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いつもブログに訪問・応援ありがとうございます(*⌒∇⌒*)毎日を足早に過ごしているうちにいつの間にか芝桜が咲いて我が家の庭が華やかになってました劣悪環境から保護した猫たち2月に2回目に保護した数匹の猫我が家にやってきた麦くん7歳男の子穏やかだけど場所に面くらいほとんどケージで動かない日が続き少しずつ慣れてきた麦くんお顔は大きくて怖いけどご飯の要求をしたりちょこちょこ歩いたり基本はケージ好きそんな麦くん譲渡会に参加したその
昨日は眼科の日。目薬は大学病院の目の前にある調剤薬局で貰っています。薬剤師は固定ではなく、その時々で違います。若いお兄さん薬剤師は、優しくて話も聞いてくれて、いいなぁと思っています。他の薬剤師も、可もなく不可もなく。偉そうな言い方ですが、そんな感じで、毎回、特に不快な感じもないのです。が!!昨日の薬剤師は感じ悪かった!!まずですね、お薬手帳を私に戻す時、あっち向いて、片手で渡すからうまく受け取れない!!手に当たるし!!😤その時点で、何この人!😤と思いました。で、目の痒みある
発症して3年7カ月め減荷術をしてなくて診察を受けているのは珍しいですが終わりと言われてないから通っています先生に話すことで考えが整理されてモチベーションは必ず上がり助けられている病院とは少し異なる大学の付属病院なのでせめて報告ができるように診察時や普段の生活も気をつけています今回の報告・微笑んでも、不快なゾワゾワ感がなくなった(これが今回の1番報告です)(ほぼ罹患前の微笑み戻る)微笑む→左右のほうれい線が対象なのを先生が確認される不快感がなく
第8回TEAMMHSお話し会本日無事に終了しましたのでご報告致します大阪で初めての開催でした個人的には、東京以外でどうかな?と、心配もありましたが参加の皆さんがお話を盛り上げてくださり和気あいあいとお話し会ができました近畿はもとより、遠方からも参加者がありました同病の方とお話をすることで1人ではないんだと思われたとかほんのひとときでもホッとできる空間が共有できてたら嬉しいなと思いました発症の経緯、治療の経緯、病院の事、マッサージのこと、ボトックスの事、再建のこと、医師
眼科とは関係ないですが…。私は推しの守衛さんがいます。(私が勤めている会社の守衛さん。委託しているので外部の人ですが)見た目もそうですが、雰囲気もいい。だいぶ前ですが、自分が購買部にいた時に来客時に関わったりして、その印象も良かった。なので、実は長く推しなのですが、半年くらい前に、それを今の部署で暴露しました。推しなので、守衛さん見かけたら嬉しくなるわけで、その守衛さんの話なんかするとウキウキするわけです。大体の人は、微笑ましく見てくれているのですが、1人だけ、ある女性が「あの守衛
いきなりシャワー、いきなり手術某日午前、入院手続きをすませて、1号館13階・耳鼻咽喉・頭頸部科の病棟へ。受付で入院することを伝えると、看護師さんが病室に案内してくれました。案内されたのは、4人部屋の廊下側のベッド。同じ部屋の窓側も空いていたので、一応聞いてみたところ、変更はできないとのこと。眺望の有無によって、入院生活の快適度が相当違うことを考えると、廊下側は窓側より安くてもいいんじゃないかとちょっと恨み節到着即シャワートイレはここ、シャワーはここ、と簡単に病棟を
私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちらこのブログは、私『トマト』とイラスト担当の『メガネ』の2人で更新しております。→詳しくはプロフィールページをご覧ください。『顔面神経麻痺』は顔が半分動かない状態で退院します。これから先、どんな自分でもありのままの自分で生活していく必要がありました。なので、いつも通り私と接してくれたメガネにはとても有り難かったです。そして過度に心配した態度を見せなかった母も有り難か
私が26歳の頃、顔面神経麻痺で顔の右半分が動かなくなった時の話です。当時、26歳という事もあり睡眠時間を削って、やりたい事を色々やってました。無意識に疲労が蓄積されていたんだと思います。新シリーズ、『顔の右半分が全く動かなくなった話』顔が動くようになるまでの話や、当時、友達と彼氏が付き合うようになってしまった話などを描いていきます。お付き合いのほど、どうぞよろしくお願いします。→続き『【2話】顔の右半分が全く動かなくなった時。』私が26歳の頃顔面神経麻痺で顔の右半分が動か
ホメオパシーを知っていて、Acon.アコナイトを知らない方はいらっしゃらない、と言えるくらいに有名なレメディですね。急に何かが起きたら、まずはAcon.アコナイト!と最初に学ばれた方も多いかもしれません。今日は、初心者の強い味方Acon.アコナイトについてです。どんな場合に使えるのかを、ご確認ください。Acon.アコナイト植物キンポウゲ科トリカブト。高山植物。(先日のPuls.プルサティラも、キンポウゲ科の植物です)特に関係
『私の母親についての想い…①』今回はブログにするか悩みましたが、記録のため書いていきたいと思います。前に↓『私の生い立ち…格差婚について…』私の生い立ち…記録のため、簡単に残します。私は…ameblo.jp↑こちらの続きです。愛する人が亡くなる…本当に辛いです…私は母にウェディングドレス姿も孫の顔も見せることができませんでした…癌って…ストレスが原因ってことが多いいように私は思っているんです母は30代の時、ストレスで顔面神経麻痺を患い片顔がピクつきが止まらず、病院で顔面に注射を打つ
