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日野祭の本祭が毎年5月3日に行われる。今日は晴天の中、曳山16基が綿向神社(わたむき)へ順次宮入し、屋上に時代を取り入れた「だし」と言われる人形が飾られる。その間神社では祭典が行われ、午後には曳山の一部が町内に引き取られていく。夜には曳山に明りがともされる。初めて行ってみたが、町を挙げての一大イベントで大勢の人が集まっていた。出店が神社の境内に続く道路の両側に並びにぎわっていた。綿向神社宮入する曳山豪華な見送り幕や彫刻屋上に作られた「だし」蒲生氏郷屋上に作られた「だし
呪)足利義昭:不撓の鞆公方呪)蒲生氏郷:寛厳の妙呪)真田幸隆:世渡りの深謀呪)滝夜叉姫:魍魎の呪姫呪)斎藤朝信:武功の証左呪)菅原道真:雪辱の疾雷呪)瀬名姫:気位傲然呪)徳川家康:無事長久の基呪)酒井忠次:猪切の猛士呪)立花道雪:雷神斬りの勇©コーエーテクモゲームス
おはようございます予約投稿です3月28日、鶴ヶ城の後、夫が行きたいという漆器の工房へ行く事になりました帰宅後、アンテナショップで緑色を買いました結局、タクシーがつかまらなかったので工房には寄らずずっと歩き続けていましたすると、商店街の脇になにやら神社が夫が「もしかして?」右折して入って行くと蒲生氏郷の墓会津若松の基礎を作った文武両道に優れた名将「蒲生氏郷」が眠ります・・・|いまに至る城下町の整備と
お散歩の締めにこちら松阪市立歴史民俗資料館さんの方に受け付けのすぐ近くドドーンとねこんな感じで松阪市の歴史や初代松阪藩主蒲生氏郷さんの資料なんかもありましたそこの2階はご覧の通り小津安二郎松阪記念館写真や映画看板秋刀魚の味のセット模型なんかもありました他にも映画監督として資料はもちろん家族に宛てた手紙や中学の集合写真なんかもあり“人間”小津安二郎も知ることが出来ました松阪城跡御城印もいただきました🏯ちなみに以前は郵便局だったとかそんな感じで松阪市立歴史民俗資料館を後
帰国して実家の仙台に長期滞在中。6月に短期で戻る予定。でも153円か・・先月いった会津若松。ハイカラ号にのってお城あたりをブラブラ。昼飯はソースカツ丼。店員さんの対応、丁寧ですね。あ、もちろんお味最高。蒲生氏郷公のお墓にお参り。英世青春館でコーヒー飲んで時間調整。酒蔵見学ツアーの時間に合わせてです。酒蔵で無料見学ツアー&試飲。駅に戻り、気になる動く赤べこと馬刺しの自動販売機。
--------------------------------------------2024年となりの弁当は美味しそうにみえますよね、、、ごくり。--------------------------------------------2023年自分の限界を突破するには、質の違うものに習うのがよいのですね。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)2,826〜3,410円
松坂城址1584年(天正12年)に蒲生氏郷によって四五百森に建てられた城。1871年(明治4年)の廃藩置県により廃城となり現存する建造物はなく石垣が残るのみです。石碑があったので撮ってみたけどこれじゃあ何がなんだかわからないねシリーズ的に全部撮りたくなる!!!松坂城ミニ情報資材調達のため、松ヶ島城の瓦の一部を再利用したり、石材には、河原石の他に、古墳時代の石棺の蓋なども使われました。城は3年で完成し、氏郷は秀吉が治める大坂から一字をもらい、城下町を「松坂」と改めました。
