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当ブログでもこれまでもご紹介しておりますように、西鉄バス筑豊の福岡県飯塚地区(飯塚本社運行)の路線バスと言いますと、飯塚バスターミナルを中心に、東方面の近畿大学、南方面の(東側)上山田・西鉄大隈、(西側)明星寺団地やイオン穂波店、西方面のせき損センター・坂の下方面を中心に運行されております。近年では、低床車両の導入が目立っておりまして、いずれもワンステップ以下の低床車両が一般路線で目立っておりますし、行先表示も幕式の行先は見られなくなっておりまして、いずれも路線車両はLED行先とな
去る3月12日のダイヤ改正で、釧路運輸車両所のキハ40(釧路40)の定期運用が終了し、JR北海道における同車の活躍範囲はますます狭められる事となりました。キハ40形100番台の2次量産車が投入された1979年以来、長年に渡ってJR北海道釧路支社(旧国鉄釧路鉄道管理局)管内で活躍してきたキハ40形が一気に電気式気動車H100形に置き換えられたというインパクトは大きく、40ロスにさいなまされている鉄道ファンの方も決して少なくはないハズです(私もそのウチの1人ですが…)。もっとも、私は
2023年12月28日、南海2000系2035Fが千代田工場でのワンマン運転対応改造を終え、千代田工場から羽倉崎検車区まで回送されました。北野田にて。車体前面に「ワンマン」のシールが貼付されています。住吉東にて。「ワンマン」シールはこちらの写真の方が分かりやすいですね。2連でホーム端にちょこんと居座っているのも違和感があります。発車シーン。入場時は前照灯が従来のハロゲンライトでしたが、今回LEDライトに換装されています。この車両は今までは高野線で活躍してきましたが、これからは汐見
佐賀県内の西唐津~唐津~久保田(・佐賀)間を結びます唐津線、唐津・山本~伊万里間を結びます筑肥線(西線)と言いますと、画像の唐津車両センターに所属しますキハ40系気動車(キハ47形)・キハ125形気動車が運行されておりまして、日中は1両・2両各編成の列車が運行されている事はこれまでも当ブログでもご紹介しておりましたのでご存知の事と思います。これら列車は、唐津線に関しましては朝夕の一部の列車を除きまして、筑肥線(西線)に関しましては全列車ワンマン列車による運行となっておりまして、そう
□北海道中央バス画像はありませんが、12/21の18:30過ぎごろ、エルガLTの札幌200か1650を野幌駅北口にて確認しました。その後回送表示で発車していきましたが、恐らく江別に転属しすでに運用入りしているのではないでしょうか。転属であれば江別では唯一のエルガLTとなり、また滝川唯一のエルガLTが放出されたことになります。かわりの廃車が気になるところですが、12/12に江別営業所前を通りがかった際、しっかりとは確認できていませんが札幌200か2944と思われるブルーリボンの前面行先LE
まさか…とは思ってはいたんですけどね。先月、特急おおぞら号から完全撤退し定期運用から退いたキハ283系が、どうも石北特急(オホーツク/大雪)に転用されるのが事実らしいという事がネット上でザワついてるようで。そこでイラストHMを合成したインチキ画像を作成してみました…😓実際にはこんな風にはならないでしょうが、またあの旅情を何も感じさせない「OK」マークにはならないで欲しいというのが正直な処。『大雪』はあの絵柄が現行の3色LEDには相応しくないというか表現が難しいので、一体どうなる事やら。ど
鹿児島車両センターに所属します817系電車は、現在後述のように鹿児島地区・宮崎地区それぞれで31編成62両が運行されておりまして、南九州では主力の位置に付くほどにまで見られております。これら編成は、いずれも各地から転属してきた編成で構成されておりまして、いわゆる新製からの編成はなく、転属しまして上の画像2の青「CT」ステッカーに変わっております。それでもこれまで運行されてきておりました475系・455系・713系・717系・415系各電車、キハ40系気動車の運用を継承しておりまして
西鉄バスが、西肥自動車(西肥バス)と共同で運行されております、福岡~佐世保線「させぼ号」、福岡~ハウステンボス線は、これまでもPART2からご紹介しておりますように、最近は日野セレガ・いすゞガーラのいわゆる純正車両の姿が多く見られるようになっておりまして、その結果、これまで使用されておりました西日本車体(西工)架装車の多くは姿を消しまして、「させぼ号」に最も多く運行されておりました平成19年式のE-3架装車は全てが日田バス・亀の井バスに移籍しておりまして、西鉄バスからは姿を消しました。
1992年6月、山陽本線岩国ー下関間で運用される車両の冷房化促進のため関西圏の淀川、奈良、日根野の各電車区から下関運転所に転属してきた16両の103系。国鉄通勤形電車の代表格で大都市向けだった形式が、乗客が少なく駅間距離の長いローカル輸送に就く姿は、鉄道ファンとしては新鮮でした。4両編成4本の103系は翌93年3月のダイヤ改正で広島運転所に移ったため、下関時代はわずか9カ月間でした。一方で趣味的に見ると、元は首都圏で活躍した車両だったり改造車があったりと、個性派揃いでした。当時の4編成
10年前と変わり映えしない東上線と思っていたら大間違いでした💦写っていた車両が今では東上線で見なくなった車両ばかりでした(^^;2012年9月13日の朝1時間程の撮影です。当時の時刻表と照らし合わせれば列車番号分かりますが割愛させていただきます。11638F今も東上線で頑張っていますが、更新されてお顔が異なりますね。11031F奇跡的に今もこのままの原型をとどめておりますが、【準急】表示の色が今は黄緑になっていますね。1164
今日は、社内のコミュニティラジオに菜々実さんの父上と出演させてもらい、今年2・3月は体調が優れず、入退院を繰り返していた事と4月末でCEOを辞職する事を報告させてもらい、先日、来日したグループトップで、投資顧問会社のチェアマンから『新しい取り組み』の成果を評価して頂いた上で、チェアマンから引き続き、エグゼクティブ・ディレクターとして金型製作、試作開発、大量生産が可能な設備が整っているSクラスの複合工場、豊橋ベースを拠点に人事管理、福利厚生を管理して欲しいと提案され、条件付きで引き受ける
JR貨物のEH500形は2車体連結8動軸の交直流電気機関車です。82両が仙台総合鉄道部と門司機関区に配置され東北や九州北部エリアなどで活躍していますが、19年以降に3両が仙台から門司に移りました。EH500形の全般検査は全て大宮車両所(さいたま市)で行われていて、門司所属機は貨物列車にぶら下がる形ではるばる回送されています。そんなことから、門司は遠く離れた出先機関のようにも感じます。仙台から門司への転配属は保安装置が異なっていることもあり行われていませんでしたが、2019年に
6月4日ですのでEF64形を題材にする方が多いみたいですので、私はもう一つの64形にします。クモハユニ64形は元はモハユニ61形として戦時中に横須賀線に投入された形式ですが、戦時下ということで3両登場しても電装されてなく、実質はクハユニという形でした。翌年の1944年に1両がなんとか電動車となりましたが、それ以上の発展はなく終戦を迎えます。1982年10月撮影宮田―赤木電装された1両は戦後に大糸線に転属。後にモハユニ44形に編入されます。大糸線時代に