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これが日本兵の姿ですhttps://t.co/g9ysPnwJBZ—五十嵐勉🌅火水風💧(@TsutomuIkarashi)June10,2025日本兵は南京市民を殺していません「南京大虐殺」の証拠として使われた写真は、1937年7月29日に中華民国河北省通県(現在の北京市通州区北部)で起こった「通州事件」のときのものだったそうです。■通州事件とは日本が設立した冀東防共自治政府の中国人保安隊が反乱を起こし、日本軍の通州守備隊と通州特務機関および日本
通州事件①は→ここをクリックしてください。通州事件②は→ここをクリックしてください。事件は7月29日に起こりました。通州虐殺に参加したのは第1総隊、第2総隊、教導総隊の3つの部隊約3000名で、午前0時に行動を開始しました。まず城門を閉鎖し、電話線を切断して外部との連絡を遮断しておき、午前3時に日本軍守備隊を襲って制圧し、10名ほどの要員からなる特務機関を全滅させました。ついで青竜刀と銃剣で武装した反乱軍は、無辜の民間人を襲いました。日本人の住む家屋はことごとく
「通州事件」学校では教えていません。1937年7月29日(83年前の今日)北京郊外の通州で発生した日本人虐殺事件。日本人居留民225名と日本軍守備隊32名が虐殺されました。襲ったのは日本人を守る立場であった中国人保安隊約3000名。■15才くらいの女の子の陰部に銃身を突き込み、陰部を銃剣で切り取り、腹を縦に裂き、首を切り落とし、その首を父親の方へ放り投げる。■10人の手の平を銃剣で穴を開け針金を通し、数珠繋ぎにして男根を切り落としていく。■強姦・輪姦し、腕を切り落とし、胸