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今日から新しいお話を更新していきます。私がまだ20代前半の頃、気がついたら痩せ過ぎてしまった話です。私はその頃、痩せ過ぎてしまったとは全く思っておらず、理想的な身体を作っていったと思ってました。痩せ過ぎてしまった原因は、私の場合コスプレだったので、当時のコスプレな話も交えながら描いていきます。このお話はタイトル通り、拒食症だったとは思ってません。痩せ過ぎてしまう事も、理由は人それぞれあると思います。同じ体重でも人によっては元気に活動出来る事もあると思います。私が私にとっては痩せ過ぎてし
20台の頃、体重が38キロになって立ち上がれなくなった話です。→1話はこちら『体重が38キロになったけど拒食症では無かったと思いたい』今日から新しいお話を更新していきます。私がまだ20代前半の頃、気がついたら痩せ過ぎてしまった話です。私はその頃、痩せ過ぎてしまったとは全く思っておらず、理想的…ameblo.jp当時は勿論、チョコザップも無かったので、春休みはただ歩きました。歩くって健康の基本だと思います。ウォーキングなんてきちんとしたモノでは無く、ただただ歩いてました。→続き『【
耳下腺腫瘍の摘出手術に伴い、手術した側(左)の顔に麻痺が出ました。手術後から現在(術後1ヶ月半)までの経過をまとめたいと思います。まずは主治医H先生の談手術では、4.5cmという大きな腫瘍を取り除くために顔面に続く神経をかなり引っ張らなければならなかった。細心の注意を払ったので神経自体は痛めていないはずだが引っ張った影響(神経の疲労)がなくなって動きが元に戻るまで2ヶ月ほどかかると思って欲しい。そして私の実感手術直後まぶた・・動きが左右アンバランスだなと感
手術後3日目の朝、H先生の診察内容です。血液・滲出液が減っているのでドレーン抜いちゃいましょう!と言われ、その場で針を抜かれました。抜いたところには白く大きなパッドが貼られました。やった〜、これで体から管がぜんぶなくなった!スッキリ!ドレーンが抜けたことで、シャワーの許可もおりました。シャワーを浴びたらパッドが濡れちゃうから看護師さんに張り替えてもらってねと言われました。わ〜い、わ〜い!早くサッパリしたいなぁそしてなんと、明日退院と言われました。き
診察の結果「耳下腺腫瘍」という病名がつきました。今後は詳しい検査を追加して腫瘍が良性か悪性かを判断する、腫瘍はいずれにしても手術をして取り除く、という方針で動いていくことになりました。病名がついたことで今後の動きもはっきりしホッとしました。耳下腺腫瘍について自分なりに理解を深めておきたいと思い自宅のパソコンで調べました。そしてわかったのは以下のようなことです。・発生頻度が10万人に1〜3人という珍しいもの・8〜9割が良性・悪性(がん)の場合は痛みが出ることが多く顔
耳下腺がんとの診断がおりてから2日後、長女と長女の彼氏が我が家に遊びにきてくれることになりました。それまで腫瘍ができたことも手術のことも内緒にしていましたが、私の顔面神経麻痺を見たら、イヤでも病気がバレてしまいます。少なくとも腫瘍を摘出したことだけは白状しなければなりません。腫瘍ができて摘出手術を受けたこと、それに伴いしばらくの間顔面神経麻痺があること、これらを伝えるのは確定です。では、がん宣告についてはどうする?心配かけたくない気持ちはわかるけれどもし内緒にされ
私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちら顔面神経麻痺の当時、母が心配はしてくれましたが気にしてないそぶりを取ってくれた事は、とても助かりました。私の父はまだ、単身赴任で働いております。私もほとんど会わないレアキャラです。私としては、父が来なくても何も問題無かったのですが、母は今でも怒ってます。顔面神経麻痺の話は、これでおしまいです。顔面神経麻痺のお話はたくさんの人からコメントやDMを頂きました。コメントはとてもや
病気があってもなくても自分らしくhappyに脳科学を味方につけて、幸せに楽しく生きる!そう決めて実践中自己紹介はコチラです(内容で、テーマ分けしています。病気や治療のことは「ブログ」、そのほか、「日々のこと」「脳科学」などなど。興味のある分野を覗いてみてくださいね)先日、スーパーで、これ…顔面神経麻痺のリハビリにいいやつだ!と閃いたこのガム!!噛むことで、咬筋のトレーニングになるらしい!これを麻痺側で噛むようすれば、トレーニングになるで、さっそく車
私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちら少し過去の恋愛話を描きます。是非ともお付き合い下さい。→続き『【8話】顔の右半分が全く動かなくなった時/オススメの本を紹介します。』私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちらオタクな私が本能で『コスプレ』という趣味に目覚めた話になり…ameblo.jp
私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちらレーザー脱毛。この頃やって本当に良かったです。脇も足もめっちゃくっちゃ毛が濃かった私。今では数本、生えてくるだけなので凄く処理が楽です。(腕はもともと、そんなに濃く無かったので、あまり効果を感じられませんでした。)丁度、会社の同僚の間で永久脱毛に行くのがブームでした。休みの日に、みんなで永久脱毛に行ったりしてました。これは私はですが…永久脱毛してから脇汗が酷くなりました。
