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前回、ボッチ闘病スタートなどと、ネガティブなことを書いたのをちょっと反省しているみそしるです。まぁボッチはボッチでしたが、母親、兄、息子、友達。私を支えてくれてる人はいっぱいいます。支えてくれてる人あっての今だというのは揺るぎようありません。なので、ちょっと訂正ですねただ…まぁ、寂しかったんですよw私が入院していた某ガン専門病院は、コロナの受け入れをしていませんでしたので、家族のみ15分の面会が許されていました。同室の方たちは、毎日のように奥様がお見
こんにちは。今日は朝イチ病院へ。採血、乳腺外科、腫瘍内科です。昨日朝は普通の便だったんですが、昼食後とうとう下しました。調子に乗ってインスタントラーメンとお稲荷さん4つ(小さいやつ)食べたからかな?食後しばらくしてお腹痛くなってきて、トイレいったらお水でした。出た後はスッキリしたけどぐるぐるなってました。しばらくしてもう1回。あとは大丈夫で、夕飯普通に食べてもなんともなかったです。副作用か何かわかりません。エスワン飲みだしてからマグミットやめたので、どちらかと
がんの転移再発のため腫瘍内科に移って最初に実施した検査は、遺伝子パネル検査でした。検査と言っても検体自体は手術の際に取っていたものを使えたので、患者である私のしたことは、申込書にサインをするだけ。でも、そのあと私の検体は海を渡ってアメリカで次世代シーケンサーにかけて検査して、所要時間1ヶ月以上。その検査結果を受けてレポートが送り返されてくる仕組みです。そのレポートは当然英語のものですが、そのレポートを日本語にした患者向け検査報告書と合わせて手渡されます。今週は3ヶ月が過ぎたタイミングで造
今日(3/20)は、退院後の乳腺外科へ初受診♪嬉しいお話しが^^…江戸川病院の田澤先生(乳腺外科)のところに、花咲乳がんのなんかもうどうしようもない状態で初受診したのが2017年7月13日で、約2年前。思いかえすとその時点では…乳腺外科でどうこう出来る状態ではなくて、医療用麻薬等で痛みを取りながら抗がん剤点滴等でどこまで持ち直せるか…と言われ、同病院の腫瘍内科(後藤先生)を紹介され治療を始めたのよね…それでも当時『も』私は…治らないわけない♪と勝手に思っていたので、田澤先生に「抗が
うっかりして書くのを忘れていた。今やメディカルライブに新しいスターが誕生しそうなのにコロッと忘れるところでした。せっせと働くこの方たち。スクリーンを設置していますよ。黙々と働いておりますけどライブが始まると変身するんです。ガラリとかわります。完全に別人(笑)見てください、この眉。しっかりともみあげもつけてます。前回はヒゲダンブラザーズと名乗っていたけど今回はチームゴルゴです。見ただけで分かってしまうゴルゴ13。
記事を書くためにライブを思い返して余韻にひたっているせいか私は言葉を失っています。浮かんでくるのは感謝の想い。皆さまのおかげで素晴らしい時を体験させていただきました。私はあまり緊張しないタチではありますが皆さんの前に立つと暖かい空気が客席から立ち上ってきてそれに包まれるんです。こんなに暖かいんだから緊張なんかしてられない。愛ってコレかも。そう思うような暖かさです。私は今まで愛について思い違いをしていたかも。愛っ
10月27日に診察がありましたー。いつもは3ヶ月ごとにCT検査&診察なのだけど先生のご都合で今回は2ヶ月での診察これが吉?とでる?なぜなら、新たな腫瘍が急成長( ̄◇ ̄;)2ヶ月前には無かった縦隔リンパ節の腫瘍が3.5cm:(;゙゚'ω゚'):このまま大きくなったらじきに食道を圧迫してご飯が食べられなくなります抗がん剤しかありません、と先生さらに、良く意味がわからないけど急激に大きくなって中が腐ると出血し抗がん剤もできなくなりますよって(脅しか?)えーーっ、でも抗がん剤
