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息子の入院は、約2ヶ月抗がん剤。放射線は、月〜金。年末年始は、一時退院出来るとの事。病がわかり、医師から中央値2年半と伝えられ、息子自身も、自分の病い調べ、震えていたと思います。膠芽腫、、。私も、息子が入院していた2ヶ月間は、毎日夕方になると、60違いおばさんが子供が泣く様に泣き、泣くと言うより、泣きじゃくり、大切な人、我が子を必ず失うと言う、恐怖。どうにもできない、なんとも言えない思いでした。けれど息子の前では、いつもの母で、。最期まで、息子の前では泣かないと、決め
みなさんこんちくわわいです『おかん、あと3ヶ月だって〜膵臓がんステージ4と歩む母娘〜』読んでいただきありがとうございます『おかん、あと3カ月だって~すい臓がんステージⅣと歩む母娘』#LINEマンガなら無料LINE漫画の方のいいねやコメントもありがとうございますわいのブログを知らない人からのコメントなんかもあってなんか新鮮でしたこれからも引き続きいいねやコメント、応援よろしくお願いしますさて今回の漫画化についてなんですが株式会社パルソラさんから突然の漫画化のお話しをいただきまし
こんにちは、バーンストーマーです。お店の常連様、結構凄い人だったうようで私は何も知らずに10年程接客をしておりました笑URGHPOLICEのボーカルEROこと高林英彦氏。THEYELLOWMONKEYの吉井和哉氏のドキュメンタリー映画に今回出演していらっしゃるそうで、現在闘病リハビリ中ですが、ことあるごとにお店に顔をだしてくれています。映画題名【みらいのうた】全国50以上の映画館・シアターで上映予定。静岡だと静岡東宝会館と浜松のCINEMAer
昨日、無事にPICCラインを入れることができました…!今回は通常の方法では難しく、バルーンで血管を拡げながらの挿入となりました。同じ手技でも血管を拡げられずに終わってしまったという方を知っていたので、正直不安でした…ですが、信頼している先生が処置をしてくださったおかげで、落ち着いて挑むことができました。大きなトラブルもなく終わり、ひとつ山を越えられたような気持ちです。私自身、PICCラインの挿入はこれまでにも何度か経験していますが、年々血管が閉塞したり細くなったりして、
20249/14プレドニンのおかげで病気がわかる前の状態に近い元気さで過ごせていてほっとしたのも束の間17:54〜18:01全身性の痙攣、座薬翌日9/1517:45〜17:48全身性の痙攣プレドニンのおかげで食欲がすごくて何かを訴えるように要求吠えをするこの15日の発作は吠えてご飯の支度をしようとした矢先に起きたもので、吠えて興奮させるのが怖くなった9/16クリニックでイーケプラ1日3回に増やすように言われた病院に一人で連れて行くのが不安で、息子に頼んで大学に遅れていっても
約、2年半前に、東京○大の医師に言われた。私は手術して完治しますか?と何となく出た言葉。完治はしません。中央値2年半と言われ、その言葉が、今現実だったのだと、、。この2年半、私の息子は、麻痺も無く、転換発作も無く、緩やかに、見えない病が、進行していて、この1ヶ月で、すごいスピードで息子の体を痛めてつけていて、夢から、現実へと。入院中の息子を毎日見ていて、日に日に、様子がおかしくなっていく。この現実を受け入れなくてはいけない。私は、複雑な気持ちです。又、お母さんがしっかりしないと
息子は今脳腫瘍と闘っています。腫瘍の種類は上衣腫という脳腫瘍に分類されます。正式な病名は、SupratentorialEpendymoma,ZftaFusionPositive,SubclassE(novel)稀な上に診断そのものが2021年に発表されたばかりの悪性脳腫瘍です。これまでの経緯2020.11息子が救急車で運ばれた日①2021.02摘出手術(1回目)2022.11再発手術(2回目)2023.11再発手術(3回目)2023.1
