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よんちゃんの弟を出産して、世間的に4人の子持ちとなってから、言われるようになったセリフがひとつある。「あとひとり」とか「また次もあるかもね」とか。胸がギュッとなる。相手に嫌味がないのは分かる。軽いノリなんだろう。きっと、4人も産んでりゃまだいけるだろう、とか、思ってるんだと思う。別に相手の性格が悪いとか、想像力が云々という話でもないと思う。それに今回、私自身、出産して思ったけれど、やっぱり、子どもは可愛いし、兄弟が増えて子ども同士、ワイワイしているのを眺めるのは好きだし、帝王切開の
2023年4月4日悪夢の日日付も不吉だし何なのまじでこの日はAM9:00〜妊婦検診でした検尿→血圧体重測定この日も血圧130台…脈拍102回とやや頻脈なんでかなー便秘気味だからかな…そんなこんなで助産師さんと面談助「お腹の張りはありますか?」私「動くとすぐ張るんですけど、休むと治るので陣痛には繋がらない感じです…でも、2日前の夜にお腹がガチガチに張ったんですけど、大丈夫でしょうか?」助「そうね〜でも張らせて子宮収縮を促さないと赤ちゃん降りてこないもんねー」(´・_・`
体外受精までして、やっと妊娠できた幸せもお腹の中で日々大きくなる娘を愛おしく幸せに感じながら過ごした妊婦生活も崩れる時はあっという間なんですね。2020年2月23日妊娠40週6日目~早朝5時半頃~病院に着き、診察台へさっきまでの陣痛が嘘だったのか。はたまた痛くない間隔の時なのか。人前では痛くないフリをしてしまう性格なのかもし
第二子の娘が産まれてきたとき先生が言いました「あぁ、真結節だ…!」と私「真結節?」先生が見せてくれた臍の緒が1箇所だけキツく結ばれている部分があったギュゥッと固く固結びになってた臍の緒の太さが結び目の前後で全然違ってた血行が途絶えてたんだなって素人が一目でみてわかるくらい調べてみると臍帯真結節があっても臍の緒はコラーゲン質のようなもので包まれているからここまで締まることなく産まれてこれる子もいるらしい入院中検索魔になっていた私は臍帯真結節による死産確率をみて絶
今日は産後の1週間検診でした。内診では「まだ悪露は溜まってるけど子宮の戻りは問題なし。卵巣も右は見えなかったけど、左は大丈夫。」とのこと。主治医に時間を作っていただき、話を聞きたいと事前に電話でアポをとっていた私。"聞きたいこと全部聞く!!!"そう決めていました。私が尋ねた内容と医師の回答は以下の通りです。①前日にガチガチに張るような痛みがあったが治った。臍の緒の血行が悪くなると子宮が強張ったりするのか?予兆だったのか?→今回の場合、「1+1=2」みたいな答えはないし、それを考
私は前駆陣痛が来る前妊娠39週~40週の時に深夜3回程、心配になり病院に行ったことがあります。破水のような感じの水っぽいものが出たからです。結局それは破水ではなかったんですが・・・3回ともただの勘違いで入院に至らなかったので次こそは、入院して産みたい!と、思っていました。もう、勘違いで病院に行きたくないもう、ぬか喜びしたくない!!陣痛が昨日の夜と同じ痛みで全然痛くなかったので、問題ないと思いました。朝から病院
入院中私の体温や部屋の温度で娘の体が悪くなるのが怖いからと抱っこをしていいのか・・・抱っこをしたとしてもアイスノンごと抱っこしました。ひんやりしている娘思菜は冷たいねママ体温高いから大丈夫かな・・・娘の寝顔を見るたびに可愛くて可愛くて本当に可愛くて涙が溢れました。アイスノンが温くなったら、何度でも取り替えてもらいました。悪露の具合
死産は原因不明でしたが陣痛を起こす為に激しく動きすぎたからだ・・・私があの時あんなことをしたからだ・・・後悔してもしたりないです。2020年2月22日妊娠40週5日目~22時頃~夕食も食べ、早めに寝ようと寝室に行きました。昨夜の前駆陣痛で寝れなかったのですが、全然眠くは無かったです。『そろそろ出産が近づいているかも』と、ドキドキしていて少し興奮していましたが出産に向けて体力の温存をしようかと横になっていました。寝れな
