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笑顔の花って聞いただけでうさんくさい気がしますよね(笑)媚びてる感じっていうか。世間に対していい子ぶってる感じ。それを他ならぬ私がやってるんですよ~『笑顔の花』です。私が書きました(笑)まだ作詞を始めたばかりの頃の作品です。今だってちっともわかっちゃいないけど当時はもっと分かってなくて「いい人アピール」をせずにいられなかった。のではないかと思う。というのも勝俣先生が著書にサインをする際に「がん患者さんの笑顔と希望
自分は見ることができなくて残念だったのですが、アメトピに掲載していただきました。あっという間に多くの方に見ていただき、驚きと緊張と不安でいっぱいいっぱいです、ありがとうございます。感謝しています。さて婦人科での腹膜がん告知から6日後2019年11月11日にはじめて腫瘍内科を受診しました。治療スケジュールを書きながら丁寧に説明してくれる先生。話しやすそうな、若い女医さんです♪ここで、私は、腹膜がん3の後にcがつきました。cってなんですか?と質問したら、「かた」です。とかたの
バタフライエフェクトって知ってますか?勝俣先生から連絡があったわけです。知ってるよもちろん。ブラジルで蝶々が羽ばたきしたらテキサスで竜巻が起きるってやつでしょ。風が吹けば桶屋がもうかるってアレでしょ。それがどうしたの?勝俣先生の解釈は違った。私たちの小さな意志やささやかな行動が世界を変えるかもしれないって事らしい。それを形にした作品が『手のひら』決裂の原因になりそうだった楽曲です。私が作詞をしたわけです。そしたら元の
化学療法に特化している腫瘍内科の受診。あー、本当に癌なんだ。しかも、もう化学療法しかないんだ。受け止めたくない現実が少しずつ迫ってくる。腫瘍内科の先生から化学療法で使う薬剤の説明、副作用の話し、口腔内ケアの話しをされた。だいたい頭に入らなかった。でももうすぐ抗ガン剤始まるし、主人を支える為にもいろいろ勉強しないといけないなと思った。1日でも長く。昨日主人が言った言葉。ついこの間までふたりで老後の話ししてたのにね。
メディカルライブでは毎回ゲストをお招きします。緩和ケアの先生がたにご参加いただくことが多いです。お茶の水クリスチャンセンターのチャペルで開催されたこの時は、聖路加国際病院緩和ケア科部長の林章敏先生に講演していただきました。林先生はグリークラブに所属していた歌える人だと後になって判明し、歌っていただかなかったことをとても残念に思ったのですが、この時は30分のミニ講演のみ。すご~く面白かったです。何よりも驚かされたのは、当時救世主みた
T先生には朝一番で行きなさいと言われたのですが病院到着は午前9時頃でした気合足りなかったかしら初診受付で紹介状は持参していないけれどk病院のT先生からI先生宛に連絡と速達が届いているはずなので受診したい旨伝えました受付の方は確認しますので少しお待ちくださいとの事あちこち連絡を取られて最終的に言われたのはすみません、速達が届いていないんです情報が何もないと診察できないそうなんですがえーーーーー!!!!マジでーーー!!!!いやそれは困る今日見てもらわなけれ
昔から自分はがんにはならないと妙な自信がありました。病気のことも診療科についてもほんと無知でパソコンもスマホも身近にある環境にいながら腹水を抜いてからも検索すらしませんでした。あの時腹水、で検索しておけば少しは覚悟ができていたのに婦人科をでた途端真っ白になりました。気づけば横に看護師さんがいてくれてもちろんどなたかは覚えていないたしかびっくりしたよねみたいな言葉をかけられやっとわかって安心しました。ずっと痛かったので、と答えたら、泣きそうになりぐっと
