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第27話でも書かせてもらったが、相談窓口でよく履歴書の添削を依頼された。履歴書は、応募先の企業規模や勤務形態(正社員、契約、派遣パート、アルバイトなのか)や、「(履歴書持参で)いきなり面接」なのか、「まずは書類選考から」なのかによって書く内容も深さも変わってくる。「いきなり面接」(パートやアルバイトが多い)の場合は、履歴書に書かれてある内容を面接でフォローできるので、大まかな内容でもある程度は許されるところがあるが、「まずは書類選考から」の場合は、履歴書だけで一次選考されるので細心の注
~『留置後初調書』①からの続き~そこには、初日に取り調べをしていた刑事が座っていました。刑「お久しぶりです。」私「どうも・・」会うのは2回目、久しぶりの対面でした。でも決して忘れない、この顔。また釣り人スタイルだ・・。多分、生まれ変わっても覚えてるんじゃないでしょうか・・・。そう思いながら、椅子に腰かけました。刑「今日は、事件当日の昼間の行動と身辺について取り調べします、いいですね?」私「はい」そう言うと、刑事はお決まりの黙秘権がある事、真実を話すこと、みたいな
おはようございます。昨日夕方、弁護士先生と打ち合わせをして参りました。あまりにも疲れ果て、blogを書いていたのですが途中でギブアップしてしまいました。ごめんなさい。弁護士先生が持ってきた私の案件に関する書類が、昔あった電話帳位の厚さになっていました。(タウンページね)もっと増えるぞー打ち合わせ直前にアリナミンを呑みました。先生から「あ、そういうの呑むんですね?」と驚かれちゃいましたよ。「はい、気合い入れる時は」と答え、スタート。4つある争点のうち、2つを主に取り上げて詰めま
犯人隠避罪で逮捕された当時弁護士だった方に対する取調べの違法性を争う裁判が行われています取り調べで「ガキ」「僕ちゃん」検察官発言、法廷で再生―黙秘権巡る訴訟・東京地裁:時事ドットコム犯人隠避教唆容疑で逮捕された際、黙秘権を行使すると告げたにもかかわらず検察官から連日取り調べを受けたのは違法だとして、元弁護士が国に損害賠償を求めた訴訟の口頭弁論が18日、東京地裁(貝阿彌亮裁判長)であった。取り調べの様子を録画した映像が法廷で再生され、検察官が原告に「ガキ」「僕ちゃん」などと発言する姿が明らかに
江口大和さん(元弁護士)が横浜地検特別刑事部から犯人隠避教唆の疑いをかけられ、逮捕されたのが平成30年10月15日。彼はそれまでの任意の検事取調べにおいて被疑事実を否認していた。そして、逮捕直後の弁解録取において彼は黙秘権の行使を宣言した。日本国憲法第38条1項何人も、自己に不利益な供述を強要されない。ところがそこから約21日間、合計約56時間、一言も話さない江口さんに対して、横浜地検特別刑事部の検察官(そのうちのほとんどは川村政史検事)は取調べと称して「僕ちゃん」、「お子ちゃ
黙秘権を行使する江口大和さんに対して、横浜地検特別刑事部の川村政史検事が、取調べと称して「僕ちゃん」、「お子ちゃま」、「ガキ」呼ばわりし、「うっとうしい」、「どうやったらこんな弁護士ができあがるんだ」、「嘘を付きやすい体質」などと言ったり、江口さんの弁護人の活動を侮辱したりする発言をし続けた問題。国家賠償訴訟の公開法廷における江口さんの原告本人質問において取調べの動画が一部上映されたのは前回のブログに書きましたが、法廷で公開された動画を一緒に見ながら江口さんと江口さん弁護団(宮村啓太弁護士
1984年1月10日に札幌市豊平区で発生した男児失踪・死亡事件。また、黙秘権についても注目されたことでも知られている。概要1984年1月10日、札幌市豊平区で当時9歳の男児・城丸秀徳君の行方が分からなくなる。A宅が資産家だったため身代金誘拐の可能性も考えられたが、身代金を要求する電話がなかったため、公開捜査となった。その後の捜査でAの母親の証言によると、Aは「ワタナベさんと名乗る人物のところに行く」と言い残して姿を消したことが判明。後に当時29歳の元ホステスであるK.Kのアパートの階段をA
「城丸君事件」は1984年1月10日、札幌市で発生した男児失踪・死亡事件である。当時9歳の男児・城丸秀徳君が行方不明となり、当時29歳のホステス・工藤加寿子の自宅で人骨となって発見された。しかし、犯人と推定された工藤加寿子は裁判で無罪になった。この事件で最も焦点が当たったのは、状況証拠から見て犯人が明らかにもかかわらず、黙秘権を行使したことで無罪となり、さらに警察を相手取って損害賠償まで勝ち取った点だった。1984年(昭和59)1月10日9時35分頃、北海道札幌市豊平区に住む城丸隆さん