--------------------------------------------2024年昔も今も人事はひどい。よい人事もあるのだろうけど、やっぱりひどいのはひどい、、、とほほ。--------------------------------------------2023年人事って恐ろしいですね。こりゃ、世の中よくならないはずだ。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)2,826〜3,410円
名称:若松城別名:鶴ヶ城、黒川城城郭:梯郭式平山城築城年:1384年築城主:蘆名直盛改修者:蒲生氏郷、加藤明成主要城主黒川城:蘆名氏、伊達政宗若松城:蒲生氏,上杉景勝,加藤氏保科氏、会津松平家所在地:会津若松市追手町1-1指定文化財:国史跡日本100名城武者走り鐘撞堂鉄門干飯櫓、南走長屋天守天守眺望
戦国時代、秀吉が殆ど天下統一を成し遂げた頃、名古屋山三郎(なごやさんざぶろう)と言う京都に住んでいる町人がおりました。姿を現すと、その見目麗しい顔立ちに人だかりが絶えなかったそうです。ある時、信長や秀吉に重用された大名、蒲生氏郷(がもううじさと)がそれを見かけたら、まるで美少女がいたと勘違いして、部下に命じて京都中を探させて、嫁に迎えようとしていた。蒲生氏郷本人は「私は男でございます!」と答えたので、名古屋は小姓に取り立てられた。しかし、この男はただのイケメンだけでは無く、槍
にっぽん城まつり2024。松阪城ブースにて城まつり限定桜版御城印のお迎え。揮毫や基本デザインは変わらぬも、一番派手派手になった桜版御城印。令和五年度版。令和四年版。初期版。2017年にリリースされ、御城印としては古参メンバーのひとつ。三重県松阪市:松阪城。築城主:蒲生氏郷。日本100名城No.48。天守台が残る。壮麗な石垣群が見どころ。のこぎり挽き、知っておるか?罪人の処刑方法で、珍しい一般人参加型のものじゃ。罪人を土に埋め
地元でもある松阪にあるこのお城には以前訪れた事があって100名城のスタンプも獲得済みです('◇')ゞ今回城カード第7弾という事で100名城の松阪城が選出されましたので再訪しました。この松阪城は、1588年に蒲生氏郷が松ヶ島城に代わる城として、四五百森に築城した平山城です。(松と大坂城の坂を取って当時は松坂城と言ったそうです☺️)小田原征伐の軍功により会津60万石の大封を得て若松城に移ったので、服部氏、古田氏が城主となり、元和5年からは紀州徳川家の城となり、城代が置かれました。本丸
名称:九戸城別名:福岡城、宮野城城郭:梯郭式平山城築城年:1492年-1501年築城主:九戸光政改修者:蒲生氏郷主要城主:九戸氏、南部氏所在地:二戸市福岡城ノ内指定文化財:国史跡続日本100名城発掘調査堀跡、土塁石垣本丸虎口本丸二ノ丸
期間:2024/03/08〜03/15天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額呪)蒲生氏郷:寛厳の妙呪)真田幸隆:世渡りの深謀射)内藤昌豊:不争之徳覇)赤井輝子:金剛烈女覇)伊達政宗:龍吟の金声射)徳姫:神君の血縁薬)細川藤孝:百挙百捷の才射)北条高広:進退去就の拓星3覇)本多忠朝:早撃ち星2射)赤座吉家:技巧家©コーエーテクモゲームス
桑折駅から11時54分発の白石行に乗り、12時15分に白石駅到着。東北旅行者アルアルで、電車降りるとき、段差につまずく。山城攻略後のためか踏ん張る事ができず、ホーム反対側の手すりにまで到達。派手な音とアクションで、乗客らの注目を浴びる。。皆さんもお気を付けて下さい↓駅前交番町としての雰囲気作りヨシ↓駅中の甲冑レプリカ白石駅でレンタサイクルし、白石城(しろいしじょう)へ。↓当信寺先に、道中にある当信寺に立ち寄ろう。↓白石城二ノ丸大手二ノ門(移築)当信寺山門は、白石城東門の移築
日野ひなまつり紀行散策中に信楽院さんへ行きました『涅槃会』は2月24日(土)午後2時からです檀家のかたの行事中のため雲龍図は