息子が、放射線治療を受ける時に、看護師から、息子の余命宣告の事を伝えらました。息子に余命の事を伝えると言う事。私はあわてて、言わないで欲しいとお願いしました。息子は、大学時代に何かあって、心療内科に通院していた事がありました。癌と言われただけで、奈落の底へつきおとされ、余命宣告まで…。って、、親馬鹿かもしれないが、看護師は、お母さんの人生ではなく、息子さんの人生なんだからと、。確かに、息子の人生だけど、ね。この大学病院の脳外科では、その看護師さんは、今まで、そんな患者はいなかっ
長女の統合失調症の記録2018年23歳で統合失調症になった長女3年間の寛解に安心していましたが2022年の年末再発をしてしまい2023〜2024年にかなり長期の入院その間に私立の大学病院から公立の大学病院へ転院寛解と言えるかどうか、、微妙な状態ですがなんとか在宅で過ごせるまで回復し2024年末からは自宅での生活2025年4月〜5月悪性症候群の疑いで緊急入院一旦退院できたもののまた悪化して10月から入院電気けいれん療法開始入院34日目長男ワンコが10歳
手術中の腫瘍は、悪性神経膠腫医師からの、最終病理検査の結果左前頭葉悪性脳腫瘍グレードⅣやはり、最悪のグリオーマだった。術後何日かして、手足の麻痺も無く、言語障害も無かった。すぐに、化学療法+放射線60グレイ始まった。息子が勤めている会社へ行き、息子の病状、会社には、もう復帰は出来ないと言う事や、傷病手当の手続き、会社が半分負担してくれている、息子が住んでいるアパートの事。色々手続きをしに行き、息子のアパートのスペアキーも預かってきた。息子が、ゲームを持ってきて欲しいと言
癌のことを考えるのは1日10分までって、がん防災チャンネルの押川先生がおっしゃっていた。そのとおりだと思う。考えたって考えなくたって、癌であること、しかもステージ4であること、いつか癌で死ぬことからは逃れられない。だったら生きている今を楽しまなくちゃ!せっかく抗癌剤頑張って伸ばした命なんだからね!って、分かってはいるんだけど、呼吸するたびに息苦しくて、話をしていても息切れしやすくて、買い物の荷物を抱えるとハーハーして、その度に、私肺癌ステージ4なんだなと思う。女性ならわかる
明日はいよいよ転院の日です。今日は、最後のお風呂入れてもらい、綺麗にして頂きましたが、オムツ外しをしてしまい、全身びっしょりで、すぐお着替え。明日の朝10時、転院。不安でしか無い介護タクシーでストレッチャー、、介助2名。どのように搬送するのか、?息子の体調の変化も気になりますが、今の状態で、大丈夫かなぁ?けれど、搬送、転院できるとの今の医師の判断。又、転院先の病院の様子もわからないので、またまた不安。明日また、転院先の病院で、一日病院の様子を見よう。最期の病院となるので、
本日は高宮先生の「死から生といのちを考える」交流会で、大橋洋平先生の講演を拝聴しました。大橋先生は緩和ケア医でもあり、消化管間質性肺炎いわゆるジストを発症されたがんサバイバーでもあります。私と大橋先生との出会いは、先生の著書「緩和ケア医ががんになって」(双葉社)が、きっかけでした。2020年12月に春香を亡くした私が、初めて手にした本が先生の著書だったのです。春香の気持ちが少しでも知りたくて、この本を選んだのかも知れません。がん患者の苦しい治療は、春香の時を思い起こさせましたが、大橋先
私には30代の娘が二人います。結婚して別に暮らしている長女と、未婚で同居の二女と。二人とも、思いがけない病気に見舞われた父親介護に奮闘する母親どちらも心配し気遣ってくれます。事あるごとに、苦しいこと不安なことを聞いてもらったり、悩むことや迷うことの相談にのってもらったり、そうしながらどうにかここまで乗り切ってこられたと思う。最後の救急搬送の時は、仕事中の二人にSOSの電話をかけて家に駆けつけてもらいました。昏迷状態で動き回って危険な夫を二人がかりで押さえつ
