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昔、ちょっと面白い話を聞いたことがあり、ふと思い出したので書き記すことにしました。人間は生命体であるので、誰でもいつかは必ず死にます。死は誰にも訪れる避けられない運命です。お迎えが近い年齢になれば必然的に死というものに向かい合わねばなりません。すると誰もが考える発想として「どうせ死ぬなら、苦しまずにポックリ逝きたい。」「苦しみ悶えて死ぬのだけは絶対に嫌だ!」というのが自然と出てきます。私とて同じように考えます。でも、ラジオである医師がこんなことを言っていました。
「なぜ人生は、これほどまでに辛いのでしょうか?」ある時、一人の男が、人生の重みに心を曇らせながら、ブッダに尋ねました。ブッダは静かに男を見つめました。すぐに答えを返すのではなく、まず、その人の苦しみにそっと寄り添うように。そして、しばらくしてから言いました。「あなたは、過ぎ去っていくものに執着しているのです」男は眉をひそめました。「わたしは、何にしがみついているというのでしょうか?」ブッダはやさしく、近くを流れる川を指さしました。「水を見てごらんなさい。昨日流れていた川は、も
自死遺族の分かち合いの会を開いていると、ときに「悲しみ比べ」が始まってしまうことがある。結論から言ってしまうが、「悲しみ比べ」は、百害あって一利なしだ。人が集まれば、自分と人を比べたくなるのが人情である。主観から「あの人の苦しみは、私よりひどそうだ」とか「私に比べれば、あなたは大したことない」とか、思うことはいくらでもある。しかし、それをそのまま口にすると、困ったことが起きる。定期的に来ていたある方が、分かち合いに来なくなっていたが、その理由を漏らしてくれたことがあった。伴侶をなくした方で
先日車で1時間ほどのとある名所のお寺へ出かけたそのお寺では堪能できたものの帰り道に自死した母が好きだった柿の葉寿司や蓮の花や生前集めていたこけしなどそのようなものばかりが目について今更ながらどうして母は自死を選んだのか何故病死で亡くなってくれなかったのかどうしてもうこの世に居ないのか改めて現実に突きつけられた気持ちになってどうしようもなくいたたまれなくて悲しみに暮れてしまったお寺では楽しく過ごせたのに帰る道中から気持ちが重苦しくなって帰
一人さんは「頑張る」じゃなくて、顔が晴れやかになるように「顔晴る(がんばる)」って言う。眉間にシワを寄せて苦しみながら努力しても、良い結果なんて出ないの。ニコニコと笑顔で、周りをパッと明るくしながら顔晴っている人にこそ、神様からの味方が入るんです。ひとり
「諸行無常」かなりポピュラーな仏教用語ですよねすべては消えてなくなる?希望がないわー若い時はそう思いましたでも諸行無常とは、「すべてのものは、絶えず移り変わっている」ということ。ものすごい悲しみも、出口の見えない苦しみも、いつまでも今と同じ形では続きません。反対に、素晴らしい成功も、大きな達成感も、ずっと同じ場所にはとどまりません。うれしいことまで変わってしまうなんて、やっぱり無情じゃない?でも今が苦しい人にとって、
御教歌わが為にわろしといふをしりながら金の奴(やっこ)で身をはたす也我が身のために悪いということを知りながら、目先の欲得に負けて金の奴僕(ぬぼく)となり、生涯この身を使い果たすことこそ、哀れに悲しいことはないのである。このように仰せいただいた御教歌です。お金は、私達が生活していく上で確かに必要なものですし、あったらあったで困るものでもないですし、寧ろお金の無いほうが不安になるのは誰でも一緒のことだ
noteブッダ『真理のことば』第3回執着を捨てる自分勝手な世界を作ってものに執着することが苦を生み出す執着に囚われない自分を作るには──___諸行無常世の中の全てのものは移り変わっていく___苦しみを生む執着とは?貪欲(とんよく)に染まった人は流れのままに押し流されていくそれはまるで蜘蛛(くも)が自分で作りだした糸の上を進んでいくようなものだ一方賢者はその貪欲を断ち切り執着することなく一切の苦しみを捨てて進んで
次回実践トレーニングは2026年4月7日スタート~!★個人コース募集再開しました。末尾ご案内をご覧下さい❤️その前に話してみたい方はお気軽に個別相談にお越しください!30分・個別無料相談いつも「悟り@ありのまま」の投稿を見てくださりありがとうございます。これまで色々と探究し、悟りに興味はあるけど何となく敷居が高い感じがする・・・と思っていませんか?悟りっていったい何だろう?悟ったらどうなるの?それよりも目の前の現実をよくしたい・・・目覚めの実践プログラムって何するの?実践って・・・私
