ブログ記事13,355件
※2023年11月22日書き直し温江(ぬくえ)砲台は対馬要塞で最初に竣工した砲台です。一重崎~明瀬鼻間に設ける布設水雷の前面を防御することを任務として浅茅湾(浅海湾-あそうわん-)北部に構築されました。明治27-28年(1894-95)の日清戦争では、対馬警備隊が動員され本砲台も配備に就きましたが、その間、防御すべき布設水雷の位置が一重崎~犬ノ首間に変更され、本砲台から遠方に離れることになりました。さらに日清戦後の明治29年(1896)には、竹敷に海軍の要港部が設置されたことに伴い、新
先日の皿倉山の記事に続き、皿倉山の近くにある権現山の記事をアップします。岡田宮から見た皿倉山と権現山です。権現山は、昔は杉山や坊住山とも呼ばれた山で、鷹見権現を祀っている山なので、この名前がついたそうです。なお、鷹見権現は熊野三神のこととされています。『遠賀郡誌』によると、この山の九合目に鷹見神社上宮があり、その下に「見光山神昌寺」と称する六つの坊があり、権現山の祭祀をつかさどっていました。戦国時代にはこの地域を治めていた麻生氏の保護を受け繫栄していましたが、永禄四年(
アユタヤ観光!やっと、アユタヤ駅に到着ですアユタヤ駅の外に出ると。。。そこにはオプショナルツアー会社がいっぱいありました「トゥクトゥク乗る?」「安いよ〜」って言う全部の勧誘をお断りして。。。私達は娘のやりたかった目的を果たすために前に進みますよ〜🚲とりあえず、アユタヤ駅から徒歩3分船乗り場からチャオプラヤ川を渡りますその先にアユタヤ遺跡があるはず船は1人10バーツ大人も子供も同じ金額らしい実は行きは娘の分も払ったのに、帰りはタダだった。よく分からん料金シ
前記事の竹原行った日に「音戸の瀬戸公園」も行きました。竹原の古い街並み〜呉市ってそこまで遠くはないのだ😅☺️音戸の瀬戸公園入口〜入口までに行く道って歩道はないけど車でグルグルしてる時のツツジも見事でした🎵歩道はなくても運転中のツツジのロードに圧倒されます。音戸の瀬戸公園に到着したら一面にツツジ。GW期間中はずーっと満開のツツジが観れるはず赤い橋が🌉お見事です。公園の裏道には文学碑も幾つか存在します。裏道の木々に囲まれた遊歩道も雰囲気あり落ち着く裏道より上そこ
初めて、カラクムル(Calakmul)を訪れたのは2015年でした。友達から「カラクムルには絶対行った方がいいよ!」と勧められたからです。カラクムルは、キンタナロー州のお隣であるカンペチェ州にあります。ユネスコの世界遺産(文化遺産と自然遺産が合わさった複合遺産)として登録されてはいるもののチチェン・イツァ、ティオティワカン、パレンケなどの超有名なメキシコの遺跡に比べると知名度が低いのです(行きにくいというのが理由の一つ)。だから、最初に名前を聞いた時どうや
天皇陛下が訪れになった数日前、日本から父が遊びに来ていたので、わが家もインドネシアの世界遺産、ボロブドゥール寺院に行ってきました。ジャワ島にある古都、ジョグジャカルタ郊外にあるボロブドゥール寺院は、8世紀後半から9世紀前半にかけて建てられたとされる世界最大級の仏教遺跡。コロナ禍でしばらく中に入って上に登ることができなかったようですが、最近になって解禁されて頂上まで登ることができて良かった✨今後もその時々で変わるかもしれないから、行く方は事前に確認を。まず、ボロブドゥール寺院遺跡観
昨日紹介した防府北基地の南側に航空自衛隊防府南基地が置かれていますが、この基地の前身は防府海軍通信学校でした。戦後米軍が撮影した空中写真で見るとこのような配置となっています。(国土地理院地図・空中写真閲覧サービスUSA-M122-23を加工して掲載)なお、施設の名称については「甲飛防通会名簿」を参考にしています。それでは簡単に説明していきます。=============================昭和5年(1930年)、無線通信術を教育する海軍通信学校が横須賀