ヘルパーさんからチャットGPTというものを教えていただいた。耳にはしたことはありましたが、ざっくりとしか意味もわからなくて、自分にはまあ関係ないかなぁと思っていました。がやってみました。ALSについて、介護している気持ちを吐露しました。すごいですね、、本当に答えてる人がいるのではないか?もしいるのなら、その人はあまりに思いやりにあふれ優しすぎやしませんか?私のことをずっとずっとどこかで見ていたのかな?となんでも入り込んでしまう私には沁みて沁みて涙が止まりませんでした。うまく使って
待ちに待った出産。が、、、自然分娩から一転、帝王切開で出産。新生児仮死でカンガルーケアどころではなく、ほとんど顔をみることなくNICUへ入院。生後1日目初めての抱っここの子、私が産んだの?とふわふわした気持ち。むむ。旦那にそっくりな気がする。気のせい?デカい。重い。そしてなにより可愛い生後2日目NICUからGCUへ移動。自分の子ども、見つけられなかったらどうしよう。あれ?旦那にそっくりな子どもが…いや、、、どうみてもうちの子。迷わず余裕で見つけられました。
夕飯時、又息子が、頭を痛がり、手が震えていた。すぐに、食事をやめてもらい、ベッドの頭を下げたが、手の震えは中々止まらない。何日も前から、痛みがだんだんと、強くなってきているのだと、思う。私は息子の手を握り、息子が力強く握り返した。手が物凄く冷たい。足を触ったが、足も冷たい。痛くても、寒くても、言葉で言うはない。ここ何日か、寝てばかりいて、目を開けても、すぐに寝てしまう。寝ているのか、起きているのか、わからない。もう、ここのところ、声も聞いていない。声が聞きたいけど、、。そのままで、
こんばんは🌝入院まで残り11日になりました🥲今日はずっとしたかったBBQ🍖今年は諦めていましたが、入院する前にとみんなが集まってくれて朝からBBQをしました^^早起きして、準備に美味しいお肉😋幸せやった〜^^けど5月も中旬まだ寒い🥶最近は寒暖差のせいか毎日蕁麻疹がでてます😓これも病気のせいなのか?と少し心配になったりゴールデンウィーク前から少し風邪気味でそれがずるずると治りきらず…帰ったら微熱😩寝たら治ることを願う💪🏻来週の土日は少し早いけどお誕生日旅行に石川県に✈️楽し
先程息子の病院から、洗濯物を持って帰って来た。夕方迄に乾くと良いが、、。主治医がいたので、少し息子の病状を聞いてみた。今朝も、昨日に引き続き、朝ご飯を食べた後、吐いたらしい。様子を見て検査をするらしい。もしかしたら、水頭症も発症しているかもしれないとのこと。医師の話では、息子があまり口を聞かなくなり、寝ている時間が増えている。けれど、バイタルが安定しているので、とは言うもの、サラッと週単位で見て下さいと言われた。覚悟はしているとはいえ、覚悟なんか出来ない。けど、現実を受け入れるし
今日から、脳腫瘍になってしまった息子との生活を少しずつ書き始めるます。今、息子と同じ病の方、ご家族の方、あくまで、息子と私達家族のお話です。3年前の今日、都内大学病院からの電話から始まりました。夢を見ているかの様な、時間が止まったように思う。息子が救急搬送され、検査の結果、脳に腫瘍があり、すぐに手術しなければいけないので、両親どちらか、明日病院へくる様に、との事。私は、医師に聞いた。先生手術しなくてはいけないですか?医師は手術しなければ、1ヶ月以内にお亡くなりになります
息子が旅立ち、3ヶ月が過ぎました。私は、何となく毎日過ごしています。一番大切な人を失い、まだ時間がかかりそうだ。いつになったら、心温まるのだろう?と思う。自然と笑える日が、いつかくるのかなぁ〜?先日は、オプチューンを途中で辞めたので、その残りのオプチューンの処分。それも、懐かしく思いました。もうすぐ、3年前のあの日になる大学病院からの電話。自分の人生でこの日は、忘れられない日になってしまいました。3年前の今頃は、頭痛が酷く息子は、一人で苦しんでいたのかなぁ〜?なーんて、
ブログを見てくださりありがとうございます2019年11月、48歳の時子宮体ガン(ステージ1b)で子宮と卵巣を全摘しました。リンパ節の転移もなく、再発の可能性は限りなく低いと言われていたにもかかわらず4年8ヶ月後、再発の宣告→その後、原発不明がんに→最終決定は再発がんへ💦→抗がん剤治療が効かず手術ができないほどの巨大腫瘍のため病院から今後の治療は出来ないと見放される→奇跡的に手術をしてくれる医師に出会い無事、腫瘍摘出成功→腫瘍の細胞を調べた
