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実は先日幼い頃から私を可愛がってくれた祖母が亡くなりました東京にいない中での突然の訃報にしばらく信じられずにいましたが葬儀のために飛行機と新幹線を乗り継ぎ新潟へ向かう道中春なのにまだ雪の残る景色や長岡特有の赤い道路を目にすると幼い頃の思い出も蘇りだんだんと寂しさが込み上げてきました私が記憶にある頃からは既に関節リュウマチを患い足が悪かった祖母それでも久美ちゃん久美ちゃんと可愛がってくれ身体が思うように動かない中でも私の舞台やイベント事があると東京までかけつ
谷村新司さんの訃報を…釜山の海雲台で聞きました。何十年ぶりかに、「帰らざる日々」を、10月6日の草月ホール公演の最後に歌ったばかりです。今から、55年前の春…。1967年…鹿児島から大阪に家出して、10年ぶりに再会した父の堺市浜寺の家から、浜寺中学3年を卒業した私を、桃山学院大学高等部の入学式に、車で送って下さいました想い出が、走馬灯のように巡ります。チンペイさんのお姉様が、父(地唄舞吉村流4世家元吉村雄輝)のお弟子さん(吉村雄輝毬)でした。アリスを結成される前の、ロッ
トム・ムンシュタイナーさんが12月28日にお亡くなりになられました。私は去年、パライバのギネス獲得お祝いのやりとりをしたのが最後でした。不世出の彫刻家であり良き息子、良き夫、良き父そして良き友です。もう今度は会えるねと言ってたしまた一服しながら愚痴を言い合いたかった。昨日はドンペドロのネクタイで出演させていただきました。ルチルやトルマリン、ベリル宝石を見るにつけトムさんが思い出され辛いOAでした。一日経ちましたがまだ、受け止めきれてません。まだ会える気がして、、
訃報の速報に目を疑いました。また、再会できるはずだと思ってました…。八代先輩とは作曲家鈴木淳先生の先輩弟子、妹弟子でレコード会社も同じ時期があり、家も近所で初詣では近所の神社でバッタリ遭遇した時もあり「コロナ禍で大変だけど暮らしは大丈夫?困ったら言ってくるのよ」と……声をかけてくださり入院中にはバッタリ遭遇した神社でのお守りを届けると電話越しでのお声はいつもの八代先輩でそれでも入院生活はお辛いだろうと思って私が「いますぐ抱きしめに行きたい…」と伝えたら「寿
2022年7月28日、自分が20代の頃に参加していたバンド「東京ダイナマイト倶楽部」のリーダーであった吉田憲右さんの訃報が入りました。吉田さんはバンド内では大旦那と呼ばれておりました。それにならって大旦那と呼ばせて戴きます。大旦那はデビュー前のシャネルズでキーボードを担当しておられました。その後はヤマハ横浜店に勤務されていて、自分はそこで大旦那と知り合いました。大旦那はその後に廣石恵一先輩と「東京ダイナマイト倶楽部」を結成、リードヴォーカルとギターを担当。そして自分は後にスキンヘ
上岡龍太郎氏の訃報を耳にした。率直に「寂しいな」と感じた。『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』というTV番組に吾輩は結構な頻度で出演した。面白い記憶が沢山ある。また、他の番組でも「日本がタイから米を輸入する問題」で氏と論争した記憶もある。氏からは、マスメディアにおける「毒舌とユーモア」の有り様を多く学ばせてもらった。また、魔暦前07(1992)年には、氏と有賀さつき嬢(故人)によるデュエット曲「愛がきらめく時」の作曲にも携わらせてもらった。己が作った曲の歌い手が鬼籍に入るのは、嬉しくな
訃報を知ってからずっと泣いてます亜紀ちゃんの歌が頭の中をぐるぐる回ってます未だに信じられず夢であって欲しいと歌謡界全盛だった昭和を共に駆け抜けて来た同期で仲間でした数々のヒット曲を持つ偉大な亜紀ちゃんでした私の肖像画を描いてくれましたねそっくりで上手であの画は何処にあるのかなぁ亜紀ちゃん悲しいよ淋しいよこんなに早く逝っちゃうなんて昭和を共に頑張って来た仲間が1人又1人いなくなってしまう胸が苦しいです亜紀ちゃん痛みから解放されて大好きな画を沢山
少し前に帰宅しました。お洗濯をしておやつをいただいて(後でご紹介しますね)今、ぼーっとテレビを見ています。八代亜紀さんの悲しい知らせとても驚きとてもショックを受け正直、とてもこたえています。八代亜紀さんと主人は同い年だったのですね…私達の人生に寄り添うように存在してくれていた素晴らしい歌を届けて下さった方々がこんなにも次々と旅立たれて…いったいどういうこと⁉︎私はなんとなく思っているのです今の私達の両親の世代あの方達は、元気で長生きされている方
今。島田陽子さんの訃報を知りました。大腸がんで闘病されていたんですね。島田さんとは、私が20歳の時にTBSのドラマ『おお、ヒバリ!』でご一緒させていただきました。綺麗で、物静かで、柔らかい方でした。優しくしていただいた想い出があります。とても、残念です。どうぞ安らかにお休みください。当時のポスターです。懐かしい顔ぶればかり。
