101系に改称)以降、オレンジ色がラインカラーとな
オロネ10は10系軽量客車シリーズの二等寝台車として1959年に登場、その後の等級改定でA寝台車となりました。急行列車などに連結され北海道から九州まで全国各地(四国は除く)で活躍していました。A寝台車独特の深い屋根が特徴で、10系寝台車に連結されてもひときわ目立つ存在でした。全部で97両が登場しました。かたや、ナロネ21は20系特急客車の二等寝台車として1958年に登場、同じく後にA寝台車となりました。20系は全車揃った綺麗な編成美で他の20系客車と共に多くの寝台特急で活躍し、本州
こんばんは~。yasooです。昨日の忘年運転会でデビュー、入線報告しました客車編成セット急行「かいもん・日南」の紹介、整備について報告させていただきます😊KATO10-1915客車編成セット急行「かいもん・日南」郵便車、荷物車3両と20系寝台車2両の合わせて5両がセットになっています。ただ、これだけでは急行「かいもん・日南」編成は組成出来ません😅KATOHPより編成表の右側を確認すると、急行「かいもん・日南」を再現するには12系客車が必要となります。『21.12系客車を
こんにちは。今日はNゲージ鉄道模型、総勢6両が在籍するEF58について書いてみたいと思います。形態が色々あって楽しい機関車です。なのでついつい増殖して直流電機では最大勢力になっています(笑)。いくつか整備もやりました。先日157号機から改番整備した48号機、20系寝台車を牽引して走行させました。寝台急行”銀河”のイメージです。パンタグラフは各機塗装してあったり、なかったりだったので、既に整備してピカピカの銀塗装が入っている61号機を除く5両分の(再)塗装をしました。プライマー処理の上ア
「さくら」長崎編成の最後の1両。ナハネフ21のメイクアップシール貼り付けを開始したのですが、床のマットシールを貼り付けていた途中で、机の上に何か固い物が落ちていることに気が付きました。白い物だったので、固まったクラフトボンドかな…と思ってよく見てみたら作業中のナハネフ21のバックサインでした!車体を外した時に机の上に落として、そのまま気づかなかったものと思われます。もう一つのバックサインは見当たらなかったのですが、車体に付いているのだろうと思って車体を見てみたら車体側には何も付いて
こんにちは。今日はNゲージ鉄道模型、TOMIXのED751034(品番21151000番台後期型)のメンテを行いました。また記事を書いている最中、運転中の1027号機(同じく品番2115)が突然動かなくなり、立往生しています(泣)。先ず1034号機の話から。通常KATOの20系客車11連を牽引しています。先日1両増結の12連でEF5848牽引急行”銀河”を運転しましたが、その前に..ここ、1階層の留置線からED751034牽引で駅ホーム部へ上げ、EF58へ交代という事になり
今日はNゲージ鉄道模型、KATO/TOMIX合いの子のED751034号機が再び不具合を起こしまして..対処してみました。片側だけ動力台車の交換という結論に至っています。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。KATODrive(3075-1)/TOMIXBody(2115)の”合いの子”ED751034号機、牽引する20系客車と共に入場しました。目的は20系の方を弄る為、本件は別途書きます。作業を終えて試運転を始めた所...特定の場所で脱線を起こすよ
KATOさんの20系「さくら」長崎編成や「かいもん・日南」セットを購入したせいでしょうか、ここのところ、KATOさんの20系に関する記事を多く上げております。今回もそんな、KATOさんの20系の話題です。うちの20系客車、最も古いものはご覧の通りの20系セットであり、特定の編成に特化したものではなく、このセットに単品を加え、寝台特急「あけぼの」や「北陸」、「あさかぜ」などで走らせてました。前述の2セットの20系客車を眺めると、ある違いに気づきました。はい、ナハネやナハネフ、ナロネなどの車
早くも12月に入り、今年もあと残り1ヶ月となりました。ここのところ、土曜日は休日出勤が続き、週休1日での稼働が続きているため、ブログ更新も滞っていますが、今日の日曜日はまとまった空き時間が作れたため、先日購入した、KATO20系「さくら」長崎編成のセットアップを行いました。『久しぶりの20系入線~KATO20系「さくら」長崎編成~』KATOさんの20系「さくら」編成が入線しました。KATOさんの20系はこれで2セット目になるのですが、前回購入したのは、品番10-366の20系セットで、2
【KATO】20系「さくら」編成7両基本セット<10-367>本当は201系の続編の予定でしたが、先日秋葉原へ「カメラレンズの清掃」を依頼しに出かけた際に、財布を忘れていったため、予定していた製品の購入できませんでした。♪買い物しようと街↑まで出かけたら、財布を忘れて・・・の「サザエさん状態」でした(最近増えてる)orz話が東芝しました、東京芝浦電機だけに・・・意味がわかりませんね。20系の製品収集自体は3年前ぐらいから始めたのですが、その一環として「さくら」も対象に入ってまし
会津地方平定を目指す「ERW官軍」だったが、若松を中心に「会津」「只見」「磐西」「日中」の難攻路線群を擁する「国鉄会津軍」を前にしては日程難・資金難が顕著で、1度の遠征では制圧できない状況であった。そのため、1982年秋に2度の遠征を行うことを余儀なくされ、その1回目を開始した訳だが・・・(1982-10-02上野)※この写真は・・・(1982-10-02上野)※宇宙船の様な丸っこい小窓の中に表示された号車番号・列車名・発着駅表示・・・「動くホテル」20系PCの特徴的形態を
こんにちは。私も不要不急の外出を控えています。仕事も原則自宅勤務となりましたので、人との接触も8割以上減りました。コロナウイルス感染症を少しでも早く収束させることを願い、今の自分に出来ることから実践しています。そういえば最近、手作りマスクをしている方が増えつつあるように思います。東京都の小池都知事もされていますよね。デザインや柄など結構お洒落なものもあったりして、良い傾向ですね。(実は私も、手作りマスクを着用している一人です)さて緊急事態宣言が出て2回目の土日となった4/18・1
最近の落札物です。どうも24系25形の無機質な感じが好きになれず、20系、14系、24系24形に目がいってしまいます。一箱に二両入っていたので、箱は三箱ですが車両は五両あります。まあまあ綺麗でした。家には何故か、クハネ581の箱に入った、オロネ24があります。以前、落札したジャンク一式の中に入ってました。オハネを増備して「日本海」かな!
