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荻生徂徠の墓長松寺山門荻生徂徠は江戸時代中期の儒学者で、徳川綱吉の側用人・柳沢吉保に仕え政治的助言も行っていました。父は徳川綱吉の侍医で、徂徠は幼くして儒学者の林春斎・林鳳岡に学んでいますが、父が綱吉の怒りにふれ蟄居となると、14歳にして家族で母の故郷である上総国へ移り住みます。そこで学問を独学し、元禄5年(1692)、27歳の時には父の赦免で江戸に戻り、さらに学問に専念しています。そうした苦労を経て柳沢吉保に取り立てられて講義や政治的助言を行うようになったのでした。元禄1
こんにちはじゃんじゃーんちょっと爪が短いのが残念ですけど、二週間バイトがお休みということで、久しぶりに大好きなネイル大雑把なので、爪の周りにもマニキュアが…(笑)うんでもテンション上がりますね車校頑張りますさてさて今日は、以前ご紹介した「江戸の文化」のお歌に入りきらなかった藩学、私塾を覚えますなんと、呪文ではありませんかっこいいですよ~「しばられるオタクと江戸で暗い縁しぼると泣けて塩に洗わる」短歌ですかっこいいでしょ?笑解説ですしばられるオタクと
古学とは、孔子や孟子に帰れというもの。具体的には、こんな感じ。「孔子や孟子のあと、いろんな流派が生まれてきた。でも、そうしたものは、儒学本来の教えから外れてしまっている。だから派生されたものを読むのではなく、直接原点に帰るんだ!孔子や孟子に帰るんだ!」それが古学です古学は①古学派②古義学派③古文辞学派と3つに分かれます①古学派の祖は山鹿素行です。山鹿素行は言いました。「後世の人が、孔子や論語をあれこれと解釈してきたけど、これってもう儒教本来の教えからか