いよいよ本番当日になりました。急に不安がわきあがってます(笑)私はかなりテキトーな性格。なるようになると開き直っているので不安はめったに感じないタチです。ところが今回はいろいろあってハラハラでした。覚悟はしていても最期の最後まで安心できない状況が次々と発生。これ↑は前回のライブの様子。不安のひとつは勝俣先生が無事に会場に到着できるか。毎回もしも先生に何かあったらどうすりゃいいんだと焦っています(笑)私がいなくて
自分は見ることができなくて残念だったのですが、アメトピに掲載していただきました。あっという間に多くの方に見ていただき、驚きと緊張と不安でいっぱいいっぱいです、ありがとうございます。感謝しています。さて婦人科での腹膜がん告知から6日後2019年11月11日にはじめて腫瘍内科を受診しました。治療スケジュールを書きながら丁寧に説明してくれる先生。話しやすそうな、若い女医さんです♪ここで、私は、腹膜がん3の後にcがつきました。cってなんですか?と質問したら、「かた」です。とかたの
腫瘍内科の診察日でした。これまでの検査結果を総合して治療方針の提案があり、たくさんの議論をしました。腫瘍内科の主治医は「議論すべき点は」と、何度も論点の整理をしてくれました。腫瘍放射線科や整形外科の意見も総合すると、骨転移の影響は今のところ軽微で、今すぐ放射線治療などをする必要はまだないと判断しました。つまり、全身転移はし始めたものの、まだ体力もあるし、いろいろ試せる段階にあるとのことでした。治療法の文献検索した結果では有効な治療法は見つからなかったものの、抗がん剤治療を施した実施例
いよいよ、抗がん剤投与開始です。副作用にどんなものが出るかわからないので主治医は通院(外来)での投与で良いと言ったものの、初回だけはと入院しての抗がん剤投与してもらうことにしました。抗がん剤(殺細胞抗がん薬)いってもいろいろなレジメン(要するにレシピ)があって、私の場合は尿路上皮癌のレジメンであるゲムシタビン-シスプラチンを投与するGC治療を受けます。オーソドックスなGC治療は1990年代に開発された、抗がん剤治療でも古い方法で、今でも原発不明癌やら、他で効かなかったら試してみる抗がん剤治
会場にいらしてくださった皆さまオンラインでご視聴くださった皆さま本当にありがとうございました。皆さまにご参加いただいたおかげで楽しい時間をすごすことができました。心から感謝です。あふれるほどに感謝しています。夢見心地で帰宅しました。ぐったりと疲れ果てていますけど表現の言葉が見つからないくらい幸せな疲れ。今回はいろいろと大変だったんです。私の母が具合が悪くなったりしてもしかしたら帰らなければならないかもライブには参加できない
マーカー再発と言われてから約2カ月後造影CT検査でついに出ました。腸を覆っている膜、腸膜に腫瘍ができていました。大きさは6.4ミリ腫瘍マーカーCA125は前回の292から299に。腹膜がん発覚当時は400台。つまり再発決定!転移といえば転移だけど腹膜播種なのでまとめて再発となるそうで。今回休薬から半年で再発したから次回はもっと早く再発すると婦人科の先生から聞かされました。「先生、余命ってわかりますか?」あー、言っちゃった余命はってしつこく聞いてきた例の医
T先生には朝一番で行きなさいと言われたのですが病院到着は午前9時頃でした気合足りなかったかしら初診受付で紹介状は持参していないけれどk病院のT先生からI先生宛に連絡と速達が届いているはずなので受診したい旨伝えました受付の方は確認しますので少しお待ちくださいとの事あちこち連絡を取られて最終的に言われたのはすみません、速達が届いていないんです情報が何もないと診察できないそうなんですがえーーーーー!!!!マジでーーー!!!!いやそれは困る今日見てもらわなけれ
約8カ月ぶりにまた来てしまった腫瘍内科。説明されたのはガンは治らない。抗がん剤でガンを抑えながら生きていく。つまり、エンドレス抗がん剤抗がん剤治療をコントロールしながら一生やる!ってこと。婦人科で予告された通り。さて、ここからが具体的。抗がん剤を3週間毎にするか?それとも、4週間毎にするか?自分で決める。いやー悩むけど。まずはね、早く腫瘍マーカーを一桁せめて二桁まで落とすのを目標に3週間毎で頑張ろうと決めた。そして腫瘍内科の先生にも聞いてみた。「
