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75歳で認知症と診断され、医療保護入院を経て、老健入所中の母を見守る40代娘のあたふたブログです先日の面会での事…急に母が…『お兄ちゃんって浮気してるの?!』と…『え?!』『お兄ちゃんって〇〇君の事?(〇〇君は母の息子であり、私の兄の事)』『彼女がいるって言ってたよ』『え?!〇〇君が?』兄は仕事で面会には来れないはずだし、もし母に何らかの用事で電話したら、その旨を絶対に私に連絡してくれる様な人。そんな連絡は兄から受けていないし。もし、本当に浮気している様
75歳で認知症と診断され、医療保護入院を経て、老健入所中の母を見守る40代娘のあたふたブログです無事に大腿骨骨折の手術・入院を終えて退院した母ですが、退院の日の朝、先生から『傷の治りが悪いね…もし感染が中のインプラントにまでいくと大変だから、退院してすぐになっちゃうけど、3日後に外来受診して』と言われていました。そして初めての外来受診で傷の状態を見て貰うと…やっぱりあまり状態が良くない様子で。『穿刺します』(傷口付近に針を注射針を刺して、中の体液を取り、その中に菌が
こんにちは。芙蓉です。夫婦関係が悪化するタイミングとは?昨日は、久しぶりにメルマガを配信しました。テーマは、親の介護。私のメルマガはかれこれ10年続いていますが、当初から「愛ある家族になりましょう♪」という題をつけています。家族は、夫婦関係だけではありません。自分の子どもたちとの親子関係や自分と実両親、義両親との関係も当然含みます。愛の世界循環し、広がって行く性質がありますので、夫婦関係だけ良ければ良い、では終わらないんですよね。「夫婦関係が悪化するタイミングとは
ご訪問ありがとうございます今日の仙台は朝からとてもいい天気☀️今日も今日とて介護相談を頂いております介護施設ってずっといられる場所ではないんですか?退去させられる時もあるって本当ですか?最近、偶然でしょうがそんな話をされる方と会う事が増えました。昨日書いたように介護費用の問題で退去を余儀なくされる場合もありますが介護度が変わった時入院が必要になった時医療的ケアが必要になった時職員及び他の利用者に迷惑行為が多い時このようなケースでは退去勧告をさ
母が施設に入るまで、介護の限界を私が感じるまで、振り返ると長かった。施設に入るまで、10年はかかった。私も介護初心者だったし、母も親の介護をしたことは無くて、介護をする方もされる方も、初めてのことだらけだった。ぶつかり合うこともしょっちゅうだった。今までしたことのないくらいの親子喧嘩もした。親の言うことを聞かない子供はいるが、子供の言うことを親は聞かないものなんだと初めて知った。病気が分かってから、しばらく元気だったから一人暮らしをしていた。だんだん出来ないことが
このブログは義父と義母を介護した過去の経験をもとに書いたものです。思いつくままに書いており時系列順ではありません。あらかじめご了承ください。ケアマネさんにもよりますが介護経験は介護者よりも豊富な筈です。そうでない場合も地域包括支援センターのなかで先輩ケアマネさんもいらっしゃる筈ですので意見は尊重すべきです。一部高飛車に出られるケアマネさんもおられるようですがそういった場合は地域包括の責任者に相談すればよいでしょう。介護者の
前に書いた通り1月9日〜12日は妹の仕事が忙しい為、私が4日連続でナーシングホームに行くことになっていました。ところが母の容態が急激に悪くなった為、妹は前倒しで仕事を終え日にちを限る仕事も他の人に頼んで、10日に私がいる母の部屋にひょっこりやって来ましたそして、「お姉ちゃんも4日連続は大変でしょう❔明日は私がママを見るから休んでいいよ。」と言ってくれたのです。私は実は、毎年1月11日に三峯神社様に御眷属拝借に伺っていました妹がそう言ってくれたので
