ブログ記事2,122件
今日5月1日から令和が始まったとニュースで聞きました❣️50年前は昭和45年その年は現在も開催されていますが同じく大阪万博が開催されていました❣️ザ・タイガースは4月26日から始まる『万博レコード祭り』のトップバッターで万博ホールで1,500人2回公演ファンを大熱狂させたそうです❣️しかも入れなかったファンにはホール裏にでてきてわざわざ挨拶したとのことでした🎵羨まし✨️私は中学生でさすがに遠征は出来なかった😢もっとも現在も簡単には遠征出来ませんが…🙏
「沢田研二27才職業歌手」テレビ史上、最も書画期的な音楽番組と言われた「サンデースペシャルセブンスターショー」が始まった。アーティスト一人で90分出ずっぱり、正真正銘のワンマンショーである。そんな番組のトップバッターとして選ばれた出演者こそ沢田研二、その人だった。1976年2月15日から7週間にわたって、日曜日の19時30分~21時にオンエアされた番組でした。沢田研二はこの時27歳。近づくとオーラが漂っ
1976年(昭和51年)2月5日の前回の日記の続き・・ジュリーに話しかけたその日の出来事、最初から書いてみようと思います。千代田線の「赤坂」まで行く。「霞が関」へ行く姉とは(姉は勤めていたので、ここまで一緒だったのかな?)駅に着いたのは、AM9時27分。改札にはノリコちゃんが達がいなかったので、少し待って一人で赤坂の「TBS」へ~AM10時頃行った。(わぁ~、一人でまだ、西も東もわからない、ぜんぜん東京に慣れないのに、ドキドキしながら
4月20日沢田研二LIVE『霜柱と蝋梅の森』@周南市文化会館私は漏れ伝え聞いて居るだけですがタイガースの話をされていたようですね!レポのレポを忘備録で書き残します❣️ちょっとショックなMCがありました!もうタイガースはやらない?そんな声もあり他の人から聞きまくりました!シュリー初任給の6並びのことそれを内緒にと言われていたのに裕也さんに聞かれてかつみさんがしゃべって「そんなにもらっているのか!」と(裕也さんはそんなにもらっていなかったのかな?)それで
昨日は、ジュリーの後半のライブの初日が神戸で開催。そのライブレポを楽しみに待っていたら~、続々情報が入って来た。来年のライブのスケジュールや、そして~なんとカズさんが辞めて、斎藤有太さん以外メンバーが変わるそうです。ドラムが古田たかしさん、ベースが富倉安生さん、ギターが長田進さん、真壁洋平さん、フジイケンジさん、キーボードは斉藤雄太さんだそうです。ちょっと、経歴を調べてみました。みなさん、そうそうとしたるスタジオ・ミュージシャンの方たちでした。米津玄師さん、サザンオールス
あの日はこの洋服を着ていました😍1976年昭和51年~今から49年前2月5日(木曜日)場所はTBSあの日、一生わすれません。今、外は雪です!⛄でも私の心は胸がいっぱいでとてもシアワセです☘️今日は、ジュリーと初めてお話ししました💖M「ジュリー。」ずっと、こっちを見てくれました。M「あの~サインお願いできますか?」J「ちょっとね。」M「だめですか。」J「うん。」たった、これだけだったけ
すみません❣️私のまちがいでリブログ消してしまいました🙇ごめんなさい🙇申し訳ございません🙇いいねなさった方ごめんなさい🙇呆れてください🙏森本太郎さんのブログで懐かしすぎてフンコーしていちいち解説していましました❣️プロマイドがでています❤️次の写真が烏山合宿所❣️烏山1560の住所をさがしにいった思い出❣️サリーとタローのしゃしん❣️1967年の時❣️なんだかかわいくてドキドキしますね〜❣️その1967年の暮れ日記にありますね❣️武道館でブルコメ、スパイ
もう、55値年前の今日になります❣️ザ・タイガース第3作目の映画『ハーイ!ロンドン』が封切りになりました❣️土曜日だったそうです🥰うちの中学は土曜日休みで、しかもタイガースのスケジュールがオフだったため、オフに追っかける野暮はやめよう❣️と、思い、映画館に行ったと日記にあります🤗本当は、おっかけたかったけれど…🤣以前にブログにも、書きましたが、1969年の初めには、ジュリー単独映画の予定があったようですが、3月にトッポが辞めてシローの加入で、ジュリー映画は頓挫してしま