2024年--------------------------------------------生きていく上で、お金が必要ですよね。お金、大事。国会議員、、、大丈夫?。国民が怒ると怖いですよね。2023年--------------------------------------------給与と愛情の調和が必要なのですよね。蒲生氏郷の部下になりたい。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)2,826〜3,410円
期間:2024/02/11〜02/13天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額呪)蒲生氏郷:寛厳の妙呪)瀬名姫:気位傲然呪)足利義昭:不撓の鞆公方呪)斎藤朝信:武功の証左呪)三条の方:和気似春呪)朝倉義景:四大本空呪)蔵春院:婚儀の盛況呪)おつやの方:合縁奇縁星3呪)蜂須賀家政:邪特効・参呪)大関高増:妖特効・参©コーエーテクモゲームス
蒲生氏郷公の鯰尾の兜牡牛の角👿にも見える金の鯰会津舟運の町喜多方市塩川塩川の金鯰今、まさに絵ろうそくまつり雪が少ない令和6年2月10日会津若松駅から金堀行き【金堀】そのまんま金掘ってました〜節分から旧正月実家では檀家のお寺で【星まつり】母がお琴の包みをリニューアルしてたひな祭り🎎近くなるとお琴を出すそして、、冬のピンと張り詰めた清々しい空気の会津若松市母と会津若松図書館への帰りお隣の興徳寺へずっと、仁王門の工事し
昨日はとある団体からお誘いをうけ京都に行ってきました^o^あっ、変な団体ではないですよーぉ訪れた場所は京都大徳寺の塔頭「黄梅院」さん松坂開祖の武将、蒲生氏郷の年忌法要です。お墓も参らせて頂きました。(私の前でお参りされている方です)本堂の全景はこんな感じでお庭がとても素敵でした。その後、高台寺ちかくで昼食🥗湯葉料理🍳美味しゅうございました^o^その後、また移動して「真如堂」さん素敵なお庭などなど、拝見しました。伺った御寺は、いずれも松阪にゆかりのある
「蒲生氏郷」北方領土の返還を求めましょうみなさん、おはようございます今日は北方領土の日です日本が合法的に領有していた歯舞・色丹・国後・択捉・千島・南樺太は不法に占拠されていますみなさんとともに声をあげていきましょうアリガトウ「2月7日」の國史です「蒲生氏郷、没」文禄4年(1595年)蒲生氏郷(がもううじさと)は近江国日野の豪族です戦場では勇敢和歌、茶の湯に秀でた文武両道の戦国武将です40歳で早逝しました幼少期、信長に人質となります信
「藤原秀郷は、貴族になる事に憧れて平将門の乱の鎮圧に参加した」と、どっかに書いてあったんだそうです。うーん、貴族に憧れてっていうのもどうかと思いますけど。この時代には、まだ「名字(苗字)」という概念がありませんので、彼は教科書的には「藤原秀郷」と書かれますが、一般には所縁の地名(京都近郊の田原、または相模国の田原、など諸説あり)を取って「俵藤太秀郷」と呼ばれます(このへんが名字のはじまり、とも言えます)。京都にも住んでいたこともあるわけですが、基本的には、関東に領地を持つ豪族です。この
天海(73)僧侶と言っても輿や駕籠に乗る身分でもなく、僧衣を仕舞い込んで、旗本衆と共に騎馬で同行することとなった。すると、家康は「とても坊主には見えん。鎧を着た方が似合うのではないか。」と冷やかすのである。天海が京都を離れたのが、天正15年(1587年)のことであるから、9年ぶりの上洛であった。上洛すると家康の意図は、すぐに分かった。上方で宗教関係者との人脈を作ることである。既に天海の正体に気付くものもいないであろう、という判断のようだ。このため、これからは天海のこ
