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さてさて。なんだかんだと葬儀準備について、葬儀費用について書いてきましたが、結局、いくらになったのか。今回はその辺の話を書きたいと思います~。年が明けた1月十二指腸潰瘍で緊急入院したところに胃がんが発覚した父(83歳)。入院転院手術退院再入院転院転院老健入所と駆け抜け、8月22日、父は静かに息を引き取りました。父の闘病経緯はこちら【まとめ】父の闘病経緯と私の気持ちの変化実家の人物紹
5日に面接受けた歯医者から見学の誘いがきたから今日行ってみた!なんだろうかね、採用は伸び伸びなのになぜか見学をすることに…ここの歯医者は3月からスタッフが欲しい私は4月からしか働けないだからそこがネックでまだ返事が貰えないんだなー環境は良さそうな気がする院長先生はあまり印象良くないけど、私を面接してくれた30歳くらいの女性の感じが良いからここで働けたらいいかなーと思ってるスタッフに面接の全権与えてるの凄いよね?スタッフを信頼して任せてくれる先生なのかな?と言った印象感じは良く
東京の病院から県外の自宅まで夫をどうやって連れて帰るか…悲しみも癒えぬまま、また違う現実と向き合わなければいけません東京の病院から自宅までは直線距離でも50キロ以上高速を使うと80キロ以上走る事になります自宅までの距離が遠い事も心配でしたが、私が心配したのは夫が若干規格外なサイズだという事183センチの体重110キロ…ラグビー選手ばりのガッチリ体型病院のご飯がまずいまずいと言っていたのでICUで再開する時痩せ細っていたら…と心配していましたが、全く痩せてなかった夫とりあえず姉と手
人の寿命には限りがあります。病気等で時間をかけて、ゆっくりと亡くなることもあれば、急に亡くなることもあります。いずれにせよ、人が亡くなって、まずやるべきことは、葬儀社の選定です。その選定をやるべき人は、家族や親族です。そして、亡くなった方の家族や親族の代表として喪主が決まります。喪主になる人とは、特別な決まりはありません。一般的には、亡くなった方の配偶者や子が務めるケースが多いです。配偶者や子がいない場合は、親族として兄弟姉妹や甥姪が務めることもあります
孤独死したいとこの葬儀が無事に終わりました。思いのほか、50名ほどの方々に参列いただきました。火葬場にも20名ほどいらしてくださいました。朝、葬儀社に着いて、いとこの水泳仲間から挨拶をされ、顔を見ると…どこかで見た…?珍しい名前。…誰だっけ?あ!💡中学の時の体育の先生だ!「…もしかして...先生されてました?」と聞いてみたら、なんと、わたしの記憶通りの先生でした。火葬場にもいらしてくださり、わたしが一人でポツンといたら、みなさんが移動してくださり、話相手になってくださいまし
85歳で亡くなった父の葬儀は、火葬していただくだけの、本当に簡素なものにしました。最近よく聞く、「小さなお葬式」です。ネットで調べて、プランと価格をみて電話しました。火葬のみのプランです。病院から霊柩車で遺体を運んでもらい、火葬の時まで、遺体安置所で保管して、火葬の時に、棺桶に入った遺体を霊柩車で火葬場まで運んできてもらいます。お花の追加などをお願いして、174,900円それとは別に、火葬場で費用としてそこで4,500円支払いましたので、合計で、179,400円も
胎児の無頭蓋症発覚による中期中絶処置について書いています。読んで下さる方はご留意お願いします。いろいろありましたが、必要な人への連絡は最低限終わりました。さて、12週を過ぎての中期中絶は分娩となり、基本3泊から4泊の入院を経て出産し、死産届を出し、火葬する必要があります。・・火葬って、どうやって?退院してから火葬までの間はどうするんだろう。そして火葬するということは遺骨が残るよね?それはどうするの・・?というか、手続きって葬儀屋に頼むレベルなの?頼むとしたらどういう葬儀
