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こんにちはがん研有明病院からやっと帰路です。もう呼吸が苦しくて苦しくて疲れ果てました。もう診断は変わりませんでした。ただ余命についてはいつとはわからないと言われました。どちらにしても助かる道はない事がわかりました。進行が速いのでベッドの空き次第で今週か来週には入院となります。21日間です。手続きの時に知ったのは面会は無し!と言う決まりでした。私は21日間だけは我慢して見ようと思います。その後も21日入院を3回もう季節は春になります。その間家族にも全く会えない
気持ちを整理したくて書き始めた、ティオパパの闘病振り返り。下顎が腫れてきて、お水が上手に飲めず、点滴で補うようになった続きです。去年の12月ルナ君とクッションを分け合うティオパパ点滴を受けて帰ってくると、なんとなく調子がよさそうに見えた。相変わらずお水は何度も飲みにいって、時間も長いんだけど、食欲が戻って、ちゅーる、シーバとろーり、スナッピーピューレ、美食通ぴゅーれ、銀のスプーンとろリッチなどを、いろいろ取り混ぜて30本ほど食べられた。以前より、お口からこぼれる量が多くなったので、
やっと家に着きました。もう疲れて疲れて疲れて…もう東京の病院とかがん治療にはこの病院とかそんなの関係なーい!私が見て接していい医師とか看護師とかスタッフ対応なんてわかる。私の症例が少しでも私と同じ癌の治療に役立つならと新薬の使用も同意したようなもの。でもやーめた!私は家族に会えない延命治療なんか嫌だし入院しても子供達が寂しい思いをして死んでしまうのは絶対にやだと思いました。もういいー私の好きなようにする。どんなに素晴らしいと言われる病院であっても私が一流と
ターボ癌カリフォルニア州サンフランシスコ-42歳の写真家オーブリー・ピックが悪性リンパ腫との8ヶ月の闘病の末に死去。「化学療法を6回受けた後、癌が再発したことがわかった。COVID-19mRNAワクチンターボガン#突然死#ファイザー#モデナ#cdnpoli#ablegTURBOCANCER-SanFrancisco,CA-42yearoldphotographerAubriePickdiedafter8monthbattlew
こんばんは突然ですが、今日は治療中の夫と私の話です。夫の闘病が始まったときから、私は「どんなときも一緒にいたい」と決めて、決めた通りにしました。夫も時にはウザいときもあったとは思いますが、この二人三脚の闘病を心の宝物にして旅立っていったと自負しています鹿児島大学の治験膵がんの医師主導治験開始について-鹿児島大学病院鹿児島大学病院では、6月22日より、がん治療薬として独自に開発を進めている腫瘍溶解性ウイルス「サバイビン反応性m-CRA-1」を用いた膵がんの医師主導治験を開始
頑張りすぎない考えすぎない息抜きをする介護も闘病も10年近くなってくると、期待と頑張りは自分が潰れるだけだと悟る息子が小さい頃はリハビリや療育を頑張れば歩ける様になるんじゃないか!喋る様になるんじゃないか!私が頑張ればいい方向に進む!!!そう思って頑張って色々と通わせたし期待もしたけど、結果は惨敗…嗚呼、ウチの子は一生歩けないんだ…嗚呼、ウチの子は一生ママって呼んではくれないんだ…って逆に自分を追い込んでいったその度に涙したし落ち込んだ…でもね、悩んだって息子が喋る
2023年8月に膵臓がんの診断を受けました。現在、手術不可で抗がん剤治療を受けています。闘病はまだ始まったばかり…日々の不安や、抱えきれないこと、そして良かったと思えることなども、記録していきたいと思います。