天地人像に目を奪われて見落としがちだが、後ろの石碑も見てみよう。↓伊達政宗公生誕の地碑15代伊達晴宗が米沢に本拠を移し、伊達政宗は米沢城で産まれたという。いうわけで伊達政宗の像もここに建てたらどうか↓米沢城_説明~米沢城年表~1238年(暦仁元)大江時広が米沢に赴任、米沢城築城。長井氏を名乗る1380年?伊達宗遠が米沢を奪い、長井氏を滅ぼす1548年(天文17)伊達晴宗が桑折西山城から本拠を移す1567年(永禄10)伊達政宗が米沢城で誕生1590年(天正18)惣無事令に反した
ごはん、シチュー、鱈の煮物、冬野菜の煮物(大根・しいたけ・人参・昆布・ねぎ)、ほうれん草の胡麻和え海から遠いにもかかわらず、会津若松の三大名物料理、鰊の山椒漬け、棒たら煮、こづゆ(ほたて)に出会い、妄想がどんどん膨らみました。食業病でしょうね?きりがないので終わりにしたいと思います。「終章」宜しければお付き合いください。会津若松の「名物料理」と近江商人蒲生氏郷と近江商人なぜ、蒲生氏郷はわずかの期間で会津若松を東北随一92万石の大大名にすることができたのか?豊臣秀吉の小田原攻めなどの
豊臣秀吉は政宗に毒殺されかかった蒲生氏郷の手前もあり、米沢など政宗の所領5郡を没収し、木村吉清に与えて葛西、大崎に国替えをします。大崎吉清が、30万石に襲封されると伊達政宗は一揆を扇動し、統治が失敗するように仕向けます。政宗が行ったのは領国拡大を狙う局地戦です。独眼龍と呼ばれ天下統一を夢見たという政宗の人物像とはかけ離れています。伊達政宗は天下を夢見る発想はなく、むしろ、奥州全域を支配に置き、天下人たる人物にプレッシャーを与えようもしたのが実状ではないでしょうか。
続き五十鈴川駅から特急に乗り込み、松阪へ。松阪駅の隣の土産物屋は、蒲生氏郷推し。蒲生氏郷は利休七哲の一人で、文武に優秀な武将だが、認知度は微妙。需要あるかはわからない。駅の近所にある、何度か行った、マグロ専門店でランチ。松阪で、松阪牛でなく、マグロ(笑)少し待って、入店。いつもながら、美味しい。松阪から鳥羽へ普通列車で移動。普通列車での移動はただの苦行でありました。鳥羽で買い物して、賢島へ移動。この旅の最大のメインである、観光特急しまかぜに乗り込みます。しまかぜの座席シ
2024年1月17日--------------------------------------------寒いのか暑いのか。暖冬なのに寒いのは歳のせいなのか、、、とほほ。2023年1月17日--------------------------------------------季節に逆らうような営み方、、、疲れますよね。疲れちゃいかんということですよね。ストレス溜まってしまいますよぉ。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)1,894〜3,410円
2023晩秋の会津漫遊記事を始めます。会津若松は6年振り4度目。(2009年・2011年・2017年)<旅の行程>1日目:会津若松→東山温泉2日目:会津若松→会津田島3日目:南会津→檜枝岐→会津田島4日目:大内宿→会津若松新幹線で郡山まで向かい、そこから高速バスで1時間半、鶴ヶ城の手前で下車。時刻は9時前。ひと気もまだ無い名城へ。◆鶴ヶ城(若松城)◆(国指定史跡・日本100名城)11月中旬でしたが、所々で紅葉が見られました。霧模様の
会津若松十日市は、蒲生氏郷が藩主として会津入りしてから、城下町の整備や産業経済の振興など、今の会津の基礎をつくったころにさかのぼります。会津地域最大の初市として、400年以上も前から続く、伝統的な行事です。約400店舗もの出店があり、店頭には起き上がり小法師、風車、市飴などの縁起物や日用雑貨、漆器、飲食物といった様々な商品が並んでおり、毎年15万人以上が訪れる新年の風物詩となっています。かつては、新年の縁起物や、生活雑貨、食器や包丁、まな板、漆器や陶器など、生活に根差したものを