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これ、学校で習った?**遣唐使**は、日本が中国の大帝国「唐」から最先端の文化や制度を学ぶために送った国家プロジェクトです。**遣隋使**の発展版ともいえる存在です。■いつ行われたのか7世紀初め〜9世紀後半(約260年間)約20回ほど派遣👉長期間にわたる、超重要な国際交流でした。■何のために行ったのか目的はシンプルです。👉「世界最先端の国・唐から学ぶ」当時の唐は、世界トップレベルの文化国家でした。■何を持ち帰ったのか遣唐使が日本に与
「白く塗る化粧」パート1白は潔白や高貴・神聖の意味があり、多くの国で共通しています。神話の登場する神・天使・聖職者などの衣装の多くは白です。日本でも神主や巫女の衣装は白が使われています。また動物でも白鳥や白馬なども神聖な生き物として特別なもので、今でも世界中の多くの国で語り継がれています。日本では白く塗る化粧は平安時代から始まるそうです。そして鎖国の江戸時代が終わると外国の文化と本格的に関わり、明治維新から大正時代までの約1000年間も
お雛様が、あちらこちらに飾ってあって、とても華やかでした🎎遣唐使船⛵それでは、帰ります➰👋😃購入したお土産👛【送料無料】奈良素敵なカフェ&お店案内こだわりのカフェ・パン・スイーツ・雑貨たち/あんぐる/旅行楽天市場1,848円遷都1300年人物で読む平城京の歴史[奈良の都を彩った主役・脇役・悪役]【電子書籍】[河合敦]楽天市場1,320円女帝・皇后と平城京の時代(読みなおす日本史)[千田稔]楽天市場2,420円平城京の役人た
本日旧暦の2月25日は菅原道真公の命日です。(改暦は何度もありましたので単純に旧暦に当てはめてます)日本中に菅原道真公を祀る天満宮や天神様がありますので、本日お祭りがあるところもあるかもしれません。なぜ「あるかも」なのかというと、道真公は梅を愛したことから梅の花の開花時期と重なる新暦の2月25日にお祭りがされるところが多いようだからです。それもまた道真公が人々に慕われた証ではないかと思います。また、毎月25日を月命日としてお祭りされるところもあります。菅原道真公ゆかりの神社はこちらに
神功皇太后摂政紀の編年方法が複雑で、生野先生の解明手順(改竄手口の見破り方)をなんとか分かり易く説明したいと思っているのですが、正直、むずかしいの一言8世紀の「記紀」編者達の手元には12世紀に編集された『三国史記』は無かったわけで、どうやって新羅征伐の実年代が364年だったとか、百済王の系譜の実年代を知ることが出来たのか気になってなかなか次に進めない生野先生によると、当時の朝廷には歴史科学者の集団がいて、彼らが遣唐使として中国に渡り、中国の高度な歴史科学を学ぶと同時に多くの書籍を持ち帰
春の陽気に誘われ4月8日、久しぶりに平城宮跡歴史公園に向かった。つい最近完成披露された大極門東楼を見学しようと。朱雀門を遠望しながら北に進む。ところが門の石段が赤く染まって、いつもの景観と異なっていた。石段を覆う赤い敷物の上には無数の点々のようなものが見える。近づくうち、その点々が雛人形だったのがようやく分かった。案内板で2月下旬から「平城京ひいな節(ひいなのせっく)」という催しを開催中だったことも初めて知った。昨秋、実行委員会がこの催しのため雛人形の寄贈を呼び掛けたところ、なんと30
[陸奥国白河郡]一ノ宮都々古別神社(八槻)日本武尊が「八溝山」の東夷を討った際、尊を守護した三神が「建鉾山」に隠れたので、東方に箭を放ち箭の着いた地に創建したと伝わる。*画像はWikiより◆土蜘蛛三十五顧(「蝦夷」編~2)「蝦夷」編の第2回目。これまで深く学んだことのなかった「蝦夷」。いろいろな資料や研究書、論文等を学びながら記事を作成していますが、なかなか面白いものです。学び立てホヤホヤの知識を満載にして揚々と記事を上げたいと思います(笑)~*~*~*~*~*~*