フェイスリフトの怖い合併症である「顔面神経麻痺」の続きです。前回までの内容はこちら↓『フェイスリフト合併症『顔面神経麻痺』顔が動かない』昨日の「フェイスリフトリスク副作用失敗」ネタの続きです。まずは「顔面神経」について顔面神経は「耳下腺」と言われるヨダレを作る組織から5つの枝を出しま…ameblo.jp今回は「頬骨枝」「頬筋枝」についてです。まず始めに「頬骨枝」「頬筋枝」の麻痺は頻度としては高めです汗ただし、自然に治る可能性もそれなりにあるかつ、他の
私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちら病名を聞くとみんな、哀れんだ対応をしてました。入院期間は6日ぐらいだったのですが、入院されているおじさん何人もから、声をかけられました。みんな、上の漫画みたいな対応で、すぐ私から離れていきました。私自身は暇しているので、誰とでもお話ししたい気持ちがありましたが、入院中、誰も私と話をしませんでした。顔面神経麻痺という病名が他の方達から見て、言葉をかけられないほどの病気なん
私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちら今回、この出来事を思い出しながら気持ち悪くなりました。最後のシーン、書くかどうか悩んだのですが、バツイチシリーズの頃から、真実を伝えたいと思っているので、書く事にしました。読んでいて気分が悪くなられる方もいらっしゃるも思います。申し訳ありません。◾︎続き『【16話】顔の右半分が全く動かなくなった時。』私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。
磔の刑の一夜手術後3時間~トイレに行けるようになるまで~点滴、ドレーン、酸素マスクの3点セットにつながれて、ストレッチャーで病室に帰還しました。順天堂は、耳下腺腫瘍の手術の場合、尿道カテーテルを使わないようで、これは本当によかったです(痛いので)。麻酔から覚めて3時間は酸素マスクが外せません。少しでも首と背中を楽にしたかったので、持参したマイ枕に取り替えてもらえるようにお願いしました。荷物が増えるけど、マイ枕は、絶対持参することをおすすめします。トイレに行けるまで3時
どうも。先日、星読みのyujiさんより「自転車を買ってください」という奇想天外な課題をいただきましたギャン先生でございます。前回の記事はこちら『yujiさんが出雲にやってきた』どうも。寒くなってきましたねー。ギャン先生です。(ってこれ、久しぶりに言ってみた)こちら出雲は、神在月のまっただ中。(旧暦の10月なので、毎年時期が違うんで…ameblo.jp2ヶ月ほど前。私の身に起こった、絶対絶命の大ピンチ。それは…ある朝突然、顔面神経麻痺になったんです。
20台の頃、体重が38キロになって立ち上がれなくなった話です。→1話→1つ前の話はこちら『【7話】体重が38キロになったけど拒食症では無かったと思いたい』20台の頃、体重が38キロになって立ち上がれなくなった話です。→1話→1つ前の話はこちら『【6話】体重が38キロになったけど拒食症では無かったと思いたい』20…ameblo.jp女の子でもカッコイイ男性キャラのコスプレをしている子はいっぱい居ました。胸部分が見えてしまうキャラだったら、さらしを巻いたりしてオリジナリティも入れながらカ
私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちら思い出しながら書いているのですが、まるで赤ちゃんが新しい刺激を吸収して成長していく感じのイメージなのかなって思いました。退院後の平日、毎日リハビリに通うのですが、リハビリの内容は、ここら変化ありませんでした。リハビリ終了まで、ほぼ、こんな内容でした。→続き『【22話】顔の右半分が全く動かなくなった時。』私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1
私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちら実は当時の片思い相手が同じ課でした。「もしかしたら片思いの相手にも会えるかも!?」なんて入院中なのに浮かれました。そんなに簡単に治るとは思ってませんでしたが、全く動かないまま退院だとも思ってませんでした。今考えると、「そりゃそうだ。」と思えるのですが、当時は驚きとショックが大きかったです。※明日から20時半公開になります。よろしくお願いします。◾︎続き『【19
私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちらこれは入院する理由やその人の体調によると思いますが私は入院生活が暇な方だったのでメールはとてもとても嬉しかったです。スマホは無い時代でしたが、PHSとメールがあって本当に助かりました。逆に、出産後の入院は本当に疲れ果てていて母と夫の両親の面会対応と、娘におっぱいをあげる事でいっぱいいっぱいで、LINEが来ても返信がキツかったです。出産の時にも体験しましたが、入院中は腕
4月初旬に入院して生検細胞を採取した検査の結果を聞きに、家内とがんセンターの頭頚部外科を訪れました。3月末でこれまで甲状腺腫瘍(検査治療保留中)でお世話になったU医師に替わり、K先生という医師が担当になります。どんな先生だろ?検査結果よりもそんなことが気になっていました。(あとから思うと、嫌な結果を直視したくなくて気を紛らわせるよう潜在的に思っていたのかもしれません。)診察室に入ると、2名の看護師さん、そして、若い気力溢れる感じの医師がおられました。まず、これまでの経緯の流れ(食道がん