リピート公開1971年11月シングルJビートエッセイ98765沢田研二「君をのせて」をめぐって沢田研二「君をのせて」(1971年11月)作詞・岩谷時子作曲・宮川泰編曲・青木望2022年3月2日追加↓をクリックして下さい。沢田研二氏の「君をのせて」をめぐって2022年3月1日藤谷蓮次郎・製作ここで触れている文章は、↓をクリックして下さい。https://ameblo.jp/renjiro-2020/entry-12695118116.h
さて、ジュリーのライブも東京、名古屋、大阪と無事終了しました。そして皆さまのブログを巡り読ませて頂いてジュリーの様子、興味深いMCなど~今回参加できなかった私も十分堪能することができました本当に感謝しています、ありがとうございましたそういえば今回の名古屋のステージのMCでも亡くなったお父さんの年齢とそして、5月27日はお母さんの命日だったと話していますよね・・・さて、ジュリーのお母さんが亡くなった日の続きを書こうと思います。今回フォーラムへ行くこ
「この次のチャンスにも、絶対見に行くわ。タイガースの舞台だったら、死んだっていいもん。」1967年昭和42年の11月5日、奈良あやめ池の野外ステージでひらかれたタイガース公演で、会場の観客の入れ替え中に~整備の不行き届きで少女達が将棋倒しとなり熱狂したファンの列が混乱したため、20数名が重軽傷を負うという事故が起こる。胸部強打撲、大腿部挫傷で重傷を負った古○○純子さん(当時16歳)は、ベッドの上でこう語った。純子さんは、別に例外的なファンだったわけではない。29名の重軽
Jビートエッセイ987の159下沢田研二「いくつかの場面」(アルバム『いくつかの場面』収録曲)をめぐって「いくつかの場面」(アルバム『いくつかの場面』1975年12月収録曲)作詞/河島英伍作曲/河島英伍編曲/大野克夫(昨日から続き)語り口調で、字余りどころではないジュリーの歌う詞は、後年、彼自身や周囲の人々から語られた「ザ・タイガース↓PYG」で経験した日々を回想したものなのだろうと、私はこれまで解釈してきた。だが
昨日はNHKのジュリーのライブに行って来ました。またまた、お友達のエイドリアンちゃんからライブレポが詳しく届いたので私の感想と織り混ぜて書いてみようと思います。MC皆さん、元気だった~?僕も元気でした。77歳になります(今年の6月です)😊覚えています?さいたまスーパーアリーナで2万人集まった。7千人位でやらなくて良かったよ😁久し振りのNHKホール、紅白歌合戦以来かな~?あの「ハロー、ハローの歌の時やね。」今日はたまたま1号楽屋を使わ
さて~続きを書きますPM2:403人がそろいました「ちょっと待って」と~小道に入り・・髪の毛をとかし、制服のほこりをおとし、3人で「靴下は?」「OK」「ジュリーバッチは?」「OK」「お土産は?」「OK」「みんな決まってるよ」「じゃぁ行こう」PM2:45~3人そろってジュリーの家の前・・ついにやって来ました・・「じゃあベルを押すよ!!」胸はドキドキ足はガクガクどうぞ~おかあ様が出てくれますように・・15秒の沈黙
こんにちは~やっと、書く事ができました、一ヶ月ぶりです今日は「歌謡大賞」の事を書いてみようと思います。あの日~、姉とお友達と三人で日本武道館行ったな~たしか、雨が降っていたな~そしてー白い服を着て(私の記憶ではジュリーファンは白い服を着ていこう~)ということだった気がする・・「あの日の武道館のジュリー」発表の時~大型スクリーンの端のパネルが一枚ずつ~ひっくり返り~そのとたんにギャーと武道館中がわいて~あとは、涙涙・・・の会場~あの日を再現してみました。1977