東向き商店街にあったんすよね〜、チョコミント専門店。次に奈良を再訪するまで、頑張って営業しててほしいな〜。さてさて、法起寺を後にして、『さぁ、どうするか?』。一応見てみたけど、バスはほとんどない!駅まで結構あるし、雨も心配。かと言って、タクシー呼んで楽するような発想もお金もない。なので、ふっつーに歩きました⭐︎⭐︎案内の看板があるから迷うような事はないし。大体30分ちょいでしたかね。行きとは違う、車の通りが多い道を行ったのですが、道幅が狭くて結構おっかなかったです(*_*)駅
同年輩のご夫婦が営まれる理髪店が、高齢のために店仕舞いをされるとのことで、最後の散髪をしていただくために、油小路仏光寺の交差点にあるお店へ。なかなか、京都の縦横の通の名前を暗記できず、辿り着くのに難儀し、お店の方に迎えに来ていただいてたりしてて、やっと暗記できたと思った途端で残念です。閉店日まで、長年のお客さんの予約がぎっしりで、名残を惜しむ時間もままにならず。跡は、息子さんが喫茶店を営まれるとのこと。幼い頃に、亡母が、「お前の右の額の上の髪がカールしてるところが良い
今日、近くの淀川の堤防を散歩しながら、咲き誇っている花々を愛でていて出逢いました!白い水仙ナルキッススパピラケウスニホンスイセンって、真ん中の部分副花冠(ふくかかん)が黄色だとばかり思っていたのですが、白の水仙に気がつきました。そういえば、他の場所でもしろっぽい水仙だなぁと思いながら通り過ぎていたなぁと思い出しました。ナルキッススパピラケウスというニホンスイセンと同じく房咲き水仙の一種なのですって。わぁ、知らなかったわぁ・・・(
以下、『江談抄』(『新日本文学体系32』、岩波書店、1997年)より。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー第3(3)安倍仲麿[あべのなかまろ]歌を読む事「霊亀二年、遣唐使と為り仲麿、渡唐の後、帰朝せず。漢家[かんか]の楼上において餓死す。吉備大臣後[のち]に渡唐の時、鬼の形に見[あらは]れて、吉備大臣と言談[げんだん]して唐土の事を相教ふ。仲麿は帰朝せざる人なり。歌を読むことに禁忌有るべからずといへども、なほ快からざるか、いかん」と。師清[もろきよ]、手づから返すなり
平城宮跡歴史公園で、今年初開催の「ひいな節」ってイベントが行われていると知って、お出かけしてきました👟゛👟゛平城宮跡に到着🙌向かって右手に大文字山、左手に若草山⛰️ここからは、遠目ですが、若草山の山焼きや大文字焼きが望めます🧐メインのひいな節会場は朱雀門うわぉー😲門にぎっしりとお雛様が🎎近づいていくと👟゛👟゛これが3列もあって圧巻でした👏ここから別の展示会場へ移動👟゛👟゛ずっと奈良に居ながら、平城京が「ひな祭り発祥の地」だったとは知らなかった😅云われの説明には👇️上巳(じ
新落語誰もが知っている。「時代の話」今宵は、とうじこのような言葉があるのはそれは、誰もが知っている。時代それからどうした文字を変更遣唐使から遣隋使そしてどうなった流れ行くその心はしだいにつまり時代こんなのどうでしょう書けるもんなら書いてくれ
住吉大社の前までやってきた。関取ののぼりが立っていた。春場所の相撲の部屋があるようだ。立浪部屋がここにあるようだ。住吉大社の中に少しだけ入った。前にこの橋の上から阪堺電車を撮ったことがある。遣唐使がこのあたりから出発していったそうだ。阪堺線で恵美須町の方へ戻るか、上町線にするか、南海本線に乗るかと迷った結果、上町線の次の駅まで歩くことにした。雑草をぼけさせて撮った上町線の電車。神ノ木駅に到着。すぐ横を南海高野線が通っている。天王寺駅
久々に住吉大社に行く。現在は立浪部屋が宿舎として利用されてます。遣唐使の地太鼓橋これは一応は一方通行だが守らない人ばかりです。一応、国宝何故か知らないが外人が増えてる。前まで外人は全く見かけなかったのに。初辰さん何故か、女性の参拝客が増えてる。キン肉アタルのマンホール高燈籠。阪神高速が出来た為に場所がこちらになりました。たまに入れます。真夏に高燈籠の上に行くと、めちゃくちゃ暑いです。
