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「大坂の陣」って、戦国最後の決戦、と言われるけど。実際のところは、強大な幕府権力に、(かつては名家だったにせよ、いまは)単なる一大名が叛乱を起こして、鎮圧された、というだけのもの、とも言えます。所詮は島原の乱と同じです。豊臣に万に一つも勝ち目はありませんでした。でも、それじゃあ面白くないじゃあないですか。「まるで、天下分け目の最後の戦い、みたいな壮大な言い方をされるのは何故なんだ」といえば、それは「みんな、面白い話が聞きたいから」でしょう。夢が見たいんですよ。徳川があと一歩で
南光坊天海(181)さて、秀頼と国松丸には、生存説がある。多くの場合、生存説は「荒唐無稽」とされることが多い。だが、写真も血液検査もDNA鑑定もない時代、その死を確定させることの方が難しく、捜索の手間を考えると、為政者も「死んだ」ことにした方が楽なのである。だから、「実は生き延びていた人物」もかなりいたのではないかと思うのだ。そもそも居城とは、一族を守るためのものであり、脱出口を設けるほうが普通であろう。城が最後に焼け落ちるのは、死者の身元を隠すためである。
皆様、ご機嫌YOです!低い身分から成りあがった豊臣秀吉が天下人となって出来た豊臣家。しかし皆様ご存じの通り、秀吉の死後もろくも豊臣政権はあっという間に天下人の座を徳川家康に取って代わられた挙句に大阪の陣をもって秀吉の血統は断絶します。今回は豊臣家をあっさりと滅亡させるに至らせたのは一体誰であったのか、そこら辺を検証する動画を紹介します。身も蓋も無いですが豊臣家滅亡第一の主犯は秀吉自身です。秀吉が一代で作り上げた豊臣家は彼の死をもって天下人の座を失うのですが、秀次事件や唐入り、文治
大河ドラマ『豊臣兄弟!』で浜辺美波さんが演じる秀吉の正妻・北政所(寧々)について『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)|全番組が無料放送』の内容メモ秀吉と二人三脚で成り上がるも、秀吉死後の家臣団崩壊を防げず、次の秀頼の代で滅亡するのを見届けた北政所(『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)|』より)内容と感想今回は、秀吉の正妻・北政所(おね)の人生を見ていくものです。<北政所(おね)年表>(『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)|』より)