自分の中で一区切りついたので、ここ数日の事を。水曜日にキャラバン隊の事務局へご連絡させて頂き、ミギえもんさんとお電話させて頂いた。胸の内を聞いてもらって、そして岸和田徳洲会病院を教えて頂いた。金曜日に今の病院の腫瘍内科の初受診があるので、その時に紹介状を書いてもらう事を決意。次の日の木曜日、石切神社へ行く事に。たまたまテレビでガン封じのご利益があると知ったから。行き道は運転してくれた。ビューンこれ撮影2回目。パパは日々痩せてるのに、私はもはや太ってるw1人必死に撮影ワロタw
マーカー再発と言われてから約2カ月後造影CT検査でついに出ました。腸を覆っている膜、腸膜に腫瘍ができていました。大きさは6.4ミリ腫瘍マーカーCA125は前回の292から299に。腹膜がん発覚当時は400台。つまり再発決定!転移といえば転移だけど腹膜播種なのでまとめて再発となるそうで。今回休薬から半年で再発したから次回はもっと早く再発すると婦人科の先生から聞かされました。「先生、余命ってわかりますか?」あー、言っちゃった余命はってしつこく聞いてきた例の医
勝俣先生の江古田ライブ。ライブ会場マーキーの前で待っていたらさわやかに登場した勝俣先生。かなり濃いサングラスと思ったけど写真で見るとゼンゼン濃くない。相変わらずの細さです(笑)そんな細くてどうするのと言いたいけれど年齢より若く見えるのは事実。飽食した猿と飢えた猿の実験では飢えた猿の方が圧倒的に若いんですよね(笑)江古田マーキーのオーナーさんも70過ぎとは思えない若々しさ。空手、剣道、居合道の有段者さん。エネルギーの塊みたいな方です
いよいよ、抗がん剤投与開始です。副作用にどんなものが出るかわからないので主治医は通院(外来)での投与で良いと言ったものの、初回だけはと入院しての抗がん剤投与してもらうことにしました。抗がん剤(殺細胞抗がん薬)いってもいろいろなレジメン(要するにレシピ)があって、私の場合は尿路上皮癌のレジメンであるゲムシタビン-シスプラチンを投与するGC治療を受けます。オーソドックスなGC治療は1990年代に開発された、抗がん剤治療でも古い方法で、今でも原発不明癌やら、他で効かなかったら試してみる抗がん剤治
つい先日のこと。食べれず、顔色も悪いので近くのクリニックに行った主人。今まで検診も受けず、通院中の病気もなし。OOOsaki(オオサキ)かかと付室内シューズLLネイビー1足入入院時に最適75210Amazon(アマゾン)1,252〜2,138円すぐに総合病院で腫瘍マーカーをしたら、すい臓がんが肝臓に転移していて、翌日また違う総合病院の腫瘍内科に入院しました。すぐにたまった腹水を抜いてもらいました。腹水って黄色いんですね。その後のCTとレントゲンで、肺に血栓も見つか
検査結果の説明のための診察日でした。この診察日のあと、またすぐに北関東の職場に戻る気まんまんで、自家用車は北関東に置いたまま飛行機でひょーいと帰省しての受診でした。今週末には利根川で開催される花火大会に行くつもりだったし、来週は北海道出張に行くつもりで、さらには、盆休みは帰省せずに娘と2人で自動車であちこち遊びに行くのもいいなぁとか考えていました。それでも、一応、骨シンチ検査で骨に転移したらどんな画像になるかは手元の教科書を読んで「予習」はしておきました。腫瘍があると光ることとなど図解を見
5月11日のメディカルライブの会場はいつもの小黒恵子童謡記念館。お庭も佇まいも素敵なんだけどここの売りはまず何よりもピアノです。ピアノがすごいんです。ベーゼンドルファー社のインペリアルモデル290日本に3台しかないうちのひとつです。だからポスターのイラストがピアノになってます。特別なピアノに向かって逡巡なしに弾きはじめる勝俣先生。しっかり背中も伸びて姿勢もいいしその度胸が素晴らしい~♪ところで私ボヤッとしていて気がついた
約8カ月ぶりにまた来てしまった腫瘍内科。説明されたのはガンは治らない。抗がん剤でガンを抑えながら生きていく。つまり、エンドレス抗がん剤抗がん剤治療をコントロールしながら一生やる!ってこと。婦人科で予告された通り。さて、ここからが具体的。抗がん剤を3週間毎にするか?それとも、4週間毎にするか?自分で決める。いやー悩むけど。まずはね、早く腫瘍マーカーを一桁せめて二桁まで落とすのを目標に3週間毎で頑張ろうと決めた。そして腫瘍内科の先生にも聞いてみた。「
