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(上羽秀おそめさん1923〜2012)1957年(昭和32年)作家の川口松太郎は夜の銀座に生きる女性たちをモデルにした小説、『夜の蝶』が大ヒットし、映画化された。この映画『夜の蝶』もまた大ヒット。京マチ子や山本富士子が夜の銀座のマダムを演じた。この映画をきっかけに水商売の仕事をする女性・ホステスやキャバクラ嬢を〝夜の蝶〟と呼ぶようになった(黒革の手帳の武井咲ちゃん主人公、原口元子を演じます)この小説のモデルは実在する人物で、白洲
祇園甲部の豆珠さんが舞妓から芸妓へ襟替をされ、襟替の挨拶まわりをされた。昼過ぎごろ黒紋付きの正装姿の豆珠さんが置屋から出て来られた。芸妓になられた豆珠さん。舞妓のときは地毛で日本髪を結っていたが芸妓になると鬘になる。男衆さんの案内で挨拶まわりへ行く豆珠さん挨拶に来た寿司屋の前で撮影巽橋で撮影京舞の師匠井上八千代さん宅前で撮影。多くの芸舞妓が師匠への挨拶が緊張するそうである。挨拶に来た一力の前で撮影ここは芸舞妓の挨拶まわりをするときの人気撮影スポットである。挨拶に来た置屋の飼
昨日、都をどりを観てきた。都をどりとは、毎年4月の一か月間に京都の祇園(祇園甲部)に所属する芸舞妓が行う舞踊公演のことだ。花見小路の祇園町入り口。観光客、特に外国人が多い。会場の歌舞練場。昨年は改装中だったので南座で開催されたが今年は元通りここで。記念すべき150回目の都をどりだ。観光バスも駐車できる敷地の広さがある。実際3台ほど駐車していた。開演は14時30分だけど、お茶もいただくので一時間前に到着。お茶をいただく人は違う建物から入った。舞妓さんの肖像画がある部屋
幕末といえば、やっぱり新撰組新撰組は京都守護職の会津藩主、松平容保の庇護のもと、新撰組として発足しました同じように京都見廻組がありましたがら京都見廻組は幕臣(旗本、御家人)で構成された正規組織でした。しかし新選組は浪士(町人、農民身分を含むごちゃまぜ状態)で構成された、「会津藩預かり」という非正規組織でありました。隊員数は、前身である壬生浪士組24名から発足し、新選組の最盛時には200名を超えていくことになります。この新撰組と京にある島原の天神(芸妓)を書いた小説に有名な浅田次郎著『輪
11月末に祇園甲部で舞妓の美羽子さんが芸妓へ襟替をされ、お茶屋へ挨拶まわりをされた。芸妓へ襟替をされた美羽子さん。男衆さんとお茶屋へ挨拶まわりへ京舞師匠井上八千代さん宅前で撮影お茶屋の門の前で撮影新橋通で撮影来年の都をどりのポスターと撮影巽橋で撮影一力で撮影大和橋で撮影挨拶に来たお茶屋の前で撮影建仁寺の紅葉と撮影路地で撮影挨拶まわりを終えて置屋に帰って来た美羽子さん。お祝いの目録美羽子さんは舞妓のときはイベントや撮影会の出演、神事で舞を披露することが多く、見る
靖遠侯爵家から多くの逮捕者が出たことでその後大きな展開があった。靖遠侯と結託していた海賊の自白により、政敵であった故胡進侯爵の再審が決まり審議を経て胡家の名誉回復が計られたのである。首を取られて亡くなった当主の無念は永遠に消えないが散り散りになった一族の屋敷や財産は遺族へと引き継がれる事となった。一人娘・蓮頌は奴婢に身分を落とされ天香楼に芸妓として売られていた。胡進の親友衛国公らが手を回すことで辛うじて身を売る事なく芸を披露する舞姫として籍を置いていた。当時は蓮頌は犯罪人と連座であり、
京都五花街の一つ宮川町でとし七菜さんが舞妓から芸妓に襟替が行われた。襟替当日、芸妓とし七菜さんが置屋から出て来られた。これからお茶屋やご贔屓の店に挨拶まわりへ向かう。挨拶まわりへ行く前に記念撮影が行われた。先輩の芸妓とし夏菜とツ-ショット撮影。記念撮影の後、男衆さんと挨拶まわりへ行かれた。男衆さんと挨拶まわりへ行くとし七菜さん挨拶に来た置屋河よし忘の前で撮影舞妓のときは地毛で日本髪を結っていたが芸妓からは鬘となる。宮川町お茶屋組合の前で撮影お茶屋川久の前で撮影お茶屋本城の前
