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今年2023年(令和5年)はお大師様の御生誕1250年にあたる記念すべき年になります満1249歳おめでとうございます50年に一度の大法会はじめ、真言宗のお寺各地お祝いムードで大賑わいとなっていますね生まれ故郷の善通寺では、『瞬目大師』(めひきだいし)の御尊影がご開帳されているとの事でこちらは50年に一度のご誕生or御遠忌などにしかお目にかかれない貴重な機会で行ってきましたというか6月いっぱいかと思い込んでいて月末に行こうと思っていたのですが、こないだ
神戸の大龍寺へ行きました近畿不動の時に来て今回で3度目ですが今回初めてお参りする友達の案内です。摩耶山など六甲山系ハイキングコースはたくさんのルートがあるようですが、その中で比較的西側にあるコースで神戸市が「永久植生保存地」として保護に努めてきたので、大変緑深い良い場所にありますよ。大龍寺の住所が神戸市中央区なので、どんな都会のお寺と思うかも知れませんが、めっちゃ山奥です山門の前に、駐車できます。気持ち良い木々の間を歩きます途中、西国三十三所石仏群あり。
2022年11月5日朝9時に国営平城宮跡歴史公園に来て観光をしています。「平城京あらまし」の説明書きがありました。平城京は、奈良時代の日本の首都のことです。藤原京から遷都するにあたり、710年に唐の都長安城を模倣して大和国に建造された都城になります。中央北域に宮城・平城宮(大内裏)を置き、東西8坊(約4.3km)の面積をもち、中央を南北に走る朱雀大路によって左京・右京に二分され、さらに南北・東西を大路・小路によって碁盤の目のように整然と区画され、全域が72坊に区
奈良時代の学者・阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)(※1)は、養老元(717)年に、吉備真備(きびのまきび)(※2)らと唐にわたり、唐の役人に登用されました。以降、35年間唐にとどまり、ようやく帰国の途につきましたが、その船がベトナム(安南)の沿岸に漂着してしまったため、とうとう生きて祖国の地を踏むことなく没しました。このように、当時、唐への行き来が如何に困難だったかがわかります。宝亀9(778)年には、大伴継人(おおとものつぐひと)(※3)らを乗せた遣唐使船が、唐からの帰路、激しい波浪で艫(とも
正観さんによると…。804年、ちょうど30歳の年、再び伯父(阿刀大足)の前に現れた空海は、遣唐使船に乗りたいと、伯父に頼みました。本物の仏教典に触れること、それを読むこと、それが、空海を突き動かしていました。遣唐使船に乗るためには得度を受けて「官僧」になる必要がありました。官僧になるために朝廷に願書を出し、資格が与えられたのは出航の1ヵ月前。本当にギリギリだったのです。ちなみに、遣唐使船は約20年に1度、というものでした。もしここで空海が中国に渡っていなければ、この壮大
先日(3/16)のホーム・奈良クラブとの試合前、奈良クラブ・サポーターの遣唐使さんと記念撮影しました!アルディ、ミーヤ、遣唐使さんと記念撮影!ようこそ、大宮へ!ステッカーを頂きました。ありがとうございます。(=^x^=)