アルファードANH20ウオーターポンプをDIYで交換します。先ずはクーラントを抜きます、ドレインのコックを緩めると排出されます、飛び散るのが嫌なのでホースをつけておきました。次にエンジンマウントを外すのでオイルパンにジャッキをかけておきます。エンジンマウントとオルタネーターを外します🔧、矢印のところに下向きのボルトがあり下からアクセスします。プーリーのボルトを外します、SSTが欲しいとこだけど自作しました😁、黄色の部分をプーリーの2つの穴に差し込んで緩めます。下か
こんばんは!本日は昼から気温が上がり、半袖でちょうど良い気候となり、残暑なのでしょうか・・・でもさほど暑苦しさはなかったので、過ごしやすかったwTwitter(今はXと言うそうですがw)に私のツィート(今はポストと言うようでw)にいいねが入っていると通知が出たので、みてみるとKATOの「ONEコンテナ」を紹介したブログに対する公式さんからのいいねでしたwちょっとうれしいですねw昨日、ヤフオクで落札した商品が届いていたのですが、開封は翌日の今日となりました。100サイズの大きな箱
かつて、東京~大阪を走っていた寝台急行「銀河」。昭和51年のダイヤ改正から、急行列車では初めて20系寝台車が充当され、以降も昭和60年から14系寝台車、昭和61年からは24系寝台車が充当され、平成20年のダイヤ改正で廃止となるまで、特急用に開発された車両が使用し続けられました。そんな「銀河」の廃止直前の編成の記録が出てきたので転載しておきます。2008年月日電源車カニ241号車オロネ242号車オハネフ253号車オハネ254号車オハネ255号車オハネ2
メンテナンス記録ミッションオイル交換我家の週末、お出かけ車です遊び車のジムニーや通勤車のミラジーノは比較的愛着があるのですがこのエスティマハイブリットに関しては動けばよいレベルである意味一番どうでも良い車とはいえ、船も引っ張れるし中も広い、一応4駆動なので雪道も楽に走れます燃費も比較的良くて、我が家の使い方では13.5km/L(夏場)~14.4km/L(通勤のみ)6万キロの中古を引き受け3年半で現在11万キロオーバーエンジンオイル&フィルターだけは1万キロぐらいで変え
元山手線運転士で、現在は参議院議員のたしろかおるです。たしろかおるのホームページはこちらをクリック今回は、運転士をしている仲間から届いた、EF58の運転についての話です。私が運転士になった頃は、まだEF58が現役でした。私の所属していた小山機関区では、荷物列車と団臨でEF58を担当しました。当時から古参の部類に入っていたゴハチ。乗務員室は薄暗くて狭いという印象があります。またスイッチ類もむき出しで、大きなカノピースイッチがあったことを思い出します。ゴハチの出区点検は、バッテリーを
中国地方の鉄道ファンの方には有名なお話かと思いますが、備忘としてつづりました。寝台特急「安芸(あき)」号のお話です。1975年3月10日〜1978年10月1日(ともに出発日基準)までの運転、3年半の短命寝台列車、でした。※寝台特急「いなば」号は??というツッコミは予測しております。別で取り上げますね。ちなみにほんとに細かいですが、1978年10月2日ダイヤ改正だったので、前日の運転調整が行われ、下り(新大阪発)は10月1日運休となり、9月30日発が最終便でした。山陽路の
夜行寝台特急「あさかぜ」「松本清張の『点と線』①」の続きです。新潮文庫TOEI-VIDEO(主な登場人物とあらまし)東京駅15番ホームから出発した特急「あさかぜ(博多行き)」に乗車した××省の課長補佐・佐山憲一と赤坂の料亭「小雪」の女中・お時の二人は、一週間後に死体で見つかった。場所は福岡香椎の海岸で、状況から情死(心中)と処理されたが・・・しかし、情死(
どもども。スゴ~く久しぶりの投稿になってしまいました😅さて、先日5年半程アタシとZ1000を載せて走りまくってくれた10系アルファード君とお別れをしました(涙)アタシの手元に来て5年半で走行距離は軽く10万キロオーバー!メーター読みでは20万キロを軽く越えてしまっていたので、各所ガタピシ言ってエンジンは快調でしたがオイル滲みも目立ってきたので思い切って乗り替えました。今度は20系アルファードです。「そこはハイエースやろ!?」ってツッコミしないで下さい💦と言う訳で、車両探しから買い