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「何故売れなかったのか」と悔やまれてならないアイドルはたくさんいるんですが、その中でも、少女隊は特に、売れなかった直接的な原因が本当に不運としか言いようがないためか、惜しい気持ちが募ります。ものすごく、お金をかけて(40億と言われています)大々的なプロデュースの末に生み出されたアイドルが少女隊でした(このあたり、セイントフォーと通じる部分がありますね)。レコード、PVは全てアメリカで収録、撮影。現地のミュージシャンを巻き込んでのレコーディングで、おかげでサウンドの質は当時の日本
私がリアルタイムで一番好きだったアイドル歌謡番組は「レッツゴーヤング」(NHK総合、日曜日18:00~18:40)。夜遅い時間帯は時代劇と野球中継が好きな父親がテレビを見ると決まっていましたし、私の勉強時間でもあり、他局の有名番組(ザ・ベストテン、夜のヒットスタジオなど)はほとんど見る機会がありませんでした。「スター誕生」など休日朝や昼間の番組の時間も勉強でした。「レッツゴーヤング」も、歌謡番組嫌いの母が暗い顔をしているのを横目に、肩身を狭くしつつ見ていました。「レッツゴーヤング」は、
「激しいダンスが印象的だった「Deep」(78年7月発売)がヒット、以後、「スタントマン」(78年10月発売)、「標的」(79年2月発売)をスマッシュヒットさせたあと、突如海外ポップスに接近したナンバーを発表することになる渋谷哲平の、VILLAGEPEOPLEの「INTHENAVY」のカバーで、ピンク・レディーの「ピンク・タイフーン」(79年5月発売)と競作になった、7枚目のシングル「ヤング・セーラーマン」(79年8月発売)の発売に合わせて発売された4枚
太陽はひとりぼっち園まり19621962.09モノラル録音作詞:ミケランジェロ・アントニオーニ訳詞:タカオ・カンベ作曲:ジョヴァンニ・フスコ編曲:森岡賢一郎シングルジャケットはWebにあるものを使用しました。音源はCD「三人娘全曲集」です。youtu.be昨日、ダイガシから教えてもらったところによると、牧村旬子が歌った「誘惑されて捨てられて」の日本語歌詞を書いたのが、水木かおるだということが分かって、私も楽譜が出ているのを確認致しました。で、水木かおるの名誉の
1978年5月15日。ピンク・レディーが「夜ヒット」で「サウスポー」を歌うのは、この日が3回目。例の野球のユニフォーム調のコスチュームは、いくつか色違いのバリエーションが作られていて、この日はまず、オープニングメドレーで黒の衣装を着て「UFO」を歌った。恐らく前の仕事で着用したままフジテレビに移動して、オープニングに登場したと思われる。その後、自分たちの歌の番では、改めてブルーを基調とした別の衣装に着替えて現れた。2人の背中には、それぞれカタカナで「ミー」「ケイ」の文字が。これ、当時テレビ
都倉俊一が手がけた、最後の70年代アイドル倉田まり子に降り注いだ、80年代の冷たい雨「第6回の金の鳩賞は・・・該当者無しです!」1980年夏、日本テレビ音楽祭の壇上。司会の高島忠夫のアナウンスに、呆然と立ち尽くす倉田まり子の姿があった。日本テレビ音楽祭は、同局が75年から毎年夏に開催。金の鳩賞は、デビュー2年目の歌手に授与される賞で、80年は、前年デビューの井上望、高見知佳らと共に、倉田もノミネートされたが、まさかの該当者無し。歌謡曲ファンに大きな驚きを与えた。倉田まり
今回は結論から書きます。Q・ピンク・レディーはなぜ解散したか?A・最も大きな理由は、メンバーの一人が当時の交際相手との結婚を望み、解散を申し出たことによる。加えて、背景には当該メンバーと所属事務所の関係の悪化があった。紅白歌合戦出場辞退、アメリカ進出など話題作りを優先する事務所の強引な手法や、交際を巡って「仕事を取るか結婚を取るか」と迫る上層部のハラスメント行為などによって、事務所に対するメンバーの不信感は極限にまで募っていた。ただし、上の事情は2000年代にメンバーが著書で明らかにするまで
歌謡ポップスの黄金期、1970年代を代表するスーパーデュオ、ピンク・レディー。今もよく知られている数々の大ヒット曲の陰で、ひっそりと光を放つシングルB面曲にスポットを当て、その魅力を探っている。今回はピンク・レディーの人気を確固たるものにした3作目のシングル「カルメン’77」のB面「パイプの怪人」について書いてみたい。<基本情報>タイトル:パイプの怪人作詞:阿久悠作曲・編曲:都倉俊一発売日:1977(昭和52)年3月10日A面曲:カルメン’77怪人という言葉、最近はあまり聞くこと
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/lastweek/97422.html#:~:text=%E6%96%87%E5%8C%96%E5%BA%81%E3%81%AF%E3%80%81%E9%83%BD%E5%80%89%E4%BF%8A%E4%B8%80,%E3%81%8C%E8%A1%8C%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82消費者庁、徳島移転も゙立ち消え。文化庁の京都移転も゙、
多くのヒット曲で1970年代後半に圧倒的なレコードセールスを記録したピンク・レディー。ヒットチャートを飾ったシングルA面曲に比べ、話題になることが少ないB面曲に改めて注目し、思いつくままに書き綴っている。今回は、当時ピンク・レディーのコンサートで、B面曲でありながら会場が一段と盛り上がった、あの作品を取り上げたい。<基本情報>タイトル:逃げろお嬢さん作詞:阿久悠作曲・編曲:都倉俊一発売日:1977(昭和52)年9月5日A面曲:ウォンテッド(指名手配)阿久悠氏が作詞を手がけたピン