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阿弖流為の塚にお参りに行った日バリ在住さえこさんから京都の亀岡市にある出雲大神宮のお誘いをうけ行ってきました奈良から亀岡市まで1時間くらいかなぁなんて思いながら出発ところがナビの予定到着時刻は待ち合わせより45分も遅刻!!ひょぇーと思い、道中は今こそ宇宙理論!飛べ、飛ぶのだ!!時間を飛び越えるのだ!!と、時をかける少女を思い浮かべ運転していま
それは、白子1丁目にあります。もう、光が丘との境です。酒肴処蝦夷(えみし)カレーが美味しい居酒屋さん!早速、入ってみます!こんばんは〜♪やはり、最初はビールですね!こちらは、シーザーサラダ唐揚げも頼んでみました。右側の黒いのは「コーヒー焼酎」焼酎をコーヒー豆に漬けたものらしいです。これ!すごく美味しかったです✨アヒージョなんて、オシャレ
東北歴史博物館の奥に小さい展示室があります。けっこうマニアックなモノを展示している事が多いので、行った時はチェックしています。今、栗原市にある「入の沢遺跡」を展示しています。歴史専門家の論文に「蝦夷は火を放つ(放火)習性がある」と書いてあったのをみて、へー、と思ったのですが、入の沢遺跡をみると、やっぱりそうなのかなあ、と思った話。<入の沢遺跡について>栗原市にある入の沢遺跡は、続縄文文化の人々がいた国内最北の古墳群と言われ、銅鏡、鉄製品、織物、赤色顔料(水銀朱)の
かつて栄華を極めた平和な縄文、そして東北日高見国。しかし、縄文も、日高見国も大陸から侵入してきた渡来人たちに侵略された。侵略した彼らは私たちから日の丸を奪いこの列島で「日本」を名乗った。その支配体制は、2019年の現在でもまったく変わっていない。(澤野大樹)日本という国は、元々、「日本」という国名ではなかったといいます。本当の名は。東北縄文「日高見(ヒタカミ)国」列島の隠された歴史とは一体…さて、改めましてこんにちは。澤野大樹氏青森講演会主
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その37前回、東北の蝦夷の英雄「阿弖流為」(アテルイ)が「戸来村」となった古代の地で祀られ、その記念碑としてドまんじゅうを作ったのではないかと書いた。『日本紀略』によるとアテルイは「大墓公」と呼ばれていた。「大墓」(たのも)は地名である可能性が高いが、その場所がどこなのかは不明である。ただし、一説には田茂山(奥州市水沢区羽田付近)とも考えられている。だいたいこの「阿弖流為」という漢字表記も大和朝廷側が音に当てた漢字で、もともとは「アテルイ」なのであ
東北は、あまりにも逃れた人々が多すぎていろんな氏族と婚姻を結びすぎているうえに、語らない、言わない、声をあげるのは、藤原家。「密かに」暮らしすぎ。山深くて迷う、目的をすぐ見失う。して、落馬する運命にされる。蘇我や物部といったあの時代の氏族も、東北へくると皆、一緒。それどこじゃなかった。北方の蝦夷が強かったから。東北に混在する物部氏と蘇我氏の歴史を。そうそう、三神合神社にいた聖徳太子みたいな像は、こんな雰囲気(これをもっとゆる~くした感じ)-----------
2020年も終盤にさし掛かってまいりました。こんにちは。澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。古い時代が終わり、全く違った新しい時代に入りつつあり、現在は、古い時代と新しい時代が重なり合っている混沌とした状態であるといわれています。去年の今頃、この状況を誰が予測できたことでしょう。これまで経験したことのない全く違うコンテンツに満たされた中で私たちは生きています。以前、「666」の秘密は日本の言霊でしか解けないと澤野大樹さんは仰ってました。バチ
『續日本紀』卷第三十寳龜元年夏四月癸巳朔。陸奥國黒川。賀美等一十郡俘囚三千九百廿人言曰。己等父祖。本是王民。而爲夷所略。遂成賎隷。今既殺敵歸降。子孫蕃息。伏願。除俘囚之名。輸調庸之貢。許之。770年、高野天皇(寶字稱德孝謙皇帝重祚)の治世に、黒川郡(現在の富谷市など仙台市北側郊外)、賀美郡(現・宮城県加美郡)など10郡の俘囚3920人が、父祖が王民であったとして、公民身分への編入を許された。また、この前年(669)に神護景雲三年七月己丑。陸奥國牡鹿郡俘囚外少初位上勲七等大伴部押人
