ブログ記事1,094件
死産した時の悲しい記憶を辿っています。思い返しても本当に後悔ばかりの記憶です。2020年2月22日妊娠40週5日目夜に陣痛らしきものが来たので産院の営業時間開始から健診に行くことにしました。私は里帰り出産だったので毎週夫が車で会いに来てくれていてこの日も夫が会いに来る予定でした。その為、朝5時から夫に電話をしました。夫は物凄く!!早起きで休みの日はなぜか朝5時から起きている時もちらほら・・・(ちなみに夫も30代です。おじいちゃんの様に就寝、起床が早いです
次女を臍帯真結節で死産して1年。可愛い家族が増えましたことをここで報告させていただきます。2024年4月2日第三子となる子を出産しました。元気な産声を上げてくれました。嬉しいことに、また女の子でした。次女を忘れた日なんて1日もなかった。姫翠もお姉ちゃんになりました3姉妹だね。第三子妊娠中はとにかく常に不安でした…胎動がまだ感じられない時期→生きてるか不安胎動が感じられるようになってから→胎動がない時間に気づくと不安夜は眠れず20週目以降は夜中3時頃には起きて胎動カウン
よんちゃんの弟を出産して、世間的に4人の子持ちとなってから、言われるようになったセリフがひとつある。「あとひとり」とか「また次もあるかもね」とか。胸がギュッとなる。相手に嫌味がないのは分かる。軽いノリなんだろう。きっと、4人も産んでりゃまだいけるだろう、とか、思ってるんだと思う。別に相手の性格が悪いとか、想像力が云々という話でもないと思う。それに今回、私自身、出産して思ったけれど、やっぱり、子どもは可愛いし、兄弟が増えて子ども同士、ワイワイしているのを眺めるのは好きだし、帝王切開の
娘を出産後謎な体の変化が二つありました。一つは娘を出産し会陰裂創縫合術で縫合した部分が痛くなったこと。ヒリヒリして座るのも痛かったです。会社の先輩から円座クッションをお下がりでもらったのですがそれを使っても座るのが痛くて触れるたびに痛かったです。とりあえず我慢していたのですが・・・普通の自然分娩なら5泊するところを2泊で退院したことそして夫や両親が異常に心配したので痛くてどうしようもなくなった時深夜ですが病院に行くことにしました。火葬が終わって
旦那:「着いたよ。。。」気づいたら家の前にいた。。。玄関を開けると義母が待っていた。。。義母:「どうだった?」Mariaママ「。。。。。」義母の顔を見たら涙が溢れ出てきた。。。旦那:「ダメだった。。。」義母:「え。。。。。嘘でしょ?」旦那:「おふくろ。。。ダメだったよ。。。」義母が私と旦那を抱き寄せ、涙した。。。義母「こんなことってあるの。。。昨日元気だったって言ってたじゃない。。。」いつもは強気な義母だが、こんなに涙し、弱々しい義母は初めてみた。。。旦那:「俺にも
4月2日深夜2時頃膀胱が圧迫され尿意が近くなっていたため私は3〜4時間おきには目を覚ましていましたこの日も深夜2時頃に目を覚ましトイレに向かいました起き上がるときにお腹に普段はない異変を感じましたみぞおちから下腹部〜鼠径部にかけてガチガチに強張っているのです痛くて寝返りも打ちにくいほどに立ち上がる時もトイレに歩いているときも継続して「痛い...」強張って突っ張っている何これ?変な寝相で寝てたから?腹筋寝違えた?私は長女と寝ており寝返りがうちにくかったことや
自分用の記録でもあるので長くなります…。いつも読んでくださってありがとうございます。いいねやメッセージが力になってます。ー出産後、娘にしてあげられる事ー陣痛の始まりまで目に涙をいっぱい浮かべた姉が来てくれたそれを見たらまた辛くなって泣いた…4つ年上の姉大人になってからは凄く仲良しになった姉と私だけど、高校生ぐらいまでは本当に仲が悪くて小さい時は取っ組み合いの喧嘩をしたり…心底姉が嫌いな時期があった…(お姉ちゃんゴメン笑。今は大好きです!)そんな姉が今では私を支えてくれて本当
