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戦国大名、蒲生氏郷さんが、会津を治めていた時、娘の武姫が、南部利直さんに嫁ぐことになりました。後書き:会津若松の鶴ヶ城に、昨年行きまして、そこで蒲生氏郷さんのお墓が近くの”興徳寺”にあることを知りまして、近くなんで詣でました。その後、興徳寺のすぐ横にあった喫茶店”琥珀”で昼食を取ったんですが、そこに会津磐梯山の絵が飾ってあったんです。しかも、座った席の真正面に^^注文した、ナポリタンとコーヒーのセットを待つ間ずーっと見ていたというか目に入っていたというか。。。ふ
戦国時代、秀吉が殆ど天下統一を成し遂げた頃、名古屋山三郎(なごやさんざぶろう)と言う京都に住んでいる町人がおりました。姿を現すと、その見目麗しい顔立ちに人だかりが絶えなかったそうです。ある時、信長や秀吉に重用された大名、蒲生氏郷(がもううじさと)がそれを見かけたら、まるで美少女がいたと勘違いして、部下に命じて京都中を探させて、嫁に迎えようとしていた。蒲生氏郷本人は「私は男でございます!」と答えたので、名古屋は小姓に取り立てられた。しかし、この男はただのイケメンだけでは無く、槍
日野祭の本祭が毎年5月3日に行われる。今日は晴天の中、曳山16基が綿向神社(わたむき)へ順次宮入し、屋上に時代を取り入れた「だし」と言われる人形が飾られる。その間神社では祭典が行われ、午後には曳山の一部が町内に引き取られていく。夜には曳山に明りがともされる。初めて行ってみたが、町を挙げての一大イベントで大勢の人が集まっていた。出店が神社の境内に続く道路の両側に並びにぎわっていた。綿向神社宮入する曳山豪華な見送り幕や彫刻屋上に作られた「だし」蒲生氏郷屋上に作られた「だし