私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちらまぁ、顔の右側が動かない事にびっくりしてたと思うのですが、緑のカラコンに全力でドン引きしてくれました。勿論、退院してすぐだったので出かける事に私の親はドン引きしてました。入院初期、点滴の量が多かった頃はヘロヘロでしたが、退院する頃には顔以外かなり元気でした。顔が動かない以外は、元気を持て余してましたが、今考えても、出かけるには周りが引くぐらい早かったなと思います。オマケ
私が26歳の頃、顔面神経麻痺で顔の右半分が動かなくなった時の話です。当時、26歳という事もあり睡眠時間を削って、やりたい事を色々やってました。無意識に疲労が蓄積されていたんだと思います。新シリーズ、『顔の右半分が全く動かなくなった話』顔が動くようになるまでの話や、当時、友達と彼氏が付き合うようになってしまった話などを描いていきます。お付き合いのほど、どうぞよろしくお願いします。→続き『【2話】顔の右半分が全く動かなくなった時。』私が26歳の頃顔面神経麻痺で顔の右半分が動か
がんと宣告された2日後、予定通り長女と長女の彼氏S君が我が家(地方のド田舎)に遊びにきました。長女は東京の大学に進学し大学院まで修了したのちそのまま東京で就職しています。S君も同じ大学・大学院出身で東京在住です。長女は年に1回か2回帰省しますがたまにこうして人懐こいS君を連れてきます。せっかく遊びにきてくれたのに病気の話をしなければならないことに申し訳なさを感じつつ、お茶を淹れて若い2人と向かい合います。何十年も前から左耳の下に小さなしこりがあったが痛みがないこと
【話】顔の右半分が全く動かなくなった時。私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちら元職場はランチタイムは自由だったので、好きな時に気軽に行ってました。何かあると強めな事を言う同僚だったので、同情されて何も言われない事に「顔面が動かない事は相当ヤバイんだな…。」と、また現実を思い知らされました。→続き『【28話】顔の右半分が全く動かなくなった時。』私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です
私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちら金曜日に点滴終了→土曜日リハビリ開始だったのですが、それを金曜日に点滴終了→金曜日リハビリ開始にする事で、退院を1日早める事が出来ました。入院生活。個室では無かったで、気を使う日々でした。1日も早く退院したい気持ちがありました。たとえ片思いの相手が、お見舞いに来てくれるとしても!退院したい気持ちの方が強かったです。先輩は7年間コンビ組んでいたほど側にいた人で理系男子
私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちらライブの時間中、ずっとドキドキしていて、ライブどころじゃありませんでした。大事な事なのでもう一度いいます。片思いですよ!めちゃくちゃドキドキして。曲どころじゃ無くなってしまいました!その日は勿論、真っ直ぐ家に帰りました。この恋は、「俺のどこが好きなの?」と聞かれる度に「顔!」と応え続けた結果、実る事はありませんでした。しょうがない!本当に顔が好きだったんだ!!若かったし
私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちらこれは入院する理由やその人の体調によると思いますが私は入院生活が暇な方だったのでメールはとてもとても嬉しかったです。スマホは無い時代でしたが、PHSとメールがあって本当に助かりました。逆に、出産後の入院は本当に疲れ果てていて母と夫の両親の面会対応と、娘におっぱいをあげる事でいっぱいいっぱいで、LINEが来ても返信がキツかったです。出産の時にも体験しましたが、入院中は腕
私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちら◾︎続き『【15話】顔の右半分が全く動かなくなった時。』私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちら今回、この出来事を思い出しながら気持ち悪くなりました。最…意識の高いママになりたかった【完結しているシリーズ】→『アラフォー無職、不妊でバツイチの私』私が離婚して再婚・出産するまでの話です。
私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちら実は当時の片思い相手が同じ課でした。「もしかしたら片思いの相手にも会えるかも!?」なんて入院中なのに浮かれました。そんなに簡単に治るとは思ってませんでしたが、全く動かないまま退院だとも思ってませんでした。今考えると、「そりゃそうだ。」と思えるのですが、当時は驚きとショックが大きかったです。※明日から20時半公開になります。よろしくお願いします。◾︎続き『【19
病気があってもなくても自分らしくhappyに脳科学を味方につけて、幸せに楽しく生きる!そう決めて実践中自己紹介はコチラです(内容で、テーマ分けしています。病気や治療のことは「ブログ」、そのほか、「日々のこと」「脳科学」などなど。興味のある分野を覗いてみてくださいね)顔面神経麻痺があることで困ること口が閉じきらないから、食べこぼしが多い口の周りに、食べ物がついてる感覚がないんだもん…何か食べるときにも、鏡見ながらじゃないと、唇になんかついてるかわかんない…
