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1916年5月1日が誕生日のヴィクトル・スタルヒン投手です。1916年5月1日~1957年1月12日ロシア帝国出身右投右打、投手。30勝以上を2回記録したスタルヒン投手は1939(昭和14)年に42勝15敗防御率1.731940(昭和15)年に39勝12敗防御率0.972年間で81勝!!1939年にはシーズン42勝は稲尾投手と並び日本最高記録だ。通算完封数83も日本記録で、ともに、神の領域といえるような記録だ。大映スターズ時代のスタルヒン(古書
松木謙治郎1909年1月22日~1986年2月21日福井県敦賀市出身左投左打、一塁手。日本プロ野球の黎明期、大阪タイガースの初代主将を務め、戦前・戦後の混乱期にチームを支えたのが松木謙治郎。その生涯は、単なる一選手の記録に留まらず、日本野球史そのものを体現する波乱に満ちたものだ。◎タイガース入団と「沢村攻略法」の確立松木は1936年、大阪タイガースへ入団。明治大学時代には、東京六大学リーグを代表する強打者として鳴らし、タイガースでは若手主体のチームにおいて初代
野球雲は元々古本屋仲間と作ったのが最初です。そのため、「野球本をじっくり紹介しよう」というコンテンツも一つの柱として、3冊から4冊を誌面で紹介していました。今回は誌面では紹介しきれない野球関連書を紹介いたします。今回は小西得郎著「したいざんまい」1957(昭和32)年発売です。タイトルからして、野球人としての太い根性論が見えません。そうです、著者の小西得郎はとんでもない人生だったのです。以下は野球雲10号「消えた球団松竹ロビンス」からの引用です。小
藤村隆男1920年10月5日~1993年12月25日広島県呉市出身、右投右打。藤村隆男の野球人生は、兄とは違う、不屈の精神とタフネスに満ちた投手として、輝かしい足跡を阪神タイガースに残した。兄・藤村富美男の4学年下として呉港中学校に進んだ隆男は、早くから投手としての素質を見せる。1937年夏の甲子園では控え投手として出場し、準々決勝で川上哲治の熊本工業に敗れたが、この経験が後のキャリアの礎となる。最上級生となった1939(昭和14)年のセンバツは初戦敗退に終わ