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45歳の夫は悪性脳腫瘍(膠芽腫)で手術をしてから現在、約1年2ヶ月目。手術の後遺症で認知症を発症して寝たきりです。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名判明。平均余命は14ヶ月>歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々>要介護5の夫の在宅介護、嵐の1日目>夫だけに見えている、3人目のこども>
「自責」とは、自分で自分の過ちを責めること。念とは、常に心の中を往来している思いを指します。つまり自責の念とは、過去の出来事に後悔をして自分を責めている気持ちのことです。調べたら、こう出てきました。自責の念と、表題に書きましたが私は今、まさに、それでございます。booさんが離婚後、どこでなにをしてるかわからないままでいました。そんな中、調べて訪ねて、もう1回、顔をみようと話をしてみようと調べました。なんだか、何日も隣の県の、それも、だいぶ遠くそこに、なにも思い当ること
45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名判明。平均余命は14ヶ月>歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々>要介護5の夫の在宅介護、嵐の1日目>夫だけに見えている、3人目のこど
息子の退院日を決める医師との面談。今回は骨折での入院だったが、17歳、反抗期。さぞかし看護師さんやお医者さんに不機嫌な顔を見せたのだろう、先生からの決定的な言葉は"やる気がないのに入院リハしてても意味がない"でした。確かにそう。小学生みたいな小さなまだ心身ともに未熟な年齢であれば療法士さんも看護師さんもリハビリやってくれる方法を必死に探し実行するのだろうけど。17歳にそれをしてくれとは親はさすがに言えない。4年前の交通事故で脳挫傷をしてから何度か高次脳機能障害の検査は受けられました?
※長文です💧※診察室にて。娘同席。(先生)肺の方はだいぶ良くなったんですよね…それで…今後どうしようかなーと思って。きっとまた繰り返すんじゃないかなーって思ってるんですよねそれはご本人にとってもいい事ではない気もするし食事はきっと難しくなってきてると思うんですよね…今は鼻からの管は入ったまま中心静脈栄養をされてる状態結構本人お元気なんですよお元気ですかって聞けば『いい』って答えるし歯ぎしりとかひっきりなしで元気に起き上がろうとする感じなんです
45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々もうやるしかない。在宅介護の準備202
今日は涙も流しましたポロ..ポロ〜...って左はもう手も足も身体も動かしませんかろうじて右腕右手は動きます頭顔も動かせないからか必死で目の玉だけでなにやらものを探すようにブルブルと動き右腕で物を探すように上にブルブルと動くから「どうしたのー」って声をかけ手を取ると表情は動かせないけど真っ赤になり「わかるー?わたしよー」って声かけると0.5秒ほどのうなずきと今日は涙を流しましたああ〜またしてもあるんだ感情...
観葉植物が大好きでその中の一つウンベラータさん剪定をして今、術後の治療中でしたが今朝見たら!新芽が!生命力に感謝さぁ!お弁当作りいってみよートンテキパプリカソテーほうれん草入り卵焼きズッキーニとしいたけのソテースイスチャードのツナ和え本当はスイスチャード主役級に献立立てたいのですがイマイチ良いメニューが浮かびませんとっても美しい子たちなので美味しく食べたいのですが今日の悩み事No.1デス今日も朝から頑張りました私
お泊り2泊明けての朝です。朝、6時の、検温、その後処置、チューブからのお薬が入り、ちょっと、直接、胃に入るせいか、ゲップが出るような、昨日の朝と同じような、事が起こった後は、お腹に薬でも、物が入ったからか、ぐっすりと寝てます。この施設は、まだ開設から1,2年しか経っておらず、とてもきれいです。主人はその点、今までの入院生活の中で、恵まれてました。事故を起こした後、搬送された病院も、その後、摘出手術受けた病院も、有名病院も、その他、小さな、胆嚢取ったりした病院も、全てキレイなところばかり。
そこからは一分一秒がとても長く感じた。目の前から息子がいなくなったことで急に現実に引き込まれ、恐怖に包まれた。息子が救急搬送されたのが20時前。手術が始まったのが21時前後だったと思う。翌日は月曜日だからまずは職場に連絡をとらねばと思い、院長に電話。その後同僚に連絡したけど繋がらず、グループLINEにとりあえず息子が脳出血で手術を受けていることを伝えた。突然のことでスマホのバッテリーも少なかったことを覚えている。手術待合いで椅子に座っていることもできず、時折恐怖の波で涙が込み上げてく
