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T先生には朝一番で行きなさいと言われたのですが病院到着は午前9時頃でした気合足りなかったかしら初診受付で紹介状は持参していないけれどk病院のT先生からI先生宛に連絡と速達が届いているはずなので受診したい旨伝えました受付の方は確認しますので少しお待ちくださいとの事あちこち連絡を取られて最終的に言われたのはすみません、速達が届いていないんです情報が何もないと診察できないそうなんですがえーーーーー!!!!マジでーーー!!!!いやそれは困る今日見てもらわなけれ
マーカー再発と言われてから約2カ月後造影CT検査でついに出ました。腸を覆っている膜、腸膜に腫瘍ができていました。大きさは6.4ミリ腫瘍マーカーCA125は前回の292から299に。腹膜がん発覚当時は400台。つまり再発決定!転移といえば転移だけど腹膜播種なのでまとめて再発となるそうで。今回休薬から半年で再発したから次回はもっと早く再発すると婦人科の先生から聞かされました。「先生、余命ってわかりますか?」あー、言っちゃった余命はってしつこく聞いてきた例の医
自分は見ることができなくて残念だったのですが、アメトピに掲載していただきました。あっという間に多くの方に見ていただき、驚きと緊張と不安でいっぱいいっぱいです、ありがとうございます。感謝しています。さて婦人科での腹膜がん告知から6日後2019年11月11日にはじめて腫瘍内科を受診しました。治療スケジュールを書きながら丁寧に説明してくれる先生。話しやすそうな、若い女医さんです♪ここで、私は、腹膜がん3の後にcがつきました。cってなんですか?と質問したら、「かた」です。とかたの
約8カ月ぶりにまた来てしまった腫瘍内科。説明されたのはガンは治らない。抗がん剤でガンを抑えながら生きていく。つまり、エンドレス抗がん剤抗がん剤治療をコントロールしながら一生やる!ってこと。婦人科で予告された通り。さて、ここからが具体的。抗がん剤を3週間毎にするか?それとも、4週間毎にするか?自分で決める。いやー悩むけど。まずはね、早く腫瘍マーカーを一桁せめて二桁まで落とすのを目標に3週間毎で頑張ろうと決めた。そして腫瘍内科の先生にも聞いてみた。「
私には腫瘍内科の主治医が2人いました。初めて腫瘍内科に来たときの主治医が女性で産休にはいったのを機に男性に交代し、産休明けから2人体制が多くなりなんとも贅沢な待遇なーんて思っていたら旦那さんの転勤に伴い女医さんは辞めて遠くへ引っ越しすることにしかもそれを聞いた日がお別れの日どこ行くんですかー給料上がりますかなどと雑談し最後に「先生、私がんばって10年生きるから猫看取るまで死ねないからがんばるありがとうございました」なんかテンション上がっちゃ
今日(3/20)は、退院後の乳腺外科へ初受診♪嬉しいお話しが^^…江戸川病院の田澤先生(乳腺外科)のところに、花咲乳がんのなんかもうどうしようもない状態で初受診したのが2017年7月13日で、約2年前。思いかえすとその時点では…乳腺外科でどうこう出来る状態ではなくて、医療用麻薬等で痛みを取りながら抗がん剤点滴等でどこまで持ち直せるか…と言われ、同病院の腫瘍内科(後藤先生)を紹介され治療を始めたのよね…それでも当時『も』私は…治らないわけない♪と勝手に思っていたので、田澤先生に「抗が
笑顔の花って聞いただけでうさんくさい気がしますよね(笑)媚びてる感じっていうか。世間に対していい子ぶってる感じ。それを他ならぬ私がやってるんですよ~『笑顔の花』です。私が書きました(笑)まだ作詞を始めたばかりの頃の作品です。今だってちっともわかっちゃいないけど当時はもっと分かってなくて「いい人アピール」をせずにいられなかった。のではないかと思う。というのも勝俣先生が著書にサインをする際に「がん患者さんの笑顔と希望