ちょっと待って。。。頭の中が真っ白だ。。。状況が理解できない。。。Mariaがいつもと違うのは分かっていた。。。でも。。。心臓が動いてない。。。状況が理解出来ていない私に先生がエコー画面を見せてくれた。。。いつもピコピコと動いていた心臓キックしたり手を伸ばしたり動いていた手足画面に映るMariaは何一つ動いていなかった。。。涙が溢れ出てくる。。。先生:「ご主人お呼びしても宜しいでしょうか?」返事をしたくても出来ずただ頷いた。。。旦那が診察室に入ってきた。。。溢れる
プルルルルルルプルルルルルルプルルルルルルプルルルルルル。。。。。。繋がらない。。。。緊急連絡先は先生直通の携帯番号だった。。。「留守番電話サービスに接続します。。。」どーしよ。。。先生繋がらない。。。すると。。。。。♪♪♪〜スマホの着信音がなった090-⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎-⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎先生だ!!Mariaママ「はい」先生「今着信頂きましたが。。。」Mariaママ「そちらで妊婦検診お願いしているものですが、胎動がなくって。。。」先生:「名前と週数教えてください
火葬場には予約時間の30分前に着く必要がありました。火葬場に着くと、私達の親族が待っていました。静かな火葬場に、見慣れた顔が並びます。皆、喪服を着て、悲しそうな顔をしています。よんちゃん。あなたのお父さんお母さん、お兄ちゃんにお姉ちゃん。ひいおばあちゃんにおじいちゃんおばあちゃん、おじさんもおばさんも、みんな生きてるんだよ?なんで、最初に逝ってしまったのですか?また涙が溢れてきました。たまらなく、つらくて苦しかった。よんちゃんをみんなに抱っこしてもらい、手続きに入ります。中
死産した日の病院に行ってからの話です。ほんの1週間前に病院の産科がある2階に初めて見学に行った…(切迫早産で安静指示が出ていたので病院の見学や母親学級に参加出来ておらず、1週間前に特別に病室などを検診の時に見学させてもっていた)朝7時半頃に到着して行った2階はまだ薄暗いベッドに寝ると看護師さんが心音を探してくれる…「…」「赤ちゃん逆子ちゃんかなぁ?もっと下かな〜?」私はわかっていた…止まってるって。「先生にエコーで診てもおっか〜?その方が早いね◡̈⃝」そう言われ内診室に移動する。
死産宣告された日のことを書いていきます。2019.09.09予定日から3日朝7時夫は予定日付近の仕事を何日か休んでくれていたこの日は私の母が朝から来てくれる予定になっていたので、夫は久しぶりの出勤予定だった朝ごはんを夫と食べた私はロールパン2つとヨーグルトにブルーベリージャムを少し乗せたもの前駆陣痛っぽいものを4時前までアプリでカウントしてたから、寝不足で辛い臨月付近になってから妊婦湿疹みたいなのに悩んでて痒みでまともに寝れない日も続いてたいつもご飯を食べてたら胎動があるのにな
2023年4月3日昨日の夜はなんだかお腹がこわばったけど今は大丈夫だし、赤ちゃんも動いてる!だから大丈夫かな〜くらいに思っていました。その日も朝から娘を公園に連れて行き2時間くらい遊ばせました🚗早く産みたくて床拭きもしたりして…どの妊婦さんもそうなのかもしれませんが動くとお腹が張りますよね?息切れがしますよね?でも休めば治りますよね?それが私にもずっとありました。妊娠初期〜中期にかけては「お腹が張ったら休みましょう」臨月に入ると「どんどん動いてお腹を張らせましょう
※2018年6月16日、38週2日でお空に送った赤ちゃん、くぅちゃんの死産の記録から、次の出産の記録です。辛いと思う方はご覧にならないようにご注意ください。新年初の投稿です。またまたご無沙汰しております。そして、ご報告です。昨年末の12月26日夜中の3時32分に、無事に第3子となる3,050gの女の子を出産しました。今回の出産は、最初から最後まで不安だらけでした。13週で前置胎盤で大量出血して切迫流産になったり、へその緒が端についてしまう臍帯辺縁付着と判明したり、B群溶血性連鎖
