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ご訪問ありがとうございます簡単な自己紹介パニ子子無し職無し50代の主婦昨年末、母の在宅介護を卒業パニ子の母プー子認知症歴11年・要介護4の80代現在ケアハウスに入居中10日ほど前から、体調を崩していた母発熱、咳、血中酸素濃度の低下当然、面会が許されるはずもなく毎日、看護士さんへの、電話で容態を教えてもらうだけ心配は募るばかり・・・・それがやっと
手術室へは歩いて行きました。普通に元気なのに、これから手術なんて不思議な感じです。夫と一緒に、うっかり手術室に入ってしまった…と思ったら、更に奥にドアがあり、私の手術は第2手術室で行うとの事。受付の方に、名前・生年月日・血液型・手術部位・左右どちらか?を聞かれました。その後、ヘアーキャップを渡され、指示通りに髪の毛を全部入れて被りました。ここで、夫とはお別れです。軽く手を振りましたが、私はここで気持ちが崩れてしまうのが怖く、夫の顔を見れませんでした。手術室の扉がサーッと開き、そ
まだ読んでいない方は↓をどうぞ子宮外妊娠でした~総合病院へ緊急入院~子宮外妊娠でした~総合病院へ緊急入院②~子宮外妊娠でした~総合病院へ緊急入院③~子宮外妊娠でした~総合病院へ緊急入院④~子宮外妊娠でした~総合病院へ緊急入院⑤~子宮外妊娠でした~いよいよ手術へ~子宮外妊娠でした~いよいよ手術へ②~前回からのつづきです酸素マスクに痛み止めの点滴をつけたままベッドに寝た状態で、4階の手術室から6階の病室までガラガラ運ばれる。病室には、夫、母、姉が。ベッドはそのままマイルームの定
手術後の日数の数え方を調べてみたら、決まりはなく、病院によって違うみたいです。手術当日を「0日目」と数える病院が多いので、ここでもそのようにします。要するに手術の翌日です。置き時計を持ってきていたのですが、ベッドから見にくいし、目が悪いので、何時だかわかりません。点滴の確認にきた看護師さんに聞いたら、6時を過ぎた頃でした。不眠の原因だったフットポンプも解除!入院が決まった時に貰った小冊子には「6時起床」と書いてありましたが、消灯と同じに何かあるわけではありません。今までの病院(とい
乳がん手術前と目覚めたときのこと手術の当日は朝6時(6時半だったっけ?)から飲食しないように指示されました。手術は午後の何番目かでしたが、前日の麻酔医との面談の時に「乗り物酔いしやすいか?」と尋ねられ、「しやすいです」と答えたらちょっと考えられた後に「早めに飲食停止にしましょう」と指示されたからですが、手術当日は午前中から点滴していたのとあれこれ考えて落ち着かない気持ちだったからかのどが渇いたとかお腹が空いたという感覚は全くありませんでした。手術が終わった数日後くらいに同室の手術後
まだ読んでいない方は↓をどうぞ子宮外妊娠でした~総合病院へ緊急入院~子宮外妊娠でした~総合病院へ緊急入院②~子宮外妊娠でした~総合病院へ緊急入院③~子宮外妊娠でした~総合病院へ緊急入院④~子宮外妊娠でした~総合病院へ緊急入院⑤~子宮外妊娠でした~いよいよ手術へ~前回からのつづきです手術室へのガラス扉は、看護師さんが暗証番号を入れてロックを解除してから入ります。背中に皆の視線を感じるけど、泣きそうだから振り向かない。一つ目の扉をくぐり、看護師さん2人と私、全員マスクと帽子を装着
<単純子宮全摘の入院記⑥>手術4日目です。まだ動くと痛い時期でしたが、だいぶ暇を持て余してきました。普段は見られないDVDがこういう時ならゆっくり見られると思って入院前にポータブルDVDを買ったのでこの日辺りからひたすら見てました~。が、歩くのも大事なので、ちょっとDVD見ては病室の中をウロウロ歩いてました。そして、この日はまたまた高校時代の友達がお見舞いに来てくれたんですが、一緒にとっても嬉しい方が~!それは、友達のお母さん!高校時代の仲良し6人組は基本的に、