今日の内容は上のリブログと内容が重なるところと違うところがありますので、よろしければ併せてお読み下さい私と妹は母が6回目の息をするかとしばらく待ちましたが、いくら待っても母が息をしないので、「ママ、◯んじゃったね…」とどちらともなく言いました。その後、妹は妹の夫に電話しました。すると、妹の夫はお酒を飲まずに連絡があったらすぐに車で駆けつけようと、待機していた事がわかりました後になって妹は「今日ママが亡くなるとわかっていたら、みんなを家に帰さな
晴天の下ひらひらと散りゆく桜の花びらは、なんとも儚げではあるものの満開の桜とは違った美しさがありとても好きです。今日は年に一度の大学病院の通院日でした。久しぶりに会う医師の見立てでは、この一年も大きく進行はしている様子はないという言葉と、発症が2015年だからもう9年目になっているにも関わらず今も介助歩行ができているのはすごいと。父が冗談混じりに「ギネス記録ですか?」と言うと、「私が診ている患者さんの中では最長です」とのことでした。週一の在宅リハビリ、週二のデイサービスでのリハビリ、毎日
最後の父の顔は。。。穏やかで笑っているようでした。いつもの様に就寝し・・・そのまま旅立ちました。15日の真夜中、亡くなったと施設から連絡ありました。すぐに迎えに行きますとの事で・・・約1時間後に病院へ到着し・・・父と対面しました。まだ、ほのかに体はあたたかくてマッテタヨ・・・最後に会ったのは、先月の下旬、病院でした。次の受診日が11月の下旬で、それまでコチラに出てくることがなかったから、今日、22日に行くことにしていたのに。。。病院も施設に近い病院へ移行
就職氷河期世代(ロスジェネ)とは、現在39歳ぐらいから53歳ぐらいまでの方で、当然ながら女性で婚活されている方もいらっしゃいます。厳しい状況の中、安定した職を持ち自立できた方もいればそうでない方も。非正規社員や待遇が良いとは言えない業種や企業においての社員で、実家暮らしだったりします。正直、結婚相談所においては厳しい条件です。しかし、そのことが解っていない人も多いです。以下が彼女たちの結婚相手への希望。ほぼ全部の人もいますし、3つ4つは当ては当てはまっているのではないかと思います。
親の介護問題辛くて、実家に帰るのが嫌だ。母は80歳認知症と糖尿病でずっと入院父は82歳ゴミ屋敷と化した家で一人暮らし私は、なんでも器用で絵やクラフトを仕事にしていて、外国人の方に間違えられる母を尊敬していた。しかし、その反面。宗教にハマりネグレクトに近かった母に、私の人生も大きく影響を受けた。高校生の時、そんな状況に違和感を感じ自分の将来の道を模索。短大を出た後、直ぐに結婚。家を出た。母と縁を切りたかった。でも、「私の母である事に代わりはない。今、私は自分の道を自分で切り
実家に行く、行かないのやりとりを兄とする中またか、また!長介たちのヘルパーさんからの連絡が入る。またか!いけないかも?と開いてみたらげっ、いきなりこれか!そう、この蓋!以前、私が捨てて帰った。なのにまた、ゴミ箱から拾って使ってる!はー。先日行った時冷蔵庫の中に蓋だけ2枚!冷えとるやないか!と思って帰った。冷えてます!と伝える。じじい、この蓋を何だと?こんなやりとりをするので出発が遅くなる。とりあえず解決して、実家に向かう!またか、また!いき
こんにちは♪笑いヨガティーチャーのおむちゃんですこの1週間新しい局面となりあたふたしてました抗生剤の点滴して、痰の吸引が必要かも?そうするとショートにお願いできなくなっちゃうということは、私、自分の家に帰れない?あー😨どうなるの?今までは、約2週間交代で実家と自宅を行き来できてたのだけれど、さあ、どうする?そんな中で訪問診療のDr.からお話があったのが⭐️レスパイト入院⭐️今まで聞いたことがないぞー?何かなぁ?・地域包括病棟のある病院でやってる・介護者が介護できな
こんにちは。芙蓉です。親、そしてご先祖さまについて。私は、自分の母のことを「毒親、毒親」と書きながらも、毒親についての本を読んだりYouTubeを見ることさえ、かなり苦手なんです💦胸がチクチクして来る‼️客観的に説明しているだけならまだ良いのですが、その人が毒親育ちで、「親のことなんか、捨てちゃっていいんですよー」とか「親の介護とか、全然しなくていいんですよー」みたいなことを書いたり言ったりしているのを聞くと何故か辛くて見てられない気持ちになっちゃうんですよね💦