第360話おはようございます菊水千鳳ですㅤ皆さんは《アラハバキ神》という名前の神様を聞いたことありますか?恐らくあまり馴染みの薄い神様だと思います。※今回の日記は、皆様のお力でこの《アラハバキ神》を再び表舞台へ出してあげたい、救いたい、そんな内容になっています。どうぞ最後までお付き合いください。🌴俺がアラハバキ神の存在を知ったのは2009年の夏でした。歴史の表舞台から降ろされた神がいるって、当時の研究者から聞きました。ㅤそんな話を聞いて、数か月後のことです。赤いオ
(大鳥大社境内日本武尊像)◆「土蜘蛛」十三顧(陸奥国八槻の土蜘蛛)記紀に表される「土蜘蛛」の記述を一通り終えました。漏れ無く抽出したつもりではいますが…。そして今回からは、諸国の風土記等に見える「土蜘蛛」を取り上げていきたいと思います。時代は多少前後しますが、北から順に取り上げていきます。今回は「陸奥国風土記」逸文より。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~「陸奥国風土記」は現存しません。後の時代の文献に一部が載せられている、いわゆる「逸文」のみが残されています。こち
朝廷によって翻弄され続けた蝦夷(えみし)たちの22年間にわたる戦の物語。(上・下)2巻で千頁を超える長編小説だけれど、僅か2日で読み終え、何度も慟哭してしまった。20年以上前に出された本書を、2024年の今になって読むことになった理由が分かったような気がする。新生日本の復活は、“弥生から縄文への回帰”と認識している人々は多いはずだけれど、別な言い方をするならそれは“天系から地系へ戻す”ことに相当するはず。本書は、地系の民である蝦夷たちの無念が認められた書籍である。阿弖流為(アテルイ)
こんにちは。澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。お陰様で、青森講演会2Days.第5回、大盛況で幕を閉じました。コロナ禍であるにも関わらず、ご来場くださった皆さま、活字版にてご参加の皆さま、ありがとうございました。5時間という講義、決して長くなかったことを体感されたと思います。むしろあっという間だったと思います。今回の第5回では、ウルトラC級中の、さらにウルトラCともいえる内容が出されました。澤野さんの講義ではウルトラCクラスの、まさに「椅
《上巻》より【欲が深すぎるぞ。こんな都を持ちながら】都にやって来ていた蝦夷のリーダーたちの会話「市は物で溢れかえっておる。食い物から絹や刀まで、ないものを思いつく方がむずかしい。かほどに満たされていながら、なにゆえ陸奥に固執する?攻め取りたいのは我らの方だ。そこがどうにもわからんな」「黄金だ」「そりゃ承知だが------」伊佐西古は母礼と向き合って、「仏像を造る以外にさして役立たぬ物。我ら蝦夷には無縁のものではないか。礼を尽くして、くれと言うたら考えぬでもない。そ
622年聖徳太子(厩戸皇子)が死去した後天皇以上に権力を持ったのが蘇我馬子です626年に馬子が死去すると息子の蝦夷が大臣を継承します628年に推古天皇が皇位継承者を指名せずに亡くなり豪族間で継承者争いが始まりました蝦夷は聖徳太子の子、山背大兄王が皇位に就かぬよう田村皇子(後の舒明天皇)の即位を進めましたが舒明天皇(じょめいてんのう)も641年に継承者を指名せずに亡くなり舒明天皇の皇后「宝皇女」を一時的に皇極天皇として即位させますその後、入鹿は舒明天皇の第一皇子古人大兄皇
あまり食べられなくなってしまった私頭では、以前と同じく食べられるような気がしています。しかし、現実を知る今、援軍ありきのランチに。六代目蝦夷埼玉県入間郡毛呂山町中央2-13-311時~14時30分18時~20時45分月曜、木曜夜定休テーブル3カウンター6座敷3駐車場あり禁煙ト洋ウ別私、3品頼みました。つけめん(ごま)850円担々のような、それでいて優しいです。完食半チャーハンも頼みました。480円1/4を、末っ子に唐揚げハーフも頼みました
(弘前会場参加者さん集合写真)みなさま。こんにちは。澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。ついに!澤野節が青森に轟きました。この日をどんなに待ち望んでいたことか。澤野さんのお言葉をお借りするとアラハバかれた、ということなど感じたわけですが、澤野大樹氏青森講演会を受講された皆さまは度肝を抜かれハートを鷲掴みにされ魂を揺さぶられ、ある方なんかは、「興奮して今夜は眠れない」と。素晴らしいではありませんか。よろしいですか、みなさま。覚醒とは、
pic.twitter.com/CVaODbIfya—神風革命戦線【信州蝦夷の党/庶民会議監査役】(@kamikazekakumei)April12,2024挽回できるのか?
