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【8月18日】2回目のオンコビン投与。オンコビンの一番の副作用は腸の動きが悪くなり便秘になりやすいとの事だった。確かに化学療法を始めてから次女は便秘気味ではあった。そしてこの日師長さんが隣の部屋の窓際が空いたので移動しますか?本当はその部屋の出入り口側のお二方の移動が普通なのですがお二人とも同時期の入院でしてお互いに譲りあわれてて、このまま移動なしで良いとのことなので次女ちゃんどうですか?これから長期入院ですし窓際の方が良いと思いますので遠慮なくどうぞ!と声
人は楽しい時に鼻歌など歌ったりするけど私は悲しい時辛いときに歌を歌ったりするとっても悲しそうに歌ってしまうのだけれど……次女が言っていた。忘れられない歌とその風景があると。市民病院のICUで付き添えた時にずっと『100%勇気』を歌っていたようだ。勿論元気良くではなくてめちゃくちゃゆっくりバージョンで次女をトントンしながらとても悲しそうに口づさんでいたらしい。4倍速くらい遅い感じだったらしくママの悲しそうな顔と歌を覚えていると言っていた悪いイメージになっちゃったね
次女の化学療法の薬は(髄芽腫の治療)ランダオンコビンエンドキサンを投与するものだった。ランダ→シスプラチンとも呼ぶオンコビン→ビンクリスチンとも呼ぶエンドキサン→シクロホスフォミドとも呼ぶ大学病院ではランダオンコビンエンドキサンという呼び方をしていた。化学療法のやり方によってはこの薬たちを間をあけずに1日単位で連続投与するそうだが次女の場合は最初のランダオンコビンのみ連続であとは1週間に1度の投与だった。1週目ランダオンコビン2週目オン
前回の続きです。嫌な予感しかなくとりあえず必要なものの入院準備をして寝室に戻った。入院準備をしている間、長女と実母が次女をみてくれていた。そして、夜中。長女は寝ていて寝ていたはずの次女は起きていた。そして、頭が痛いとうったえる母には、もう寝てもらい私が隣でお腹をトントンしていると次女はまた寝ることができた。しかし、朝の4時頃に次女は起き上がり座った。そして、吐きそうにしている。直ぐに対処できてちゃんと袋に吐くことができた。頭痛に嘔吐。市民病院の時の水頭
セカンドオピニオンの大切さからの続きとなります。前日はセカンドオピニオンの大切さについて書かせていただきました。時間もお金も要するかも知れないけれど納得できる病院で納得できる治療をしていただきたいなと思います。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー翌日、午前中はいつもの通りクリニックで14回目のIMRT治療。治療している間に技師長さんと話した。今までしてきたことは無駄ではないこと。早く分かって良かった。と言う事を言ってくれ看護師さんはこれから始まる化学療法、
【8月11日】この日から化学療法スタート全8クール予定の1クール目初日。夫も会社を休んで来てくれた。10時から始めるということでその前に吐き気止めなどを入れた。しかし遅れることになり11時45分からスタート。緊張の時間が長かったマンニトールとCDDP(ランダ)を6時間かけて投与。入れ始めて夫も私もいつ体調が悪くなってしまうのか吐き気が来るのかとドキドキしていたが体調が悪くなることもなく無事終了した。化学療法の初日なのに反対に体調がよくコーンスー
脊髄のMRI検査【6月9日】午前中クリニックで16回目のIMRT治療。病名が変わったため局所への照射の回数は減ることとなりクリニックでの照射は残り1回となった。治療後半ともなると、終わったあとの倦怠感も酷く直後は自力で歩けない。車椅子かおんぶで治療室から待合室まで移動していた。それだけ副作用もたまっていってるんだなぁそして午後から〇病院で脊髄のMRI。上衣腫から髄芽腫に病名の診断が変わったということで脊髄への転移がないか調べるためだ。歩き方をみて脊髄へ
本日は少し当時のひねくれ(?)思想が入ります。苦手な方はお読みにならないことをお勧めします。【8月10日】翌日から化学療法が始まる。何とも言えない気持ち。根治を目指すためもし悪い細胞が残っているのならば完全に叩き潰したい。しかし化学療法も放射線治療と同様正常な細胞まで傷付けてしまう。内臓にも影響はある。健康な部分にまで影響がでてしまうと思うととても複雑な想いだった。早く医療が進歩がして悪い所だけをやっつけてくれる治療ができてほしいと思う。今日も髄
同じような治療をし晩期障害など不安に思っておられる方などの参考になればと思い書きます。勿論同じような治療でも放射線量が違ったり化学療法の内容が違ったり元々の免疫力体質などの差もあり個人差はあることが前提としてお読みください。2021年4月。この時次女は生きてました。高校3年間は本当に元気に生活していました。3回目腫瘍ができてしまいましたがその頃についてです。【2021年4月】時点のことです前回の記事でJ医師に言われた副作用や今後についての話。13年経ちその
病名が再病理検査によって退形成上衣腫から髄芽腫に変わった次女。そしてそれに伴い治療方法も変更。次女に病名が変わったこと治療方法と治療期間が変わったことを伝えました。その続きとなりますクリニックでの話【6月6日】前日夫が来て一緒に今後の話を聞きそして借りているウィークリーマンションに泊まった。15回目のIMRT治療。クリニックの院長先生との話。上衣腫から髄芽腫に変わったことで脊髄のMRIも撮った方が良いだろうと言われた。髄芽腫なら脊髄への転移もありえるからと