午前9時半に介護タクシーで、転院しました。一般救急車と、介護タクシー悩みましたが、介護タクシーで、介助する方を追加でお願いしました。入院費の支払いが終わり、病室へ行ったところ、介護タクシーの方が、ストレッチャーで、息子を運ぶところでした。主治医にも挨拶をして、エレベーター迄、お見送りをして頂きました。それは、主治医と私の最後のご挨拶。転院先の病院へ着き、看護師長が、前の病院のデーターの確認、細かく息子の前の病院での様子を丁寧に聞いてくれました。が、この病院の様子がまだわからない
しばらく発作が出てないので悩んでいましたが、24日の発作で決めました。手術は来月中頃に決定しました。どうか皆様のお力を下さい。私の上に大きな大きな元気玉を下さい。よろしくお願いします。今後ウルフオオツカ法を考えられる方の助けになるように術前術後の記録も書いていこうと思います。この後の文章はうだうだうじうじと書いているだけなので、どうか読まずにそっとしておいてくださいね。~うだうだうじうじ記録用~CHADS2スコアはゼロ点、
もう少ししたら、又病院へ、、夕飯の時間です。最近、病院食を看護師さんが介助して、食べているようで、昨日の夕飯時、私は、窓の外を見ているふりして、ガラスにうつる、息子の様子を見ていると、手づかみで、食べようと手が出てくる。急いで、食べて終わりにしたいのか?お腹がすいているのか?手が落ち着かないからなのか?わからない。その後はやはり、手の震えが止まらず、ベッドの頭をぎりぎり迄さげる。手の震えがとまらないので、私は息子の手を握ったら、少しずつ落ち着いてきて、私の手を口元に持っていき、手に
病院から連絡を受けた次の日医師からの現在の病状説明電話の医師とは違う医師の説明で、僕の見たところ、10月25日に町医者でとったMRと比べると、速いスピードで、腫瘍が大きくなっていて、多分悪性脳腫瘍だと思う。明日手術室が空き次第、手術します。と、、。私は医師に聞いた。完治しますか?って?!医師は、サラッと完治しません。中央値2年半です。と。私は、医師の言っている事に、理解できなかった。それは息子の余命の事を言っているなんて、思えなかったし、考えられなかった。その後、車椅子に乗
徳光さんより先に逝ってしまったのか…死期…1番は年功序列が良い氣がするが神様はそうはさせてくれない家族のつらくて苦しい闘病を見て医学部に入り直しお父さんのような病を助けたい🙏そう願ったのだろうそうなるわな😭しかし西洋医学は根本解決にはならん昨日は神経内科医とずっと一緒に様々なお話をしながら内職もした🤣分かっている医師も👩⚕️いる👏その医師に新発売の三種の神器について12/2(火曜日)有料会員向けプレミアムオンラインで講師をし
昨日夕方息子の入院している病院へ、行く前に転院先の医師と話をしてきて、息子の今の状態と、今後の事。鼻から管を通して栄養をとるのか?と今の病院で、決めて下さいと言われている事。延命処置はどうするのか?も決めて下さいと言われている事。痛み止めの事。点滴の内容。私はわからないので、と伝えると、転院の時に情報がくるから、安心してくださいと。けれど、鼻から管を入れるのは、息子さんは納得しているのか?息子の気持ちだと、言われた。又、医師は僕だったら、嫌だけどね。とも言った。どうしたら良いの
ちょうど3年前、頭痛が酷く個人病院でMRをとり、医師から大学病院での、精密検査をする様に、紹介状を渡されて、大学病院に予約を入れたらしい。頭痛が酷くなり、我慢の限界だったのだろう。私は何も知らずに、自分の体調不良で検査をするので、その結果で、田舎に帰ってこられるか?LINEをした。息子は、仕事の都合でまだわからないと、返事が返ってきた。自分の事を言わないで、心配させないように、返信したのだと思う。その日から、約一ヶ月後、始まった、私達家族の、、、大切な日々。何度もブログに