ふと気がついて自分でもびっくりしたんですけど今回は全然ケンカしてない!!!メディカルライブの話です。勝俣先生とは毎回かなり激しくケンカしてライブは今回でお終いだもう二度とやらないゾと思うんです。毎回それを繰り返してきた気がする。それなのに続いているのはふたりとも忘れるからです(笑)怒っていたことをコロッと忘れてしまう。我々は根に持たないタイプなので自然に仲直りして次につながるんですけど毎回かなり危ういんです(笑)それ
おはようございます今日は、TCの副作用で手足の痛みと怠さが強いので…以前に書いておいた再発時のセカンドオピニオンについてアップしますね。【2018年6月12日(火)】東京の癌専門の病院へセカンドオピニオンに行きました予約は13時からでしたが、余裕を持って8時半に家を出発しました道中は緊張していましたが、いつもの様にお気に入りの曲をかけて歌いながら行きましたTさん(主人)は私以上にドキドキだと思ったので、いつものお出掛けの様にしていたら少しは気持ちも軽くなるかなぁ
シスプラチンの副作用は、やっぱりきつかったー。午前中の吐き気は薬のおかげかおさまって、あとは乗り物酔いに近い状態で日中を過ごしていました。10:00に主治医先生の回診。シスプラチンの副作用が続くとしても今日と明日くらいだけでおさまるだろうとのこと。つまり月曜日には副作用はなくなってるだろうから、それまでしっかり診させてもらいますと「ガハハ」と豪快に笑って去っていきました。午後少し気分が持ち直したので、そのタイミングで病院内のコンビニまで買い物に降りました。泌尿器科病棟だと看護助手さんに気軽
自分の中で一区切りついたので、ここ数日の事を。水曜日にキャラバン隊の事務局へご連絡させて頂き、ミギえもんさんとお電話させて頂いた。胸の内を聞いてもらって、そして岸和田徳洲会病院を教えて頂いた。金曜日に今の病院の腫瘍内科の初受診があるので、その時に紹介状を書いてもらう事を決意。次の日の木曜日、石切神社へ行く事に。たまたまテレビでガン封じのご利益があると知ったから。行き道は運転してくれた。ビューンこれ撮影2回目。パパは日々痩せてるのに、私はもはや太ってるw1人必死に撮影ワロタw
いつもお読みいただきありがとうございます幸いにも両家両親共に、都内に住んでいるので、何かとフォローしてもらえたり、転院にあたり、気になっていた幼稚園の送迎や放射線になった時の子供の面倒など、ママ友達が『協力するから希望する病院で治療して欲しい』と後押ししてくれた事もあり思い切って転院を決断12月、A先生が最短で予約を取ってくれた日に、都内、癌拠点病院の腫瘍内科に、初診に行きました。待合室ではすごーーーーく待ちました。。。でも、初診だし、再診予約が優先で、、、結局呼ば
メディカルライブでは毎回ゲストをお招きします。緩和ケアの先生がたにご参加いただくことが多いです。お茶の水クリスチャンセンターのチャペルで開催されたこの時は、聖路加国際病院緩和ケア科部長の林章敏先生に講演していただきました。林先生はグリークラブに所属していた歌える人だと後になって判明し、歌っていただかなかったことをとても残念に思ったのですが、この時は30分のミニ講演のみ。すご~く面白かったです。何よりも驚かされたのは、当時救世主みた
5月11日のメディカルライブの会場はいつもの小黒恵子童謡記念館。お庭も佇まいも素敵なんだけどここの売りはまず何よりもピアノです。ピアノがすごいんです。ベーゼンドルファー社のインペリアルモデル290日本に3台しかないうちのひとつです。だからポスターのイラストがピアノになってます。特別なピアノに向かって逡巡なしに弾きはじめる勝俣先生。しっかり背中も伸びて姿勢もいいしその度胸が素晴らしい~♪ところで私ボヤッとしていて気がついた