令和元年10月、父が穏やかな顔で旅立ちました。。。父の誕生日(令和元年の7月)をきっかけに始めたこのブログ。その3か月と少し後に逝ってしまった父の事を、もう少し綴りたいと思います。このブログの最初の題名が「終の棲家」でした。。。その”終の棲家”をあっけなく三カ月ちょっとでサヨナラした父「もっと居ても良かったんじゃない」「(笑)そうだったかもな・・・。」荷物を引き上げに、お世話になったグループホームへと姉夫婦と共に行ってきました入居する時に購入した車椅子
ドタバタ帰省~親の看取りがみえてきた~(6)の続きです。⇒1話から読む⇒8話へ母と力を合わせてお父さん迎えよう~!\(^O^)/という心づもりが、、、これは想定外でした風邪を引かせちゃいけない、とか急変したらどうしよう、とか何を食べさせたらいいのかわからない、とか母、頭の中であれこれ考え過ぎていて、感情の浮き沈みが激しくなり、動悸息切れ、喘息の悪化だけど、心の底では『お父さんのため』というのがあると思うのです。母の中でたくさんの葛藤があったのだと思います。
2019年5月に20年以上ぶりに、母や妹たちとの交流を復活した私。わたしが留守(笑笑)のあいだにとんでもない、歪な構図になっていた。もちろん、みなそれがベストと考えてそうなっていたんだろうね。狂ってるけど。だから、私からみて「歪だな」と。いろいろ省くけど、財布が混ざる弊害で、母の精神的自立つまり母の尊厳が失われていた状態だった。わたしは母の体が動かなくても、手足の自由が何一つなくても心だけは自由で、自分だけのものとして大事にしたい(守ってあげたい部分)判断は早ければ早い
~HIKARIと母の介護日記~父と姉がこの世を去りました父肺炎(2019年10月)姉乳がん(2020年4月)肉親は3つのガンを克服中の母一人その後、喪った家族が埋まるかのようにワタシは再婚悲喜交々の日々を綴ってますよろしくお願いします先日のこの件『野次馬根性で知った母の大腿骨骨折後の調子』~HIKARIと母の介護日記~父と姉がこの世を去りました父肺炎(2019年10月)姉乳がん(2020年4月)肉親は3つのガンを克
※年末年始の父一週間の一時退院から再入院までのお話を連載中です「ドタバタ帰省~親の看取りがみえてきた~」おウチ編「一時退院するまで編」はこちらから⇒1話から読む⇒昨日のお話⇒17話へ父の介護の他に、頭を悩ませるものが「母の物忘れ」でした。以前は、母の言うことにいちいち反応してああだこうだと喧嘩したりして、、それも相当なストレスだったように思います。あっでも!誤解しないでくださいねっ無視しっぱなし、とか是が非でも喋らないとかそういうことではありませんです!母自体も心労
昨日の朝、ミッション遂行!問題は紙パンツに装着するパッドの購入!もうねぇ独り言炸裂!売り場の棚を南州太郎いや何周したやら。厚み、枚数、単価プラス悩んだのが装着のテープ!の位置。見本はこれだったが、片方のだったり、縦?だったり。分からん!お菓子を!もこの前行ったらまだあったがついでにまた、ダイソーで買い込み家にストックしていた和菓子も持参。ホームセンターで買い込みそのまま行く予定がなぜか、このホームセンターは歩くからか毎回、腹痛に襲われる!よ
75歳で認知症と診断され、医療保護入院を経て、老健入所中の母を見守る40代娘のあたふたブログです最近、色々な報道などがあり…施設を探されている方や、施設に入所されている方のご家族は不安もあるかな…と我が家の場合…本当にあってはならない事ですが、このままだと、私自身が母と自分自身を傷つけてしまう可能性が高かったので…医療保護入院が決まった時、罪悪感はもちろんすごくあったのですが、反面、これで私が刑務所に入る事は無くなったと、母を傷付けずに済んだ事にホッとしたのも事実です