片麻痺の皆さん、ボトックスが世界最強猛毒である事は、完全に誰しもがお分かりだと思います。その猛毒は3ヶ月ほどで効果が切れるという事で、無傷で、リスクが無いと、思われてるのでしょうか?確かに生命の直接的なリスク、生活が失われるような直接的、瞬間的なリスクは無いかもしれません。そもそも片麻痺によって、生活の直接、瞬間的なリスクには既にさらされていて、そこから脱却するためにボトックスに賭けているわけですし、では、リスクは無いから、やれるだけやりまくれば良いという事なのでしょう。か?しかし、それで、
もしかしたらの話ですが主人はたった一年間のオプチューン生活があったから今も存命なのかなー、と思います(勝手な自己解釈であることを、ご容赦を)摘出手術放射線治療抗がん剤テモダール1年間(これはオプチューンと並行してやりしました)は他の方もほとんどやられてると思います違いはオプチューン治療かと有名病院で摘出したものを病理検査に出し余命1.2年と告知されたのは2018/1月頭でしたもう生存率5年は5%の中にしっかりと入っています6年目ですホント本当に
今日は身体障害者になって、両親と初めて近所の牛丼屋に行った。こないだ、コーシー屋に行けたから、1人で行ける牛丼屋無いかな?って思って両親に付いてきてもらった。外から見てたら、1人で入れそうだったけど、1人で車椅子だと、牛丼屋の扉にゴンゴン事件して、店に迷惑になるな。って思った。自動ドアと引き戸?スライド扉?との二重だったんだけどね。押しど引き戸だと不可能だな。でも、店員さんは、行きも帰りも外まで見送ってくれた、スーパー丁寧な店員さんだった。牛丼は、ひさびさに食べた。店屋では10年
夜は何やら「こわい、こわい…」となかなか眠れず。朝しっかり目が覚めたら「○○ちゃん(近所の6年生)春休みが終わったらもういないの?」「○○(旅行先)に行きたかった」と泣いている。発症当初、目が覚めてからしばらくぼんやりしていたけど、少し顔つきもはっきりしてきているように見える。まだ経鼻チューブ中だけど、本人リクエストのおにぎり、マーボー豆腐、いちごを少しずつ食べた。嚥下障害は喉の症状というよりは認知期の問題が大きそう(ボッーとしてるのに口に入れてむせる、麻痺側からこぼれでるなど)今日
昨日のぶっかけうどん弁当は大好評でしたー味玉を割る時周りの友から歓声が上がって盛り上がったらしいこの夏活躍間違いナシだわさぁ!お弁当作り行ってみよーチリコンカンズッキーニソテーキャロットラペ金時豆を入れすぎたチリコンカンです一袋ザバーッと茹でてしまってたっぷり出来た金時豆をえいっ!と全部入れちゃって案の定私はお豆🫘好きなんでま、いっか今日も朝から頑張りました私
急性期でお世話になり退院後もずっと通っていた病院が3月で閉院になり、今は違う病院の脳外科に定期受診しています。昨年8月のblogで主治医が異動になると書きました。後任の先生に2回診てもらったのですが、慣れる間もなくすぐ今度は来年3月に閉院になるから次どこに通うか考えるように言われて💦今まで通っていた病院は電車だと5駅ですが、もっと近い2駅の所にも系列病院があって、外来担当を調べたら何度かHCUや退院後の目眩受診でお世話になったことがある先生の名前を見つけました。夫は全く覚えてないし先生も
ご訪問ありがとうございます叔母の所に新しい訪問介護事務所のヘルパーさんが来るようになり、だいぶいろいろなことが改善されてホッとした私です。これで少し叔母のことはお任せできる状況になったので、母の方にまた話をもどしますね。叔母の前回の話はこちら⬇️『事務所によって、こんなにも違う?!』ご訪問ありがとうございます叔母と新しい事務所のヘルパーさんの責任者との顔合わせも無事にすみ、新しい事務所での訪問介護サービスがスタートしました。前回の話はこち…ameblo.jp叔母の方が落ち着いてホッとし
昨日の夜は今までで一番まとまって眠れた(3時間くらい?)定期で鎮痛剤を入れてもらうようになってから痛みの訴え、発熱が落ち着いて本人も少し楽に見える。感情失禁なのかちょっとしたことですぐ泣いてしまう。易疲労性もあり、少し何かすると疲れてしまうよう。今日は本人リクエストのいちごを2粒食べた。2粒を8等分にしてちょっとずつ。体動は激しく時折柵に足を打ち付けたりするので声掛けは必要。リハビリでは今日はリクライニング車椅子で離床したこともあり少し長めに乗れた。でも、本人は号泣…。
