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武士(もののふ)の取り伝えたる梓弓かえるやもとの栖(すみか)なるらん・・・吉川経家辞世の句三階櫓跡自害後、その首は秀吉の下に届けられた。秀吉は首を見るなり「哀れなる義士かな」と言って男泣きしたと伝わるその後、安土の織田信長のもとに送られ、信長によって丁重に葬られた二ノ丸、現役の頃仲間たちと花見をした墓所は城内の青木局と呼ばれる場所に建てられたが、慶長6年(1601)に池田長吉が入城して城を改修した際に、城外の円護寺五反田に移された平成5年(1993)、鳥取城の麓に高さ2.5mの
ふと、思い立って…鹿児島県の知覧特攻平和会館へ行きました。特攻隊員の遺書を中心に2時間半近く見たのですが時間が全く足りません。遺書は父・母親、家族、親戚、友人、恋人宛ですが……実は、現在を生きている私たちに宛てて送られている手紙になっているなあと気づきました。時空を超えて送られている手紙…隊員たちはそのつもりではなかったとしても…私たちに届いている。この「ラブレター」を私はときどき読み返さないといけないと強く思うことでした。ずうっと忘れないためにも…2025.5.19FB(1年前)