祇園甲部の美月さんが舞妓から襟替をされ、挨拶周りをされた。昼頃、黒紋付き姿の芸妓美月さんが置屋から出て来られた。置屋から出て来られた美月さん。舞妓のときは地毛で髪を結っていたが、芸妓は鬘である。男衆さんの誘導で挨拶まわりへ行く美月さん。挨拶に来たお茶屋へ入る美月さん。挨拶を終えて出て来られた美月さん。挨拶まわりの途中でお茶屋の女将さんと挨拶を交わす。大和橋で撮影新橋通で撮影四条通で撮影建仁寺前で撮影京舞の師匠井上八千代さん宅前で撮影。花見小路で撮影西花見小路通で撮影
春の風物詩「都をどり」を関東から来てくれた大切な友人と鑑賞しました。今年のテーマは「源氏物語」・・・席は2階桟敷席、御茶券付きです。桟敷席は靴を脱いで上がり、背もたれのある座椅子に座ります。私たちは4月12日に行きました・・・4月30日までやってます。祇園甲部歌舞練場へ向かう花見小路・・・観光客は多いお茶屋さんにも「都をどり」の提灯でが・・・雰囲気を盛り上げます帝国ホテルを建設中の甲部歌舞練場2時30分の部「都をどり」と言えばこの水色の振袖。枝垂桜がかわいい。赤い帯とよく合っ
都をどり#行ってきました#都をどり2024#第150回記念公演都をどり#源氏物語今年は150回記念公演という事で源氏物語なので観てきました♪都をどりは、よーいやさ一』で始まり華やかな舞を観せて頂きましたパンフレットはめちゃ分厚く豪華なのにチケットと一緒に買ったら500円めちゃお得🉐観光バスで来るからすごいわまあ一外国人観光客が多いいや、いかにも紳士な金持ちそうカップルとかはマナーも良い私の隣り4人組、喋る喋る左のブロックで着物の外国人が身を乗り出して観てたら係
1月末に祇園甲部のまめ樹さんが舞妓から芸妓へ襟替をされ、お茶屋とご贔屓のお店に挨拶まわりをされた。芸妓へ襟替をされたまめ樹さん男衆さんと挨拶まわりへ挨拶に来た一力に入るまめ樹さんお茶屋の女将さんと挨拶を交わす挨拶に来たお茶屋に入るまめ樹さんお茶屋の前で撮影お茶屋の飼い犬と撮影挨拶まわりの途中で雪が降って来た。挨拶まわりを終えたまめ樹さんお祝いの目録
今日は祇園甲部歌舞練場にて、令和六年第百五十回記念公演「都をどり」を拝見しました。私が「都をどり」を見るのは約50年ぶりの3回目。最初は中学1年生の時。小学3年生から日本舞踊を習っていたこともあり、勉強になるからと生母が連れて行ってくれました。当時の振り付けは、先代の井上八千代さん。三味線からお琴、鳴り物、出演者あらゆるものが生で、しかも綺麗な舞妓さん芸妓さんが舞い踊るとあって、私は大感激。帰宅するや即熱い感想を書き連ね、歌舞練場宛に送ったのでした。なんとその感想
祇園甲部の芸妓茉利佳さんが引退されることになり、挨拶まわりが行われた。男衆さんと挨拶まわりに行く茉利佳さんお茶屋の女将さんと最後の挨拶挨拶に来たお茶屋の前で撮影近所の人と挨拶を交わす。財団事務所の前で撮影花見小路を歩くのもこの日が最後同期の芸妓さんと挨拶を交わす。新橋通で撮影挨拶まわりや稽古に行くときに必ず、渡った巽橋を渡るのもこの日が最後。挨拶まわり終了引退後は実家に帰省され、一般人として生活される。
神保町シアター女たちの街より製作:東映監督:五社英雄脚本:高田宏冶原作:宮尾登美子撮影:森田富士郎美術:西岡善信山下謙爾音楽:佐藤勝出演:緒形拳池上季実子浅野温子倍賞美津子仙道敦子風間杜夫丹波哲郎1983年9月10日公開太田勝造(緒形拳)は義太夫の豊竹呂鶴(池上季実子)と駆け落ちしたものの、呂鶴は追手の手にかかり死亡します。それから20年後、二人の間に生まれた房子は、陽暉楼の芸妓・桃若(池上季実子:二役)として店一番の売れっ子になっていました。陽
モデルや女優。着物姿で色気の魅力。着物・浴衣の着付け。ポートレートスタジオファイン2018年6月版文章を更新2020年11月改定版2022年9月再改定版成人式、卒業式、結婚式、お正月など一般女性が着物を着る場合は、着付けの先生の指導に従ってください。今回このブログで述べるのは、女優やプロモデルが、衣装として着物を着る場合です。大規模撮影会では、モデルが着物や浴衣の場合、着付けの先生が着付けをしています。個人的にモデルを撮影す