Quovadis日本?北京、3月8日イラン攻撃を受け、中国の王毅外相は「この地域の問題は彼ら自身で解決すべきだ」と当然すぎることですが語られたそうです。「中東諸国は、この地域の真の主人であり、中東の問題は、この地域の国々が自ら解決すべきである」と同外相は、全国人民代表大会の年次総会における記者会見で述べられました。「カラー革命」の煽動や(外部からの)政権交代は、深刻な問題を解決する正しい方法ではない」と強調また「中国とロシアの関係は
おはよ〜(*´∀`*)ノ"♡住吉大社の続きです。楠珺社。初辰まいりです。途中にお伊勢さん楠珺社。「撫でうさぎ」「五大力」「五」「大」「力」の石を持ち帰って、願いが叶えばお戻しするという縁起の良い「石」です。侍者社。良縁の神様です。境内を出て少し歩くと「大歳社」に「おもかる石」があります。ここでまた、若者複数人グループと遭遇。本当にうるさい。私がやり方を読んでると後からやって来て、「これ、どうやってやんの、どうやってやんの。」とか、とにかくギャーギャー騒ぎます。もう幼稚
おはよ〜(*´∀`*)ノ"♡大阪市にある摂津国一宮「住吉大社」に行ってきました。前回参拝時は時間が無かったのですが、今回はたっぷり時間を取って参拝しました。遣唐使進発の地。随分昔から栄えていた場所なんですね。反橋。結構な斜度です。ここで若い女子3人組と遭遇。この3人組がギャーギャーうるさいし、ダラダラするし。写真も一人一人が「この角度だとどうのこうの。」と言いながらと撮るので、なかなか順番廻ってこなし、みんな待ってるし。もうちょっと人の迷惑考えてください。3人以上集まると「うるさ
夫の検査入院は、4人部屋でした。その向かいのベッドにおられるおじいさんが、看護師さんと話しておられる会話が聞こえてきました……。(生駒山を望むスッキリ晴れた日-電波塔がたくさん見えますーあの向こうに大阪の街がー生駒山は、遣隋使、遣唐使が難波津で船に乗るため、のぼっておりた山です。)「このまま、ずっと入院しときたいねんけど」「……」「ここにいたいねん。家に帰りたくないねん。ずっとおらせてくれへんか?」「それは、だめやわ」詳しいことはわかりませんが、看護師さんに懇願されています
四大文明の他にも様々な文明があるの和多志の言葉に加害組織の信者は異常に反応してました。遣唐使の教科書通りの返答には嬉しそうでした。日本を消滅させたい連中らの思惑に進めさせてはいけない!
百人(ひやくにん)一首(しゆ)之(の)内(うち)参議篁(さんぎたかむら)わ多(た)能(の)原八十(やそ)嶋可(か)けて漕(こぎ)いてぬと人尓(に)ハつげよ蜑(あま)の津(つ)りふね古今集(こきんしふ)羈旅(きりよ)の部尓(に)入(い)累(る)古(こ)連(れ)ハ𣴎和(じやうわ)二年遣唐使(けんたうし)のこと尓(に)つきて隠岐(おき)の国へ流(なが)さるゝ時の哥なり王(わ)連(れ)ハかくかぎりも志(し)らぬわ多(だ)能(の)者(は)ら尓(に)舩漕(こぎ)て八十(やそ)嶌とて数可(か)ぎ里(り
翠邑日誌Suiyu’sDiary榎本翠邑元書法展会員、元太玄会会員、元瑞雲会評議員同人、元全国書道師範連盟会員、元東京書道教育会会員、英国ではブルネル大学ギャラリー、アルバートホール等での展示、英国BBCテレビ「天皇」等があり、また「俳画」・「水墨」・「書」・「花」等の書の担当での出版物があります。東京生まれ榎本翠邑の百人一首7番阿倍仲麻呂2月榎本翠邑の百人一首7番阿倍仲麻呂天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも
