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『表と裏の顔を持つ...男が詠んだ歌...①』『2024.1.23チノポス書道史③「趣味が功を奏して…」』前回のブログでも記載した通り三筆「嵯峨天皇、空海、橘逸勢」に関する先生のお話をチノポス・…ameblo.jp前回のブログで小野篁が隠岐に流された時に詠んだ歌に関して、記載しました。その続きです。参照チャンネルむっちゃん百人一首篇【11番】「百人一首」かるた大会で勝つための本「百人一首」なんでも辞典---遣唐使に選ばれる男の条件と
日本で二番目に高いビル見えたある。新今宮駅前停留場から阪堺電車に乗りまっせ~阪堺電車に乗るん久しぶり。こんなに本数少なかったっけ?!住吉停留場で降りて~かつてここには平面交差がありました。ここから次の住吉鳥居前停留場までは目と鼻の先(200m弱)。以前、ラジオで笑福亭鶴二さんが、とある兄弟子が落語会のポスター貼るのに住吉鳥居前から住吉まで阪堺電車に乗ったことがあるとおっしゃってました(笑)こちらは「住吉大社」境内にある「種貸社(たねかししゃ)」。ここに、
先週からの続きです。この日はまだまだ異動しますよ❗️小船越というところです。この前に来たときの対馬のブログにも書きましたが、対馬が長細いために対馬を経由する遣唐使船は大回りしないといけないので、面倒だったのでしょう、なんと此処の陸地を修羅を使ったのか、丸太を使ったのか、陸地を越えることによってショートカットしました。しかし此処の岩は本当に積まれたような岩ですが、節理でしたっけ❓綺麗に横に割れています。前に来たときは朝鮮から流れ着いたゴミなので汚かったのですが、この日はほぼほぼ綺麗
遣唐使とは?①奈良時代から平安時代にかけて中国の唐へ派遣した使節団②文化、技術、宗教(特に仏教)、政治制度、法律などの面で中国と日本の架け橋となった。③遣唐使により持ち帰られた文化交流が日本の学問、特に仏教学、産業、政治、法律に大きな影響を与えた④漢字や中国文学の普及、唐風の建築や彫刻、茶の文化などが日本に根付く⑤もちろん、今日の日本文化、産業、政治体制、法体制も中国の影響を強く受けていると言える⑥生粋の日本文化と思い込んでいたものが、実はルーツが中国というものが
本日は早起き。博多から京都へ吉方位の旅。まずは朝食。大好きな「やま中」さんのお弁当。サーモンの漬けが絶品😋ビール🍺が欲しいけど、我慢。京都旅行のときいつもお願いするタクシーさん(個人タクシー)は予約済みで、観光もグルメも得意な優良ドライバーさん(こちらも個人タクシーさん)京都市は個人タクシーさんの質が大変素晴らしいです。まずは平安神宮参拝。はるか彼方、遣唐使の時代にタイムスリップしました。歴史、漢文、古典好きの私は文系です。でも、色彩学の勉強でリケジョであることに気づきました
今まで気になってはいたけれど、勇気がなく・・・買ったことはありませんでした。名前は一度聞けば覚える&何それ?と思うインパクトの強さ初めてその名を聞いた時は中国雑技団の一部かと思いました。お菓子の名前だなんて全く想像できずお店の名前をきいて、あーお菓子なのね!と。ドラえもんの昔の映画で出てきた土器のような形亀屋清永さんの『清浄歓喜団』遣唐使(!!)により伝えられた唐菓子の一種作る時は職人さんも身を清めてから作りはじめるとのこと。なんか適当に食べてはいけない気がして、まだ食べて
本日旧暦の2月25日は菅原道真公の命日です。(改暦は何度もありましたので単純に旧暦に当てはめてます)本日は、新暦で固定された神武天皇祭の日ですが、旧暦でみると菅原道真公の命日と重なる日でもあります。日本中に菅原道真公を祀る天満宮や天神様がありますので、本日お祭りがあるところもあるかもしれません。なぜ「あるかも」なのかというと、道真公は梅を愛したことから梅の花の開花時期と重なる新暦の2月25日にお祭りがされるところが多いようだからです。それもまた道真公が人々に慕われた証ではないかと思います
