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朝になった。。。起きて自然とお腹を触ってしまう。。。Mariaおはよう。。。大きくなったお腹は何も変わっていない。ないのはMariaの胎動。。。昨晩はあまり眠れなかった。。。泣きすぎだろう。。。瞼が重い夢であって欲しいと願ってもやっぱり現実だ。。。旦那:「おはよう」Mariaママ:「おはよう」旦那:「今日は必要な物取りに行ってくる。。。あと、色紙とかスタンプ台とか買いに行ってくる。」Mariaママ:「分かった。何か必要なものあれば連絡する」お別れ前の大切な時間の為に
病院の配慮で旦那が泊まれる手配をしてくれた。夜が来るのが不安だったのと、少しでもMariaと3人で過ごしたかったので、病院に感謝しないとねっと旦那と話していた。トントン「。。。。。」Mariaママ:「お父さん!?」父:「お母さん迎えがてら様子見に来たよ。」Mariaママ:「ありがとう」父:「正直びっくりしてる。。。何て言ったらいいか。。。」父のこの一言、何て言ったらいいか。。。言葉が見つからないのだろう。私は下手に励まされたりするよりもよっぽど良いと思った。(次があ
ブログで知り合った天使ママさんからの情報不育症の権威がいる病院へ不育症検査をしに向かいました。不育症検査は血液検査で食事の制限は脂っこいものを前日に食べないことくらいでした。検査病院では娘の妊娠中の時出産時の話母子手帳胎盤とへその緒の病理組織診断書一回目受けた不育症検査報告書を提出しました。血を採取して今回は、これで終了でした。一度不育症の検査を受けているのでやらなくてもいい検査は、はぶいてもらえました。予約時の電話で『13万くらいかかるので現金を用意してくだ
母のお弁当を食べ終え、ベッドに横になった。なんとなく少しお腹張るかなーって感じはあったが痛くはない。。。旦那:「ただいま」母、Mariaママ「おかえり」旦那:「もう少し早く戻ってこようと思ってたんだけど。。。ごめん。。。」Mariaママ:「大丈夫だよ」旦那:「どぉ?」Mariaママ:「少し張るかなっていうのはたまにあるけど、痛くないんだよね。。。」旦那:「そっか。。。今日もMariaに会えないかなーそう言えば検査の事先生にあとで話さないとね」Mariaママ:「分かった。」
明日は娘の月命日です。私達は娘を手元供養にしています。娘のお骨も私達のそばにいます。朝に花の水を変えて、ミルクとお水を取り替え夫婦一緒に毎日お線香をあげて手を合わせます。おはよう。おやすみなど挨拶はもちろんのこと、娘に声を掛けています。手元供養にして、お骨を見ることで悲しい気持ちにもなりますが苦しく辛い時は娘のお骨を抱っこすると気持ちが落ち着く時もあります。娘の名前は季節の花から取って付けました。私は花が好きで女の子には花の漢字を使った名前にしたいと思っ
※38週2日でお空に送った赤ちゃんの、死産の記録です。妊婦さんや辛いと思う方はご覧にならないようにご注意ください。暫くして先生が入ってきて改めて今回の死因について説明された。【胎盤】・目視できる限りでの損傷はなし・その為常位胎盤早期剥離の可能性はなし・へその緒の位置も正常【その他】・へその緒が巻き付いていることもなし・胎児自体の染色体異常もなし【考えられること】・胎盤の血管が詰まり、栄養が送れなくなったという可能性があるが、目視では確認できない為病理で検査へ。結果が出るのに2
宮内先生:「内診は夕方頃を予定しています。」Mariaママ「分かりました。」宮内先生:「失礼します。」一通り説明をし先生は病室を出た。。。菊田さん:「こちらをお読み頂けますか?」菊田さんは〜赤ちゃんを亡くされたご両親へ〜というプリントを私と旦那に渡してきた。菊田さん:「この中でも構いませんが、赤ちゃんとしたい事などあれば教えてください。」そこには、赤ちゃんと出来る事、赤ちゃんにしてあげたい事、赤ちゃんの産まれた証、葬儀について書かれていた。ーーーーーーーーーー赤ちゃんと出来
