ブログ記事2,589件
↑大阪駅で発車を待つ113系快速と201系普通で、いずれも住吉ゆき。震災復旧期間の暫定の行き先である。全て1995年2月。夜の街で飲食店を営むマスターの顔が、日増しに日焼けをしていった。詳しくは話されなかったが、昼間にJRの震災復旧現場の応援に行っておられるようだった。国鉄時代は特急雷鳥などを運転していたと聞いたことがある。1995年は阪神淡路大震災から避けては通れない。それの復旧にOBも一丸となって立ち向かったのである。全国からもインフラの復旧などで多くの人が応援に駆けつけた
↑網干に到着した113系K6?改編成の8連。全て1995年3月。震災復旧、復興期間には網干電車区113系に変則編成が生まれた。封じ込めクハ込みの7連が有名であるが、サハ111を2両連結した8連も生まれている。今、サハ111-5801が注目されているが、この8連に組み入れられていたのである。基本編成はその形態からK6編成と思われる。↑サハ111-7014?+サハ111-5801。編成はTc5064+MM'5027+T5801.7014+MM'5028+Tc'5314と思われる。
↑湖西線をゆくボンネット型代走によるスーパー雷鳥4号大阪ゆき。全て1995年2月撮影。震災による北陸特急では、スーパー雷鳥編成485系10連が灘~三ノ宮間で被災した。車両の修復の必要があり、ボンネット型編成による代走が見られた。被災編成の状況については、「鉄道ファン」423号「阪神大震災被災と復旧の記録JR西日本」に記載がある。抜粋してみると、~線路復旧作業のため東灘方にいったん移動~網干電車区に回送~播但線経由での回送のため~屋上機器の撤去作業を行いない~金沢
↑福知山運転所に113、115系併結で、なおかつ片運3連のY21編成が登場。前3両が当該で後3両にY編成を併結して運用された。1995年11月23日。数々の113系、115系を見てきた。最も変わっているのが↑この福知山のY21編成であった。基本編成が片運である。常に正規のY編成と6連で使用された。編成のユニークさでは定評がある福知山車であるが、これ以上のものはない。この編成の構成は9月まで嵯峨野線で使用されていた赤帯113系と0番台の115系モハユニットである。嵯峨野線での運用終