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TokaiLS鑑定団①から↓『TokaiLS鑑定団①』2024/10/21シリアルの印字について加筆しました2025/03/13VintageSeriesのトップを2Pとしていましたが、カタログ上「F…ameblo.jpシリアルナンバー編として派生させました。シリアルナンバーTokaiLSの採番はこんな感じです↓1977→700xxxx1978→800xxxx1979→900xxxx1980→00xxxxx1981→
中日ドラゴンズホーム用・ビジター用1969年~1973年略年表1969年《ホーム・ビジター共通》水原茂監督就任に伴いユニフォームを変更。球界初のダブルニット生地で、スカイブルーを基調にしたユニフォームに変更。1973年まで。1973年《ホーム・ビジター共通》左袖にある龍のマーク右上にある中日新聞社社章が赤から金色に変更。この年限り。ホーム用2022年10月3日の中日新聞webのコラム、『中日はなぜ「ドラゴンズブルー」になったのか?今こそあの時の強い気持ちを持つべきではない
阪急ブレーブスユニフォームギャラリーシリーズ#52025年5月5日に5個目の投稿。そんな第5回目は阪急ブレーブス「1970年代中盤に黄金時代を築いた勇者達①」です。今回は阪急ブレーブスの投手陣を見ていきます。西本幸雄監督の元で1967年に初優勝、そこから3連覇。1971年、72年と2連覇した阪急ブレーブス。梶本隆夫選手、米田哲也選手、足立光宏選手、石井茂雄選手が投手陣を支えてました。しかし、山田久志選手が台頭してきたものの、梶本隆夫選手は1972年に引退、石井茂雄選手は太平洋クラブラ
今日も西条ではマスクをして運転しているトンチキがマ苦怒に列をなしていた。モンサントの売り上げに貢献したチクチクも大いに打っただろう思考力がなく生殖能力もなく、「医療資源」となる哀れな方々である「グリホサート」除草剤の有効成分で、その代表的な商品名がラウンドアップです。グリホサート(glyphosate)は、1970年代にモンサント社(現バイエル社)が開発した非選択性除草剤の主成分で、世界中で最も広く使われています。日本では日産化学が販売しており、ラウン
営業時間18時~30日(月)は店休日です物価高が生活を直撃しています。必需品だけでなく趣向品も価格が上がっているので仕入れが難しい状況です。しかし、バーコルドンノワールに期待を寄せてくださるお客様の為にも、美味しいお酒を仕入れない訳にはいきません。お客様の負担が大きくならないかつ、美味しいウイスキー・・・とは言っても現在のウイスキー事情は昔と違って値段と味が比例する時代。安くて美味しいものは無くなりました。・・・それなら昔の
ベイ・シティ・ローラーズ1970年代は洋楽を聴く若者が増え、中高生の女の子たちは、アイドルロックバンドに夢中でした。70年代ブリティッシュ・ロックAmazon(アマゾン)Amazon(アマゾン)で詳細を見る楽天市場で詳細を見る${EVENT_LABEL_02_TEXT}70年代の洋楽は、名曲を残したバンドや歌手がたくさんいました。「クイーン」「カーペンターズ」「ABBA」「ビージーズ」「イーグルス」「ジャニス・イアン」「キャ
KISSつかAceFrehleyですな。諸事情により(なにがw)KISSネタが続いてます。KISSは中坊の頃かなり聴いてました。ちょうどエレキ始めた頃だったんですが、どういうわけかコピーしたことないんですよね。なんでだろ…ちょっとよくわからないです。覚えてるのは、その頃衝撃的なBostonのDon'tLookBackが出て、そっちばっかり毎日カセット擦り切れるくらいコピってました。なにしろ(フォークギターはちょっとやってたけど)ほぼゼロからエレキ始めて、
昭和のアイドル御三家です。一般的に、アイドルという名称が使用されるようになったのは1970年代前半ころで、その時代はカラーテレビの本格運用・普及の時期でもあります。アイドル発生にはアイドルの重要要素である「色」が映像に加わったという時代背景もあったようです。1950年代の御三家といえば「美空ひばり」「江利チエミ」「雪村いずみ」1960年代には「中尾ミエ」「伊東ゆかり」「園まり」のスパーク三人娘1970年代に入ると「天地真理」「南沙織」「小柳ルミ子」が大人気!やっぱ