【6月20日】夜中に何かが起こりそうとの次女の言葉に不安になり急遽泊まることになった。何事もなく朝を迎えられた。良かった~と安堵朝起きたときはしんどそうだったけれどお昼は元気に過ごせた。8回目の治療終了。外泊許可がおりて土日は家で過ごせることになった【6月21日】やはり吐き気があり食欲もない。一昨日くらいから耳鳴りがすると言い始め不安になる。次女の病気が分かったのは耳鳴りからだった。なので耳鳴りと聞けば不安になる。そして風があたると頭も痛いという症状も出
術後から1週間のことそれからの1週間は傷の治癒に向けて←これは日にち薬なので消毒をしながら待つしかない。脳圧を変えていく←医療用の磁石を頭のバルブに当てて圧力を変えていく。これは頻繁にするものではなく1~2回変えた程度。まだ頭に溜まっている髄液をどのように流して正常な脳室の大きさにしていくのかそれは少しずつ身体を起こして行くそうだこれが簡単なようで全然簡単ではなかった。水頭症を発症して手術。そしてICU→一般病棟へその間ずっと寝転ん
今日のブログは愚痴も入っております。苦手な方はここまででお願い致します。【6月25日】今日は次女のことが心配でいつもよりもっと早い時間に病院へ行った。脱毛が凄いほとんど抜けてしまった。少し残っているだけ…同室のある子がそんな次女を見て他の子にこう言った。小声で言っているけど丸聞こえ「ねぇねぇ見てあの子!髪の毛なくなってるヤバくない?はげてるんだけど」こっちを見てニヤニヤしながらそう言った。その子はトイレに行く時や次女のベット近くを
【7月9日】次女の熱は朝には下がり大学病院を受診する事ができた主治医はK先生。優しそうな先生で安心した。昨日まで熱があったので採血後に点滴をした。あまり食べれていないことや発熱したことから入院を勧められたが採血の結果は良かったので入院は免れた。尿検査でケトン体が出ていたようでブドウ糖の注射もした。K先生との話アメリカ式の治療方法は放射線が先で6週間あけて化学療法開始。日本式は化学療法が先で、その後に放射線治療になる。次女は途中、病名が変わったことで放射線が先
【8月4日】久々にMRIを撮った。結果はまた髄液が溜まり気味だと言うことで医療用磁石を使って圧力を変えた。頭に入れているシャントバルブに医療用の磁石を当て圧力を変えます。これで更に髄液が流れることになりまた気分が悪くなるかも知れないとの事。だけれども慣らしていくしかなく乗り切るしかない。そして抜糸もした。抜糸と言えば我慢しながら大泣きしたことがあり抜糸自体に次女もトラウマがあった。しかし、腫瘍摘出の時ほどの傷跡ではなかったので思ったよりもスムーズに無事終了し
水頭症に似た症状で激しい頭痛をうったえている当直の医師が待っててくれるというので直ぐに次女を抱きかかえて大学病院に向かった。向かっている途中も頭痛に嘔吐。どんどん頭痛が酷くなっている。この8時間位で急激な悪化だった。高速を使っても2時間近くの道のりが余計に長く感じた。隣で頭をかかえてもがきながら辛そうにしている次女を支えながら早く着いて!早く着いて!!気ばかりが焦る。やっと大学病院に着くと当直の医師が待っていてくれた。ありがとうございます直ぐに点滴を開始し
【7月29日】この日は次女の8回目の誕生日これからの約1年間は治療メインの年になってしまう。苦しい1年になってしまうことは確実しかし、次女にとってこれからの人生に向けて大切な1年になる。少しでも楽しい事を見つけながら頑張って行こう。朝の9時位に夫が自宅から頼んでいた荷物を持ってきてくれた。急な入院だったのでまだ完璧な入院準備ができていない。入院してみたら足りないものだらけだ。これから1年ここの病院で過ごすのでかなりの荷物になる。24時間付き添いの病院
次女の頑張ってくれた記録を残したいという想いとその事を書くことで少しでも誰かの参考になったりお役に立てたらいいなという想いで記しています過去の話となります。そしていつも読んでくださったりいいねくださってる皆様ありがとうございます♡いいねは『頑張ったね!』のいいねと励みになっております。___________________________________________大学病院の2回目の受診からずっと元気に過ごせていた。もうすぐ次女の誕生日で次女の好きなケー
〇病院のJ医師から次女の病理標本を再病理検査したところ病名が変わった。退形成上衣腫(悪性)→髄芽腫そして治療方法が全く異なるとの電話が入った事で心が全く落ち着かない。病理標本の件(違う名前と病名が貼ってあった)や病名が違うと言われたことで不安と衝撃でほとんど寝られなかった。次女の正しい病名が知りたい。そして正しい治療法にて治療したい。命がかかっているのだから。午前中、いつものようにクリニックへ。そこで副院長先生の診察。次女が診察を受けた後に副院長先生と私で話をし
【7月28日】ICUにいる次女の付き添いを夫と交代しながら過ごしていた。付き添ってない時は寝たり長女と過ごしたり。長女はこの日夫と帰宅することになっていた。長女も塾もあるし部活もある。帰るとなるとやはり寂しくて寝ている時は長女を抱き締めて寝ていた。この日の次女はだいぶ回復してきて大きい息ができたりあくびもできた今までは傷の痛みで出来なかった事ができはじめた。笑顔も沢山見れたこんな、些細な事でも最高に幸せを感じる。ハイテンションになっている自分がわかる。