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次女が8歳の頃闘っていた時の事になります(今現在ではありません)食のこと1クール目だけではなく8クール終わるまで1年に渡る『食』との闘い。化学療法をしていると倦怠感、吐き気嘔吐そして味覚が変わってしまうこともある。次女は副作用の反応が凄くてとにかく食べれないので点滴が外せなかった。そして「食」と言うことに疲れた時期があった。ここの大学病院は、骨髄抑制の起こっている時期の生物禁止時以外は何を食べても飲んでもOKだった。しかもいつ飲食しても良いという
【8月15日】お盆休み中の夫が8時頃に来てくれて付き添いを代わってくれた。7月後半に急に入院になってしまったのでとりあえず必要なものは持ってきてもらっていた。しかし細かい荷物は私にしか分からない。大学病院と自宅はお隣の県で遠い事もあり新幹線に乗り準備するために自宅に戻った。20日ぶりの帰宅だ!荷物は次回夫が車来る時に持ってきてもらう事になっているので持ってきてほしいものをとにかくまとめた。家に帰ると細かい用事も沢山あった。銀行に行ったり、家のことも家族に分
【8月18日】2回目のオンコビン投与。オンコビンの一番の副作用は腸の動きが悪くなり便秘になりやすいとの事だった。確かに化学療法を始めてから次女は便秘気味ではあった。そしてこの日師長さんが隣の部屋の窓際が空いたので移動しますか?本当はその部屋の出入り口側のお二方の移動が普通なのですがお二人とも同時期の入院でしてお互いに譲りあわれてて、このまま移動なしで良いとのことなので次女ちゃんどうですか?これから長期入院ですし窓際の方が良いと思いますので遠慮なくどうぞ!と声
【8月4日】久々にMRIを撮った。結果はまた髄液が溜まり気味だと言うことで医療用磁石を使って圧力を変えた。頭に入れているシャントバルブに医療用の磁石を当て圧力を変えます。これで更に髄液が流れることになりまた気分が悪くなるかも知れないとの事。だけれども慣らしていくしかなく乗り切るしかない。そして抜糸もした。抜糸と言えば我慢しながら大泣きしたことがあり抜糸自体に次女もトラウマがあった。しかし、腫瘍摘出の時ほどの傷跡ではなかったので思ったよりもスムーズに無事終了し
次女の化学療法の薬は(髄芽腫の治療)ランダオンコビンエンドキサンを投与するものだった。ランダ→シスプラチンとも呼ぶオンコビン→ビンクリスチンとも呼ぶエンドキサン→シクロホスフォミドとも呼ぶ大学病院ではランダオンコビンエンドキサンという呼び方をしていた。化学療法のやり方によってはこの薬たちを間をあけずに1日単位で連続投与するそうだが次女の場合は最初のランダオンコビンのみ連続であとは1週間に1度の投与だった。1週目ランダオンコビン2週目オン
水頭症になっていた事から緊急手術をすることが決まり直ぐに手術を行うのかと思っていたが手術は15時~とのこと。それまでこの痛みは??我慢することになるの??手術が決まったことで小児科病棟の個室に入った。直ぐに脳圧を下げる点滴を開始。すると少しずつ頭痛も和らいできた。勿論完全にではないが意識が遠のくほどの頭痛ではなくなっていた。良かった‥‥手術の時間まであの痛みがずっと続いたいたらどうしようかと思っていたよ直ぐに手術開始とはいかずその前にレントゲン心電図
水頭症になり緊急手術になってしまった。少しずつ髄液が溜まっていっていたのかな。あの耳鳴りはやっぱりそういう事だったんだ。もう少し早く気付いてMRIなりCTを撮ってもらっていたら、こんなに痛く苦しい想いをさせなくて済んだかも知れない後悔していた。でも今は無事手術が終わるのを祈るしかない。VPシャント術そしてCVカテーテル挿入の手術が行われている間、無事終わるようにずっと祈っていた。母から電話が来た。「あんなに誕生日はお家でできるって楽しみにしていたの