ようやく・・・今回の死産を振り返ろうと思います。私は毎日胎動カウントをしていませんでした。。。気が向いたときにやるくらいで、そんなに胎動について≪今日も動いているな。≫くらいの軽い気持ちで考えていました。病院からも毎日胎動カウントしていますか?などは一切聞かれていないので如何に胎動が重要な意味を持っているかなどあの時は分かっていませんでした。≪臨月まで問題なく元気に育っているし大丈夫!後は私が出産の時に無事に産むだけ≫・・・・まさか娘の心臓が止まるなんて・・・
2023年4月4日悪夢の日日付も不吉だし何なのまじでこの日はAM9:00〜妊婦検診でした検尿→血圧体重測定この日も血圧130台…脈拍102回とやや頻脈なんでかなー便秘気味だからかな…そんなこんなで助産師さんと面談助「お腹の張りはありますか?」私「動くとすぐ張るんですけど、休むと治るので陣痛には繋がらない感じです…でも、2日前の夜にお腹がガチガチに張ったんですけど、大丈夫でしょうか?」助「そうね〜でも張らせて子宮収縮を促さないと赤ちゃん降りてこないもんねー」(´・_・`
第二子の娘が産まれた日から入院していた2日間色んな助産師さんや院長先生師長さん第一子と第二子取り上げてくれた先生がなん度も会いにきてくれたついに私の涙腺が崩壊して泣き出した際にはたくさん泣いていいんだよ!!!辛かったよね大変だったね無理しなくていいんだよぽんださんは十分に頑張ったよー頑張り過ぎたよーって言ってくれて産まれた娘を綺麗な赤ちゃんと褒めてくれて命名用紙も書いてくれた臍の緒もくれて手形足形もとってくれて可愛い天パも少しだけ切って残してくれた棺もお花も用
自分用の記録でもある為長くなります…いつも、いいねありがとうございます◡̈⃝メッセージも嬉しいです!ありがとうございます。夫は何度もなんでこんな事になったんや…こんな事ってある?と大泣きしながら言っていたそれでも私の事を1番に心配してくれていた「お前あんなに頑張ってくれてたのに…」彼は何度も言っていた元々、私の母がうちに来てくれる予定だった日すでに電車でこちらに向かってくれている母に夫が連絡してくれた。電車なのはわかってたけど内容が内容なだけに電話してくれた(電車での通
実は、よんちゃんのお父さんは医療従事者です。周産期医療センターも入っている大きな病院に勤めています。夫は、同僚である医療従事者の方に、よんちゃんが常位胎盤早期剥離で亡くなったことを伝えていました。その中には、産婦人科やNICUで働く看護師さん達が何人もいたそうです。そして、その方達はだいたい「えー!早剥!!早剥はねぇ…」という感じで、言葉を失う。夫の勤めている病院では、年に4、5件くらい、常位胎盤早期剥離があるそうです。この症状を訴える妊婦の受診があると、医療スタッフも軽くパニッ
思菜が一人で退院してしまった次の日の朝特に問題なければ、退院することになっていました。私達は、夜に先生に聞きたいことをまとめていました。きちんと説明してほしい。どうして、死産をしてしまったのかを・・・朝から健診をし≪子宮も回復していて問題ない≫とのことだったので退院することになりました。先生『問題なさそうですね。でも、あまり無理しないで下さいね』私『ありがとうございます。先生、質問がいくつかあるので宜しいでしょうか・・・』・なぜ死産したのか・私が動きすぎたから
第一子を体外受精で妊娠し、妊娠経過は順調でした。赤ちゃんの体型も平均的に育っていて、40週5日までは本当に元気でした。そんな娘がなぜ・・・・2020年2月22日妊娠40週5日目~お昼頃~病院後の日課になっている散歩臨月入る前は、全然歩かず家でゴロゴロしている日々でした。私は仕事をしていました。産休は1月~でしたが通勤に片道一時間半以上かかっていた為≪一ヶ月早めの12月から産休に入りたい≫と、お願いしておりました。夫は反対でした。夫『妊娠して大変なのはわかるけど!頑
2020年2月23日朝11時10分2,828g53cm第一子女の子を出産しました。私のお腹の中で過ごした10ヶ月元気いっぱいにお腹を蹴っていた娘やっと会えたのに・・・娘の元気な泣き声を聞くことは、できませんでした。出産後、分娩室で家族全員に娘を抱っこしてもらいました。夫と両家の親と記念写真を撮りました。写真を見返すとみんな泣顔でした。嬉しいはずの出産が