そうなんですう昨年のたしかなながつある葬儀がいしゃのなんとか会に誘われていってしまったのがうんのつきさいしょはたしか?わたしといっしょに島根県のお寺さんへお参りするはずがなんのひょうしにまたまただし扱いまあただまされたあまんまと幼馴染っていってもいろんなともだちあるあるよおよおご利用はわ計画てきはんこーうでしたねあの場でゆうべーるにつつまれた会員になってしまったわたあしなんと
昨日の続きです『早朝の新幹線乗り場で迷う』昨日の続きです『グループホームからの連絡(深夜の電話)』母が亡くなる前日のことです『実家へ帰省最終日⑫(母との最後の面会)』母が亡くなる2日前のことです…ameblo.jp新幹線に乗って息子と親友にLINEで母の訃報を知らせるその後新幹線から在来線に乗り換えて少ししてグループホームからメールが葬儀社を決めていただくのと迎えの時間が決まりましたら知らせてください多分夜勤の職員さんから母の訃報に早朝から出勤してくだ
先程父が亡くなった。脳出血先週起こして80歳でもあるので回復見込みがないことからゆっくり看取ることにしていた。倒れてから時間があったので家族で葬式どうするだとか花どうするだなど考える時間がとれていたのも良かったと感じる。血圧と呼吸が落ちていき最後0になったり0になってもテレビ電話すると脈が戻ったりと人体は不思議だとつくづく感じる。病院からは、速攻葬儀社紹介されるので迷ってる余裕ないということがよくわかる。亡くなって3時間で病院から安置所へ出発だ。自分も一時同じような状況になって
こんばんはアルパカのアルです今日のブログは、いつものブログではありません生と死に関する重い内容になりますそれは趣味ではないなと思われましたら読み飛ばしてください以前に弱音と題してブログに少しだけ書いたその父が亡くなりました原因となった病名はコロナです入所していた老人ホームでクラスターが発生し10名のお年寄りが罹患しましたそのうちの4名が重症で、その一人が父でしたもともと健康でこれといった病気もしたことがありませんでした老人ホームからの連絡で入院するその日に車から病院
葬儀社の人が来た。まずは寝室から、リビングに移した。お焼香台などの準備をしている横で葬儀の日程を私と義父母で決めていた。お通夜は翌日の夕方から。告別式は通夜の翌日の昼頃から。火葬はいつしますか?と聞かれた。「出来るだけ多くの人にシンゴを会わせたいです。」そう伝えると、火葬は告別式の翌日9時半にしてくれた。後3日はシンゴといられる。そんなことを思った。エンゼルケアも頼んだ。シンゴは目も口も開いた状態で死んでいた。せめて見た目が
*ありのままに書いておりますので、途中、生々しい箇所もあります。苦手な方、ご気分の優れない方は読まないで下さい。*母からの電話で聞いた内容はあまりにもショックで、言葉も出ませんでした。兄の意識がない事。左半身がグチャグチャになっている事。手術はしたが、今夜越せるかどうか、亡くなる可能性が高い事。葬儀社に連絡した方が良いという事。父も兄妹達も呼んで最期を看取ってあげてほしいと医師が言っているという事。膝から崩れ落ちそうになる。意味もなく、仏間とリビングを行ったり来たりした。そう
いとこが亡くなってから1週間が経ちました。その間に、警察や葬儀社、いとこの家、ご近所へ挨拶、友人や警察関係の方にご連絡、お茶菓子、お礼品の買い出しと、ユミタロウ、かーなーり、すっごーく、頑張りました。一人で。泣きながら。今回のような葬儀は、いろいろなことが規格外で…葬儀社がくれた挨拶文も全然合わない…ユミタロウ、小さな小さな脳ミソで通勤時間に必死に考えました。喪主でもいとこでは忌引は取れない…喪主以上のことを一人でしてるのに。職場でも理解してもらえない。挨拶文を紙に書く余裕も
私の周囲の友人知人には、シングルが殆ど居ない。1人だけ居るのは離婚によるシングルマザー。死別はまず居ない。まして結婚・妊娠中にこの地方に越してきたのでこの20年あまりでできた友達は全てママ友。夫が亡くなったあと「あーあ私はこれから絶対的マイナー組少数民族になっちゃうんだな」って思った。醜いアヒルの子のポジション。あの物語は最後は美しい白鳥になるからいいけどね。やっぱりメジャーは強いよ多数派はそれだけで力があるよ。平均寿命よりも何十年も早くに伴侶を喪うようなこんな恐ろし