ということで、人生には、五計が必要だという漠然と生きて、幸運を期待するのは愚。でも、多かれ少なかれ凡人(わたしも)は、そうだよね。五計生計身計家計老計死計の五つです。あ、家計か。あ、生計か。と、思われた方も、いらっしゃると思いますが、日本で一般にいわれているものとは、だいぶ違います。こちらは、中国、宋の時代の思想です。人生、いかに有意義に生きるかという、願い。計画。ちなみに、日本は、唐、随から、多くのものを学びました。遣唐使、遣隋使、ありま
水上池の端でお昼の弁当を食べて、佐紀路を東へ向かいます…広い周濠をもつコナベ古墳の南側を歩きます。『ウワナベ・コナベ古墳』:平城京の北に広がる古墳群のうち、磐之媛命陵とともに佐紀古墳群の東群を構成する代表的な古墳。墳丘の規模などから仁徳天皇の妃、もしくは皇子・皇女の墓の可能性が指摘される。墳丘長はウワナベ古墳が260m、コナベ古墳は210mである。コナベ古墳には両側に造出(つくりだし)があり、一方ウワナベ古墳は、西側のみに造出が存在している。いずれも前方後円墳。コナベ古墳を過ぎて、
先進国って必ず薬学が先進国なのね。薬学が二流で先進国になった国は無いよ。薬学が一流なら、軍事も工業も農業も医療も芸能も、必ず一流になるのね。昔、日本が命がけで中国まで行ってたのは(遣唐使)鑑真和上を呼びに行ったんじゃなくて、薬学を学ぶ事がメインだったはずだよ?でなかったら命がけで行く価値は無いでしょ?優れた薬さえあれば必ず優れた国を作れるのね。戦争でも負けない国をね。それ以外の理由で遣唐使をやってたとは思えないけどね。©洪経世
またまた作ってる最中の替え歌を、一気に追い抜くかのように、何気に口ずさんでたらできてしまったやつを発表することにします。替え歌のテーマは遣唐使に臨む空海です。空海は遣唐使大使である藤原葛野麻呂の乗る一番船、最澄は副司の2番船に乗っていたそうですが、空海は私費で、最澄は国費で渡っています。よく二人を比べて、空海のほうが勝ってるかのように言われますが、国から派遣されてる最澄は任期があったため、居残った空海よりも学べる期間が短かったから仕方ないことなんですよ。また、遣唐使の船は四隻出港しま
えっと...今週末は近畿地方も雨ザーザーでしたので、恒例の【巡礼レポ】はございません。家で阪神のオープン戦を見ながらゴロゴロしておりましたので悪しからず。【光る君へ】のドラマ・レビューのみに徹しまする...。.........いやはや...今週も...目の保養をさせて頂いた一話となりました。吉高由里子のPVと言ってしまえばそれまでですが...とにかく、あの美しさには抗えん!!しゃーないのです。こればっかりは、どうにもならん...。今回は道長とま
ブログを読んで頂き、ありがとうございます。今回は空海について、解説記事を作成してみたいと思います。よかったら、読んでみてください。過去の最澄についての記事も、よかったら読んでみてください。『最澄の魅力にワクワク日本仏教の父の知られざる一面』ブログを読んで頂き、ありがとうございます。今回は最澄について、解説記事を作成してみたいと思います。よかったら、読んでみてください。序章:日本仏教史に輝く星、最…ameblo.jp序章:不思議と神秘の世界へようこそ日本の仏教史において、空海は非常に
昨日はお休みだったのでサッカー観戦(*´Д`*)セレッソは代表戦があるため試合は無く、奈良クラブのホームであるロートフィールド奈良に行ってきました(・∀・)先週のFC大阪に引き続き、関西のJ3クラブのホームを訪れたという事で関西全6クラブのホームゲームを制覇しました(*´∇`*)ロートフィールド奈良には初めて来ましたが、電光掲示板がないのが驚きでしたw誰が出てて今時間がどれくらいなのかスマホで検索しないとわからないではないかΣ(-᷅_-᷄๑)笑ホーム移転前のギラヴァンツ北九州の試合を観