【8月11日】この日から化学療法スタート全8クール予定の1クール目初日。夫も会社を休んで来てくれた。10時から始めるということでその前に吐き気止めなどを入れた。しかし遅れることになり11時45分からスタート。緊張の時間が長かったマンニトールとCDDP(ランダ)を6時間かけて投与。入れ始めて夫も私もいつ体調が悪くなってしまうのか吐き気が来るのかとドキドキしていたが体調が悪くなることもなく無事終了した。化学療法の初日なのに反対に体調がよくコーンスー
人は楽しい時に鼻歌など歌ったりするけど私は悲しい時辛いときに歌を歌ったりするとっても悲しそうに歌ってしまうのだけれど……次女が言っていた。忘れられない歌とその風景があると。市民病院のICUで付き添えた時にずっと『100%勇気』を歌っていたようだ。勿論元気良くではなくてめちゃくちゃゆっくりバージョンで次女をトントンしながらとても悲しそうに口づさんでいたらしい。4倍速くらい遅い感じだったらしくママの悲しそうな顔と歌を覚えていると言っていた悪いイメージになっちゃったね
次女が入院して〇病院にて放射線治療を受けることとなり私は朝9時のバスに乗り病院へ。この頃は泊まりは基本出来ないものの子どもは付き添いは自由で面会時間の指定はありませんでした。9時過ぎには病院に着き最終の22時のバスに乗って帰る生活が始まりました。見知らぬ土地、知り合いも居ない。この頃も気持ちが毎日張り詰めていた。〇病院は、泊まり込みの付き添いが出来ないので少しでも不安を取り除いてやりたくて早くから行き付き添い最終の22時のバスに乗ってウィークリーマンショ
次女の頑張ってくれた記録を残したいという想いとその事を書くことで少しでも誰かの参考になったりお役に立てたらいいなという想いで記しています過去の話となります。そしていつも読んでくださったりいいねくださってる皆様ありがとうございます♡いいねは『頑張ったね!』のいいねと励みになっております。___________________________________________大学病院の2回目の受診からずっと元気に過ごせていた。もうすぐ次女の誕生日で次女の好きなケー
【7月29日】この日は次女の8回目の誕生日これからの約1年間は治療メインの年になってしまう。苦しい1年になってしまうことは確実しかし、次女にとってこれからの人生に向けて大切な1年になる。少しでも楽しい事を見つけながら頑張って行こう。朝の9時位に夫が自宅から頼んでいた荷物を持ってきてくれた。急な入院だったのでまだ完璧な入院準備ができていない。入院してみたら足りないものだらけだ。これから1年ここの病院で過ごすのでかなりの荷物になる。24時間付き添いの病院
【6月3日】次女の体調も落ち着きつつあるということで退院することに午前中、いつもの通りクリニックにて12回目の治療。前日1/3の治療が終わりまだ折り返し地点までにも行かないけど順調に治療が進み根治できるよう祈るような気持ちで毎回受けている。そして〇病院に戻り退院手続きをしウィークリーマンションに次女と戻った。今日から次女を抱っこして寝られるそれだけで嬉しくてたまらなかった。早めにお風呂にも入り次女との時間を楽しんでいると携帯電話がなった。見ると〇病院のJ医
病名が再病理検査によって退形成上衣腫から髄芽腫に変わった次女。そしてそれに伴い治療方法も変更。次女に病名が変わったこと治療方法と治療期間が変わったことを伝えました。その続きとなりますクリニックでの話【6月6日】前日夫が来て一緒に今後の話を聞きそして借りているウィークリーマンションに泊まった。15回目のIMRT治療。クリニックの院長先生との話。上衣腫から髄芽腫に変わったことで脊髄のMRIも撮った方が良いだろうと言われた。髄芽腫なら脊髄への転移もありえるからと
水頭症に似た症状で激しい頭痛をうったえている当直の医師が待っててくれるというので直ぐに次女を抱きかかえて大学病院に向かった。向かっている途中も頭痛に嘔吐。どんどん頭痛が酷くなっている。この8時間位で急激な悪化だった。高速を使っても2時間近くの道のりが余計に長く感じた。隣で頭をかかえてもがきながら辛そうにしている次女を支えながら早く着いて!早く着いて!!気ばかりが焦る。やっと大学病院に着くと当直の医師が待っていてくれた。ありがとうございます直ぐに点滴を開始し