いつもいいねとコメントありがとうございます今日は長文になります第一志望の腫瘍内科医にも会いに行って、話を聞いてきたんだけど、診察の終わりにこれからどうするって聞かれた時に先生でお願いしますって即答できなかった。っていうのもロシア人の先生の英語が全部聞き取れなかったから普通の会話ならまだしも早口で医療用語どんどん言ってくるから、ついて行くだけで精一杯でも、女性ホルモンって女性特有のものだから女医を希望してたし、1番しっかり触診してくれたのが好印象でやっぱりこ
それは6月初旬、妻が、喉元に腫れ物がある事が気になりかかりつけの耳鼻科を受診した時の事。超音波(エコー)検査で「甲状腺より、違う所が気になります。」という診断を受けました。詳しい検査を勧められ、紹介状を手に県立医大病院の耳鼻科外来を受診する事になりました。血液検査、レントゲン、CT、MRIなど基礎的な検査の後、耳鼻科外来の医師から、副甲状腺の機能亢進により、高カルシウム血症の症状が出ている事を聞きました。他の疾患が原因になっている可能性がある為、内分泌科の検査を受ける事
今日は大学病院に行って先日のCTの検査結果と共にこれからの治療について聞いてきました。結論から言うと肝臓に今まで映らなかった黒い影が見えました。左胸の表面の黒い部分も1年前より大きくなっているのが写真の比較でわかったし。リンパや肺は特に何もないですねってただそこまでショックを受けてない自分がいたので意外だったかなこれもここでの闘病ブログのおかげだなぁとつくづく思います。皆さんの経験や知識を教えてもらっているから、このパターンで来たか!と思えたのです。もう感謝しかありませんありがと
おはようございます。正直、卵巣がん発覚のきっかけの時は巨大な腫瘍(14cm)の捻転による激痛でしたがサイレントな症状として、しいて言えば、「痩せない」でした。で、このところ、私がずっとぼやき続けていたこと「痩せない」また当てはまるぅ~。とはいえね、もう、糖質をそんなに厳密にオフってないしお腹周りが巨大化するのも仕方ないかなとも食べた分だけ太るのとも思っているのですが・・・。昨日も、出かけたついでに宮越屋珈琲でケーキセット一人で食べちゃったし食べたいわ
10月27日に診察がありましたー。いつもは3ヶ月ごとにCT検査&診察なのだけど先生のご都合で今回は2ヶ月での診察これが吉?とでる?なぜなら、新たな腫瘍が急成長( ̄◇ ̄;)2ヶ月前には無かった縦隔リンパ節の腫瘍が3.5cm:(;゙゚'ω゚'):このまま大きくなったらじきに食道を圧迫してご飯が食べられなくなります抗がん剤しかありません、と先生さらに、良く意味がわからないけど急激に大きくなって中が腐ると出血し抗がん剤もできなくなりますよって(脅しか?)えーーっ、でも抗がん剤
おはようございます🐔ジェムザールの副作用なのかお腹と腰の強い痛みがおさまってきた11/30(木)3日目もう既に張ってたんだろうけど痛みのほうが強くてお腹の張りを気にしていなかった朝方、ピザの切れ端とイチゴ🍓を食べたのみお腹が苦しくてほとんど横になっている鏡でお腹を見ると7ヶ月の妊婦姿翌日12/1は、朝一で職安の認定日任意継続から国保への切り替えも有ったため所用終わらせてから病院へ連絡しようと考えていたお腹の強い張りと痛みでお風呂上がり立っていられない地面に座
悪性リンパ腫に感染して闘病していた父さんのこと『病気のこと5car-tか緩和か?最後の入院』2021年春からはじまった父さん(夫)の悪性リンパ腫との闘い『病気のこと』2021春、父さん(夫)の闘病が始まりました。父さんはその年の年明けくらいから体調が…ameblo.jp『病気のこと6CRSとICANS』父さん(夫)の病気のこと書けないでいたけど、四十九日の法要も済ませ納骨もしたので、当時のノートを開いてみたここまでは『病気のこと5car-tか緩和か…ameblo.jp8月の