阪急ブレーブスユニフォームギャラリーシリーズ#6北陸高校野球部のユニフォームなどで今でも阪急ブレーブスの人気の高さは証明されてます。そんな第6回目は阪急ブレーブス「1970年代中盤に黄金時代を築いた勇者達②」です。今回は阪急ブレーブスの打撃陣を見ていきます。先頭打者の福本豊選手が塁に出て、福本選手が盗塁を決めて2番打者がバントで送り福本選手を三塁に進ませ、3番加藤秀司選手、4番長池徳二選手などが福本選手を生還させて1点をもぎ取る野球で勝ち星を掴み取っていた時代でした。1975年から19
AlexBlue(YouTuber)-BackToParadise(Extended)-EURODISCO-MODERNTALKINGSTYLE-LYRICSアレックス・ブルー-デイ・バイ・デイ(拡張)-ユーロ・ディスコ-モダン・トーキング・スタイルユーロディスコは、1970年代半ばにディスコから発展したヨーロッパのさまざまな形のエレクトロニック・ダンス・ミュージックで、ディスコのような継続的なダンスの雰囲気にポップとロックの要素を取り入れています。
黒ひげ危機一発は1970年代に旧トミー(現:タカラトミー)が発売したロングセラーになっている玩具だ。先日、長男と長女が150円で投げ売りされていたコピー商品を買ってきた。海賊の代わりに恐竜の子ども、樽の代わりにタマゴになっている。剣を差し込むのは同じだ。孫娘のために買ったのかと思ったら、長男と長女が夢中になって遊んでいた。
南海ホークスユニフォームギャラリーシリーズ#10お陰様で好評いただいてます。今ではアクセス数が昨年比の倍を叩き出してます。大変嬉しいです😃『プロ野球ユニフォームギャラリー』。第10回目は南海ホークス「地味に投手王国だった野村南海。明るい緑のユニフォームで懐かしむ」を取り上げます。1972年に野村克也選手兼任監督がピッツバーグ・パイレーツをモデルにした深緑がメインカラーのユニフォームを採用しました。それと併用する形で1974年に明るい緑がメインカラーのオークランド・アスレチックスを
今日は1975年の女子校生向け雑誌をご紹介。雰囲気あるよなぁ。”学研FAIRLADY“NO.1151975.11写真/斎藤亢モデル/ケレンロス・スミドレス/ミルクヘア/渡辺サブロオ今号の衣裳は大川ひとみさんのミルク。以前にも投稿した”学研フェアレディ“1966〜83年にかけ、学研が学校経由で販売していた女子高生向けカルチャーファッション雑誌。料理や手芸裁縫カード、型紙、グルメガイドなどの付録も充実していた。雑誌オリーブが83年頃から展開したリセエンヌファッション的
▽70年代フォーク・ニューミュージック集(1)-歌謡スクランブル逢地真理子www.nhk.jp歌謡スクランブル|毎週月曜~土曜午後0時30分|NHKラジオらじる★らじる「歌は世につれ、世は歌につれ」と申します。歌は世相を表すとともに、聴く人々にその時代を甦らせます。幅広い時代をいり混ぜて(スクランブルして)お送りいたします。www.nhk.or.jp花嫁NorihikoHashidaAndClimax·フォーク・ベスト~あの素晴らしい愛をもう一度·
私の世代の男子なら『超合金』という言葉を聞くだけでテンションが上がる⤴⤴⤴と思います。幼き頃、言葉の意味は良く分かっていませんでしたが、”超”が付くだけでなんだかとてもすごいものなんだ!という認識でした。改めて説明しますと、超合金(ちょうごうきん)は、ポピー(現:バンダイボーイズトイ事業部およびBANDAISPIRITSコレクターズ事業部)から1974年2月以降発売されたロボットアニメ・特撮作品のダイキャスト製キャラクター玩具のシリーズブランド名とのことです。ずっし
1970年代の原宿を検索すると、かつて神宮前交差点の一等地にそびえていたオリンピアアネックスの姿が次々と現れる。そこには、1975年から1980年にかけてユイ音楽工房が拠点を構えていたという。画面越しに広がる当時の風景に思いを馳せれば、向かいにはあのセントラル・アパートが鎮座し、時代の熱気と文化のうねりを静かに見下ろしていたのだろう。あぁぁ!!!!ここで、あの伝説の篠島ライブが生まれたんですか!!!!しかし、私がオリンピアアネックスの存在を知った頃に