私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちら当時、週3から4日、通ってました。今考えると、そんな所に行けるぐらい元気だったんだなぁと思います。顔が動かなくなった私は、自分磨きを頑張らないと!という気持ちが強くなってました。顔が動かない分、どこか他の所をレベルアップしないと!と、他にも色々やりました。明日の更新も、そんなお話です。どうぞお付き合い下さい。※顔面神経麻痺にゲルマニウム温浴を薦めている訳ではありません。たま
病気があってもなくても自分らしくhappyに脳科学を味方につけて、幸せに楽しく生きる!そう決めて実践中自己紹介はコチラです(内容で、テーマ分けしています。病気や治療のことは「ブログ」、そのほか、「日々のこと」「脳科学」などなど。興味のある分野を覗いてみてくださいね)昨日、義両親に会って感じたことを、音声にしてみました。気持ちで人ってこんなに変わるんだ!って実感した話-カメチャンネル|stand.fmアメブロもやっています。ぜひ覗いてみてください。https
右麻痺(2回目)発症から2ヶ月経ちました。2日前から右眉の上がぴくぴくし、今もぴくぴくします(金魚がはねてるみたいな)温泉に入った瞬間からなりました。なぜ??色々な説がありますよね。・治りかけ・神経が間違えて繋がった・前兆左の時も3日くらい続いたけど、いつのまにか治ってました。耳痛もいつのまにか治ってました。耳痛で思い出したのですが、T大の医師が言ってたのを思い出しました。前の方に痛みを感じるのはベル麻痺、後ろに感じるのはハント確かに今回の右は奥では無くて前の上の方でした。
どうも。先日、星読みのyujiさんより「自転車を買ってください」という奇想天外な課題をいただきましたギャン先生でございます。前回の記事はこちら『yujiさんが出雲にやってきた』どうも。寒くなってきましたねー。ギャン先生です。(ってこれ、久しぶりに言ってみた)こちら出雲は、神在月のまっただ中。(旧暦の10月なので、毎年時期が違うんで…ameblo.jp2ヶ月ほど前。私の身に起こった、絶対絶命の大ピンチ。それは…ある朝突然、顔面神経麻痺になったんです。
こんにちわまさかのことが起こりました...お子達は順調に少しずーつ体重を増やしてNICUを出る準備をしていますが、もう少し時間がかかりそうなので私だけ2日に退院、、通院になったのですが朝6時搾乳時お茶を飲む⇒口からこぼれでる(勢いよく飲みすぎたかと思う)朝8時顔洗ってコンタクト入れる⇒目重くショボショボ上手く入らない(寝不足やなーと思う)8時15分朝食⇒いや左側口開かんやん飲み物ものめへん(何かおこってるやばい)9時とりあえず搾乳届けて看護師さんに
私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちら好きな人に会えるんだもん!そりゃ会社に行きたいよ!!!当時は恋する乙女でした。と思いつつも、1週間ゆっくり家で休みました。もちろん、顔面神経麻痺も人によって全然違います。私の場合の話になります。私の体験談になるので、すべての顔面神経麻痺になられた方が、すぐ働きに行けるほど元気な訳では無い事をご理解ください。→続き『【27話】顔の右半分が全く動かなくなった時。』【話】顔の
私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちら◾︎続き『【17話】顔の右半分が全く動かなくなった時。』私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちら彼女の本心は分かりませんが、その後も彼女とご飯を食べに行く…ameblo.jpいつも読んで頂きありがとうございます!いいね!やコメント、とても嬉しいです。娘の幼稚園が6月からスタートしたのですが、週3日、半日保育が思ったよ
手術後2日目の午前9時ごろ主治医のH先生がわざわざ病室まで来てくださった。顔面神経麻痺の早期回復のためにステロイド薬の服用を勧められる。ステロイドかぁ、ちょっと怖いな。そんな私の気持ちを見透かしてかH先生が効果と副作用についてていねいに説明してくださる。顔面神経麻痺の見られる患者さんにはよく使われる薬で、最初は量が多いけれど徐々に少なくしていくそうだ。服用は長期にわたるわけではない。一番効果的なときにドンッと投入するイメージ。H先生が考えてくださったことだから、
ボトックスとソロ花見2ヶ月ぶりのT大付属病院での診察。耳の検査とボトックスの説明を聞いてきました。聴力検査と鼓膜の動きを見る検査、どちらも手術前と変わらず。(悪化はしていない)でも耳鳴りと閉塞感は解消されていないんだよなー。まあ慣れるしかないですね・・・でボトックスの説明。まず頬だけに打って個人による効き具合を確認、その後目の周りや首筋に打っていくとのこと。兎眼、アナフィラキシー等、副作用の可能性があること。(同意書にサインが必要)一通りの
私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちら当時の私は成人しているけどまだ『娘』の時代。当時は感謝とか普通に「ありがとう」でしたが、今思い出すと、入院中や退院後は親に色々としてもらったり、親は口には出さなかったけど、私の顔の事を凄い心配したんだなって思います。思い出して今更ながら、母親に対して感謝の気持ちでいっぱいになりました。単身赴任の父親は、一度もお見舞いに来なかったので、母はいまでもその事を怒ってます。→続き