「燕燕、来たわよ!」今夜も賑わう梅翠楼、隣の金花姐さんから耳打ちされる。「…ホントに?!」見れば滅多に訪れる事のないあの人がお役人様の面々と席に着いた。燕燕は頬を染めた。ちょっと前に街で見た彼は…都に流れてきた海賊の残党を追跡捕縛していた。あたしに執心の腹の弛んだヘタレ貴族なんか目じゃない。獲物を狙う目が鋭くてなんて凛々しい男。ゾクッとしたわ。そして…男盛りのあの締まった身体つき。あたしの心臓はきゅっと締め付けられた。あたしの一目惚れ。燕燕は白粉を塗ったうなじの乱れ髪を
「鼓を打つ芸妓」というタイトルのついた古写真があります。現代でも通じる美人だとネットなどでもよく取り上げられているようですが、明治期の写真家・玉村康三郎によって撮影された写真といわれ、一説には明治43年(1910)に撮影されたものだともいわれています。ちなみに、こちらは彩色写真といわれるもので、白黒写真に色を塗ったお土産用の写真です。この女性について何かわからないかと、色々調べてみましたが、そんな中で一枚の写真を見つけました。こちらです。こちらは「月琴を弾く娘」
中村誠策静岡県浜松地方において、太平洋戦争直前の1941年(昭和16)8月から翌1942年8月にかけて、聾唖者(耳が不自由な)中村誠策(最後の犯行時18歳)が短刀で10~12名を殺害し、5名に傷害を負わせるという事件が発生した。この事件は「浜松連続殺人事件」と呼ばれる。この事件は日中戦争及び第二次世界大戦下の日本で発生した。当時の日本は戦時体制下にあり犯罪報道が制限されていたため、被害の大きい割りに、あまり知られていない。中村は1941年8月18日、浜松市では強盗と強姦目的で芸妓屋に
書き忘れたことを書いておきます。少し前のことになります。芸妓を引退した母の後輩が家に来たときのことです。仏壇にお線香をあげてくださり・・その日のことです。しまってある母の着物を見ていただいていたら・・それを見ていたAちゃん、Kちゃんに、「着せてあげましょう」みたいな話になりました。手際よく、Aちゃん、Kちゃんの順で着物を着せると…部屋のなかが、パッと、華やいで~🌸今度は、母の形見の三味を手に取って、弾いてくださったのですが、
私は20歳のとき、あと数年若ければ絶対舞妓さんになったのに、、と思っていました^_^なんといっても華やかなだらりの帯、揺れる簪、豪華な打掛。舞妓さんは10代から頑張らないとなれないそうなので、あきらめましたでも京都の舞妓体験にいって京都の街を散策したり。。しかし今の所みやこおどりを見にいって我慢しています笑画像は黒髪という曲で踊っていると思われる舞妓さん。黒髪はこない男を慕う唄ですが、舞妓さんも年を重ねて色香が備わってきた頃に舞うので、とっても色っぽく切ない唄ですむしろこんな歌詞唄っ
11月に京都の花街の宮川町で舞妓さんのお店出しと芸妓さんの襟替えがありました<舞妓さんのお店出し>永い修行期間を終えて、やっと舞妓さんとしてデビューする日です置屋の「駒屋」さんの前には、たくさんの人が集まってます右が、とし七菜さん左が、とし菜実さん真ん中が、芸妓さんのとし夏菜さん姉さんテレビ局のカメラが・・・・先日11/23放送のNHKプロフェッショナル仕事の流儀「京都・舞妓スペシャル」でこの模様が放送されてました。お茶屋さんへご挨
「章人近藤」あきひとこんどう(ネット名。ペンネーム)でYOUTUBEを開始。日本のコンテンツでは「近藤章人」です。2023年10月吉日試行錯誤しながら開始。2023年11月9日開始したことを公開。2023年12月30日今後の方針。改訂版。章人近藤AKIHITOKONDOU大人気の「京都の舞妓・芸妓=芸者」の映像はチャンネルからご覧ください。初期に集中公開。舞妓・芸妓・花街関係、約40本は、映像も、チャンネルも最初です。日本美人女