私の事です。7年前に腸閉塞と腹膜炎になって手術した後、定期的に大腸カメラの検査を受けていましたが、3年前に大腸カメラをしてから検査を受けていませんでした。検査で大腸に3〜4ミリのポリープがあり、経過観察が必要と言われていたんですけど、夫の介護や仕事、娘の事で一杯一杯で自分の身体の事まで気が回りませんでした。腹膜炎の手術を受けた大きな病院で、過去3回は大腸カメラも検査してもらいましたが3年前に検査の結果を聞きに行った時に先生から経過観察では、うちの病院では今後は検査出来ないので、
あまりにも、気分の悪い話で書くの嫌だなぁ〜と思ってひと晩たったんだけどやっぱり、記録にしとこう先日の脳外科の請求書と一緒に、届いたのかbooさんの給与明細書ずっと自営業のbooさんいまは、震災、病気、コロナと打撃が続き、ほんと、仕事がなくなりずっと家で寝てるで、とーきどき、なにか呼ばれ月に、4.5万入れてくるかこないか、のbooさんもうこれも、病気だからしょうがないよねーとあてにせず私が、wワークし息子ふたりが、バイトしてくれて自分たちの小遣いは、ちょ
こんばんは今日のお風呂はイヤイヤ文句タラタラでしたがなんとか入った主人です先日はノリノリでもっと長く入りたいと言っていたのに…このグズグズのお天気のせいかな高次脳機能障害…過去にはお天気に振り回されていました「雨ならデイケア行かない!」ってね今はどこにも行かない、行かれる状況ではないですが…さてさて主人は後遺症により歩けない、食べられない(嚥下、摂食障害)失調、感覚障害、胃ろう要介護5、高次脳機能障害、短期記憶障害構音障害、全介助の主人を在宅で妻がみていますなのに
三日目鎮静を少し弱めているようで昨晩から覚醒している時間もあり、従命動作(手を握ってみてなど)に応じたり、開眼しているとのこと。意思表示もうなづき、首振りで見られているようで、「痛い?」と聞くと首を振って「痛くない」と教えてくれるとのこと。今後更に顔面腫れてくるが数日でひいてくるくるから心配しないでねと看護師さんから言われた。→一回目の術後、私としては思ったよりは顔面の浮腫はそこまでではないと感じた。(後々の二度目の手術はとんでもなく腫れた)熱も出ているが出血によるもので解熱剤はあまり
45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫再び食べなくなった。生きることを諦めたの?歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々リハ病院へ転院。どうか暴れないで2023年8月4日手術から5ヶ月6日2ヶ月ぶりにがんセンターへ戻って
さ2024年4月30日(火)長女の高校2年生になって4月が終わろうとしている。長女の新学期は、前年の再現のように悩みも尽きる事なく、長女らしい悩みを抱えながら、良くも悪くも長女らしくスタートした🏫🌸。新学期開始と共に、修学旅行のグループ決めに翻弄され、ストレスを抱え溜め息の連日だった。長女の仲良くしてくれていた友達が3人も退学していて、修学旅行のグループ決めが長女の憂いの原因。勇気を出して、昨年遠足でグループ活動をした仲間のいるグループに混ぜて欲しい❗と行動を起こした長女。だったが…⤵️。
すいつも読んでいただきありがとうございます。今日、始めは仕方ないから行かなければと思っていた様子だったので支度をすると、学校でたれたなんていったら、ずっと言われる。ヤダ。行きたくないと。私が出掛けられないと話すが、行ってきていいよ。一人で大丈夫。と。まあ、一人にできないので、今日の予定はキャンセル。一緒に生活できなくなるよ。黙っていた。さ~てどうしたものか。とりあえず、いろいろ出来ること、考えなければ。③に続くのかな。産後うつとかっていう言葉があるけど、介護
45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯病気発覚、緊急手術までのお話は→こちらのカテゴリ脳腫瘍が見つかった。嘘でしょ?病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫ついに夫が喋った!!1ヶ月ぶり!!再び食べなくなった。生きることを諦めたの?歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々2023年6月6日手術から3ヶ月6日夫は手術後、総合病院で1ヶ
45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯病気発覚、緊急手術までのお話は→こちらのカテゴリ脳腫瘍が見つかった。嘘でしょ?病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫ついに夫が喋った!!1ヶ月ぶり!!再び食べなくなった。生きることを諦めたの?歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々2023年6月14日手術から3ヶ月15日2ヶ月の期間限定で入院