こんにちは。今日は夫の月命日。指折り数えないと何回目?って分からなくなってた。今日の空模様。夫の大好きだった実家の田んぼ。実家の門口。何も変わってないのに夫の姿だけが何処にもないから、分かってるけどなんて寂しいんだろう😢私の両親が亡くなってそれこそ喪中はがきを出して年が明けた時に電話をくれた友人。それは絶妙なタイミングで両親が亡くなった悲しみに少し落ち込んでいた時で思いやりのこもる言葉をかけて貰って嬉しかった。彼女は甲状腺癌を乗り越えて何とか元気でや
こんばんは。soraブログにお越しいただき、ありがとうございます。以前の記事でもちょと触れたことがあるのですが、今回はTAIJIさんの本の感想をUPしますね。考えてみるとあたしはX時代をあまり知らなくて(XJAPANについてもまだまだ未知の部分は多いと思いますが)、皆様にとても愛されていたというTAIJIさんのことをもっと知りたいと思い、こちらの本を読ませていただきました。「TAIJI-沢田泰司-」はエッセイの形をとっており、筆者は彼の婚約者だった赤塚
ユーイング肉腫と戦った娘モー子天に昇る約1ヶ月半前CaNowさんの企画で実現した家族旅行のお話です。二泊三日の喜界島旅行の最終日起床後、空港に移動ガジュマルかなまた来るね空港には親戚と写真家のさかえさんお世話になり本当にありがとうございました。昨夜の素敵なライブ私の中の喜界島の血が騒ぎ踊りましたさかえさん「楽しかったですね。本当に。あ、でも喜界島の人は結構シャイだからあまりバンバン踊らないですよ笑」へ?うちの
おはようございます(*´꒳`*)昨日から今朝までの咳や痛みで寝起きは悪かったしもうこんな苦しくて痛いのは耐え難いと真剣に思いました。明日、東京の病院に転院します。色々と話を聞いて質問もしたいです。もう気持ちが滅入っているので奇跡どころじゃないです。本当に苦しくてそこら中痛いんです。辛い治療が始まったらどうなるんだろう?なんか入院では無くて通院でみたいです。具合が悪いのに1人で通う自信がありません。いい病院を選んだと思います。明日聞いて見ますがあまりに体に負担
先日のこと。取引先の方が亡くなって、お通夜に参列してきました。新卒採用から転職することなく重要なポジションで長く活躍された方です。闘病三ヶ月、定年を目前にしてどれほど無念だったか最後のご挨拶はしたい。でも、夫を亡くしてから結婚式も苦手だけど葬儀の場はとくに苦手です。案の定・・・一般席に座っている私が親族席の前列と同じ位に大号泣。。もうね、亡くなった方への思いだけじゃなく喪主の奥様や息子さんの姿を見たらダメ…隣からコソッと言われました。社長『俺は号泣の裏事情を知ってるが、お前さ
昨晩フィリピンで地震があった。日々、日本でもいろんなところで災害があり、火災やミサイル発射など、、南海トラフも、、ニュース速報か出るたび不安がりの私は眠れなくなる。夫は体が大きく首も座っていない、動けない、、しかも人口呼吸器も長く外せない。一体どうやって避難させるのか、、車椅子の移乗も大変で、リハビリの先生が練習をしてくれていたのに本人が嫌がっていつのまにかできなくなった。いつも何人もで車椅子に乗せているのに、、咄嗟にできるとは到底思えない。最悪は覚悟を決めて愛犬は娘たち
初老の会社の上司が亡くなった....胃がんが発覚し抗がん剤が効いて癌は小さくなってきていると聞いていたその後、肺がんも発覚し転移ではなく肺がんはまた違う癌...進行速度が速く生存率が低い小細胞癌私と同じ病院でした闘病、2年で...旅立たれてしまいました病気が発覚して2年で...早すぎますきっと元気になってまたゴルフ行こうと仰っていたのに転勤族...2回も一緒の支店でお世話になり宇都宮と名古屋ゴルフも大好きでいつも一緒に行っていた明るくて面