腫瘍内科病棟に入院しました。昨年に入院した泌尿器科病棟とは雰囲気がまるで違っていました。同じ大学病院でナースステーションなどの部屋の配置はほぼ一緒なだけに、すごく違和感があります。科によってここまで変わるものか。まるで戦場。看護師さんも、「キビキビ、テキパキ」というより「キリキリ、バタバタ」しています。聞いた話では、少しのミスも許されない患者さんが多いせいではないかというのとでした。この病棟には、私と同じ希少がん患者も多いみたい。そして、患者さんもイライラしていたり、痛みが続いて大変そうな
放射線科のナースのおかげで希望していた腫瘍内科医とのアポがようやっととれたんだけど、その翌日2件目の腫瘍内科からも電話がきて断るのも紹介してくれた執刀医にも悪いし、手術の時のようにどっちの医師にも会う事に1人目は4月4日。2件目の方の腫瘍内科医ね。なんせ手術から3週間もたってるから、先生も今までどうしたのって聞かれましたよ病理検査の結果浸潤性小葉癌=IDC(腫瘍は浸潤部分としてない部分がありました)腫瘍2.7cmx2.1cmx1.2cmステージ2
こんにちは唐突にやってきた「胃がんステージⅣ」昭和18年生まれの父その名も崖男(がけお)の闘病・今日までの記録です今、どんな様子?調子が良くて、お料理もはかどるよ!マーマレードを作ってみた!CT検査結果体調が良い日が続き、本人もご機嫌。抗がん剤治療開始から2度目のCT検査の結果は転移箇所は小さくなった状態を維持出来ている。腹膜播種は少し残っている。腫瘍マーカーは前回で下げ止まりなのか、戻ってきているのかわからないが、前回より少
こんにちは唐突にやってきた「胃がんステージⅣ」昭和18年生まれの父その名も崖男(がけお)の闘病・今日までの記録です今、どんな症状?調子もいいしね、ゴールデンウイークは出かけたいんだ!!ゴールデンウィーク少し前のブログ記事で崖男がゴールデンウィークに出かけたい場所があると、書きました。崖男が行きたい気持ちはよくわかる。でも、でも…その出かけたい場所に出かけるには何人もの方の手を煩わしてしまうことが目に見えてわかっていたので、ムス
抗がん剤GC(ゲムシタビン-シスプラチン)治療の第1週を終えて、退院しました。といっても第2週目は明後日からスタートするので、退院帰宅そうそうに次の準備を始めなければならないのですけれどね。退院の日は、朝からバタバタ大忙しでした。まず、外来治療室(いわゆる「ケモ室」)の通院オリエンテーションを受けてきました。赤十字献血センターのようにずらっとベッドやリクライニングチェアが並んだ部屋があり、点滴を受けている最中は部屋から出られないとのことでした。つまり、部屋から出られないというところが、入
悪性リンパ腫に感染して闘病していた父さんのこと『病気のこと5car-tか緩和か?最後の入院』2021年春からはじまった父さん(夫)の悪性リンパ腫との闘い『病気のこと』2021春、父さん(夫)の闘病が始まりました。父さんはその年の年明けくらいから体調が…ameblo.jp『病気のこと6CRSとICANS』父さん(夫)の病気のこと書けないでいたけど、四十九日の法要も済ませ納骨もしたので、当時のノートを開いてみたここまでは『病気のこと5car-tか緩和か…ameblo.jp8月の
こんにちは唐突にやってきた「胃がんステージⅣ」昭和18年生まれの父その名も崖男(がけお)の闘病・今日までの記録ですPETCT、胃カメラ、大腸内視鏡3つの検査の結果をふまえて、消化器内科ドクターからの話がありました。診断は当日のムスメKのメモより。胃がん・腺がん首のリンパで取った腺がんと胃の組織が似たような物出ているので、おそらく胃からのものでしょう。大腸カメラで、腫瘍的なものはない。PETにて転移箇所がでている。転移がある為、手術は不