続いては、遣唐使船に乗って日本に帰ってきた空海が立ち寄ったという大寳寺西の高野山と呼ばれてるそう。本堂に上がらせていただきお祈りする🙏拝観される人は私達だけ。平日だし真冬のこの時期だから少ないなぁーお次は、カトリック井持浦教会⛪️ルルドがありました柵の中からの撮影は🆖なので、柵の外から写しました🤳この後、教会の中をさらっと見学し、お待ちかねのランチへGO🚗メニューに書いてある魚フライ定食は終わったけど、カンパチがあるからそれをフライにできるよーと大将に言われ、迷わずお願いした🐟
「うみねこ姫おとぎ話」No2猫は外来種だということを、知っている方は少ない遣唐使と共に、日本にやってきて、そして、平安時代からコレラ、ペストを運ぶネズミ退治のために輸入されましたという、歴史なのです2015年制作キャンバス油絵の具90.9×65.2㎝#猫#海#猫の由来#海を渡った猫#猫の絵#やまがゆみこ
五島で宿泊中の夜、どこからともなく「パンッ!コンッ!パシッパシッ」見えない命達がラップ音で「気づいてー」と、呼びかけてきました。意識を合わせてしまうと眠れなくなるので「ごめんなさい。今は寝ます!」と気にせず眠りにつきました翌朝向かったのは、三井楽半島の柏崎日本のさいはての地を去るという意味の「辞本涯」の碑がある(案内板より)遣唐使船の最後の寄港地であるといわれている。(案内板より)宿のラップ音はここの命たちに呼ばれたものでした。言葉にならない強い無念が伝わり我が
唐高宗李治農暦628年6月15日卯刻グレゴリオ暦換算628年7月21日卯刻年戊子月己未日庚寅時己卯空亡:午未大運:6庚申、16辛酉、26壬戌、36癸亥、46甲子、56乙丑、66丙寅、76丁卯、86戊辰、96己巳・日主の根が欲しい。申運酉運は比較的安定していたが、甲運から陰りが見える。地支をきちんと制御していたほうが運が良い。・後妻(則天武后)が権力を有することが命式に出ている大運年運出来事庚申丁酉637年父太宗が則天武后(武則天)と結婚辛酉癸卯643年皇太
唐太宗李世民農暦598年12月21日戌刻グレゴリオ暦換算599年1月23日戌刻年戊午月乙丑日戊午時壬戌空亡:子丑4丙寅、14丁卯、24戊辰、34己巳、44庚午、54辛未、64壬申、74癸酉、84甲戌、94乙亥・技術や知性の集まるところを徹底的に制御する。・本人は世の中で目立って活躍する。大運年運出来事丁卯甲戌614年長孫皇后と結婚丁卯丁丑617年父李淵と挙兵、長安を攻略し秦王に丁卯戊寅618年唐建国、父李淵が初代皇帝に戊辰丙戌626年玄武門の変
「うみねこ姫おとぎ話」猫は外来種だということを、知っている方は少ない遣唐使と共に、日本にやってきて、そして、平安時代からコレラ、ペストを運ぶネズミ退治のために輸入されましたという、絵画説明でした2015年制作キャンバス油絵の具90.9×72.7㎝#猫#海#猫の由来#海を渡った猫#猫の絵#やまがゆみこ
中華菓子の種類も多く大昔から、中国から日本に伝わっているお菓子も多いのだろうなぁ〜と調べたら、遣唐使が「清浄歓喜団」という飴を米粉などの生地に包み、油で揚げたものが最古と言われているらしい🇨🇳その製法を受継ぎ1617年に創業された京都の「亀屋清永」にも、行ってみたくなった🥰中華菓子も大好きなので、美味しく頂きました。ごちそうさまでした😋🌸🔮本日1月30日:金曜日横浜中華街「縁占館」「大通り本店」にて中華街大通りの大きな木の前の店舗です。「萬福孫子」として11時〜
平安時代、日本語は中国語に毒されていた。平安時代、日本語は中国語のような発音をしていたようだ。これは私の持論だが、奈良時代後期は日本のお偉い官僚はほとんどが中国から渡ってきたエリートか遣唐使で中国に渡ったエリートが支配していたようで、第二公用語が中国語のようだったようです。今の日本で会社の公用語が英語のようなものでしょう。官僚では中国語が飛び交っていたようです。日本のエリート、中国から渡ってきたエリート、お互いに話が通じるのは中国語、唐語のほうが早かったのでしょう。その日本のエリート