このブログは私の経験に基づいた内容です。読んでくださる皆さんに全てが当てはまるものではありませんので、ご理解いただけますと幸いです♡8年前、親友が乳がんで旅立った1歳上のその親友とは大学時代のバイト先で知り合い彼女のサバサバした性格が好きで私はあっという間に懐いて仲良くなった顔が似ていて周りからは姉妹に間違われ社会人になって互いが地元に帰り離れてからも年に数回は行き来して遊んでいたそんな彼女がある時から仕事が忙しいと言って遊んでくれなくなった彼女が結婚して
前回のブログには反響をたくさんいただきありがとうございましたm(__)mまた、更新が遅くなり申し訳ありません。有難いことにアメンバーの申請も沢山いただいているのですが、このブログでは今後の更新、少なくとも闘病に関することは全て公開記事で書かせていただきます。そのため、アメンバー申請の承認はしておりません。せっかく興味を持ってくださったのに申し訳ありません…。(今限定記事となっているものは、何年も前の、友人の結婚式について書いたブログです。)フォローは大歓迎ですので、気軽に見に
振り返り記事です。前回の続きです。5/2(火)大量に嘔吐し、娘を抱っこであやす中、この嘔吐は化学療法の副作用ではないのではないか。そんな思いが頭をよぎっていました。なぜかというと、娘は生検を受けた後の三日月状の創部の部分が、たんこぶのように膨れ上がっていました。気付いたのは、遡ること3日前。創部の抜糸の日です。それまで、創部にはガーゼが貼ってあり、中が見えることもなく、なんとも思っていませんでした。抜糸を終えて戻ってきた娘の創部の、ガーゼが少し小さいガーゼになっていました。
朝起きたら1番に娘モー子の仏壇のお世話。お茶と炊きたてごはんお線香をあげるお線香に火をつけるライターガスが少なくなったのか火がつかないガスを補充しなきゃ我が家は充填式のライターボンベからシューーっとガスをライターに入れる冷たっ💦ガスが漏れたのかライターの補充口が濡れその付近に霜のような結晶がさっと現れた凍るのね〜ココすけ、ふ〜んと霜が溶けるのを見てぴっぴっと振って即着火(もう想像つき
たまに聞かれる事があるのだけれど何十年も夫に不倫されていて本当に何も気づかなかったんですか?…という事カッパとの事について私は全く気づきませんでしたね何十年も今思い返してみても不思議な程に夫は全く変わりませんでしたそれはただ私がボンヤリしていたからとか鈍感だったから、とかではなく(どちらかと言えば私は疑い深いタイプ)夫が女にさほど夢中になってはいなかったのと恐らくは、セフレとして割り切り心にストッパーをかけていた為だと思います夫はほぼ毎日のように私を求めてくるし
結局、出血が止まらないので子宮を取る事になりました。時間的猶予が無いので、とりあえず子宮だけ。実は、その3ヶ月前にも子宮癌検診時、大量出血があり1日入院していました。でも、その検査は陰性だったんです。その時、医師から出血が止まらなければ子宮取らなくては行けないと言われていたので、今回の出血で取らなくてはいけない覚悟は出来ていました。救急車にも初めて乗りました。あんなにガタガタ揺れるものなんだと₍₍(̨̡‾᷄⌂‾᷅)̧̢₎₎知りました。乗り心地は良くないです…寝てる体勢だから余計
現在、これだけの癌や肝硬変、肺高血圧症と。。。歩行困難な程の脊柱管狭窄症に罹患していますおそらく僕が死んだら「長い闘病生活だった」と言われるんでしょうでも、僕本人はどうも「闘病」と言う言葉がピンと来ない果たして僕は闘ってるんだろうか?ただ、今日に限ってはこれから闘わなければならないかも。。。週明けカミさんはボナタイ突入!何食おうかな?