~HIKARIと母の介護日記~父と姉がこの世を去りました父肺炎(2019年10月)姉乳がん(2020年4月)肉親は3つのガンを克服中の母一人その後、喪った家族が埋まるかのようにワタシは再婚悲喜交々の日々を綴ってますよろしくお願いします昨日も沢山の訪問、ありがとうございました「複雑だわ~笑」「いいじゃない」薬はさすがに今の所、大丈夫ですが。。。今朝、起きてきた自分の姿を見て「パジャマ着てなかった」
変わったお花が咲いてる〜と見てたら、タコさんウインナー🐙かよ‼️と思わずつっこみ。柘榴らしいです。色々ありつつも、心ここにあらずの状態を抜け出せそうな予感。久しぶりにお買い物をしました。場所はUNIQLO‼️下着や日焼け防止のパーカーなど10点、16,000円ほど。今まで、一着で20,000円とか買ってたのはなんだったのだろう…。十分、お買い物したという満足感あり。PUMAのスニーカー👟も買い、無印でサングラス🕶️も。ほぼ、仕事用の買い物だけど、楽しい最近の仕事で思うこと。
ご訪問ありがとうございます特養めぐりももう一息です。特養Fに向かった私です。前回の話はこちら⬇️『保育園との交流もある特養E』ご訪問ありがとうございます前回は書類の話で終わってしまいましたが、今回は引き続き特養についてです。前回はこちら⬇️『特養の申し込み書類』ご訪問ありがとうござい…ameblo.jp続いて特養F。ここも地域密着型で小規模だが、出来たばかり。閑静な住宅街の中で、緑の中、温もりを感じさせながらも、洒落た建物になっていた。出来たばかりだから入り口もピカピカだ。一階のロ
昨日の記事にいただいたコメントで、介護認定の申請を勧めるお言葉をたくさんいただいた。なので、今まで介護認定を受けずにいた理由をもう一度書いておこうと思う。以前にも書いたように、あーちゃんが介護認定をうけていないのには、たんたんの存在がある。あーちゃんの財産を狙っているお金に汚いたんたんは、あーちゃんが認知症と診断されたと分かったら即時、と言うだろう。夫婦なのだから、適切に管理してくれるならもちろんそれでいい。だけど、たんたんは自分がお金を使いたいから、あーちゃんにお金をかけずにろくな
※年末年始の父一週間の一時退院から再入院までのお話を連載中です「ドタバタ帰省~親の看取りがみえてきた~」おウチ編「一時退院するまで編」はこちらから⇒1話から読む⇒前回のお話>>番外編ここまで読んでいただき、ありがとうございました。なんと、19回にまでなってしまいましたそしてそして、ブログのコメントやDMで私のメンタルの心配をしてくださり・・・ここでも、人の優しさを垣間見ることが出来ました。本当にみなさん優しい。なかなかコメント返信出来ずすみませんでした~!さ
朝から、大バトル勃発!二日続けて眠ることができなかった朝じいちゃんが朝4時から「田んぼ行く」と言い出した二日続けて寝ていないからあと30分寝ようよとどんなに説明しても理解してもらえず…もう疲れすぎて、倒れちゃうよ…と言ったところ…俺には関係ない、俺は行ってくるとの返事にブチッわかったよっ私の体より田んぼが大事だってことだねっわかったから、行くよっそのかわり、私が●んでも知らないからねっもう本当にもうこのまま
吐き気がましになり、見えてきた退院。中心静脈栄養を卒業して、初めてのシャワー浴に入れて、廃人から人間に戻った気がした。髪の毛を乾かし終え、脱衣場を出て廊下を歩いていたら、また目の前が真っ暗になった。気が付いたら助産師さんたちに抱えあげられていた。悲しいやら情けないやら。泣けてくる。本当にすぐ泣けてくる。マタニティーブルーいつまで、こじらせているんだろう。世の中では、子育てに奮闘する人々、仕事をバリバリする人々、皆それぞれに一生懸命生きているのに。私は昼も夜も分からなくなるぐらい
75歳で認知症と診断され、医療保護入院を経て、老健入所中の母を見守る40代娘のあたふたブログです今回は、母が入所させて頂いている施設でのありがたい所をお伝えさせて頂きたく…母の認知症は記憶があまり無くならないタイプの様で…(お昼ごはんに何を食べたかは1時間後にはもう分からなくなってしまいますが)家族としてはそれが助かる時もあり、厄介な時もあり…(母にとって私が嫌な事をした記憶は残りやすい為)それでも、施設の方々は色々と工夫をして下さり、母が唯一、ライフワークとして