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ご訪問ありがとうございます。今回は東アジアを揺るがした大事件です。「倭の五王」の興王の時の出来事ですが、やはり20年ほどずれて雄略20年(実際は興王の晩年、倭王武の即位以前の475年)に記載されています。20年冬、高麗コマ王=高句麗王(長寿王)が大軍を発して、百済クダラを滅ぼした。そこで逃げ延びた少数の人々が、倉下ヘスオトに集っていたが、食糧も尽き、深く憂い泣いていた。その時高麗の諸将は王に「百済の考え方は我々と違うので、相対するたびに私は不覚を取って失敗いたします。恐らくまた、蔓草
ご訪問ありがとうございます。実は次回の継体天皇の出自について30年ぶりくらいに岡田精司氏の「継体天皇の出自とその背景」を読み返しましたところ、「上宮記逸文」の分析において、同じ論旨になっているところが多々ありましたので、前回と前々回にその点を加筆致しました。ご了承を御願い申し上げます。さて、前回の凡牟都和希王がめちゃくちゃ難問でしたので、今回はさらりと(^^;)目次「上宮記逸文」の検証母々㤙己麻和加中比賣雄略天皇の母系一族「上宮記逸文」の検証まずは読み下し文を再掲します。前
ご訪問ありがとうございます。前回まで「日本書紀」の雄略天皇のところを読んでいましたが、外交関係の記事ではおよそ20年のズレがあり、允恭天皇の頃の出来事が「雄略天皇紀」に入っているということがわかりました。つまり「日本書紀」の編者たちは、外交についての史料、ほぼ「応神天皇紀」と「雄略天皇紀」に集約して、あまり綿密な考証は行わなかったと言うことが言えます。そういうことですから、「神功皇后紀」~「雄略天皇紀」について、倭の五王を大和王権の人物とすることは妥当とする一方で、「日本書紀」に基づ
天皇の祭日とはお隠れになられた日を現在の暦に当てはめ祭日としている日で、年間102日あります。新暦での重陽の日の本日は、雄略天皇の祭日です。第二十一代雄略天皇は古代大和時代の天皇、万葉集の巻頭の歌は雄略天皇であり、日本霊異記の最初の逸話も雄略天皇であることから、古来から存在感の大きい、カリスマ的天皇であったといえるかと思います。御父、允恭天皇の第五皇子、御母は忍坂大中姫命(おしさかおおなかつひめ)。また允恭天皇は仁徳天皇の第四皇子ですので、仁徳天皇の孫にあたります。大泊瀬幼武(おおはつせ