大学のときのことだけど、奇妙で落ちも何もない話があるんでここに書いてみる。俺は関東の大学で考古学を専攻していて、3年生の夏休みのこと。ふだんはパチンコ屋の開店荒らしのようなことをしていて学校に来ない、あまり評判のよくない部関係の先輩からバイトの話を持ちかけられた。それは一泊二日で10万という法外な報酬で、俺の専門に関係ある内容だと説明された。「盗掘とかそんなのはトンデモないスからね」と俺が言うと、先輩は、「非合法な部分はないわけじゃないが、遺跡の破壊とか文化財を売りさばくとかじゃ
②【スターフォート・マッドフラッド】石油は下水の再生燃料?前文明の遺跡は再生可能燃料の発電所で、資源は循環していました。この動画直後のニコニコライブはこちらからhttps://live.nicovideo.jp/watch/lv345129087ニコニコチャンネルで、検閲なしのライブとYouTube削除動画を公開開始しましたhttps://ch.nicovideo.jp/endoomadエンドゥサブチャンネルhttps://www...youtu.be【スターフォート・マッ
えー、もう5月なの?で、どんどんつなげます。最初に訪れたのが、横穴古墳でした。3月末頃に行っていて、まだ寒かったですね~。ここは一人で行ったんですけど、一人では行かない方がいいですねー(普通行かないでしょうけど)箟岳丘陵南側の崖に造られた大規模な横穴墓群です。他にも古墳や遺跡はありますが、ここが一番よく見える古墳です。※遺跡にはゴルフ場がつきもの・・・ここの横穴古墳群がいろいろと教えてくれたことがありました。なぜ、ここに来たのかは、最後に書くつもりで、
古代中国秦の時代に耳当て?ヘッドホン?秦(紀元前905年-紀元前206年)の発掘物。秦文明は紀元前206年に滅びた。中国にピラミッドがあるのも驚いたが、不思議な発掘物も多い。エジプトの遺跡にヘリコプターや宇宙人らしきものがあるが、中国遺跡も興味深い。pic.twitter.com/OR24vAijhM—酒本正夫(@SakemotoMasao)March15,2024なんすかこれ?https://t.co/Z4x8KnRCLB—酒本正夫(@Sakemot
こんにちは!観光客数が世界で第6位のトルコ「ツアーではなかなか組み込まれていない観光都市&グルメ~」トルコ81県のいろいろをご紹介していきますね今回紹介するのは、中央トルコに位置するシワス①観光版②グルメ版に分けてご紹介していきますシワス(Sivas)シワスは、標高1300mに位置していて観光客はなかなか訪れない、でも魅力と歴史が深い地です
島内で最も高いのは標高120mのタカノス山ですが、友ヶ島第三砲台は山頂直下の標高104m付近に設けられました。破壊されている箇所が少なく、島内5つの砲台の中では最も状態よく残っています。第三砲台の簡単な履歴は以下の通りです。◆起工:明治23年(1890年)10月7日◆竣工:明治25年(1892年)5月25日◆備砲:二十八糎榴弾砲8門(明治29年(1896年)6月備砲完了)◆設置標高:104m◆参考リンク:「由良要塞の概略」はこちら→→→※2021年8月、2022年10月訪問
メキシコ生活3年目にして初訪問のティオティワカン遺跡にそこまで興味がない我が家でもさすがの壮大さに見応えを感じてとっても良かったです風も心地よくてパワーを貰ったちなみにティオティワカンは、・日曜日は在住者入場無料で激混み・日差しが少ない午前中がオススメとの情報を見たので土曜日午前中に着くようにしました入り口?駐車場は5つくらいあってうちは太陽のピラミッド目の前のP2から入りました。なるべく歩きたくないもんね←ここで駐車場料金を払い入場チケットを購
うるま市与那城屋慶名(よなしろやけな)に藪地島(やぶちじま)という無人島があります。そこにナチジングスクがありますが、このナチジングスクは県内の文化財報告書や遺跡地図でもそれぞれ島内の西側と中央の2ヶ所に表記されて統一されていません。屋慶名の地誌によると中央の方が古来から『ナチジングスク』と呼ばれていて戦前は野面積みの石垣が囲んでいたとされています。藪地島は約300年前は有人島でしたが、現在は畑地として利用されています。橋を渡って島に入ると左手にそびえる高い岩山があります。橋と道の繋ぎめ