そもそも田村麻呂は、なぜ二人を連行したのだろう。蝦夷の地の征服は、さらに北に向かう事になる。その時、彼等のリーダーとしての資質を活かし、無駄な血を流さずさらなる北の蝦夷達を取り込ませる任を託そうとした。その資質を充分に備えた人物だと判断した上で、都で、最新の文化的情報を提供しようとしたのだと考えるのが妥当だろう。明治維新の留学生達に重ねて考えると、理解し易い。だが、都に、連行して、その旨を説明して、朝廷が、あっさり「はいはい、そうですか、田村さんの言う通りにしましょう。」と
唐揚は好きですか?私は大好きです!って事で埼玉県の唐揚といえば蝦夷と言われるぐらい有名な蝦夷へ!二代目蝦夷がデカ盛りが有名で、いざ突入したら休みでした・・・なので日高店に!店舗外観メニュー卓上調味料懐かしい占いのやつ!鳥の唐揚(750円)+定食(200円)ご飯は普通盛りでこんな感じです!まぁ普通の味!冷奴は嬉しい!スープはチョット苦
ごはん、みそ汁(豆味噌・なめこ)、切り昆布の煮物、かぼちゃの煮物、かぶのぬか漬け蝦夷の海産物と近江商人近江商人は時代とともに販路を広げていきます。「近江商人は蝦夷(北海道)の漁場を開拓した」と言われています。蝦夷の豊かな漁場に目を付け、すでに室町時代には進出していました。本格的に進出したのは、江戸から明治時代にかけてでした。北前船によって、蝦夷から京都、大阪方面へは身欠きにしん、にしんカス、某たら、干し鮭,カズノコ、なまこ、干しアワビ、塩鮭、塩マス、昆布などが運ばれ。当時、まだ米が生産さ
「日の丸」の起源としてもっとも確実な絵画は「清水寺縁起絵巻」(東京国立博物館蔵)だといわれています。左の船の日の丸は、元々、平安時代に、東北(蝦夷といわれた)にあった日高見国(ひたかみのくに)のもの。関東以北には、西から来た渡来人に追われた縄文人の末裔が住んでいました。未開拓の野蛮な田舎というイメージが作られていますが、実際は、金鉱があり、資金豊富で、シャーマンの偉大な巫女もいて、平安時代には、青森の十三湊近くには、海外とも交易をするような、朝廷が及ばないほど栄えた都市もあり
なんだか続けて一気にブログを書いてしまいました。野暮用は、気を取り直して、明日から一気にがんばりましょう!某劇場シーン7-4曲目。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーMISIA(ミーシャ、1978年7月7日-)は、日本の女性歌手。長崎県出身。所属事務所はリズメディア。所属レーベルはSME傘下のアリオラジャパン。血液型はO型。「MISIA」というアーティスト名の由来は、「ASIAの方々にも音楽を届けたい」という想いから。5オクターヴの音域を持つ、日本のみ
9-3東北経営の推進8世紀末、東北地方で蝦夷(えみし)の大反乱が発生した。具体的には、光仁天皇(こうにんてんのう)の780年、帰順(きじゅん)した蝦夷の豪族伊治呰麻呂(これはりのあざまろ)が乱をおこし、それは一時、多賀城(たがじょう)をおとしいれるほどの大規模な反乱に発展したのである。こののち、東北地方では30数年にわたって戦争があいつぎ、桓武天皇(かんむてんのう)の789年には紀古佐美(きのこさみ)を征東大使(せいとうたいし)として大軍を進め、北上川(きたかみがわ)中流の胆沢地