皆様ご心配頂きありがとうございます。🙏💦💦今日1日寝ていたのでちょっと楽になりました。が、今日は、早めに寝ようと思うのでいつもより早めにブログを書きたいと思います。(夜中に起きたので、ちょっと追記しました)『彼女に謙虚さは、ないのか?』なんと👀子さまの卒寿の記念硬貨が販売されるのだとか?しかも上皇さまより枚数も多く、種類も多い。しかも高い😅彼女は、皇室に生まれし人ではない。ただ、お嫁に来られ…ameblo.jpこの記事に書いた37日(みなのか)の日私が帰ったあとに玄関のチャイ
先月の話ですが葬儀屋さんから四十九日のことで電話がありました来てもらってお話を伺ったけれど私達4人だけなので住職にはお膳料を包んで会食はしないことに話がまとまり始めていたため細かく聞きませんでした後日検討されましたか?と、連絡が来てお断りしました葬儀屋さんで四十九日をすれば会場代などがかかります住職からはお寺でやってそのまま納骨してまたお寺に戻ってくることを提案されていますわざわざ葬儀屋さんでやる必要がありませんお断りしたも
2024年10月9日(水)東京は冷たい雨が打っています。気温も急に下がり11月の陽気ですって?ついこの間まで10月とは思えない暑さに喘いでいたのに一気に季節が進みました。義父が亡くなった翌日葬儀の打ち合わせをする為に葬儀社を訪れました。そこに義父も安置されています。私達が到着すると義父は既に広いホールの正面に安置されていました。私達が打ち合わせに来るので葬儀屋さんが義父をその部屋に連れて来てくれていたのです。葬儀屋さんの細やかな心遣いを感じました。義
夕方6時に警察から証拠品を返してもらい、葬儀社が用意した霊柩車に旦那は載せられ私は後をついて走り葬儀社に到着した。旦那はある部屋に安置され、その部屋で私は葬儀社の人と打合せをしました。打合せといっても私の家系は今までお坊さんがお経を読む葬式にしか参列した事がなく、旦那の家系はお坊さんを必要としない葬式をするので私1人では決める事ができず、さらに説明もうまくできないので葬儀社の担当者に私のスマホを預けて旦那のお姉さん2人それぞれに代わりに説明をしてもらってさらにお姉さん達が義両親にも連絡を取り
おはようございます。12月8日本日お誕生日の方おめでとうございます私は葬祭業で働いているので火葬式(直葬)という葬儀の形は通夜、、告別式がない、という認識です。昨日電車で移動する際に葬儀社の中吊り広告で「火葬式は通夜や告別式がないの?」と驚く喪主様のおばあちゃま👩🦳のイラストが。で、その広告のタイトルが「安い費用に騙されないで!」みたいな感じでした。この日、実は下の子の結婚の顔合わせで🤵👰電車移動してました。「いや~火葬式だから通夜,告別
おはようございます。12月17日本日お誕生日の方おめでとうございます少し前に納棺師になるにはどうしたら?という記事を書かせていただきましたが実際にはどんなことを学んだのかということに少し触れたいと思います。納棺会社、専門学校、葬儀社などで違いはあるかと思いますが私が学んだ方法となりますのでご容赦ください。私は納棺会社に入り学んだのでいきなり実践!という形です。まずは必要な道具・荷物・言葉を覚えること。そして納棺式の流れを覚えること。~
毎週日曜日、私は暗くて淋しい思いに襲われる日曜日に利用者様がおしまいになられる。家族の縁の薄い人ばかりだ。おしまいになっても顔すら見に来ない方。亡くなられてから葬儀社へ直送。どのように最後を知らない。最近はおしまいになる方にパターンがあるように水責めでプクプク、浮腫が潰れておむつを巻き込んで施設を出ていく。枯れて小さくなって施設を出る主治医により、パターン化している。自分ならどのおしまい方がいいんだろう。水分を絞って枯れていくほうがいいかな。
