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松本零士先生のメーテルのイラストの贋作はかなりあるように思います。これなんか怪しいのかもしれません。。。5万5000円もかけて鑑定しても意味がないと思いますし、サインのタッチをもう少しよく見てみます。サイン会の日付入りなんて、ニセモノ師には余裕で思い付くアイデアでしょうから。複製画なんですかね。複製画と印刷の違いがわかってませんが。絵のクオリティも高いですし。。。複製画かも。複製画として直筆とどう見分けるのか、まんだらけの鑑定レベルでないとわからないんでしょうか。これらは、新潟
昭和52(1977)年9月。室内でランニングできる健康マシンルームランナー(日本ヘルスメーカー社)の新聞広告。テレビCMのほうは野坂昭如(作家or自称歌手)が出演し、商品をPRしていたようだが、新聞広告のほうは山藤章二画による各界著名人が走っている姿で、その効果をアピール。数年後にさんざん、漫画『がんばれ‼タブチくん‼』(いしいひさいち作)の劇中でネタにされていた影響もあり、どうしても太った人を対象にした商品というイメージが強かったが、ここに描かれた10人の「ルームランナーズ
タモリが山下洋輔らの招きで1975年6月に福岡から上京後、赤塚不二夫や筒井康隆らの前でその〈密室芸〉の数々に磨きをかけた新宿・歌舞伎町のスナック「ジャックの豆の木」が前年の74年2月に発行したジャックの豆の木新聞「有閑ジャック」創刊号。寄附者一覧に、山下、坂田明、高信太郎、奥成達、三遊亭春馬らの名前がある。☆事前講座+ウォークイベント『西条昇教授と歩くタモリが新宿にいた頃〜新宿アルタ閉館を惜しんで〜』(参加費無料)開催のお知らせ江戸川大学・西条ゼミでは、来たる2025年2月2
自分トフタリッキリデ暮ラスノダ自分ノパンツハ自分デ洗ウノダ自分ハ自分ヲ尊敬シテイルカラソレクライナンデモナイノダ…これは赤塚不二夫と谷川俊太郎とのコラボ詩集の一節です。今年(2024年)谷川さんが亡くなられた時「二十億光年の孤独」と共にSNS等で泣けると話題になりました。私が谷川俊太郎さんを知ったのは今から40年前、劇作家の寺山修司さんがビデオ・レターで往復書簡を始めた相手だって事でした。このお二人に共通しているのは「好奇心の塊」だと言う事です。寺山さんなんか好
ギャグ漫画から、少女漫画までこなす天才漫画家の赤塚不二夫さんの墓参りです。子供の頃は、バカボンやアッコちゃん・もーれつア太郎などテレビで見てました。赤塚不二夫とは漫画家。中国(満州)生まれ。第二次世界大戦後まもなく中国から引揚げ、奈良、新潟で育つ。中学卒業後上京し、工員として働きながら漫画を投稿。このころ石森章太郎(石ノ森章太郎)を中心とする「東日本漫画研究会」に参加。また、豊島区椎名町のトキワ荘に移り、石森、藤子不二雄、水野英子らと共同生活をする。1958年(昭和33)、『漫画王
令和7年1月5日暖かい布団の中、目をこすりながら起き上がる。あぁ、今日もいい目覚めだ。うん?あれ??なんか、お尻の左側に違和感が……濡れている…おいにー確認。え?うそでしょ??まさか…はい。やりました〜大人になってから、おそらく2度目の夜尿病です。子供の頃はおねしょ大人になってからは夜の尿に病と書いて夜尿病。病です。そうです。病なんです。なんで?なんの??まじ、謎です。小松未歩パイセンのあの曲が頭で流れ続けてます。小松未歩パイセンの曲を口ずさみながら、
シェーをもう知らない世代も多くなりました。このポーズも形式美のような拘りが結構ありますね。(靴下含む)イヤミ名前の通り、嫌味な男性。漢字表記は「井矢見」。痩せ型で3枚の出っ歯と口髭、当時人気を博していたビートルズ式の長髪が特徴。話す際に語尾に「~ザンス」と付ける癖がある。一人称は「ミー」、二人称は「チミ」。手足を曲げながら「シェー」と叫ぶギャグは国民的な流行語となった。トニー谷がモデル。ほとんどの話では独身の設定でモテない場合が多い。職業や役割は様々。原作初登場時は医者の役だった。
トキワ荘マンガミュージアム豊島区立の熊谷守一美術館がありました。ここは熊谷守一の自宅だった場所です。次は豊島区立長崎公園。西武池袋線の踏切を越えて南に向かって歩きます。10分足らずでトキワ荘マンガミュージアムに到着です。ここは今年5月にも訪れたところ。手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫などの有名漫画家たちが若手時代に暮らしていたアパートが復元されています。「トキワ荘」から東にのびる商店街。トキワ荘通りという名前です。昭和の文化、暮らしぶりが展示され