皆さん今日も見に来てくれてありがとうございます今日の話です8時。いつもなら朝ご飯の時間です。またTVerでドラマを楽しみました。12時。病棟の放送でお昼ご飯のお知らせが流れます。(私は点滴をしていたためか、あまりお腹は空かずにいられました。)「あ!そうだ。」お昼の再放送を見逃さずに済みました。その後もTVerでドラマを見たり(どんだけ〜☝️)、ブログを書いてみたりして時間を過ごしました。2時。(一応)予定していた時刻を過ぎましたが、まだのようです。しかし時間がずれ込む可能
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月24日...④しばらくすると翔平の覚醒状態も少し落着きはじめた。が、ホッとしたのも束の間今度は呼吸が肩呼吸になってきた。急いでナースコールを押すモニターが装着された。この時はまだ名前を呼ぶと目をあけて、「う...ん。」と答え手を握ると力は弱いが握り返してくれていたそれから二時間程すると末梢チアノーゼが見られるようになり呼吸も苦しそうにな
娘、肺炎で入院になってしまいました。後で色々詳しく書きます。大きな酸素マスクを付けられ、ICUに居ます。こんな事になるなんて..ずっと多呼吸で、これが長く続くようなら肺に直接チューブを挿管するそうです..それだけは避けたい。けど、命に関わる事だから、それは医師の判断に任せるしかない。もっと早く病院に来るべきだった。そしたらもっと早く楽にしてあげられたかもしれない。(ずっと多呼吸気味だったので)そんな中、ムカつくコメントが。誰も障害のある子を望んで産んだわけじゃない
はじめまして、45歳独身の“はるひ”と申します。6月22日に開腹手術で子宮・卵管・漿膜下筋腫・粘膜下筋腫&ポリープ摘出に挑んだところ、腹を開けたら漿膜下筋腫が後腹膜腫瘍だと判明!!8月14日に富細胞性神経鞘腫(良性)の結果が出ました。『〈病理結果〉2・後腹膜腫瘍の富細胞性神経鞘腫とは?』はじめまして、45歳独身の“はるひ”と申します。6月22日に開腹手術で子宮・卵管・漿膜下筋腫・粘膜下筋腫&ポリープ摘出に挑んだところ、腹を開けたら漿膜下筋腫が…ameblo.jp入院
昨日の餅男が苦しかったのは酸素マスクのせいですように、、と願って午前中餅男の面会へ来た。ベッドで仰向けに寝ている餅男。今日は薄目を開けて黒目が天井のライトを左右交互に見ているように動く。餅男は酸素マスクも外れ熱も下がり抗生物質の投与も終わりナチュラルな身体の状態になっている。これで餅男の動きが昨日みたいならどうしよう、、とドキドキする。そして看護師さんが餅男の身体を拭く準備をしてくれた。今日は私がお手伝い出来るらしい温かいタオルを洗って絞って私に渡してくれた。
麻酔中によく夢を見るって聞きましたが、本当に見ましたでも内容は全く覚えていません。主治医『〇〇さーん、見えますかー?取れましたよー』ぼやけて何も見えない。。意識もうろう。ケースの中に真珠腫が入っていたらしい。目の前で見せてくれたけど、見えなかった〜主治医『今16時30分です』え!?長い...。9時に始まって..7時間半!両親がずっと待ってるはず。ここどこ?よく見えない。手術室?あ、違う。今、病室に着いたところだ。両親の姿が見える。母『.....変わったって伝えておいて
ご訪問いただきありがとうございます。誰かが私を呼んでいる。「全て取りきりましたよ。ririさん。」あ、主治医の声だ。でも目を開けることができない。「ありがとうございます。」言葉にならない声をあげた。そうしたら、オエッと3回嘔吐反射をして、気を失った。次に気づいた時には、病室にいた。口には酸素マスク、足には血栓予防の機械、腕には点滴、お腹にはドレーン管、背中には硬膜外麻酔、尿道カテーテルもついて、全く身動きできませーん。そして外はもう暗かった。あー、生きてるわー、終
※この記事は、遡って書いています。実際には手術は4月下旬に終わっています。自分用の記録のためもありますが、今後入院を控えている方にとって少しでもプラスになればと思って書いているため事細かく長いブログになっておりますご了承下さい🐰のろのろ更新すみません。手術の日です。前日の、夜9時から絶食が始まります。9時になる直前に、持参したチョコパイを食べました。笑水分は、お茶、水、スポーツドリンクならオッケーです。夜はちんたらお茶を飲みながら過ごして、早めに寝ようと努力はしました。でも、