マヤ最大級の遺跡:カラクムルCalakmul再訪その1に続きます。*****さて、昨日は、マヤの文化圏の説明やカラクムルへの行き方だけで長文になってしまいましたので今日からは、カラクムル遺跡の中を説明していきます!*****2015年に行った時は、遺跡の入口はシンプルだったのですが今回、再訪したところ、なんと、カラクムルについて解説する大きな建物ができており一般には非公開とされている壁画などの模型・レプリカが展示されていました。こちらは遺跡の
2023年8月27日〜31日の3泊5日のダナン旅行記です!【4日目】↓前記事はこちら『2023/8【ダナン】⑩ホイアン〜その3〜小舟に乗って灯籠流し体験&カオラウを食べる!』2023年8月27日〜31日の3泊5日のダナン旅行記です!【3日目】続き↓前記事はこちら『2023/8【ダナン】⑧ホイアン〜その2〜街歩き&チケットで見学…ameblo.jp3泊5日なので、この日が最終日です。朝食後、荷物をまとめて、チェックアウト。お世話になりました〜成田行きの飛行機の時間は、23:1
見取図です。これまで4つの砲座と地下弾薬庫Aを見てきましたので、続いては「地下弾薬庫B」を見ていきます。連絡通路を下りていきます。階段を下りてすぐ左手に「地下弾薬庫B」の入口がありますので中に入ります。作りはAと同じですが、内部にいい感じで明かりが灯っています。奥の天井に揚弾井の丸い穴が見えますね。3つ並んだ窓のうちの一つ。灯り置きです。次に「地下弾薬庫C」に行ってみます。AとBはまったく同型で階段の配置も一緒ですが、Cは若干異なります。前方に見えるのは第
ヒスイまるごとガイドブックには記載されていませんが、三条市下田郷史料館に行ってきました。ここにヒスイ大珠の展示があることは、出土したヒスイ⑥で紹介した三条市歴史民俗産業史料館を訪れた際にパネルの展示で知りました。実は、昨年訪れたのですが、目的のヒスイは何処かに出張展示中ということで、係の人は何処に出張しているのか、何時まで出張してているのか、分からないということでした。あれから暫く経ったので、里帰り展示されているかなと、先日のドライブの帰りに立ち寄りました。で、ありました。
※2023年12月1日書き直し後編では大石浦第一砲台を見に行きます。見取図です。第二砲台は2砲座2門でしたが、こちらは4砲座4門です。しばし歩くと切通しが現れますが、ここが第一砲台の入口となります。切通しを抜けると第2砲座と第3砲座が見えます。第3砲座です。大石浦にある6つの砲座には、いずれも弾室が設けられていません。第2砲座です。あいかわらず胸墻が低いですね。第2砲座後方にコンクリート製のスロープが残っています。このスロープは第2砲座しか確認できません
まずは見取図を掲載します。9㎝加農砲が2門配備された「砲座A」です。左側の加農砲据付部分です。床面には方形や弓型の凹みが見られます。なお胸墻の凹みは即用弾丸置場です。右側の加農砲据付部分を見ろしています。据付部分の用途を記してみました。ココに置かれたのは9㎝加農砲。こんなヤツです(お粗末w明治20年代半ばに制定された加農砲ですが、この火砲には駐退機が付いていなかったので、砲弾を発射するとその反動で砲ごと後ろに下がってしまい、次に撃つ時にまた元の位置に戻してやらないと
[国立公園鉄道の探索]上野原縄文の森地層観察館鹿児島県・錦江湾北岸のシラス台地上にある霧島市国分上野原では、1986年、工業団地を造成中に埋蔵物が発見され、その後の調査により、縄文時代前期から中世にかけての複合遺跡であることが確認されました。上野原の遺跡は「上野原縄文の森」と名付けられたられた歴史自然公園として整備されています。展示館では、発掘された土器なども展示されています。上野原遺跡では、縄文時代早期に造られたとみられる、貝殻で文様をつけ
佐瀬川堡塁は、東南方向から迫る敵上陸兵に対して防御陣地の拠点となるべく築城された堡塁でした。地図で場所を示します。佐瀬川堡塁の履歴です。◆起工:明治36年(1903年)5月7日◆竣工:明治37年(1904年)5月18日◆備砲:(低地)九糎加農砲6門、(高地)三十一式速射野砲4門◆設置標高:(低地)139.60m、(高地)152.50m◆廃止:大正3年(1912年)備砲全部撤去→昭和7年(1932年)3月・全部除籍◆参考リンク:「由良要塞の概略」はこちら→→→