『ティーンルック』という雑誌をご存知ですか?1968年の4月25日に創刊された今もある『セブンティーン』のようなアイドル雑誌第1号❣️そのティーンルックは当時隆盛を誇っていたグループサウンズを取り上げてくれていました❣️ピンナップや記事から漫画から盛り沢山の「お嬢さんの週刊誌」でした❣️とりわけザ・タイガースは雑誌創刊にあたりコマーシャルソングも歌っていました🎵↑これが創刊号の表紙です❣️ザ・タイガースの初主演映画『世界はボクらを待っている』の中でもジュリー
わぁ~ん携帯が壊れてしまった、別に落としたわけでも、水に濡らしたわけでもないのに・・あまりのショックで言葉が出ませんでしたドコモショップに行きましたが~ちょっと時間がかかるとの事~今、修理に出しています。ラインはすべて消えるとの事でなおさら悲しいですちょっと気を直してブログを書きたいと思います。さて、ジュリーのお話し、そういえば7月からのライブ日程が近々~発表されるのかまだなのかこちらは楽しみに待ちたいと思いますまたまた、姉たちが書いた会報紙にこん
55年前の今頃はザ・タイガース初主演映画『世界はボクらを待っている』の撮影中(これはDVDです)封切りは4月10日(これは、当時のパンフレットです)東宝撮影所に潜り込んだり、ロケ行ったりの小学6年生が、封切り時は中学1年生で親を離れての行動が出来るようになってちょっと自由が手に入った気分でした❣️小6の時は、東宝撮影所までバス一本で行けたことで、親に内緒で潜り込んだのでした❗そして、芸能人に初めて色紙にサインを書いてもらったのが、残念ながら大好きなタイガースではなく、宿
4/11金曜日銀座TACT瞳みのる&森本太郎ジョイントライブサポートでジェフさんベースネロくんギターこのお二人は瞳みのると二十ニ世紀バンドのメンバーで心強い味方💚タイガースの5分の2でのライブ全曲タイガースソング🎵カバー曲も含めて懐かしい当時の光景も蘇ります💙🧡一番最初は大阪での開催でした!そのときはサリーが京都での撮影の合間に見に来てくれました❣️サリー曰く「2人で何をするのか?とおもって…」もう何年になるのか?何回目になるのか?全部見ていますね〜🎵だっ
「東京で落ち着ける僕の城をやっと見つけました、もうこのマンションから離れないつもり・・」ひとり都内の豪華マンション(中野ブロードウェイ)へ引っ越したからだ。それまで神宮外苑近くに住んでいたジュリーは、5月5日「ウェスタン・カーニバル」のさなか、そのマンションに引っ越したのだ。「いやあ、借りているんですよ、家賃7万5千円で、3DKのつくりです。」本人はそう語っているが買ったのではないか?という説もある・・・推定900万円で、渡辺プロの必要経費で買い与えられたものとみられる(週間明星
2011年2月25日今から13年前瞳みのる著『ロンググッドバイのあとで』発売ピーとタローのサイン入りの本を買いました📖そして、28日は如水会館で出版記念の会がありジュリー、サリー、タローも駆けつけてお祝いをしたそうです❣️有志皆で、お花を出させてもらいました💐もう、時効にしてもらって、その時の写真ですがここだけで見てください🙇このスタンド花を贈りました🌼ピーが、記念にと、一人でお花と撮ってくださいました❣️1971年1月24日ザ・タイガースは日本武道館で解散しました🎵
懐かしくなってガザゴソ探していたら~こんな物が出てきました。「JULIE'SHomeけんじふぁんくらぶ」って書いてある小さな真っ赤な会報誌~多分当時自分で一生懸命作ったものですね~1974(昭和49)年~私が16歳、高校2年の時に書いた~修学旅行記です1974年10月2日~その日の全貌を再現フィルムスタート!・・って書いてある(笑)朝・・・雨がシトシト窓の外ミル思わず飛び起きて(自分の事をミルと書いてあります)「エッ!いやだな~、神さま、ジュリーさま、雨
ジュリー、週刊誌に書かれていましたが、まだまだ、書かれるだけ人気があるけど、本人は苦虫🤣記事に載っていたピーも今日、退院で良かった👏ジュリーデビューして、57年には週刊誌に色々載りまして二十歳の頃には、元カノも登場して躍起になって否定していたりもありました🤣ジュリーが違うというんだから、違うと言い聞かせて、私も可愛いもんでした🤣ピーも緊急入院したり、そんなお年頃…ジュリーも無理なくスケジュール組んで欲しいです🙏二年前から、立案すると仰っていましたがツアー本数を減らしても