餅男が心肺停止から蘇生した3日目の朝。私は昨夜、3時間ほど眠れたが寝不足とお腹は空くのに食べられないことで身体がフラフラしていたシリ子は絶好調のご機嫌で歌ったり踊ったりそんなシリ子に大人は助けられる。旦那も精神的に辛そうだが本日も仕事へ行ってくれた。シリ子を保育園へ送ったあといったん家に帰って残していた朝ごはんを食べようとするもやっぱり食事が喉を通らない。やばい、1人でいるとまた落ち込みそう。気を取り直して赤のれんに入院用の私の寝間着を買いに行った。餅男
おはようございます。いつもありがとうございます。さて、昨日までは「飛行機が高い高度を飛ぶ理由」「低く飛ぶ理由」についてお話しました。要するに、「やむを得ない場合以外は燃費のためにできるだけ高い高度をフライトしたい」ということになります。では、以前お話した「航空機の最大巡航高度」でフライトしたら燃費が良くていいんじゃないか?と思いますよね。例えばボーイング777,787,767は43000feetまで上昇できますが、大体41000feetまでしか上昇しませ
続き>>>>25日朝私は一睡も出来ないまま朝を迎え、何度も娘の様子を伺う。付き添い入院で、病院だし看護師さんも居るし安心...と思えるかなと思ったけど、全然安心なんて出来ない💦もし、目を離している隙にサチュレーションが外れていたら..!?サチュレーション外れている時にまた痰の詰まりで窒息してしまったら..?💦そう思ったら安心なんて出来ず何度も何度も確認をする。ちゃんと呼吸してる?サチュレーション付いてる?娘の呼吸が苦しそうなので、鼻に付ける大きな酸素マスクに変
(今日は旦那さんが夜勤でいなくて弱音を吐ける人がいないので、ここで書かせてくださいね。)おなかを飛び出していった我が子は自力だけでの呼吸は難しかったものの、酸素マスクの補助があれば息をできたので声を聞くことが出来ました。母乳も再開して、極少量ではありますが、少しずつ管から入れて消化してくれています。新たな問題が起きても、新生児科の先生が都度、適切な処置をしてくれているので安定して(いると私は思って)います。頑張ってくれてる我が子をみて、普通のお母さんなら嬉しい
2016年4月手術当日睡眠たっぷり良く眠れすっきり目覚めました。12時からの手術だけど点滴付けたり着圧力タイツ履いて術着に着替えてバタバタしていたらあっという間に呼ばれて看護婦さんと一緒に歩いて手術室へ。あとは、まぁ硬膜外麻酔入れて麻酔入って意識無くなり次に目が覚めたときにはストレッチャー乗ってガラガラ移動中。手術時間は4時間、予定どおりに完了。ここからが辛いんですよね。全身麻酔の気導確保の為とにかく喉が痛い酸素マスクがうっとおしい水飲みたいのに
術後2週間の診察で、聞いた手術内容。予定通り、尺骨短縮はしました。3~4ミリ。関節鏡は靭帯縫おうと思ってたけど、見たら残念…軟骨に穴があいてて、縫える状態じゃなかったのでお掃除だけして閉じたと…軟骨の穴は7~8割塞がるかと。1年後の抜釘の時に、もう1度関節鏡で軟骨の様子を見るとのこと。穴が塞がってなかったらあまりよろしくないらしい…ちなみに術後、部屋に戻ってきた私。酸素マスクと手の挙上。手術前、左手は正直、右手より痛み半分以下。それなのに、軟骨に穴があいてるなんて、ってことは
午前中から点滴が始まる。血管が細いらしく探すのに苦労するが、なんとか一発!まだまだ余裕!13時くらいに旦那到着。お腹すいたな~と思ってたら、先生登場!ひょっこりカーテンあけて、ニコニコした先生が「関節鏡で見てからだけど、多分予定通り骨短縮もするから~」と。14時過ぎても呼ばれずまぁ、手術3回目となるとそんなもんだね~と思いながらのんびり。14時40分頃呼ばれ歩いて手術室へ…台に寝て、血圧計つけ、心拍数のつけ、マスクをつけ…今点滴から眠くなるの入れたので、少しボーッとしてくるか
