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『一宮舟木一夫後援会発会式予告』1963年9月。一宮市長を始め、地元の有力者が舟木一夫後援会の発足を推し進めます。9月1日に、後援会発足を告知すると、即刻、市内だけでなく市外からも4500…ameblo.jp『舟木一夫後援会発足式一宮市騒動記』一宮市舟木一夫後援会発足会1963年10月27日1963年9月舟木さんは故郷の愛知県一宮に帰ります。そこでは郷里が生んだスターを盛り上げるために、一宮市長…ameblo.jp
初めて味合う愛あるとき夫婦同時手記舟木一夫紀子1974年主婦と生活より結婚2か月の舟木さんご夫妻お二人の、思いが書かれた手記です。舟木さんの奥様紀子さんへの思い、感謝が綴られています。そして奥様紀子さんの、舟木一夫と言うスターに嫁いだ覚悟が書かれています。お互いを思いやる気持ちが、素直に伝わって来る記事です。結婚後の寒い時期を経過し、大復活を遂げて今に至るスター舟木一夫があるのは、ひとえに奥様の紀子さんの影での支えと愛情があった事を、この文章からもうかがえます。
舟木さんがデビュー前から住んでいた新宿区若葉の青葉荘。青葉荘の舟木さんを一挙公開です。男所帯のこうした写真が雑誌のグラフで紹介されるのも、60年前の昭和の時代だからだろう。生活感丸出しの写真ばかりで、隣に住んでるお兄ちゃんと言う感じにしか見えない。ファンレターが毎日2500通とか、年賀状は佐藤栄作首相より多い10数万通だったとかは、この写真のファンレターの数を見て現実のものだと感じる。文字で書かれるよりも、こうしたビジュアルの写真を1枚見るだけで「凄い!」と伝わって来る。当時の
舟木一夫シアターコンサートが行われている新橋演舞場は三日目でした初日二日と仲間の行かれた話を聞いていて楽しみに出掛けました何とも久しぶりの新橋演舞場ですいつも決まった行き方はないので今回は迷ってネットのナビを使う事にします中央線で東京から山手線で新橋新橋から浅草線で東銀座四谷から銀座線で銀座銀座から日比谷線で東銀座中野から東西線で茅場町から日比谷線で東銀座全く地下鉄には弱いさすらいはどれも不安四谷からのつもりが急遽中野から中野サンプラザビルの広告が始まったのを
2011年の夏が明けようとする頃、何人もの舟友さんが出来ていました。積極的に声を掛けたり、声を掛けられたり、翌年に控えた「舟木一夫芸能生活50周年」に向けて、舟木ファンの間でも、一段と気分が上がっている頃で、仲間の中には、ブログを立ち上げる人も多くなってきた頃です。そうしたお仲間とのお付き合いの中で、情報交換も多くなり「夕刊フジ」で舟木さんの記事が連載される事を知ります。当時は「武蔵野舟木組」の名刺を作って持ち歩いていましたが、同じように、舟木ファンが名刺を作って持ち歩き、お互いに名
【一問目】ちょっとこちらをお聞きください。(♪赤い夕陽が校舎をそめてニレの木陰に弾む声ああ高校三年生~)お聴きいただいたのは昭和38年に発売された、舟木一夫さんのデビュー曲であり大ヒット曲「高校三年生」です。そこで今回は、さきほどの「♪ああ高校三年生~」が流れますので、様々な状況でお答えください。テレビを点けたら飛び込んできた「高校三年生」は、BS-日テレ「笑点特別号」笑点のレギュラー出演者とはちょっと違って、仕切っているのは立川晴の輔さんで、三遊亭小遊三師匠と「隣の晩御飯」のヨ
舟木さんが出演した映画の中で、原作が富島健夫の作品が三作品あります。デビュー映画「高校三年生」の原作は「明日への握手」で大映で映画化されました。「君たちがいて僕がいた」は、そのままの題名で東映で映画化されました。「北国の街」の原作は「雪の記憶」で、脚本は倉本聰が当たりました。富島健夫という作家は、純文学の作家で芥川賞候補にもなりましたが、1960年代から、青春小説ジュニア小説の作家として活躍し、若者の性を捉えた作品が増えてゆき、その後、関根恵子主演で映画化された「おさな妻」な
【ブルースのか・け・らⅢ】舟木さんご自身はブルースが好きで歌い手になったけどあ~か~い~になってしまったとよく話されているけどりりしく爽やかな詰襟姿の舟木さんに出会えなかったら今の瑞々しくも深みのある低音で包容力のある歌声のブルースの世界に出会えなかったかもしれません。舟木さんもブルースが好きとおっしゃるけど私は舟木さんが歌うブルースが大好き今日から京都南座で「舟木一夫シアターコンサート」がはじまった。10日・11日と行く最高の舟木一夫ブルースの世界に参加
「起きて半畳寝て一畳」とは人間が生活するのに、無駄に広いのは不要なだけという教えで、どんな人間も立ち上がれば半畳、寝ても一畳あれば十分足りるという事。人並みの生活で満足し、贅沢は禁止して、金持ちや高い身分に憧れず、現状に満足する事。ことわざとして古くから言われている言葉で、戦国武将が発した言葉。夏目漱石が発した言葉。また仏教の教えの中にある言葉と、いろいろ言われています。「起きて半畳、寝て一畳天下とっても二合半」と続けて言う場合もあります。天下を取っても二合半以上