第二子の娘が産まれてきたとき先生が言いました「あぁ、真結節だ…!」と私「真結節?」先生が見せてくれた臍の緒が1箇所だけキツく結ばれている部分があったギュゥッと固く固結びになってた臍の緒の太さが結び目の前後で全然違ってた血行が途絶えてたんだなって素人が一目でみてわかるくらい調べてみると臍帯真結節があっても臍の緒はコラーゲン質のようなもので包まれているからここまで締まることなく産まれてこれる子もいるらしい入院中検索魔になっていた私は臍帯真結節による死産確率をみて絶
今日は産後の1週間検診でした。内診では「まだ悪露は溜まってるけど子宮の戻りは問題なし。卵巣も右は見えなかったけど、左は大丈夫。」とのこと。主治医に時間を作っていただき、話を聞きたいと事前に電話でアポをとっていた私。"聞きたいこと全部聞く!!!"そう決めていました。私が尋ねた内容と医師の回答は以下の通りです。①前日にガチガチに張るような痛みがあったが治った。臍の緒の血行が悪くなると子宮が強張ったりするのか?予兆だったのか?→今回の場合、「1+1=2」みたいな答えはないし、それを考
菊田さんに案内され診察室へ向かった。Mariaの心臓が動いてないと言われたあの診察室だった菊田さん:「まずはエコーでお腹を見ますので、お腹を出して横になってください。」Mariaママ「はい」もしかしたら。。。っと思ってしまった。。。お願いMaria。。。そんな気持ちで待っていたら先生が来た加藤先生:「失礼します。宮内も昨晩見させて頂きましたが、私の方でもう一度確認致します。」お腹にエコーをあてる。。。加藤先生:「心臓ここですがやはり動いてないです。子宮内胎児死亡です。」
出産を終えると≪アドレナリンが出て寝付けない≫と、聞いたことがありますが私も全然眠れませんでした。≪産後ハイ≫と、いう言葉を耳にしたことがありますが私かに娘は、とってもとっても可愛いです・・・ですが、達成感なんて何も感じません。助産師さんに≪出産後は眠れないものだから、寝れないからと言って無理に寝なくてもよい≫と言われましたが睡眠薬を飲んでも少ししか眠れませんでした。目を閉じても全然眠くなりませんでした
体外受精までして、やっと妊娠できた幸せもお腹の中で日々大きくなる娘を愛おしく幸せに感じながら過ごした妊婦生活も崩れる時はあっという間なんですね。2020年2月23日妊娠40週6日目~早朝5時半頃~病院に着き、診察台へさっきまでの陣痛が嘘だったのか。はたまた痛くない間隔の時なのか。人前では痛くないフリをしてしまう性格なのかもし
先生から休むことを勧められた私は、職場に電話連絡をしました。もう、復帰まで10日に迫っていました。職場からも了承を貰い、診断書を取るように指示されました。そもそも私は、育休で1年間休む予定であり、抜けた穴には新しい方もいらっしゃいました。職場への負担も無いわけで、私自身、申し訳無さもあまりありませんでした。みなさんも事情を知っているので、無理させようともしません。その点では、本当にありがたかったです。後日、再度かかりつけ医に行き、先生に診断書を書いてもらいました。先生はとりあえず
また今回もダメだった。そう思い、早めに見切りをつけて気持ちを切り替えたものの、なかなか生理は始まりませんでした。トイレに行く度、トイレットペーパーとにらめっこ。なんとなく、薄く茶色のおりものが混じっているような、いないような…そんな日が2、3日続きます。その他に体調の変化もなく。これまでの私は、基礎体温こそ微妙だったものの、生理周期はずっと規則的でした。生理予定日から4日程過ぎたとき、ようやく、これは、ついに!!!!!!と、いう思いが湧き上がってきました。夫に報告すると、「仕
朝になった。。。起きて自然とお腹を触ってしまう。。。Mariaおはよう。。。大きくなったお腹は何も変わっていない。ないのはMariaの胎動。。。昨晩はあまり眠れなかった。。。泣きすぎだろう。。。瞼が重い夢であって欲しいと願ってもやっぱり現実だ。。。旦那:「おはよう」Mariaママ:「おはよう」旦那:「今日は必要な物取りに行ってくる。。。あと、色紙とかスタンプ台とか買いに行ってくる。」Mariaママ:「分かった。何か必要なものあれば連絡する」お別れ前の大切な時間の為に