11月28日、KireanとHimeが揃って16歳のお誕生日を迎えましたー!めでたい、めでたい、おめでとうー!『*KireanとHime、15歳になりました❤︎』11月28日、我が家の2にゃんが無事に15歳のお誕生日を迎えましたー!パチパチパチパチ!『*KireanとHime、14歳になりました❤︎』我が家のKir…ameblo.jp16歳は無事に新しいお家で。お引っ越し時に心配していたHimeりんはあっと言う間に新しいお家に慣れちゃって。え?新しいアウトフィットの着心地
お急ぎの方用バナー(ここだけクリック)最新記事はこちらです。その昔、私は呼吸苦で寝たきりで立てませんでした。その頃のEF(左室駆出率)は16%でした。(クリックすると大きく見えます)それが、ピモベンダン(アカルディ)処方で立って歩けてカルベジロール(アーチスト)への耐性も出来てきました。具体的なEF(左室駆出率)推移は下記のとおりです。2012(H24)10月10日18.5%2013(H25)03月14日16.0%2013(H25)08月25日
みなさん、ご無事ですか。このBLOGは、うつ病を理由に会社をクビになった50代男の日々の闘病と無頼の日常、新たな人生を掴むための戦い、ボヤキを描くものである。みなさん、こんばんは。いつもの中途覚醒です。でも、これは尿意によるものなので、ご心配なく。歳はとりたくないもんです。昨夜は、長女の精神科を終えた後、その足で隣町の実家に帰省しました。うつ病で休職するようになってからは、長男とともに週末にお邪魔して心のリハビリをするようにしています。ただ
東京在住の47歳男です。膀胱癌闘病のブログをはじめました。自分は医者ですが、泌尿器科医ではありません。2022年の8月に血尿が出て膀胱癌が発覚して、9月から治療を開始。治療は、内視鏡(TURBT)で癌を2回削り取り、化学療法2クール(GC療法)と膀胱全摘術(新膀胱)をおこないました。最初は自分がまさか40代で癌になるとは思わず、人生があと少しで終わってしまうかもしれないと思うと衝撃でした。子供が生まれた日に血尿がでて、これから頑張ろうというときの癌宣告。いろんなことを覚悟して終
今回は本業とは関係無いことです。以前も書きましたが、母上が肺癌であることが判明したのは、2020年5月頃!ステージ4でした。闘病していましたが、先日の入院時、主治医から治癒の見込みが無いと言われたとのことでした。所謂、さじを投げられた、引導を渡された、という感じでしょうか?治癒の見込みが無い以上、抗癌治療を続けるのは、辛いという本人の意思もあり、その後は何もしなくなりました。以前、家族3人で会いに行った時は、ずっと座っていましたが、しんどそうでした。でも、普通に話ができました。し
妻の闘病生活を記録するために始めたこのブログ明日でちょうど1年になる早いなぁブログを書き始めたのは、1年前だけど妻に癌が見つかったのは、その更に1年以上前。。でも、その時はとてもじゃないけれど書く余裕がなかった(気持ち的に)妻の闘病記録は、いつからか娘(7歳)が大きくなった時に読んでもらいたい、ママとの思い出記録も兼ねるようになった。。それが、いまも継続していてもうしばらくは娘の様子を書き残しておきたい。。今月と来月は、運動会とか遠足とか
「母子ともに健康です」誰もが一度は目にしたことがあるであろう言葉。子を持とうとしたことがある人はみんなこの台詞を言えるような出産を願うだろう出産は命懸け。そもそも子を授かること自体が奇跡である。母子ともに健康であることは当たり前ではなく、本当に本当にありがたいことだと自分が生んでみて身をもって強く思った。私は有難いことに、初めての子供が生まれたときに言うことができた。2020年2月のことだ。でも実はその子供の「健康」は期限つきのもの、かりそめのものだった。生後5か月頃から徐々に体調を
先日、久々に私も主人の診察に同行して、主治医に色々聞いたり、私の気持ちを伝えて来ました。効果を早めに判定してお薬を変えるのはわかるけど、最後の薬なのだから、辞める判断をするのは早すぎる気がします。夫は副作用も少ないし、まだ少しでも効いているなら、1日でも生きていられるなら、薬を続けさせてほしい、というのが家族としての気持ちなんです。お薬を辞める判断はどういう基準でしているのでしょうか?、と。主治医がいうには。効きが悪くなっても続けている人も確かにいる。でも、抗がん剤の毒性はどんどん蓄
みなさん、ご無事ですか。このBLOGは、うつ病を理由に会社をクビになった50代男の日々の闘病と無頼の日常、新たな人生を掴むための戦い、ボヤキを描くものである。みなさん、こんばんは。次女が、自殺を図りました。衝動的にです。私は実家でしたが、妻と長女が食い止めてくれました。知らせを受けて私はすぐに帰宅。気持ちを落ち着かせました。今週はできる限りの予定をキャンセルして、そばにいてあげたいと思います。学校の悪友が原因なのでLINEは遮