私には腫瘍内科の主治医が2人いました。初めて腫瘍内科に来たときの主治医が女性で産休にはいったのを機に男性に交代し、産休明けから2人体制が多くなりなんとも贅沢な待遇なーんて思っていたら旦那さんの転勤に伴い女医さんは辞めて遠くへ引っ越しすることにしかもそれを聞いた日がお別れの日どこ行くんですかー給料上がりますかなどと雑談し最後に「先生、私がんばって10年生きるから猫看取るまで死ねないからがんばるありがとうございました」なんかテンション上がっちゃ
銀座みやこクリニック院長の濱元誠栄ですすっかり虎の門病院のファンになってしまったハマモトです『虎の門病院もあきらめない病院でした』銀座みやこクリニック院長の濱元誠栄です先日、虎の門病院の地域連携懇談会に参加してきました当院は虎の門病院の連携医療機関なので、お声がけをいただいた訳です…ameblo.jp昨日の記事に、こんなコメントをいただきました確かに、虎の門病院は頭皮冷却法の先駆者でした過去記事にも書いてた、、、忘れてたけど、、、『抗がん剤による抜け毛を
いつもお読みいただきありがとうございます幸いにも両家両親共に、都内に住んでいるので、何かとフォローしてもらえたり、転院にあたり、気になっていた幼稚園の送迎や放射線になった時の子供の面倒など、ママ友達が『協力するから希望する病院で治療して欲しい』と後押ししてくれた事もあり思い切って転院を決断12月、A先生が最短で予約を取ってくれた日に、都内、癌拠点病院の腫瘍内科に、初診に行きました。待合室ではすごーーーーく待ちました。。。でも、初診だし、再診予約が優先で、、、結局呼ば
こんにちは唐突にやってきた「胃がんステージⅣ」昭和18年生まれの父その名も崖男(がけお)の闘病・今日までの記録です今、どんな症状?手が痺れる。お水やステンレスの手すりを触るとビリビリ痛い。あとは問題ないよ血糖値は朝晩2回測って、夜はインスリン注射も続けてるよ1クール終了1週目、入院2週目、自宅服薬3週目、休薬初めての抗がん剤の1クールを終了して史先生の診察。概ね、問題なく終わったことを報告。手の痺れは、副作用の範囲内で
こんにちは唐突にやってきた「胃がんステージⅣ」昭和18年生まれの父その名も崖男(がけお)の闘病・今日までの記録です今、どんな症状?昼寝をしなくなった調子がだいぶいいよ食事中、なぜか鼻水が出るね料理もちょこちょこするけど、冷たい水を触ると手が痺れる。手を温水で温めてから作業するようにしてるよ介護申請のその後崖男が抗がん剤治療のために入院することが決まった時、今までのような生活をするのはきっと難しくなるだろうと、介護申請の手続きをして
新たな腫瘍のせいで手術が出来なくなったため今日は久々に腫瘍内科へ行ってきました。外科の先生からは電話での報告だったので、改めてMRIの結果を見せてもらいました肝臓に1㌢の腫瘍膵臓尾部に2つ膵臓は手術前のCTではうつってないので、術後に出来たと思う、と。肝臓は多分もともとあって、顕微鏡レベルのやつがいて、それが成長したのでは、と。ラストケモが8/1だし、術後はどうしても免疫力低下して、がん細胞が活発になるみたい。でも、肝臓の大きな腫瘍、9㌢くらいのが取れて本当に良かったね、と主治医。
「まず、いいことと悪いことがあります」診察室に入ったときの主治医の第一声。うん?どちらから聞きますかってやつ?「いいことは」えっ、はじまった?「PET検査の結果ですが何も写ってませんでした」画像を見せてくれましたが赤くなってるのは尿の部分だけで写るのは普通とのこと。赤くなるはずの腫瘍は全く写っていませんでした。「で、悪いことは」は?「腫瘍マーカーの数値が倍以上になってました」2週間くらいでCA125が、139から292に「画像にはあらわれなくてマーカーだ
【初発乳がん多発性骨転移発症しステージ4を宣告されました。異変に気づいてからの葛藤や苦悩や治療についてを綴っていきます】〈これまでの治療経過〉2021年11月マンモグラフィーにて異変無し2023年4月右胸に異変を感じる4月中旬乳腺外来にて癌告知を受けるHER2陽性ステージ35月中旬大きな病院へ転院PET-CTにて骨転移発見HER2陽性ステージ45月下旬初の抗がん剤の為入院ドセタキセル•ハーセプチン•パージェタ(3薬品での治療開始