2023年4月4日12時頃健診を終えて帰された私一度実家に帰り、実母と家で待っていた3歳の娘を連れてファミレスへ行きハンバーグを食べる娘はお子様ランチ呑気に食事をして帰宅〜14時頃〜猛烈な疲れと眠気に襲われてソファで仮眠をとらせてもらうことに夢の中で一度鈍い腹痛を感じた記憶がある〜15時30分頃〜仮眠から目を覚ます2日前程ではないが、下腹部がズーンと重たい台所に行き、夕飯のしたくを始める〜16時過ぎ頃〜起きてから胎動がないことに気づくお腹もズーンと重たいまま様子を3
夫とは10年ほど前に出会いました。結婚してからずっと、子どもは4人欲しいねと話していました。それから男の子、女の子、女の子…と、トントン生まれ、最後はまた男の子を妊娠しました。第1子の長男は、とても大喜びでした。一緒に妊娠週数を数えたり、お腹に話しかけたりしていました。生まれたら何をしたいとか話していました。ちょうど今年度は長男の小学校進学の年でもありました。育休で家にいれることもありがたかったです。家族や親戚一同、大喜びの妊娠でした。子ども達も毎日、お腹の赤ちゃんに声をかけ
11/15AM:0:30妊娠後期からトイレが近くなった。。。大体2〜3時間おきにトイレで目がさめるこの日も0:30頃起きてトイレに向かった。。。「あ〜〜〜眠い〜〜〜」用を済ませベッドに入る旦那は隣で気持ちよさそうに寝ている。。。「Mariaおやすみ〜」お腹を撫でながら呟いた。。。そう言えば。。。Maria動いてない????気のせいかな。。。寝てるのかな。。。臨月は胎動が少ないってネットにも書いてあったっけ。。。こんな時間だし。。。しばらく寝て様子見てみよ。。。
エコーで赤ちゃんが亡くなっていることを知らされケロッとした表情をしていた私本当に実感がなかった信じられない…でも確かに赤ちゃんは動かない旦那は次の日の朝イチの飛行機でかけつけてくれるとのことでそれまでは実母が付き添ってくれた21:00〜バルーンを使って子宮口を5.0cmまで広げるその時点で陣痛が始まり痛みは徐々に強くなる生理痛のような痛みから腰に針をさされるような痛みになっていく痛い痛い…!!腰が割れそうな痛みになり朝方には子宮口が一旦7cmまで開きバルーンが勝
11月14日、、、Mariaママ:「いってらっしゃい」旦那様:「いってきま〜す」いつもは夜勤の旦那様がこの日は珍しく日勤だった。朝6:00に旦那を送り出し、里帰り準備の為、実家の荷物整理に向かった。。。「Mariaおはよ〜」実家への移動中お腹を撫でながら、Mariaに朝の挨拶
お久しぶりです〜!!最近は花粉にやられてただでさえ息切れしてるのに+鼻詰まりで呼吸苦くしゃみで尿漏れとの戦いです(笑)さて、2月下旬に入りお仕事を休職しました産休という名の休職です。こんな形でのご報告となり申し訳ありません。ツイッターやインスタでも妊娠中であることを全面に出すことはしていません。なんとなくです😇(笑)前回は産休に入ったタイミングでリア友だけには報告してたので今回もしてもいいんだけれど…なんとなくいいかなって。多分、何も知らない友人たちから色々つっこまれる
「諦める」って言葉。なんだかネガティブであんまり好きじゃありませんでした。私は元々反骨精神の強いタイプ。いやいや、私、もっと頑張ろうよ!と、思ってなんでもやっていたし、がむしゃらに走る自分自身も好きでした。でも、ここ最近「もう、諦めるしかない。」って、思う自分がいるんです。よんちゃんと一緒のキラキラした未来。どうがんばっても手に入りません。考えても考えても、それは想像で、絶対に手に入らない。未練タラタラの私は、今でもその思いを抱えて生きています。「諦める」という言葉。本来の意