舞妓から芸妓へ襟替えをされた祇園甲部の多都葉さんは雨の中、各お茶屋にお礼まわりをされた。多都葉さん一力の前で撮影先輩の芸妓さんと挨拶を交わす四条通で撮影挨拶に来たお茶屋の前で撮影花見小路で撮影辰巳大明神で参拝。巽橋で撮影路地で撮影。舞妓のときから大人の雰囲気だった多都葉さんは芸妓になられて、更に大人の雰囲気になられた。
おはようございます。このブログ『京おどりのチケット購入方法が。。。』こんにちは~アメブロのシステム更新長かった~こんなに長いの初めてです。このブログ『♡Gongcha河原町蛸薬師店で。。*:.。。.:*・゚…ameblo.jpでご紹介した京おどりのチケット購入の購入方法がオンラインで購入に変更されていましたが。。。都をどりもオンラインに変更されています。。。祇園甲部歌舞会公式ウェブサイト:都をどりの公式WEBサイト
たまにですけど萩の城下町をふらり♪ふらり♪と散歩平日は観光客もまばらでゆっくりできるそんなある日ここは木戸孝允(桂小五郎)の誕生の地天保4年(1833年)藩医和田昌景の長男として誕生幼少時に体が弱かった為8才で桂家の養子となる養母が失くなりその後実家で成長し江戸に出るまでの20年間をここで過ごした………と、あります倒幕維新に尽くした志士西郷隆盛、大久保利通
2020年9月智積院から撮影スタート桔梗の花と彼岸花が咲いていました祇園甲部の舞妓さんの時は、まめ藤さんは誰にでも礼儀正しく愛嬌もあり好感が持てましたしかも容姿端麗で人気舞妓さんでした一度、熊本へ帰られましたが、芸妓で復帰されました大歓迎ですこの日は、芸妓になられて2回目の撮影会に誘って頂きましたその後、円山公園へまめ藤さんとタクシーで移動くまモンの花名刺も頂きました感激です
上七軒の梅ひなさんが舞妓から芸妓へ襟替をされ、その挨拶まわりが行われた。芸妓に襟替をされた梅ひなさん。舞妓のときは地毛で日本髪を結っていたが、芸妓は日本髪の鬘をかぶる。女衆さんの誘導で挨拶まわりに行く梅ひなさん。挨拶に来た料理屋に入る梅ひなさん。芸妓組合での挨拶を終えた梅ひなさん。歌舞練場の桜の下を歩く梅ひなさん。桜は残念ながら散りかけていた。近所の人と挨拶を交わす梅ひなさん。挨拶まわり終了後、女将さん、先輩芸妓の梅葉さんと記念撮影。上七軒では次々と舞妓さんが引退して行く中
難波をどり会に協賛しまして、どなたでもお申込みいただけるお座敷遊び体験プランをご用意しました。17日18時〜(空席あり)18日18時〜(満員御礼)いずれも「たに川」で20名さま限定、お一人さま15,000円、お食事•お飲物•芸妓花代•お席料など全て込みになります。お席は相席、最小催行人数設定あり。また、日時、芸妓をお選びいただけるプランもございます。こちらは一部屋一組、通常価格で特典付きになります。詳しくは弊店HPのトップページから、ご参照くださいませ。お問合せも受け付
松江市東本町は松江市の歓楽街で、夜になると活気のでる街です。松江市の歓楽街は、この「東本町」と大橋川をはさんだ先にある「伊勢宮町(イセミヤ)」で、いわば松江の「キタ」と「ミナミ」みたいな感じでしょうか?「東本町」を「トウホン」と言っているのをよく聞くのでうが、ホントの名称はよくわかりません・・。現在の東本町は、広い道が直交しており、整然とした街並みです。その上、交差点は角が切ってあり見通しもとても良いです。それもそのはず、昭和6
ドキュメンタリー映画『鶴になる』のクラウドファンディングを行なっております。うちの千鶴が芸妓見習いから芸妓になるまでを追った映画です。監督は島田拓空也さん。まだ大学を出たばかりの若い監督さんですけれど、才能ある方で、賞も複数お取りになっています。見せていただいた近作「ボーダーレス霊園』は、びっくりするぐらい優しい、美しい映像で、この人なら、とお願いすることにしました。ただ、とはいえ自主制作です。充分な資金を集めるため先月末よりクラウドファンディングを行なってお