ゆきこです私は個人セッションで、おひとりおひとりの守護神様のメッセージをお伝えしておりますあなたの幸せをサポートし、幸せな人生に導きます♡本当の自分に気づく!神さまセッション神さまセッションをしている理由(くわしくはこちら)無料メルマガの登録、受付中です【好きなことして、心のままに生きる秘訣♪】登録はこちらをクリックととりひめ様のインスタグラム始めました最近参拝した神社仏閣についてはインスタからどうぞ【次回開催のイベント】【満席】10月10
おはようございますぽかぽか陽気ですね☺お外に出るのが苦じゃない季節嬉しい•••••cut•••••・802年(延暦21年)4月15日、阿弖流為が降伏する→桓武天皇による相次ぐ蝦夷平定軍の攻撃に耐え切れず、本拠地・胆沢を落とされた蝦夷のリーダー・阿弖流為は、ついに抵抗をやめ降伏しました•••••cut•••••
なんだか、またヒタカミの波があり、以前、南相馬のヒタカミ妄想をしてましたが、今回は北上していくと、石巻に至る。富士山とかコノハナさんのシンクロは、かつてあった富士王朝かもしれないけど、東北では、久須志で薬師なんですね。浅間とか富士とかの言葉をあまり使わない。エミシの地には、クスシなんです。そういうところも、何かあるんじゃないか?と思っています。宮城県のヒタカミは何だろう?以前の資料などを読みだしてみると、いろいろ見えてきました。ぼちぼち~まとめてみようと思い、できたら、記
こんにちは😃久しぶりののんびりとした週末を過ごしております。台風は大丈夫だったでしょうか?今年はスーパーエルニーニョ現象が起こっているようで、まさしく備えが大切ですね😅さて、今日は古代ヤマト国のかつての王の話です。近畿地方を統治していたかつての王と言い換えても大丈夫です😅邪馬台国の前身の統治王でもありました。なんと話は2000年をさかのぼりますが…このかたの子孫こそ、東北の縄文時代の神、アラハバキ王国をまとめ上げ、なおかつ後に蝦夷(エミシ)と呼ばれる部族となりますよ。歴代の卑
安倍首相の第二次内閣はアテルイの復活だった?!安倍元首相の2002年7月の事件の、その時その時間、近くを車で走っていたえしまなおこさんが、車窓から見た光景とは!蝦夷討伐の歴史、有名な話らしいが征夷大将軍坂上田村麻呂くらいしか記憶がない。というか、自分が不勉強なだけ。今さらながら、おふたりの話に引き込まれて、アテルイとモレに関する書籍を読んでみた。安倍派の裏金問題でガタガタしている昨今、安倍内閣の良し悪しは、横に置いておく。安倍総理と蝦夷の関係にも、とにかくビックリな
昨日、帰宅いたしました!予告通り、「アラハバキ依り代石の姿と誓いの青き貴花!?」の写真をUPさせていただきます。この、「アテルイのかか様石?」は岩手県東和町にございます、丹内山神社さま境内にございます。GoogleEarthearth.google.com※どういうわけか、アースでは神社は確認できますが、この巨石は見当たりません。あれだけ大きな岩塊なのに・・・。この案内図の一番上、胎内石、と書かれているのが「アラハバキの巨石」と古来より伝わる、物語のモチーフとなった「アラハバキ神
〜↑↑前回の続きだよ〜***さて、大負けしたヤマト朝廷軍、次に征夷大将軍として白羽の矢がたったのが、マロ君(坂上田村麻呂だよ)マロ君は、カリスマ性がありなかなかのキレ者、蝦夷軍との正面衝突はさけて、時間をかけて徐々に蝦夷の人たちを分散させる作戦に出ます。とにかく移民をどんどんどんどん東北に送り込むわ仏教を持ちこむわ、胆沢城を建設するわなんかします。そんで朝廷側になびく人たちはとことん優遇し、都へのツアーにも連れて行ったりする一方、なびかない人たちは徹底的にイジメ叩きます。