生死即涅槃(しょうじそくねはん)「生死即涅槃」とは、生きることや死ぬことの苦しみと、涅槃という安らぎの境地とが、実は裏表の関係にあるという教えである。私たちは普段、「生」と「死」を、まったく別のものとして捉えている。生は喜ばしいもの、死は避けたいものというふうに、対立するものとして見てしまいがちである。同じように、「苦しみ」と「安らぎ」も、正反対のものだと考えられている。苦しみをなくした先に、ようやく安らぎがあると思ってしまうのである。しかし禅の教えでは、そう
人生の中で、「どうしてこんなに苦しいのだろう」と思う出来事に出会うことがあります。越えられないように感じる壁、逃げたくなる状況、心が折れそうになる時間。けれど、その壁には大切な意味が隠されています。◆壁はあなたを止めるためにあるのではない私たちは苦しみを「敵」と捉えがちですが、本当は違います。その壁は、あなたを壊すためではなく、あなたの中にある力を引き出すために現れているのです。◆乗り越えるとき、人は変わる壁にぶつかると、人は初めて自分の弱さを知り、本当の願いに気づき、どう生きる
ドラマ「コタキ兄弟の四苦八苦」を(2020年)をUNXETで観直しました。ひょんなきっかけでなんでも屋・レンタルおやじのバイトをすることになった古滝兄弟。クセのある依頼人の要望に応えてゆくコタキ兄弟。このさえない兄弟に喫茶シャバダの看板娘さっちゃん(芳根京子)が絡んでゆく。脚本は野木亜紀子。主演二人の当て書きらしいです。兄弟関係も、さっちゃんとの関係、依頼人達もみな家族問題絡みです。生きる悩み、苦しみと密接な家族関係が悲しくコミカルに描かれます。四苦八苦とは元々は
【公式】斎藤一人さんの名言集まとめ(約13万人フォロワー)onInstagram:"人間関係の苦しみは、この世に生まれる前に、ソウルメイト(魂の仲間)にお願いしてきたの。申し訳ないけど、今世はこういう嫌な役をお願いできないかな?って。相手に悪役を演じてもらっている。相手は愛の魂だから、あなたの成長のために引き受けてくれたんです。ひとり斎藤一人さん→@hitori_saito#斎藤一人#ソウルメイト#人間関係の学び#魂の成長#愛の学び"2,175likes,15commen
今回は、塩沼大阿闍梨が羽生さんの練習拠点のスケートリンクを訪問した。22年から出演、総指揮を1人で担うアイスショーを経験して感じたことを聞かれた羽生さんは「『顔が変わった』と言っていただきましたが、現時点の自分ならではの役割を全うしている手応えがあるからこそ、顔が変わってきたのかな、と考えていました」などと返答している。羽生結弦さん本当に「いい顔」だよね‼️以前の羽生さんには、勝つことや理想の演技を追い求める、鋭さや張り詰めた表情
こんにちは、Midoriです。ちょっと気になっていたことを書いてみようと思います。非二元界隈でよく使われているフレーズというのは、受け取った分離の「私」が曲解してしまうので、要注意だなと思っています。例えば「思考も感情も私ではない」だとしたら、これは「私はいない」のだから、当然そうだよね、誰のものでもないか、ということかもしれません。長年「私」で過ごしてきた人は、そこで立ち止まってしまいます。思考も感情も「私」ではないというのは確か
この内容も、以前書いたと思う。だが、大事なことなので、きっとこれからも、何度も書くと思う。パートナーとの間でレスの問題を抱えた時。拒否される側がすべきこと。それは、どうにかして相手の関心をひこうと、下着を変えたり、自身に問題があるかもと色んなことを改善しようとすることではなく。セックスの問題で傷ついている、自分自身を癒すこと。↓↓↓↓レスで悩む方にお勧めの本です。↓↓↓↓誰にも言えない夫婦の悩み相談室【電子書籍】[小野美世]楽天市場
次回実践トレーニングは2026年8月4日スタート~!★個人コースは募集休止中。まずその前に話してみたい方はお気軽に個別相談にお越しください!30分・個別無料相談いつも「悟り@ありのまま」の投稿を見てくださりありがとうございます。これまで色々と探究し、悟りに興味はあるけど何となく敷居が高い感じがする・・・と思っていませんか?悟りっていったい何だろう?悟ったらどうなるの?それよりも目の前の現実をよくしたい・・・目覚めの実践プログラムって何するの?実践って・・・私にもできるかな?などなど疑問