私は、娘を正常分娩で産むことが出来ました。医療行為は、会陰裂創縫合術くらいで陣痛促進剤なども打ちませんでした。娘が出てきたときに自然に裂けたようで、そこを縫ったくらいでした。私の体は、無駄にピンピンしていました。分娩室から病室に戻る時も車椅子を進められましたが、普通にスタスタ歩けました。本当に私は赤ちゃんを産んだのか・・・夢だったのかな・・・って思うほどに。トイレだけが物凄く緊張しました。色々と慎重に・・・力を入れ
実は、よんちゃんのお父さんは医療従事者です。周産期医療センターも入っている大きな病院に勤めています。夫は、同僚である医療従事者の方に、よんちゃんが常位胎盤早期剥離で亡くなったことを伝えていました。その中には、産婦人科やNICUで働く看護師さん達が何人もいたそうです。そして、その方達はだいたい「えー!早剥!!早剥はねぇ…」という感じで、言葉を失う。夫の勤めている病院では、年に4、5件くらい、常位胎盤早期剥離があるそうです。この症状を訴える妊婦の受診があると、医療スタッフも軽くパニッ
娘には、私が買ったお気に入りの洋服4着を着せてあげることができました。シマシマとオーバーオール風ツーウェイオール袴ロンパースピンクのチュチュスカートそして最後に着せてあげたのは真っ白のセレモニードレス夫『俺、これが一番好きかも!一番似合ってよ!天使みたい・・・本当に可愛いな~』助産師さん『レースがあって素敵ね~思菜ちゃん、とっても似合ってる!素敵よ~』私『これ、退院した時に着せようと
よんちゃんが亡くなって、1か月が過ぎました。ボロボロだった身体の痛みは、ようやく癒えつつあります。それと反比例するかのように、気持ちは暗く。泣くことが増えた気がする。動けるようになって、いろんな場所に行くことも増えたからかもしれません。お腹の中にいたよんちゃんと歩いた道。お腹の中にいたよんちゃんと行ったお店。過去の写真を見ては、ちょっとずつ大きくなっていった自分のお腹を見つめている。どこに行っても「あの時はまだ生きていて、一緒に居たのに。」そう感じてしまいます。美しい景色を見て
かかりつけ医に着きました。いろいろな思いでいっぱいいっぱいになり、吐きそうになりました。つわりのものとは違う、冷え冷えとした気持ち悪さ。涙を拭って、産婦人科に入ります。時間はちょうど昼休み前で、患者さんは少なめでした。妊婦さんが数人座っています。みんなそれぞれ、スマホやテレビを見ています。いいなぁ、みんないいなぁ。私もついこの間まで、そうやって腰掛けていたのに。よんちゃん、お腹の中で生きていたのに。基本的に予約制の病院。アポも何もしていない私。おどおどと、事務の方に声を
看護師さんに促され、私はベッドに座り母と旦那はソファーに座った。1人では広すぎる個室だった。。。4人は座れるだろう長いソファーとテーブル、小さな洗面所と、大きな窓が一番奥にある。ソファーとベッドの間はカーテンで仕切れるようになっている。看護師:「昨日から今日まで色んな事が一気に起きてしまい、まだ混乱していると思います。手続きや書類についてご説明させて頂いても宜しいでしょうか?それとも少し休んでからにしますか?
旦那が娘と2人で動物園に行って、今家に1人の私。ソファでひすいのお骨を抱きながらひすいを産んだ時のことをふと思い出す。ひすいにはお姉ちゃんがいる。4月4日の夕方にお腹の重感と胎動消失に気づいて受診し赤ちゃんの心臓が止まっていると言われてそのまま入院翌日4月5日の昼に産まれたひすい。あなたのお姉ちゃんはねあなたに会うのをずっと楽しみにしてたんだよ。たいした赤ちゃんがえりもなくお腹に乗らないように気を遣ってくれてたよ。勝手に名前も考えてたり。(笑)あなたが産まれたらママと一緒
自分用の記録でもある為長くなります…いつも、いいねありがとうございます◡̈⃝メッセージも嬉しいです!ありがとうございます。夫は何度もなんでこんな事になったんや…こんな事ってある?と大泣きしながら言っていたそれでも私の事を1番に心配してくれていた「お前あんなに頑張ってくれてたのに…」彼は何度も言っていた元々、私の母がうちに来てくれる予定だった日すでに電車でこちらに向かってくれている母に夫が連絡してくれた。電車なのはわかってたけど内容が内容なだけに電話してくれた(電車での通