一週間後娘の5回目の月命日です。5ヶ月経つのか~とまだ5ヶ月か。。。色んな気持ちです。久しぶりにブログを読み返すと月命日のたびに同じこと言っているような・・・・まだ5ヶ月もう5ヶ月この≪まだともう≫に色んな気持ちが乗っています。時が止まっていたような気分だった私ですが最近は、時が気持ちが動き出しています。1つは、思菜の100日記念日をしました。私の母が『孫の百箇日
夫とは10年ほど前に出会いました。結婚してからずっと、子どもは4人欲しいねと話していました。それから男の子、女の子、女の子…と、トントン生まれ、最後はまた男の子を妊娠しました。第1子の長男は、とても大喜びでした。一緒に妊娠週数を数えたり、お腹に話しかけたりしていました。生まれたら何をしたいとか話していました。ちょうど今年度は長男の小学校進学の年でもありました。育休で家にいれることもありがたかったです。家族や親戚一同、大喜びの妊娠でした。子ども達も毎日、お腹の赤ちゃんに声をかけ
※2018年6月16日、38週2日でお空に送った赤ちゃん、くぅちゃんの死産の記録から、次の出産の記録です。辛いと思う方はご覧にならないようにご注意ください。新年初の投稿です。またまたご無沙汰しております。そして、ご報告です。昨年末の12月26日夜中の3時32分に、無事に第3子となる3,050gの女の子を出産しました。今回の出産は、最初から最後まで不安だらけでした。13週で前置胎盤で大量出血して切迫流産になったり、へその緒が端についてしまう臍帯辺縁付着と判明したり、B群溶血性連鎖
死産を経験した今娘のことを思い出して泣く日々ですが・・・お腹の中だけど娘と一緒に過ごした日々を思い返すことで娘がいた証をブログで残すこともいいなぁなんて思えてきました。いろんなことを振り返ったりすることで自分の気持ちの整理にもなるかな・・・私は27歳で結婚しました。変なこと言いますがこの歳での結婚を予想していたみたいです。高校生の時に友達となぜだか覚えてないけど人生の未来予想図を書いて遊んだことがあります。私「勉強は嫌いだから大学には行かないかな。」(結果、高
検診が終わり、旦那の会社へ向かった。。。私の旦那は47歳自営業だ。。。私の年齢は33歳。一回り以上歳が離れている。何事にも一生懸命取り組む旦那が私は大好きだ(旦那との事は機会があればまた書きます)事務事などは手伝っているが今日来た理由は仕事ではない喪中ハガキを作りに来た私は旦那と旦那の母と旦那の父と4人で旦那の実家で同居していた。実は。。。脳出血で寝たきりだった義父が11/5にこの世を去った。74歳だった。。。義父は3年半前に脳出血で倒れ寝たきり状態自宅介護になり
私のブログをご覧頂きありがとうございます。またフォロー申請して頂いた方ありがとうございます。承認が遅くなってしまい、また更新も出来ず申し訳ございませんでした。死産から約一年と三カ月経ち、私の中で気持ちが少し落ち着いてきたのと、色々とありました。また自分のペースですが少しずつ更新していこうと思っています。これからも宜しくお願いします!
無事に娘の四十九日を終えました。水子供養をしましたが、そもそも四十九日の法要も水子供養もやったことが無い為どう過ごすのがよいかが全くわかりません。ですが自分たちなりの供養が娘の為になるのではと・・・朝から二人で水子供養が出来るお寺遍照院(へんじょういん)に行きました。服装悩みましたがお寺的には平服でOKですが、ジーパンと丈の短いスカートはNGとのことでした。落ち着いた色の服を夫はもっていないので夫は喪服、私はオール黒の平服にしました。御布施は一万~と言われていたので一万円を
死産した日の病院に行ってからの話です。ほんの1週間前に病院の産科がある2階に初めて見学に行った…(切迫早産で安静指示が出ていたので病院の見学や母親学級に参加出来ておらず、1週間前に特別に病室などを検診の時に見学させてもっていた)朝7時半頃に到着して行った2階はまだ薄暗いベッドに寝ると看護師さんが心音を探してくれる…「…」「赤ちゃん逆子ちゃんかなぁ?もっと下かな〜?」私はわかっていた…止まってるって。「先生にエコーで診てもおっか〜?その方が早いね◡̈⃝」そう言われ内診室に移動する。