私には腫瘍内科の主治医が2人いました。初めて腫瘍内科に来たときの主治医が女性で産休にはいったのを機に男性に交代し、産休明けから2人体制が多くなりなんとも贅沢な待遇なーんて思っていたら旦那さんの転勤に伴い女医さんは辞めて遠くへ引っ越しすることにしかもそれを聞いた日がお別れの日どこ行くんですかー給料上がりますかなどと雑談し最後に「先生、私がんばって10年生きるから猫看取るまで死ねないからがんばるありがとうございました」なんかテンション上がっちゃ
ふと気がついて自分でもびっくりしたんですけど今回は全然ケンカしてない!!!メディカルライブの話です。勝俣先生とは毎回かなり激しくケンカしてライブは今回でお終いだもう二度とやらないゾと思うんです。毎回それを繰り返してきた気がする。それなのに続いているのはふたりとも忘れるからです(笑)怒っていたことをコロッと忘れてしまう。我々は根に持たないタイプなので自然に仲直りして次につながるんですけど毎回かなり危ういんです(笑)それ
「まず、いいことと悪いことがあります」診察室に入ったときの主治医の第一声。うん?どちらから聞きますかってやつ?「いいことは」えっ、はじまった?「PET検査の結果ですが何も写ってませんでした」画像を見せてくれましたが赤くなってるのは尿の部分だけで写るのは普通とのこと。赤くなるはずの腫瘍は全く写っていませんでした。「で、悪いことは」は?「腫瘍マーカーの数値が倍以上になってました」2週間くらいでCA125が、139から292に「画像にはあらわれなくてマーカーだ
10月27日に診察がありましたー。いつもは3ヶ月ごとにCT検査&診察なのだけど先生のご都合で今回は2ヶ月での診察これが吉?とでる?なぜなら、新たな腫瘍が急成長( ̄◇ ̄;)2ヶ月前には無かった縦隔リンパ節の腫瘍が3.5cm:(;゙゚'ω゚'):このまま大きくなったらじきに食道を圧迫してご飯が食べられなくなります抗がん剤しかありません、と先生さらに、良く意味がわからないけど急激に大きくなって中が腐ると出血し抗がん剤もできなくなりますよって(脅しか?)えーーっ、でも抗がん剤
それは6月初旬、妻が、喉元に腫れ物がある事が気になりかかりつけの耳鼻科を受診した時の事。超音波(エコー)検査で「甲状腺より、違う所が気になります。」という診断を受けました。詳しい検査を勧められ、紹介状を手に県立医大病院の耳鼻科外来を受診する事になりました。血液検査、レントゲン、CT、MRIなど基礎的な検査の後、耳鼻科外来の医師から、副甲状腺の機能亢進により、高カルシウム血症の症状が出ている事を聞きました。他の疾患が原因になっている可能性がある為、内分泌科の検査を受ける事
『①子宮体がんだった叔母が再発。肉腫?余命宣告を受けた話』ある日、叔父から電話が掛かってきました。本当に珍しい事。叔父から電話なんて、結婚以来初めてかも。。叔父が言うには大学病院に入院するから私の母に保証人…ameblo.jp『②子宮体がんの叔母は肉腫だった。お腹の腫れはリンパ水。遠隔転移』『①子宮体がんだった叔母が再発。肉腫?余命宣告を受けた話』ある日、叔父から電話が掛かってきました。本当に珍しい事。叔父から電話なんて、結婚以来初めてかも…ameblo.jp『③
今日(3/20)は、退院後の乳腺外科へ初受診♪嬉しいお話しが^^…江戸川病院の田澤先生(乳腺外科)のところに、花咲乳がんのなんかもうどうしようもない状態で初受診したのが2017年7月13日で、約2年前。思いかえすとその時点では…乳腺外科でどうこう出来る状態ではなくて、医療用麻薬等で痛みを取りながら抗がん剤点滴等でどこまで持ち直せるか…と言われ、同病院の腫瘍内科(後藤先生)を紹介され治療を始めたのよね…それでも当時『も』私は…治らないわけない♪と勝手に思っていたので、田澤先生に「抗が