ブログの読者様へ私のブログを読んで頂き本当にありがとうございます!!先日までに書かせて頂きました≪火葬・・・6~娘が天国に逝くまで~≫までのブログに様々な方がコメントして下さりました。いろんな方々からのコメント頂きまして本当に有難く思っております!このブログは私の体験記ですので現在は過去に起きた娘の死産について過去を思い返しながら書かせて頂いております。あの時は・・・この様に思ったな。本当に悲しく辛かったな・・・思い返しながら書いております。
SNSに興味が無い私めんどくさがりで飽き性でやりっぱなしでも全然きにならない。そんな私が自分自身が納得いく最後まで書き上げることが出来ました。娘を失い悲しくて辛くて苦しくて絶望で自分を責めて生きているのも辛かった毎日そんな日々に天使ママさんのブログを見つけました。亡くなった時期が近いのにブログに書ける精神力すごいと思いました。そして『こんな悲しい思いを他の誰かがしないように』と、ブログに残すことで情報提供をしている所に感心しました。人に話
夫と結婚して今年で10年。私たち夫婦の元には、ふたりの男の子とふたりの女の子が来てくれました。正直、本格的に産み分けをしたことはなく。みんな、自然と来てくれた。妊娠できるだけでも幸せなことなのに。本当にありがたいことでした。4人目にやってきてくれたのが、よんちゃんでした。1人目である長男は、男の子と知った瞬間大喜び。妊婦健診に行ったこともある。先生がいつもより分かりやすくエコーをしてくれて、長男はとてもニコニコとして話を聞いていた。毎日お腹に話しかけ、一緒に遊べる日を楽しみに
胸の鼓動が止まらない。。。お腹を何回撫でてもMariaは動かない。。。どうして。。。旦那:「大丈夫だから。。。」運転しながら優しく声を掛けてくれるが、私は落ち着かない。。。そんな私の右手をギュッと握ってくれた。。。何かあると私を安心させる為いつも右手を握ってくれる。。。ーーーーーーーーーーーーーー⚫︎⚫︎⚫︎病院に到着夜中の救急外来の受付へ旦那が手続きを済ませ、3階の産婦人科へ。。。3階へ向かうエレベーターを待っていると救急処置室から子供の泣き声が聞こえた。。。Mar
死産後、ひとつだけ体調に変化がありました。感じるようになったのは、死産から半年が過ぎた頃。そういえば、いつも右下腹部が痛い。なんとなく、地味に痛い。くしゃみをすると、ツキーンとした痛みも走る。これは、なんなんだろう。夫に相談をしたら、また何かあったら辛いからと病院受診を勧められました。外科内科のクリニックを受診。まだ死産から半年。病院に行った途端、急展開を迎えて人生が一変したあの日の記憶が蘇る。身に沁みているようで、診察を待つ間、なんだか怖かったです。何かまた怖い病気だった
死産の事。誰かに話す時。私は、一緒に泣いてもらえるのが1番嬉しいです。無理やり、一緒に泣いて下さいと言っているわけではありません。実際、私が死産未経験だったら、私は泣けないかもしれない。でも、当事者になって思ったこと。よんちゃんとの話を聞いてくれて、ただ一緒に泣いて貰えると、なんだかすごく嬉しかったんです。うちの近所に、86歳のおばあちゃんがいます。元看護師さんで、ハッキリとした性格。パッと見すごく厳しそうな方。でも、よんちゃんの妊娠をすごく喜んでくれました。しかもよんちゃ
菊田さん:「今すぐに決めなくても大丈夫です。落ち着いてからまた聞きますから。お母さんとお父さんでゆっくり話して決めて下さい」そう言って菊田さんは一旦ナースステーションに戻った。その後、お昼ご飯が運ばれてきたが食欲などあるはずもなく全て残した。。。旦那と母にお昼ご飯食べてっと声をかけたが、2人とも食べなかった。。。しばらくして旦那が病室を出て行った。きっとトイレにでも行ったのだろう。。。そう思っていた。。。病室のドアが開いた。。。きっと旦那が戻って来たんだろう。。。Maria