私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちらオタクな私が本能で『コスプレ』という趣味に目覚めた話になります。「トマトやべえ!」ぐらい感じで笑って読んでもらえたら嬉しいです。今から20年ぐらい前、22歳の頃の話です。(顔面神経麻痺になる4年ほど前の話です。)当時はコスプレを極めたくて、筋トレや食事制限をかなりしてました。結果、体重が30キロ台になってしまい、親に心配されたりもしました。(安心してください。今日の体重
私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちら金曜日に点滴終了→土曜日リハビリ開始だったのですが、それを金曜日に点滴終了→金曜日リハビリ開始にする事で、退院を1日早める事が出来ました。入院生活。個室では無かったで、気を使う日々でした。1日も早く退院したい気持ちがありました。たとえ片思いの相手が、お見舞いに来てくれるとしても!退院したい気持ちの方が強かったです。先輩は7年間コンビ組んでいたほど側にいた人で理系男子
私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちらレーザー脱毛。この頃やって本当に良かったです。脇も足もめっちゃくっちゃ毛が濃かった私。今では数本、生えてくるだけなので凄く処理が楽です。(腕はもともと、そんなに濃く無かったので、あまり効果を感じられませんでした。)丁度、会社の同僚の間で永久脱毛に行くのがブームでした。休みの日に、みんなで永久脱毛に行ったりしてました。これは私はですが…永久脱毛してから脇汗が酷くなりました。
私が26歳の頃顔面神経麻痺で顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→2話はこちら私の為を思ってか、2人ともびっくりしたり、悲しんだりはしませんでした。顔面神経麻痺だったからか、一度帰宅して入院準備をして来てください。と、病院で言われました。入院グッズには下着やパジャマPHS、ノートパソコンそして当時大好きだった『ハチミツとクローバー』のアニメをDVDに焼いたものを持って行きました。次回から入院生活スタートです。→続き『【4話】顔の右半分が全く動かな
私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちら少し過去の恋愛話を描きます。是非ともお付き合い下さい。→続き『【8話】顔の右半分が全く動かなくなった時/オススメの本を紹介します。』私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちらオタクな私が本能で『コスプレ』という趣味に目覚めた話になり…ameblo.jp
私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちら人って右だけ動かしても、左も同じようについてきてしまう事が多いのですが、私は右半分と左半分は別物って感じでした。→続き『【38話】顔の右半分が全く動かなくなった時。』私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちら顔面神経麻痺の当時、母が心配はしてくれましたが気にしてない…ameblo.jp【完結しているシリーズ】→『アラフォ
【話】顔の右半分が全く動かなくなった時。私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちら元職場はランチタイムは自由だったので、好きな時に気軽に行ってました。何かあると強めな事を言う同僚だったので、同情されて何も言われない事に「顔面が動かない事は相当ヤバイんだな…。」と、また現実を思い知らされました。→続き『【28話】顔の右半分が全く動かなくなった時。』私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です
先日、1か月半ぶりに三井記念病院に行きました。9:30予約で、20分位前に到着。9:40頃に呼ばれました。まだ頭の表皮の感覚が他と違うところが、手の平の半分程度あることと、首を手術と反対側に大きく曲げると、引っ張られる感じがあること以外は、全く問題ないことを伝えたところ、先生から「術後半年以上違和感が残るようであれば、診察する。」とのことでした。ということで、今後、何もなければ、最後になります。「ありがとうございました。本当に助かりました。」とお伝えして帰りました。ほぼ全快
順天堂クオリティ入院の1週間前に、病院内の「入院支援センター」で、全身麻酔に備えた歯のチェック、麻酔の説明、お薬手帳のチェック、入院中の禁止事項の説明などを受けます。大病院あるあるだと思いますが、患者の不安と向き合って、手取り足取り懇切丁寧な対話とご説明‥という雰囲気ではありません。よくいえばシステマチック、悪く言えば不親切&説明不足。悪い口コミの原因はこれかな、と思い当たりました。麻酔科医の説明は、実に10秒医者「全身麻酔したことありますか~?」私「あります」
私が26歳の頃顔面神経麻痺で、顔の右半分が動かなくなった時の話です。→1話はこちら→前回の話はこちらライブの時間中、ずっとドキドキしていて、ライブどころじゃありませんでした。大事な事なのでもう一度いいます。片思いですよ!めちゃくちゃドキドキして。曲どころじゃ無くなってしまいました!その日は勿論、真っ直ぐ家に帰りました。この恋は、「俺のどこが好きなの?」と聞かれる度に「顔!」と応え続けた結果、実る事はありませんでした。しょうがない!本当に顔が好きだったんだ!!若かったし