※38週2日でお空に送った赤ちゃんの、死産の記録です。妊婦さんや辛いと思う方はご覧にならないようにご注意ください。妊娠周期38週2日救急車で日赤病院に運ばれ、緊急の入口から搬送される。名前と生年月日を伝え、救急の先生から改めて状況を確認される。「マタニティ病院でお伝えがあったように、もう赤ちゃんは助かりません。このままだとお母さんの身体が危なくなるかもしれません。輸血も必要になるかもしれません。ですが、今既に陣痛の間隔も短い状態なので、帝王切開はリスクが大きいのでお母さんの身体を一番に考
あまり多く語られることのない赤ちゃんを亡くした夫婦の旦那側の気持ち…数日前、次女ひすいちゃんについて夫と話す機会がありました🌸私は毎日とはいかずとも、ちょこちょこ娘の写真をみては「可愛いなぁ🥹」って言っています。一方旦那は写真を見ませんし、私のように骨壷を抱いたり話しかけたりすることはあまりない。なんでー?と聞いてみると「まだ娘が亡くなったことを受け入れられてない。あの日で全てが変わった。」と。旦那「多分⚪︎⚪︎(私)より、娘が生まれてくるの楽しみにしてた。妊娠が分かってから
※38週2日でお空に送った赤ちゃん、くぅちゃんの死産の記録です。妊婦さんや辛いと思う方はご覧にならないようにご注意ください。暫くパパとママ、くぅちゃんの3人で過ごして、15時頃やっと病室の準備が出来たと、婦人科の個室を用意してもらった。赤ちゃんの産声が聞こえるこの分娩室に12時間以上、、早く出たかった。産科の大部屋とかじゃなくて本当に助かった。個室に移動すると同時に、私の母(父は他界)、兄家族、姉家族がくぅちゃんに会いたいとお見舞いに来てくれた。九州にいる義理父と母も飛んで来てくれたけど
妊娠周期38週1日22:00長男を出産したマタニティ病院。分娩室やらが懐かしいねなどと姉と会話しながら、病院に着いて内診台へ。助産師さんに改めて出血の回数と陣痛の間隔を伝える。「子宮口5センチかな。ちょっと出血が多いかな」長男のときを思いだし、子宮口1センチだったけど頭が降りてきて見えてたから直ぐに入院。そこから6センチになるまで10時間ほどかかって悶え苦しんでたから、今回はもう5センチ!あとちょっと!ドキドキ!「とりあえず赤ちゃんの心音確認するねー」内診台で体勢が悪いのか中
明日は娘の四十九日この日が来るまであっという間だったような長かったような。。。本当だったら日々の成長を楽しみながらも大丈夫なのかと不安の毎日何をするにも初めてで色んな事に心配したりとかしてたんだろうな。。。一ヶ月ごとにおむつアートしたり女の子だから色んな洋服買ってきて『買いすぎ!』って夫に怒られてたり・・・なんて・・・基本的に妄想癖なのでつい・・・ほんとだったらと・・・ありもしない妄想を膨らます毎日です。だって無事に産まれていたら四十九日なんてものはないです。
この日は土曜日だった。。。朝の血圧、体温チェックが終わり朝食後、先生が来るとの事だった。今日も促進剤をこれから入れるんだろうなっと思っていた。。。旦那:「あのさ、おふくろが来たいって連絡あったんだけど。」Mariaママ:「。。。。。」旦那:「無理しなくて良いよ。断ろうか?」Mariaママ:「うん。。。今は会いたくないかな。。。」前に義母に言われた「次があるから。。。」この一言を思い出していた。。。義母だけではない、母と父と旦那以外は誰にも会いたくなかった。。。皆んな心配
産婦人科からの不妊治療専門病院へ転院近くの病院で口コミが良い所が2件あり1つは不妊についての勉強会を二時間受けなきゃいけないクリニックこのクリニックは、食事とか体を改善してからの不妊治療のようで駅から近く、地元の人は皆ここに行くようですが≪そんなこといいから!さっさと不妊治療してほしい≫私には合わなそうなのでもう一つの病院にしました。まずは電話予約してみました。以外にも『明日来てもいい』との回答でビックリしました!あれ?混んでないのか?そんなすぐに予約とれるんだ!良かった!