目が覚めたら、手術終わってましたがな。(当たり前か。)っていうか麻酔かけられ始めたのもわからなかったよ笑手術室に朝の8時30分に入って、出てきたのは16時30分。合計8時間に及ぶ意外と大きな手術でありました。目が醒めると鼻から喉の奥の方に管が刺さってた。口には酸素マスク。とりあえずICUへ連れてこられた。両足のかかとがビリビリにしびれてるのと、両腕の肘の裏がすごく重く痛いのが気になった。手足の痛みは手術時の体制のせいだろうとのこと。長い時間、ずっと同じ姿勢でいたために起こ
・・・・・・・・・・・・・・・そして自分はいつも通り仕事をしていました…でも、Σ(||゚Д゚)ヒィ~!!という感じでお腹の痛みを感じ、あ❗️夢やった‼️と現実に目覚めます。(起こされて目が覚めたのか勝手に意識が戻ったのか全く分かりません)とっさに、「お腹が痛い!もっと寝ていたかったー!!オシッコしたい!」とはっきり叫ぶ私その時はもう意識がハッキリ。自分が手術を受け終わったんだという認識もあります。ただ、お腹がキリキリ痛くて"なんで自分、起きてしまったんや
なぜかアクセスがいきなりすごい数に!?なんでだろう。今回だけだとは思うのですがなんだかうれしいです♡手術前後についての詳しくシリーズは今回で最後です(長々とすみません…)術後、眠れない夜を過ごしやっと朝がやっと来ました外からは変わらず台風の轟音が建物も轟音とともに揺れるのが何ともこわかった…術後すぐの自分なんてこの病院が台風でなにか被害にあったら多分すぐ死ぬんだろな…とずっと考えてました一度停電もおきて、パソコンが消えたりもしてました。
昨夜は疲れと風邪もあり比較的よく眠れた。朝起きると鼻水も止まっていたので今日の朝は餅男のお見舞いへ台風前の大雨の中、病院に到着🚗餅男の要管理の大部屋に入る。2日ぶりの餅男❗️頭には顔全体を覆う大きめの酸素マスクを被せられベッドで眠っていた。マスクが水滴で結露してるのでちゃんと表情が見えない。看護師さんが来て、ベッドの柵を降ろしてくれた。「今日は朝に採血をしました。すごく暴れて動いていたので疲れちゃったんでしょうね。」左手の甲に針の後がある。腕も針の後だらけで痛
手術当日6:00起床あまり眠れませんでした…とても静かで寝心地が良いのですが緊張と不安なのでしょう。昼過ぎからの手術8:30で水も終わり9:00手術着に着替えて点滴手術室に呼ばれたのは13:00少し前前回は歩いて手術室に行ったけど今回はベットで移動手術室〇〇さんこんにちは〇〇です。よく眠れましたか?しっかりやりますから安心して眠っていてくださいね。主治医の先生の顔を見て癒されました。麻酔の先生が前回違和感があったとの事なので今回は
高濱機長は語り終えると、がっくりと頭を垂れた。「私はーーだまされたんだ」高浜は堰を切ったように号泣した。「あのとき、岩木田特別補佐官と町田日航副社長は、羽田へ乗客乗員全部が無事に生還できると保証したにもかかわらず、追尾してきたファントムの指令によって、羽田、横田への着陸を阻止された。スコーク77を発信させたのは、ファントム機をスクランブル発進させるためだった。あのときの岩木田と町田の提案を拒否するべきだった。脅しに屈してしまった。横田基地へ着陸していればこんな大惨事にはならなかったはずだ。あ
ICUから普通病室へ戻る。戻った時の記憶があいまい。どうやってベッドうつったんだっけ?自力では無いだろう、、、たぶん。鼻から喉に入っていたチューブと酸素マスクは外してもらえました。1日目と同じく目が覚めては意識が飛び、、、の繰り返し。本当は1日目から歩き始める予定だったみたいだけど、私はクネクネのヘロヘロだったものですから、その日指示されたレントゲン検査には車椅子で連れて行ってもらいました。レントゲン検査する技師さん達もクネクネな私に苦労していたみたい。同じ病棟内のそんなに離れて
大量の酸素投与を受けながら頑張っていた父が昨夜亡くなりました。流血惨事が直接の死因ではありません。大惨事から一ヶ月あっという間の出来事悲しみも深いけど、「これ真実なの?」という気持ちもどこかにあります今年に入ってからも前年より沢山父親と会いたくても「なんでいつも通りじゃないんだ」と拒否されました私に心配かけたくなかったのでしょう、父親から大病していると話があったのもごく最近でした完治が難しく治療法もほとんどない、癌よりやっかいな(癌もいろいろですが)病気もありますこんな時に書くべ