これをここに記すのに3日もかかった。大相撲元関脇寺尾錣山(しころやま)親方。吾輩の世仮と同じ学年の人だ。現役力士時代「鉄人」と呼ばれていた。プライヴェートで特に深い親交があったわけではないが「同期生」の動向は気になるもの。60歳でかよ!早ぇだろう!?というのが率直な心境だ。ちなみに日本相撲協会の理事芝田山親方(元横綱・大乃国)、春日野理事(元関脇栃乃和歌)も吾輩の世仮と同学年だ。八角理事長(元横綱・北勝海)は1学年下だ。どうでも良い情報だが。前・錣山氏の兄上の前・井筒
こんばんは小児がんサバイバー吉野やよいです小児がんの一種ユーイング肉腫ステージ4などの余命宣告を経て完治これからお話しする内容は私が10歳で余命宣告を受ける前から遡って書かせていただいています先生の訃報闘病記録の途中で失礼します悲しい知らせにどうしても心が落ち着かず…闘病記録を書くのを少しだけお休みしています実は昨日闘病記録を書いていてふと、小児外科医長をしていた先生元気にしてるかな?最近どうしてるんだろう?そう思いネットで検索しました…そこで
父です。前回の記事の通り実祖母が亡くなりました。↓前回の記事ピエロの母『'23魚鱗癬の会[父]』父です。ここ数日、大きな出来事が2つありその都合によりしばらくブログや他SNSを更新できていませんでした。メッセージも沢山いただいてますがなかなか返事が…ameblo.jpその時の事を、簡単にまとめようと思います。**********************祖母はYouTubeドキュメンタリーでチラッと登場した事があります。↓2:11~
先輩方の訃報が続きなんだか心にぽっかり穴が空いたような…寂しさを感じる中BS朝日「人生、歌がある」の収録。昭和に生まれた私から見えている景色はやはり先輩方の生き様歌を愛する気持ちが伝わる歌声から希望を見いだし続けてきました。日本の宝物演歌、歌謡曲はまた、私の心を熱くしてくれました。同級生の市川由紀乃ちゃんとは番組終了後手を繋いで楽屋に戻りました。由紀乃ちゃんのあったかい手は、人柄そのもの。由紀さおり先輩の透明感のある歌声と楽曲にも包まれるような気持ちになりま
10年前のfacebookの記事から再投稿デス。催眠療法講座をしていると良き副産物がある。わたしは人にセッションする側の人だがたまに、練習でかけていただく事がある。そのときにいろんな感情がまたまた吹き出る事も有る。催眠療法は一度受けるとじわじわと脳の中で切り替わっていくので思わぬ時に現れたりもする。そうとう感情など出したはずなのにまだまだ忘れていた事が出てくる。今日の催眠セッションのかたは二回目だがまだ何かある感じがするので・・・とのことでセッションをしたの
たった今速報が八代亜紀ちゃんが亜紀ちゃんが亡くなったなんて昨年末亡くなったと速報が体調が悪く入院している事は聞いていましたすみません気が動転してて73才で私と1才違いの同期すみませんショックが強すぎて一寸まだ信じられなくて亜紀ちゃんどーしてどーして❓
冠二郎さん訃報の記事の多くに酒におぼれた時代のエピソードが載っていました。私は直接冠二郎さんから当時の話を聞いたことがあります。口調はいつもの通りの明るいものでしたが中身は壮絶でした。「飲み過ぎると目の玉が黄色くなるけど私の場合は緑色になってました」どんな表情で聞いたら良いのか分からなくなりました。どの記事にも載っていなかったエピソードがあります。冠さんは家に酒があると全部飲んでしまう。全部飲んでしまうともう飲みたくて飲みたくて耐えられない。酒の自動販売機は夜中の11
とてもショックな事を知った。最近、ハマっているアニメ、「ミギとダリ」この間、京都に行ったときに、姪っ子が面白いと言うので一緒に観ていたら、その、イカレたギャグ、強力なシュールさ・・ちょっと他に類を見ないタイプのアニメで、姪っ子、甥っ子と、馬鹿笑いしながら2話まで観て、家に戻ってから、また最初から見返して、最高に楽しんでいる。今現在、11月27日に放送された、第9話までAmazonプライムに入っている、現行でTBSで放送しているアニメだ。「ミギとダリ」アニメ公式サイト佐野菜見
西城秀樹君が63歳で亡くなったテレビの速報で訃報を知りあまりのショックで言葉が見つからない秀樹は昭和47年デビューで私の1年後輩野口五郎郷ひろみと共に昭和を駆け抜けたスーパーアイドルだったあの頃は歌番組全盛で毎日の様に一緒に仕事したね若いのに歌が上手くてカッコよくてセクシーだった人としても誠実で優しくて曇りのない真っ直ぐな男だった何度も重い病に苦しみリハビリと闘いそれを乗り越え元気な姿を見せてくれていたのに秀樹良く頑張ったね
12月29日金曜日〜その8(写真)年末には、訃報の葉書が届きます。人権派弁護士中北龍太郎さんが、今月8日にお亡くなりになられました。事務所も閉鎖とのこと。御冥福を心よりお祈り申し上げます。これは、H15年11月3日、大阪府茨木市のJR茨木駅西口前にて、第43回衆議院議員総選挙に立候補された中北弁護士、新聞詠み河内音頭家元として評論家佐高信さんと政治放談を行った時のスナップ。