菊田さんが30分おきに様子を見に来る開始から30分。。。菊田さん「どうですか?」Mariaママ:「何も変わらないです。。。」菊田さん「点滴の量増やしますね」そう言うとお腹の張り具合をモニターチェックのグラフで確認して点滴のダイヤルをあげる菊田さん:「何かあればいつでもナースコール押してください。」開始から1時間。。。菊田さん:「お腹張ったりしてないですか?」Mariaママ:「してないです。。。」菊田さん:「点滴の量増やしますね」投与して1時間位だったが、何も変化がなく初め
朝になった。。。今日から入院3日目だ。。。旦那も私も瞼がパンパンに腫れている。7:30血圧と体温チェックがあった。朝から旦那が色んな所に電話をしバタバタしていた。。。旦那:「優希、俺今日はお昼過ぎまで仕事あるんだ。。。こんな時に本当ごめん。。。」Mariaママ:「大丈夫だよ。今日はお母さんも来るから。」旦那:「出来るだけ早く戻ってくるから。。。」そう言うと着替えを済まし仕事へ向かった。旦那は自営業だから調整できる時は仕事を調整してくれ出来るだけ側に居てくれた。。。本当に心
オギャーオギャーオギャー今日も新生児室から泣き声が聞こえる。。。涙が溢れる。。。あの時、無理しなければ。。。あの時、焦らずゆっくり歩いていたら。。。あの時、階段を登ったりしなければ。。。あの時、重たい物持たなければ。。。あの時、ストレス溜めなければ。。。あの時、もっと早く気づいていれば。。。あの時、Mariaの事を第1に考えていれば。。。あの時、あの時と自分を責めて続けた。。。後悔して後悔して。。。色んな場面を思い出した。。。Mariaママ:「うっっううっぅ。。。」旦
この妊娠期間、妊娠前以上にぐっすりよく寝ていた。私、今までは寝ることが一番のストレス解消で何よりも幸せでした。予定日を過ぎた検診の日。8月1日。その日の朝は、なんの夢か思い出せないけど何かをみて目が覚めた。久々に夢を見たから、そろそろ赤ちゃん出てくるのかななんて、根拠のない憶測をしていた。今日の検診で、内診グリグリされたら、そろそろ生まれるんだろうな〜。準備はバッチリと思っていつも通り検診へ。ただ、この日いつもと違ったのは、母が検診についてきてくれたこと。なぜなら、前回の検診でもし4
出産後の疲労と死産のショックから時系列がめちゃくちゃかも知れません。記憶がない期間もあるので覚えてる事だけブログにしていきます。娘誕生後、姉は電車の時間があるので私の後処置中に帰った。姪っ子の死と向き合った直後に電車で帰宅…今考えたら相当キツかっただろう…LDRで2時間の安静後、病室に移動その前に娘に会わせてくれた♡新生児ようの肌着を着せてもらってた普通の赤ちゃんと同じように扱ってくれることに感謝助産師さんだか看護師さんだかが「からだも見ますか〜?」と聞いてくれて「見たい見たい
死産宣告された日のことを書いていきます。2019.09.09予定日から3日朝7時夫は予定日付近の仕事を何日か休んでくれていたこの日は私の母が朝から来てくれる予定になっていたので、夫は久しぶりの出勤予定だった朝ごはんを夫と食べた私はロールパン2つとヨーグルトにブルーベリージャムを少し乗せたもの前駆陣痛っぽいものを4時前までアプリでカウントしてたから、寝不足で辛い臨月付近になってから妊婦湿疹みたいなのに悩んでて痒みでまともに寝れない日も続いてたいつもご飯を食べてたら胎動があるのにな
※38週2日でお空に送った赤ちゃんの、死産の記録です。妊婦さんや辛いと思う方はご覧にならないようにご注意ください。妊娠周期38週1日22:00先生が超音波の機械を持ってやってくる。私のお腹に機器をあて、赤ちゃんの心臓を確認する。「お母さん、見てのとおり、赤ちゃんの心臓がもう止まっちゃってるんだよね」妊婦検診のときに何度もみてきた、あの心臓のトクトクとした動きは全く見えず、エコー写真のような静止画な映像がわたしの目の前に映し出された。「でも、おかしいな。こんな出血があるなら胎盤剥離の
2020年2月23日朝11時10分2,828g53cm第一子女の子を出産しました。私のお腹の中で過ごした10ヶ月元気いっぱいにお腹を蹴っていた娘やっと会えたのに・・・娘の元気な泣き声を聞くことは、できませんでした。出産後、分娩室で家族全員に娘を抱っこしてもらいました。夫と両家の親と記念写真を撮りました。写真を見返すとみんな泣顔でした。嬉しいはずの出産が