腫瘍内科の待合室に座ったら目の前にこんな貼り紙!まさか主治医交代を貼り紙で知るとはそっか辞めちゃうんだ悲しいというか寂しいというかなんていうんでしょうねこの気持ち転院はしませんよここでずっと治療しますよ春ですね別れの季節
今朝は、いきなり精神腫瘍内科の診察がはいっていました。5月1日にとったMRIの診断をいまさらすることになりました。私のフラツキの原因を主治医万策尽はてたのでしようか。まずは「これは何本?」「今日は「何月何日?」を聞かれました。前日にはカルシウムの値がおおすぎるのがふらつきの原因かもしれないと、ゾメタの点滴をしました。次の登場は薬剤師さんです。「薬多いなあ、でもみなん重要な大事な薬なんではずせないんです、役にたてなくてすみません」はげみになります。なんと退院予予定日に照射と、採血
60歳代後半の術後8年目に、胸膜転移と内胸リンパ節転移された方が受診されました。PETの正面画像です。赤い矢印が右の内胸リンパ節転移再発です。オレンジ色の矢印が右の胸膜転移再発です。この方はまだまだお元気で、完治を望まれました。この方のお住まいの近くに、乳腺外科医や腫瘍内科医が常勤している病院がありませんでした。でも、そもそもこの方は、遠隔転移再発に対して根治を望まれていました。なので、乳腺外科専門医や腫瘍内科専門医が常勤の病院がたとえ近くにあったとしても、そちらへの紹介は望まれま
悪性リンパ腫に感染して闘病していた父さんのこと『病気のこと5car-tか緩和か?最後の入院』2021年春からはじまった父さん(夫)の悪性リンパ腫との闘い『病気のこと』2021春、父さん(夫)の闘病が始まりました。父さんはその年の年明けくらいから体調が…ameblo.jp『病気のこと6CRSとICANS』父さん(夫)の病気のこと書けないでいたけど、四十九日の法要も済ませ納骨もしたので、当時のノートを開いてみたここまでは『病気のこと5car-tか緩和か…ameblo.jp8月の
滅茶苦茶痛いです今回は殺されるって思ったくらい麻酔の覚めも気づいて貰えず苦しくて苦しくて。人工呼吸から自力で呼吸の切り替えの時あの時が一番地獄です。傷も痛くて痛くてウーウー唸っていました血圧が低すぎて痛み止め入れられないと言われ耐えるしかない一日でして。ICUは一日だけ今日からまた一般病棟に移りました。コロナの影響で面会禁止いつもの私のベッドマットやら枕やら家族にセッティングして欲しかったのにそれも痛い中自分でやりました。ほんと、コロナ厄介ですよね病院側も外から来
おはようございます🐔ジェムザールの副作用なのかお腹と腰の強い痛みがおさまってきた11/30(木)3日目もう既に張ってたんだろうけど痛みのほうが強くてお腹の張りを気にしていなかった朝方、ピザの切れ端とイチゴ🍓を食べたのみお腹が苦しくてほとんど横になっている鏡でお腹を見ると7ヶ月の妊婦姿翌日12/1は、朝一で職安の認定日任意継続から国保への切り替えも有ったため所用終わらせてから病院へ連絡しようと考えていたお腹の強い張りと痛みでお風呂上がり立っていられない地面に座
初診は手術の2日前。私はてっきり腫瘍内科医が全ての治療を担当してくれると思っていたら、放射線治療は別だっていうじゃない💦執刀医が紹介してくれた所へ行くと、医師もナースも優しくていい人達で詳しく放射線治療のことについて色々説明してくれました。部分切除の後に放射線治療をすることによって癌のリスクが30%から10%ぐらいに下がるらしく、副作用も肌が焼けて敏感になるのと倦怠感ぐらいでしょうと。倦怠感も一気にくるのではなく徐々に感じるらしい。両胸触診されて、触れ
今日は腫瘍内科受診し外来でアバスチン投与してきました採血で腫瘍内科と産婦人科のオーダーが入ってるので5本取りますねって4月に入ったからマーカー出るんだろうと思ってたけど5本か〜久しぶりでした採血採尿結果は治療出来るレベルHやLは相変わらず沢山ついてるけどマーカーは結果が遅くて結局分からず今度の入院の時に説明されるそうでアバスチンは無事投与してきました手首の所に針を刺されたので痛かったけど今度2週間後またちゃんと入院して治療できますように