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大河ドラマ『光る君へ』第18話「岐路」見ましたー。長徳元年5月11日(995年)。藤原道長、ついに「内覧」就任。「七日関白」道兼の薨去から、わずか3日後のことでした。翌年の長徳2年(996年)7月20日、「正二位・内覧左大臣・一上・氏長者」となり、平安時代最大級の実力者「藤原道長」の最強形態が整います。(歴代ナンバー1だったかどうかは、意見が分かれるところ…かな?)「内覧」とは何か?「関白」との違いは?については、後々たっぷり触れる(笑)として…今回も、気
ご訪問ありがとうございます。今回は大河ドラマ『光る君へ』について書いています。過去の記事はテーマ『ドラマ』から読んでいただけると幸いです。こんばんは。GWに実家で姉家族と集まりました。その時に、母に頼まれてガイドブックを置いてきたので、今回は本当にテレビを観てのあらすじのみです。そのため、話が前後したりします。内容も参考までとしてくださいね〜。『光る君へ』18話『岐路』今回は本当に盛り沢山でしたね。今回、書いていたらとても長くなってしまったので、2回に分けて書きました。その
もしかしたら、大河ドラマをテーマとした回で一度触れたことがあるかもしれませんが、歴史年表を見ていくと「○○の戦い」「○○の陣」「○○の変」「○○の乱」「○○の役」といった出来事を目にします例えば、有名どころでいけば、関ヶ原の戦い、大坂の陣、本能寺の変、島原の乱、元寇の文永の役と弘安の役みたいな感じです今回の大河ドラマの回では最後に長徳の変という言葉が出てきていますところで、これらの違いって皆さん、ご存じですか?もちろん、その時の気分で付けられたものではありませんザクッとまとめると以下の
『脱亜論』という福沢諭吉の卓論があるが、私にはよくわからない。日本が独立を達成するには,西洋文明を導入してアジアなるものを脱却し,列強から存在を認められるようになる以外にない。ということらしい。日本はアジアにあってアジアではない。と言ってしまうと語弊があるだろうか。ただ、アジアの巨大文明国である中国の隣にあるという地政学上の宿命を抱く日本が、その影響をつねに受けながら、その都度、車が脇道にそれるように異なる独自の進展を遂げてきた。その脱亜の祖型が、平安時代にあるように思える。6
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「光る君へ」見てますかぁ〜身内びいきの栄華だけの道隆が去って、さぁどうなるんだ?ってことで第18話の感想ぉ!道隆亡き後の関白職に就いたのは…道兼。昔はクズって言ってたけど、生まれ変わったような人物になったよね民のための政をさぁ、これからと言うのに…倒れてしまった…すでに疫病にかかっていたとは…これからなのに…道兼よ…無念…無念すぎる道兼が亡くなり、空席となった関白職を狙っていたのが、欲まみれだった道隆の子、伊周。宴を開いて仲間を増やそうとしています。
大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。『大河ドラマ『光る君へ』“勝手に”解説!~はじめに』はじめに大河ドラマ『光る君へ』が予想以上に私の好みでビックリしました!時代考証が倉本先生なので、そうおかしくはならないだろうな~とは思っていたのですが、…ameblo.jp※第五回(2)からの続きです(3)摂政関白の位置づけ「摂政」とか「関白」という言葉を聞くと、何だか「