▼自己紹介はこちら★1ペソ=約10円(当時)2005/2/23初遺跡ティオティワカンさてさて、今日はメインイベント。メキシコ最大の都市遺跡ティオティワカンへ行ってきた。シティからバスで1時間くらいのところにある。最初、日曜日は無料ときいてたのだが、それはメキシコ市民だけらしい。訂正しましょう、「歩き方」。ツアー客が来て混む前に見たいので、早朝6時半時に出発。2回地下鉄を乗り換え、バスターミナルでチケットを買ってバスに乗り、8時過ぎには着いた。
先月1年ぶりに友ヶ島を訪れましたが、新たに確認した遺構がありましたのでレポートします。友ヶ島第三砲台左翼観測所の東方150m地点に観測所と思しき遺構があります。史料で確認が取れませんでしたが立地的に第三砲台の関連施設と思われますので、「第三砲台の補助観測所」として書いていきます。なお第三砲台は4回に亘ってレポートしましたので下記をご覧下さい。==============・その1(地下弾薬庫)・その2(砲座)・その3(地下弾薬庫、掩蔽部)・その4(地上施設)・友ヶ島の施設概
[マッド・フラッドとタルタリア帝国]200年前に起きた「滅亡の洪水」地球上の人類が洪水により滅亡したという話は、旧約聖書の創世記に記述されてる。「ノアの大洪水」からしることが出来る。これが、教訓や作り話ではない証拠に、世界中に洪水伝説が伝えられていて、また先日のパキスタンを襲った大洪水で国土の1/3が水に覆われた事を思うと、天変地異により世界中でこのようなことが起これば、私たちの住む陸上は水に覆われるのだと痛感する出来事になった。ただ、「ノアの大洪水」に関して言うと、いつ起きたかは
佐伯海軍防備隊は呉鎮守府指揮下の呉防備戦隊の一員として、昭和14年(1939年)に開隊されました。大分県佐伯市に本隊を置いて特設駆潜艇などの特務艇を保有するとともに、島嶼部には防備衛所や見張所、海面砲台を配し、豊後水道の対潜哨戒・撃退を任務としました。◆昭和17年1月1日時点の編成防備衛所(甲):鶴見崎、高茂崎防備衛所(乙):大島、由良崎、芹崎、日振島、高島、鵜来島(工事中)、保戸島(工事中)海面砲台:芹崎、鵜来島機銃砲台:野岡山(濃霞山)仮設見張所:高島、水ノ子、深島、沖ノ島
この日は向かいの山、ワイナピチュへ登ります。あ、ワイナピチュはこの山のことです。笑ここへは約往復2時間程の登山。午前中しか入場がありません。私たちは7時からの入場の為、朝の5:30のバスに乗車しかし、5時10分くらいにバス停に着いたのですが、やはりもうたくさんの人が並んでいました😂恐るべしマチュピチュ。笑それでも、2台目のバスには乗車でき、昨日とは違うルートからワイナピチュの入り口まで歩いて向かいます♪今日も晴れてるなぁーーー😂☀️しかし、ここの天気ホンッッッットにコロコロ変
■今週の【NHKのど自慢】は北海道遠軽町【芸術文化交流プラザ】から御送り致します。遠軽町の人口は約Ⅰ8,000人…"あなたの街のみんなのステージ"【NHKのど自慢】…司会の二宮直輝アナウンサーです。■本日のゲスト御紹介します。■ビタミンボイス三山ひろし君です。■初登場❗北海道出身★半崎美子さんです。盛り上がって参りましょう❗■ではトップバッターから…①合②不③不④不⑤合⑥合⑦合⑧不⑨不⑩不⑪不⑫不⑬合⑭不⑮不⑯不⑰不⑱不⑲不⑳合20人中…6名の合格です。■此処で遠軽
フェリンヌのブログへようこそ!こちらでは『海外のユニークな旅先ばかり』をご紹介しています。『私の旅づくりへの思い』はこちらへペルーといえば、行ってみたい世界遺産ランキングでは常に上位にランキングする“マチュピチュ(MachuPicchu)”で有名な国。そして“マチュピチュ”といえば「インカ文明」ですね。その担い手は、13~16世紀にかけて南米アンデス地方に栄えたインカ帝国です。特に“石造建築”に優れていたインカ帝国、あの“カミソリの刃一枚通さぬ”と称される精巧