先日(3/16)のホーム・奈良クラブとの試合前、奈良クラブ・サポーターの遣唐使さんと記念撮影しました!アルディ、ミーヤ、遣唐使さんと記念撮影!ようこそ、大宮へ!ステッカーを頂きました。ありがとうございます。(=^x^=)
大きな吉備真備像の傍らには、吉備真備さんの概要説明が。岡山県小田郡矢掛町で産まれた吉備真備さん。新暦を定め、農業を奨め民訴を聴き、律令を定め、内乱を除き、人倫を諭し、カタカナを創始する等、善政を布いた。すごい方。カタカナを創ったのが、吉備真備さん?へ〜。遣唐使に随伴した際に、玄宗皇帝が、その才智に感じ入り、帰国させたがらなかった逸話。一つ目吉備真備の才智があまりにも優れているので、唐人から恐れられ幽閉されている時に、日本にまだ無い本で試そうと計画していることを
神社の向かって左手隣にある吉備真備公園。以前、通りがかりに存在を知りましたが、かなり立派な公園です。すごく綺麗に整備されていまして、遣唐使に因むのか、敷地内には、古き中国の雰囲気を模した建物が建っており、その建物で、地元の方々がうどん屋さんを営んでいます。お昼時だったので、結構、地元の方々が車で来て、駐車場に停めて神社に手を合わせてうどん屋さんに入っていってました館址亭(かんしてい)という、うどん屋さんらしいです。https://s.tabelog.com/oka
奈良時代の外交官(国家公務員)吉備真備をお祀りしている神社。吉備真備さんは、地方豪族にして遣唐使に随伴し、右大臣となる大出世をとげ、囲碁の神様、陰陽道の祖、とも言われてるそうで、こちら、ご出身とのことです。ググると、695-775年えっ。奈良時代に、80歳まで生きてました?とても小さな鳥居をくぐり、お参り。前に、お一人地元の方と思われる小さなおばあちゃまが、とても熱心に手を合わしておられました。地元の小さな神社という雰囲気ですが、立派な公園と、地元の方々でにぎ
ルヴァンカップのFC岐阜戦の寒さが嘘のような快晴のNACK5スタジアム。危ないシーンはあるもののDF陣の踏ん張りで3連勝中の大宮アルディージャ。「優勝でのJ2昇格」には、とにかく「勝つ」ことが必要です!奈良クラブの「遣唐使」様。これで近鉄奈良駅から新幹線に乗ってきたんですって。私もミーも大宮アルディージャのユニフォームに乗ってアウェイ遠征はします。が、リスの恰好しては出来ないです。遣唐使様の奮闘に敵ながらあっぱれ!です。観光を兼ねて今度は遣唐使様に会いに奈良へアウェイ遠征に行くもいい
【我が国は、倭国ではない】歴史の本を見ると、古代の我が国を【倭国】などと表記していますが、元々「倭」は支那王朝が付けた蔑称で「みにくい」という意味です。なので、日本人自らが古代の我が国を倭国と呼称するのは、自らを蔑んでいることになるということに現代人の僕たちは、気がつかなければならないと思います。「旧唐書」によると遣唐使は、初めて国号として日本を名乗り、その理由を説明したといいます。同書は「日本国は、倭国の別種也。其の国、日の辺に在るを以って、故に日本を以って名と為す」「倭国自ら其の名の雅や
龍田大社にお参りしたら奈良駅の方に向かいました。来てみたかったのが平城宮跡歴史公園これは復元された大極殿国営平城宮跡歴史公園国営平城宮跡歴史公園は、奈良時代の遺跡が保存・復原された公園で、世界遺産にも登録されています。どなたでも自由に散策したり憩いを楽しめます。www.heijo-park.jpまあ〜この時代はげんなりするほどいろいろあった時代ですね〜〜😭これを書き始めるともうめちゃくちゃ長くなるから😅平城宮の遷都は元明天皇(女帝)の時で初めてせんとくんを見た時
中国にはかないませんよね。遣隋使、遣唐使の昔から学ばせてもらってますしね。国を挙げて、国民を挙げて前進する、力がありますからね。*●日本ラエリアン・ムーブメント**https://www.ufolove.jp**●無限堂出版**http://www.mugendo.co.jp/index.html*