さて、続きます。1976年(昭和51年)2月4日(水曜日)ニッポン放送・・たぶんこれが正式名なんだと思いますが、日記には「日本放送」って書いてあります、有楽町にありました。「日本放送」入口20センチ位PM:1:50入りGパン、チェックのジャンバー、チェックのマフラー、白いYシャツ、ベルトあらいたての髪の毛でとてもきれいだった。思い出すのは後ろ姿ばかり・・・昨日よりとげとげしくなかった。
ジュリーのNHKホールライブにいつもの仲良し北中トリオで見にいらしていた太郎さん。素晴らしいステージだったと書いていらっしゃいます同じステージで隣に立って歌っているジュリーと客席から見るジュリーとでは感じ方も違うのでしょうね。とにかく仲良しのジュリーとこのお三人。一緒に食事をすることもよくあるそうです。いつまでも素敵なお仲間でいてくださいそして、前回に続き「思い出part2」として、懐かしい写真も載せてくださいました。タイガースベスト5という記事はご自身のスクラップのようで
今日は~姉の当時の日記が出てきたので引用します「1970(昭和45)年3月27日~今日はジュリーの京都の実家に行って来た。というのは、万国博覧会の途中で、京都に行って~それからタクシーでジュリーの実家に行ったので、2500円もかかってしまったけど、悔いはなかった。ジュリーの家は小さな、言っちゃ悪いけどあまりいい家ではなくて、庭がとても狭かった。けど~ここにジュリーが小さい時から住んでいたんだなと思うとなんだかグーな気持ちになった。家に行ったら、ジュリーの妹がいた。そ
1969年3月23日@京都会館岸部四郎さんが加わって初のコンサートトッポ加橋かつみさんが脱退(除名と発表)すったもんだがありました!それが1969年3月5日にかつみさんが失踪したということを8日に残されたタイガースメンバー並びに会社ナベプロの記者会見が日比谷のピーターズレストランで行われました!これはかつみさんの脱退意思が固く会社が仕組んだ茶番劇だったと後に分かり渡辺美佐副社長の謝罪がありました!トッポが辞めた後サリーはすぐにロスアンゼルスにいるシローに戻って
昭和43(1968)年4月。週刊明星(集英社)5/5特大号の新聞広告。独占3大特報大ショック!そんなに仲が悪いのか?−−として、タイガースvsテンプターズ伊東ゆかりvs小川知子西郷輝彦vs島和彦の遺恨を煽りまくっている。SNSによる当事者の反論が可能となった今では、そうでもなくなったが、少し前までは有名人同士の不仲や喧嘩は、週刊誌やスポーツ新聞にとって美味しい餌だった。ここから3年後(昭和46年)には不仲であるはずのタイガースとテンプターズのエース的存在にあったジュ
3月9日今日はポンタさんもご命日だそうです沢田研二さんと共にした時間を思い出として思い浮かべるのもご供養かと…昨日の3月8日はジュリー川越でしたね❣️私は野暮用でお譲りしてしまいましたが漏れ伝え聞こえ来るMCでは◯カードの支払い限度額が増額されていたとか?以前のどこかのMCで限度額が低くて増額を交渉した時お仕事は?とかいろいろ聞かれ「仕事すればお金は入るけれどしなければ入らない」と言ってせいか(笑)まだまだ限度額は低かった!「お母さん知らないかな?沢
昨年5回目を無事に終えた、他では聴けない曲に挑戦するPeeが躍動する!四谷左門町ライブ!6回目をやりま~~~す!左門町で逢いましょう!瞳みのるPeeが奏でる「四谷左門町ライブ2025」瞳みのるwithゆうさんバンド2025年5月18日日曜日東京都新宿区四谷3-4-3SCビルB1ライブハウス四谷LOTUS03-5315-4781地下鉄丸ノ内線四谷三丁目駅下車徒歩2分1967年7月からザ・タイガースが、合宿をしていた四谷左門町のアパート跡地