ブログ記事949件
ごきげんよう。栗毛馬です。絵とインテリアは密接な関係にあるらしいと知ってはいましたが。植物もそうだとは知りませんでした。新発見です。以前、エルメスのカシミアシルク「三美神」を模した絵を描きました。『エルメス「三美神」と、描く瞑想「ゼンタングル」』ごきげんよう。栗毛馬です。カリックアポンプへのリベンジが終わり、描くものがなくなってしまい、つまらない…。『リベンジ!カリックアポンプ4』ごきげんよう。栗毛…ameblo.jp『「三美神」、完成』ごきげんよう。栗毛馬です。エ
50才大学生京都芸術大学書画コースを選んで良かったのか?その2その1は、入学前の選択の話その2は、入学後の現実の話水墨画も日本画も等伯や若冲は描いているどちらを学ぶかを悩んで書画コースで水墨画を学ぶ事を選んだ書画コースは書も画も勉強しなければならない4年間のカリキュラムで3年間は、書と画が同じボリュームで同時進行するイメージ最後の一年間は書か画のどちらかを選択する私は3年時編入学したので2年間で卒業する場合には1年目で8割位の単位を取得して2年目で選択科目と
前回からの続き(3月9日のこと)です次の特別公開も同じ大徳寺内なので、そちらへ向かいますその途中で見えるのが大徳寺の山門(三門)金毛閣(重文)住所・京都市北区紫野大徳寺町53竣工・下層:享禄2(1529)年上層:天正17(1589)年構造・入母屋造、本瓦葺歴史など応仁の乱で焼失した門を、一休に参禅していた連歌師・宗長(そうちょう)が奉加料を集め再建を進めるも、資金不足により下層だけで中断その後、千利休が寄進して完成上層内部には、本尊・釈迦如来と十六羅漢
円安の影響によって、海外旅行から国内旅行に切り替える日本人と、日本を訪れる外国人がともに爆増したことで、全国各地の行楽地が大混雑だったという噂のゴールデンウィーク。ついに今日終わってしまいます。城で言えば、国宝五城の天守は何百分待ちという状況もあったようで、国宝五城のキャンペーンを実施中の立場からすると申し訳ない気分になる大型連休でした。みなさま行軍お疲れ様です。このGW、アプリではいつもの連休キャンペーンに加え、今年は“ちょい足し”として、廻国異能の者が北陸地方だけで発見できる特別
京都でアートに触れる一日を・・・今日は、南禅寺の塔頭のひとつである、金地院へ行きました。どこへ行っても観光客で賑わう京都ですが、ここはとても落ち着いたお寺でした。門をくぐると蓮の池があり、静かな空間が続きます。紫陽花も咲き始めていました。お庭や東照宮など重要文化財が佇む中で、今回のお楽しみは、特別拝観、長谷川等伯の「猿猴捉月図」「老松」の図。(重要文化財なので、写真撮影禁止、拝観券の写真です)間近で襖絵を
先日、中学校三年生の国語の三省堂の教科書の長谷川櫂の「間の文化」という単元を三年生4クラスに教え終わった。そして、明日からこの単元を含めた中間テストの問題を作成する。長谷川櫂の「間の文化」という評論は、実に論理明解なホントにクリアな日本文化論である。伝統的な日本の芸術、日本の文化にあるものは、「間の文化」であるという。たとえば、長谷川等伯の屏風絵にしても龍安寺の石庭にしても間が存在する。長谷川等伯のこの屏風絵の余白❗西洋の油絵なら当然のこと
「十徳ってナニ???」という質問がありました。「紗でできた黒い羽織みたいな物」と形を答えることはできましたが、それ以上の的確なお返事をすることができなくて・・・ここでは、長年の修行を積んだ宗匠方がお召しになる十徳の起源とその意味を考えてみたいと思います。主客が同座する東山時代の書院茶においては、能阿弥に代表されるような同朋衆とよばれる人々がその奉仕にあたっていました。同朋衆は、身分や貧富の差を越えて貴人にまみえる立場であったことから、剃髪したうえで禅僧が用
特別展「日本国宝展」岩佐又兵衛《洛中洛外図屏風》が展示、2025年4月26日から6月15日まで大阪・関西万博開催記念大阪市立美術館リニューアル記念として開催されている、特別展「日本国宝展」第1部(全6章構成)「ニッポンの国宝―美の歴史をたどる」の第1章「日本美術の巨匠たち」では、雪舟筆、狩野永徳筆、伊藤若冲をはじめ、長谷川等伯、荒木村重の実子岩佐又兵衛《洛中洛外図屏風》といった、日本美術の巨匠の作品が並びます。8番岩佐又兵衛会期:2025年4月26日〜6月15日会場:大阪市立美
26-1桃山文化の特徴織豊政権(しょくほうせいけん)から江戸時代初頭にかけての文化を、豊臣秀吉(とよとみひでよし)晩年の居城(きょじょう)である伏見城(ふしみじょう)の地名にちなんで桃山文化(ももやまぶんか)という。この桃山文化の特徴として、(a)新興の大名と大きな経済力をもつ豪商(ごうしょう)たちの生活を反映して豪華で自由な傾向が強いこと、(b)仏教色が後退する一方で現実的な生活文化の色彩が強まったこと、(c)南蛮文化(なんばんぶんか)の影響が浸透したこと、
本日より開催の相国寺展。若冲を目玉として宣伝していたから、混雑必至と考えて、早めの参観にしたのに、それでもまだまだ考えが甘かった。会場20分前で既に相当数(50人以上)が雨の中を並んでいた。なぜか僧衣の方々もちらほら。(当日はご朱印状を販売していたからその関係かと推測)結局チケットはウェブで購入してあったし、この後用事があって急いでいたためコインロッカーも使わなかったしで、そこそこ早い順番で入場できたのだけれど、地下2階の第1章~第3章まではスルーして、真っ先に3階へ。ひとっこ一
卍お寺シリーズ醍醐寺の境内を入ってすぐ左手にあるのが三宝院。三宝院は醍醐寺の塔頭の一つで、歴代座主が居住する坊です。1115年(平安時代)に醍醐寺第14代座主・勝覚により創建されました。#勝覚は源氏の家系で、藤原道長の曾孫応仁の乱により荒廃しますが秀吉の「醍醐の花見」を契機に復興され、秀吉自ら手がけた庭園が有名。本尊は弥勒菩薩です。●大玄関重文。●唐門国宝、1599年(安土桃山時代)。朝廷からの使者を迎える勅使門。手前から、葵の間・秋草の間・勅使の間のある建物、表書院、純浄