【倭国の遣唐使と日本国の遣唐使】旧・新唐書には七世紀の遣唐使の中に、「倭国から来た」と名乗るものと「日本国から来た」と名乗るものが両方いたと記されている。『旧唐書』日本国伝には、「日本国は倭国の別種」、「倭国はその名前が雅でないのを嫌って日本と改めた」、「日本は旧くは小国だったが、倭国の地を併せた。」などと記されている。『新唐書』日本伝には、「倭の名前を嫌って日本と改めた。」、「国が日出処に近いので日本とした。」、「日本は小国で倭に併わされたが、倭は日本を名乗った。」
画像はお借りしました。能登半島大地震に伴い被害を受けられ被災なされました皆様には心からお見舞い申し上げます。一日も早く復旧復興を祈願させて頂きます。🙏訪問して頂き、いいね👍フォロー有り難う御座います。仏教ランキングに参加してます。ポチ宜しくお願いします。m(._.)m励みになります。😊『日本と世界の宗教がひと目でわかる!』引用させて頂き投稿させて頂いてます。宜しくお願い致します。🙇編者紹介(下記引用)歴史の謎研究会[歴史
中国の技術が世界を席巻する日が来るのですね。日本もかっての、遣隋使、遣唐使の時代が来るのでしょうか。*●日本ラエリアン・ムーブメント**https://www.ufolove.jp**●無限堂出版**http://www.mugendo.co.jp/index.html*
【遣唐使がもたらした律令制と仏教】七世紀の遣唐使は、舒明二年(630)から天智八年(669)までの間に、計六回派遣されている。その間に少なくとも数百人が渡唐し、半数程度は帰国することができたと考えてよいだろう。建国したばかりの唐は律令による政治体制を目指していた。また玄奘三蔵がもたらした仏典によって新しい仏教解釈がはじまり、各宗派が開宗し始めたころでもあった。遣唐使たちは最新の仏教文化に直接接することができた。遣唐使団には留学生や学問僧も含まれており、唐の制度・思想・文化な
いつも読んでいただきありがとうございます。前回の続きです。旅2日目おはようございます。早朝6時半から朝食サービスを利用します。白米、炊き込みご飯です。漬物です。(左から)マカロニサラダ、ブロッコリーです。(左から)唐揚げ、玉子焼きです。(左から)ウインナー、焼き魚です。ひじきです。ポタージュスープ、コーンスープです。味噌汁もありました。(左から)パン、オレンジジュースです。
前回のブログでも記載した通り三筆「嵯峨天皇、空海、橘逸勢」に関する先生のお話をチノポス・書道史に沿って御衣黄の覚書から、記します。*詳細が気になった方は著書やYoutubeを探して拝見してくださいね。因みに、題の日付は学んだ日です。よろしければ、お付き合いくださいませ。参照youtube「超速!日本文化史の流れ~書道史~」「竹内の書いて覚える~書道史篇~」・橘逸勢と空海の出逢い二人は、同じ遣唐使船に乗っていた。共通の趣味(書道)を持っていた為、馬
(135)ふりさけ見れば難波津に咲くやこの花冬ごもり今を春べと咲くやこの花王仁(わに)博士(現代訳)難波津に梅の花が咲きましたよ。冬の間はジッと待っていたけれど、今はもう春になったから花が美しく咲きましたよ。応神天皇の招へいで、百済(くだら)から渡来した王仁博士が、仁徳天皇の即位を喜び、梅の花にこの和歌を添えて、奉ったと伝えられています。百人一首の競技かるたの冒頭では、読み手が百人一首とは関係のない和歌を一首読みます。それがこの『難
【日本書紀に記された六回の遣唐使】『日本書紀』には七世紀に倭国あるいは日本国から合計六回の遣唐使が行われたことが記されている。このうち第一回遣唐使は旧・新唐書にも記されている。日中史料の記載内容は大きく異なっているが、唐からの送使高表仁などが共通しているので遣唐使が行われたこと自体は史実と考えることができる。第二回と第三回は派遣時期が重なっており、時期的には、『旧唐書』(高宗本紀)永徽五年(654)十二月、『新唐書』日本伝永徽条に記された遣唐使記事に該当するが、旧・新唐書の