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今日仕事終わりに早速紹介された親知らず抜歯専門の歯科に初回検査行きました。左下親知らずはだいぶ深いところで横倒れしており、神経管に抵触しているかどうか。とのことでした。右の方が楽そうでした。改めて親知らずが発音の機能低下に関わっている可能性を感じました。歯の感知能力というのはかなり高いらしく、歯と歯の間の圧力が強いと食いしばりが強く出て首周りの神経系に影響したりするようです。抜歯が楽しみです!
私はラグビーをやっていたからか、食いしばりの強さを以前から指摘されていました。噛み合わせは普通の歯医者では問題ないと言われましたが、先生から普通の歯医者は噛み合わせみれないと言われ、噛み合わせ専門の歯科を紹介してもらい、細かく指摘されて微調整していき、金属も全て除去したんですが、噛み合わせが以前よりよくなったからか噛みやすい。歯に均等に力が入るようになりました。発音だけ正常にならないなおかしいなーと思っていたんですが、親知らずとは!親知らずが私を封印していたとは。封印を早く解きたい、今
今までどんな治療を受けてきたか結構聞かれます。ALSに効果があると言われる治療はほぼ全て、最低5回、3か月は受けてきました。最低それくらい受けなければ、自分の変化はわからないと思ったからです。何となくその場では軽くなるなという治療もありましたが、帰宅するともう元通りというものがほとんどでした。当時、青山で後頭部の衝撃を抜いてもらった時の感覚、衝撃が抜けると脚に力がしっかり入るようになった感覚、これはどんな治療でもなかったものでした。私自身、月1回通っていますが、施術を受けるついでに
昨日は施術を受ける日でした。発音に関しては、徐々に良くなっているのですが、私の食いしばりが中々強くて発音に関係する神経に負荷がかかってしまうようです。左下の親知らずに違和感を感じるということを話したら、親知らずあるんですか?抜きましょう!と言われ、親知らず4本全部抜くことになりました。先生に親知らずのことを今まで言っていなかったようです。下の親知らずはどっちも横に倒れていて、前歯の方向に圧がかかっている可能性があるということでした。親知らず専門歯科を紹介してもらいました。確かに、特に
このブログは2歳半でネフローゼを発症した息子の闘病を振り返って書いています。今は治って元気に生活しています!治っていく時というのは、今日のような、暖かな春の幸せを感じる時🌸そんな感覚を感じる時です😊嫌なことをやめる問題とみなすことをやめる悩むことをやめる誰かを救うことをやめる背負っていた荷を下ろして、心が、春の軽さを感じた時です🌸真面目、深刻、悩む自分を選択するか、荷を下ろすという選択をするか、自分のやりたい事を、前のめりになって
難病(膠原病・血管炎)を自らの免疫力と自然療法で克服した、くみね―♪のブログへお越しいただきありがとうございますはじめましての方は、難病って治るのと、思われますよね。私、治ったんですはじめての方はこちらをご覧ください。ここでは、簡単に病気の経過をお話します2007年梅雨の時期「あなたは難病です。難病は原因不明で治療法がありません。」と告げられ奈落の底へ40度の熱が3週間続き、ほとんど眼が見えず、耳も聞こえない。血管炎の後遺症で平衡機能障害と両側性難聴・ピント調節機能低下と
NKG~難病克服ガールズ~のブログにようこそ!私たちは発症時「あなたは難病です。難病は原因不明で治療法がありません。」と言われたが・・・それぞれが色んな気づきにより、現代医学では治らないと言われている難病を、自ら克服したガールズグループです一度きりの人生、笑って過ごしたいと願う方々に「難病治った人がいるよ!」って、難病感謝祭やおはなし会などを開催して、私たちの経験をお話しさせてもらっています。詳しくはNKGホームページをご覧下さい。11月15日(日)13
誰にも未来は見えないですよね。今の自分の選択が正しいかどうかなんて、未来になってみないと誰にも分からないことです。未来が見えると安心感は得られますが、見えてしまうと生きている実感や生きがいは薄れるんでしょうね。生まれてから、この世を去る時まで見えない未来に対して、どう今を生きるかの連続です。それがずっと続くのが人生で、それは誰にとっても同じですよね。しかし、その生きる姿勢は、人によって違うなと感じます。「自立」して生きている人と「依存」して生きているいる人に分かれているように感じま
その頃私は医療機関では手に負えない難病の方を国内外問わず治療していました。シンガポールで某国際金融系の会長ファミリーや重役方を治療した際、興味深い話を聞きました。車椅子の人たちを一堂に集め、集団でまとめて立たせてしまう中国人の気功師?がいるというのです。丁度2日後にその気功師が車椅子の人たちを集めて集団で治療する予定だというのです。そんなことがあり得るのか疑問でしたが、興味深かったので私は行ってみることにしました。100人は余裕で入る広さの会場には、車椅子の人たちが半分ほど、後は杖の人