義父母は葬儀費用の積み立てをしていましたある葬儀社が義父母の家の近くに支店を出し営業の女性が1軒1軒回ったそうですその時に義父母だけでなくその地域の人達と家は離れているのに本家も入ったそうです葬儀だけでなく冠婚葬祭と言うことで長男である夫は絶対ここで結婚式をあげないといけないと、温厚な義父にしては珍しく声を荒げ一歩も譲りませんでした私は、青山か渋谷のお洒落なおレストランでガーデンパーティー方式にしたかったのに1
あの子は長年お世話になった病院でお昼過ぎに亡くなった。病院から近所の私の家まで自家用車はない...。死のショックの上に..この後どうしたらいいのか呆然として..看護師長さんが介護タクシーを呼んだら?と言われたが法律的に遺体は乗せてはいけないそう。さっきまで..生きてたのに。結局どうしようか困ったのち..普通に抱えて帰ることも考えたけどうちの子まぁまぁ大きくなってて目立つよね..とのことで葬儀社を適当に選んで..1キロもない道を車で運
おはようございます。9月20日本日お誕生日の方おめでとうございます人が亡くなると色々な手続きがあります。葬儀社さんからも小冊子などをいただく場合も多いかと。その中で案外忘れがちなのがNHKの解約。ご遺族が一緒に住んでいれば名義人の変更ですが一人の場合は解約になると思います。AIによると解約手続きは契約者本人か配偶者から行いますってありますが…いや、本人亡くなってますよね。おいっ!AI💦配偶者がいない場合は相続人で大丈夫なはずです。主人の時は
ご訪問ありがとうございます私の母だけでなく、夫の関西の母も救急搬送されて、同じ日に危ない状況になってしまいました。私が駆けつけた大学病院の母は意識がもどりましたが、夫の母は残念ながら夫が駆けつけて、すぐに、静かに息をひきとりました。続きです。前回の話はこちら⬇️『間に合った?』ご訪問ありがとうございます母が危ないからと面会が許された日の夜、夫にも夫の母が危篤だと連絡が入り、夫はあわてて義母の病院に向かいました。私は祈る思いで夫からの…ameblo.jp夫は悲しみに暮れる暇もなく、弟や
叔父の葬儀後の話です。葬儀前の話↓『独り身の叔父の葬儀〜ひどい葬儀社①〜』先日、叔父が亡くなりました。享年72歳。叔父は生涯独身だったので、叔父が入院したりなんだりのときは、姉である私の母がいつも面倒を見ていました。定年間際のころ、…ameblo.jp葬儀中の話↓『独り身の叔父の葬儀〜ひどい葬儀社②〜』葬儀前の話は↓『独り身の叔父の葬儀〜ひどい葬儀社①〜』先日、叔父が亡くなりました。享年72歳。叔父は生涯独身だったので、叔父が入院したりなんだりのときは、姉…ameblo.jp葬儀
先日、叔父が亡くなりました。享年72歳。叔父は生涯独身だったので、叔父が入院したりなんだりのときは、姉である私の母がいつも面倒を見ていました。定年間際のころ、叔父がウツになってしまい、その後、躁転して入院したりもしていて、退院後は数年間、叔父を実家に来させて母が面倒をみていましたが、私が出産後に実家で厄介になるタイミングで叔父は自宅アパートに戻っていました。叔父は、実家のわりと近くに住んでいたので、私が子供の頃からときどき実家に遊びに来ていて、例年、年末年始も実家に滞在していたので、大人に
告別式当日の朝、私は喪服を着て長女と次女は小学校の制服に着替え三女は地味めな服を着て朝9時半過ぎに葬儀社に着きました。私は喪主なのでまだ残っていた支払いを済ませたり司会者と進行に関する打合せをしたり大事な書類や証明書などを頂いたりしました。その間に2人のお姉さん家族と義両親が来られてさらにうちの弟妹も来て地区の導師さんと副導師さんも来てくださり全員揃いました。葬儀は少し早めに開始し友人葬を行ないました。順番に焼香をして旦那の会社から頂いた弔電が読まれ葬儀の後そのまま初七日法要もしてもう一
父のお葬式の打ち合わせ。両親、義理両親のうちで、私の父がトップバッターになってしまい、わが家が仕切るのは初めてで、細かいところは、「初耳」や~んってことばかり。一応、喪主は母だけど。オプションである湯灌(ゆかん)もその一つでした。年が明けた1月十二指腸潰瘍で緊急入院したところに胃がんが発覚した父(83歳)。入院転院手術退院再入院転院転院老健入所と駆け抜け、8月22日、父は静かに息を引き