「今晩は裕次郎です」出演1963年9月デビュー当時の舟木さんは、新たに始まった石原裕次郎さんのテレビ番組「今晩は裕次郎です」で初めて裕次郎さんと出会います。その後、日活映画「学園広場」「仲間たち」と日活撮影所には出入りするようになりましたから、撮影所で顔を会わせる事もあったでしょう。そんな中、二人の雑誌での対談があった訳です。舟木さんにとっても貴重な体験だったでしょう。そして、石原裕次郎ファンのさすらいですから、この時書かれている「石原裕次郎10周
1975年1月10年ぶりに日本劇場(日劇)に舞台に上がって舟木さんです20歳から10年経って30歳になった舟木さんは前年4月に松沢紀子さんとご結婚され新婚のお二人は初めてのお正月を迎えられた中の日劇新春公演でしたセットリストオープニング(日劇ダンシングチーム)♪新吾十番勝負(安川剣友会・日劇ダンシングチーム)♪殺陣(安川剣友会)♪ああ桜田門♪右衛門七節(日劇ダンシングチーム♪里の花吹雪(安川剣友会・日劇ダンシングチーム)♪魔像(安川剣友会)★日本太鼓披露
BS-朝日の「ザ・偉人伝」は、それより前に放送されていた「昭和偉人伝」から、良く見て言えて、遠藤実先生は、何度となく登場している。市川雷蔵、三船敏郎、黒澤明、三船敏郎と勝新太郎、石原裕次郎などは、DVDにして保存している。さて、今回の「御三家」を取り上げた特番こそ、「昭和偉人伝」の方が題名がピタリの様な気がする。橋幸夫さん、西郷輝彦さんについては、舟木さんのように情報を沢山持っていない事も在り、「なるほど!」と思いながらご覧になった方も多かった事でしょう。それなりに昭和の時代
平凡1963年11月号高石かつ枝さんは、1960年代の青春歌謡歌手の一人です。作曲家の万城目正さんのお弟子さんで、テイチクからコロムビアへ。1964年のクラウン設立と共にクラウンに移籍しました。人気のあった映画「愛染かつら」の再映画化から、主題歌の「旅の夜風」を歌った事で、ヒロインの名前を取って「高石かつ枝」の芸名になります。舟木さんは学生服でデビューした事で、高石さんはセーラー服で舞台に立ちました。舟木さんが「高校三年生」で紅白歌合戦に出場した際には、高石さんは東宝映画「
7月27日の埼玉県川口市の最高気温は33℃だったとそうです。ここの所続く関東気象は、高温である中、夕方から夜に掛けては豪雨や突風竜巻予報が出るほど荒れていて、朝の関東の予報は夕方から夜に掛けて、連日のように荒れるとの話で、とりあえず折り畳み傘持参でコンサート会場へと向かいました。考えてみると舟木さんの通常コンサートは、4月の川越以来なのです。5月は京都南座6月は浅草公会堂には行っていますが、久しぶりに聴くセットリストになる訳です。始めて行くホールで、今年7月にリフレッシュオープ
このシリーズ、洗い上がりがめっちゃ好きです🥰大人肌にぴったり。ぜひお試しを✨ご訪問いただきありがとうございますある高等教育機関で学費業務を担当するokogeです日々学費が払えないという方の相談に乗っています▶︎自校での学費相談年間200件以上▶︎高等教育修学支援制度、奨学金、教育ローン、公的支援などをカバープライベートでは小学生の子が1人います今回も、以前上げたブログのリバイバル版です『多子世帯』の基準日はいつ?令和7年度から始まった多子世帯に対する大学無償化※実際に
お母さんの愛にささえられて1967年9月少女フレンドお父さん、お母さんの呼び方も、パパ、ママと書かれていますが、何か舟木さんには似合わない呼び名ですが、弟の幸正くん、妹の晴子ちゃんが、そう呼んでいるので、一緒にそう呼んだのだと思います。先日もお母さんの節さんの記事を載せましたが、かなりざっくばらんなお母さんでお会いした方らかメールも戴きました。飾らず、親しみのある、素敵なお母さまだったとお知らせ頂いています。
こんにちは気ままなブログをいつもたくさんの方に見て頂いていいね!やフォローまでありがとうございます❤️50うん歳の私とパパ息子(大学2年)と、娘(私立高3年)のなんてことない日常を綴っています。生まれも育ちも、ずーっと大阪府〇〇市。結婚して大阪府◎◎市に住み、育児に落ち着いてきた2016年春パパの転勤で家族で福岡へ。2024年春、パパの転勤。高3、高1になる子供たちにお願いして家族で8年ぶりに大阪府◎◎市へ以前住んでいた近くに引っ越しました。2025年春、息子は福
2009年のブログに、着メロと待ち受け画面の事が書いてある。携帯電話自体、もう懐かしい代物で、もうすでに携帯電話を持っている人を、ほとんど見る事がなくなりました。携帯電話は「ガラケー」と呼ばれたものです。正式には「ガラパゴス携帯」と呼ばれ、日本特有の機能で、日本でしか使えない携帯電話で、島で囲まれて独自の生態系のガラパゴス諸島からとった名前です。その後は世界基準の携帯電話となりますが、スマートフォンが出て、スマホ時代になってからは、携帯電話の事を全てガラケーと呼ぶようになりまし
6月11日楽団の人達はバスで先に出発。舟木さんたちは1時間遅れてハイヤーで後を追います。飯山まで4時間の予定。でこぼこ道は埃が酷く、窓を閉めると暑い。舗装面に出ると、途端に快適になります。途中でバスを追い抜いて市民会館へ着いたのはバスよりも30分早かった。ゆっくり食事をして休憩。夜は須坂へ行き、一回だけ唄いました。ここでは切符が2週間で売り切れ、入りきれないほど超満員。10時に終わって、この日は湯田中泊まり。6月12日朝食はバイキング料理。肉や魚は一つもなく、全てが