本日(1/23)は、食道ガン手術も終わり一段落したので、外科から内科にバトンタッチという事で腫瘍内科に行きました。消化器外科の先生としては、再発防止のためにも(取り損ねているガン細胞があるといけないので)術後に化学療法をするのはセットみたいに考えていたようです。抗癌剤治療の計画を立ててくれますよ、という感じで紹介頂いたわけです。腫瘍内科の先生は、気さくな、よく喋る、話しやすい雰囲気だったので、ここぞとばかりに日頃の疑問を色々と投げかけてみました。そこそこの回答を得ました。・咳が止まらな
『①子宮体がんだった叔母が再発。肉腫?余命宣告を受けた話』ある日、叔父から電話が掛かってきました。本当に珍しい事。叔父から電話なんて、結婚以来初めてかも。。叔父が言うには大学病院に入院するから私の母に保証人…ameblo.jp『②子宮体がんの叔母は肉腫だった。お腹の腫れはリンパ水。遠隔転移』『①子宮体がんだった叔母が再発。肉腫?余命宣告を受けた話』ある日、叔父から電話が掛かってきました。本当に珍しい事。叔父から電話なんて、結婚以来初めてかも…ameblo.jp『③
昔から自分はがんにはならないと妙な自信がありました。病気のことも診療科についてもほんと無知でパソコンもスマホも身近にある環境にいながら腹水を抜いてからも検索すらしませんでした。あの時腹水、で検索しておけば少しは覚悟ができていたのに婦人科をでた途端真っ白になりました。気づけば横に看護師さんがいてくれてもちろんどなたかは覚えていないたしかびっくりしたよねみたいな言葉をかけられやっとわかって安心しました。ずっと痛かったので、と答えたら、泣きそうになりぐっと
いよいよ、抗がん剤投与開始です。副作用にどんなものが出るかわからないので主治医は通院(外来)での投与で良いと言ったものの、初回だけはと入院しての抗がん剤投与してもらうことにしました。抗がん剤(殺細胞抗がん薬)いってもいろいろなレジメン(要するにレシピ)があって、私の場合は尿路上皮癌のレジメンであるゲムシタビン-シスプラチンを投与するGC治療を受けます。オーソドックスなGC治療は1990年代に開発された、抗がん剤治療でも古い方法で、今でも原発不明癌やら、他で効かなかったら試してみる抗がん剤治
退院後2週間。直腸がんステージⅢの化学療法を受けるため、消化器外科とはお別れし、腫瘍内科に初受診です。リンパ節に見つかったのが、「顔つきの悪い癌細胞」(ってなんだ??)とのことで、再発率50%と言われてしまいました。と聞くと、受けるしかないですよね。とはいえ、化学療法をしても再発の確率が1/3になるだけらしいですが。直腸がんの場合は、「CAPOX」という療法になるようです。(XELOXゼロックスともいいます)3週に1回オキサリプラチンの点滴とカペシタ
私はしつこくしがみつく性格なので「あきらめ」という言葉は無縁(笑)実現不可能に見えることでもなんとかしようとジタバタする。ジタバタ騒ぎが好きだったりもするもんでみずからその状況を作り出したりしてしまう。でも本気でしがみつく案件は多くないです。むしろ少ない。ほとんどが失くしても構わない事ばかり。だからどうでもいいと感じたことは切り捨てる。大事なことって驚くほど少ないです。私にとってメディカルライブは大事なことのひとつです
退院から10日後、消化器外科の後期研修医(当時。今は制度が変わって名称が違うらしい)である執刀医の外来で、病理検査の結果を聞く。「病理の結果なんだけど、筋繊維肉腫っていうものでした」(約3年後、この病名は変更されることになる)何すか、それ?「僕もよくわかんないんだよね。症例が少ない珍しい病気で」おいおい。でも仕方ないか。この先生に聞いた私が悪い。これって、悪性なのですか?「良性か悪性かはグレーゾーンかな。今後3ヶ月毎にフォローします」グレーゾーンってホントか?悪性腫瘍な
2/9腫瘍内科へ初診察先生と看護師さん、共に緩和ケアもされてる方初対面で2人とも優しそうと感じました息子の高校受験日が近い事もあり、落ち着いたら来れる時にご家族も一緒に今後のお話とかしましょうねと言う感じで終わりました薬の変更があり、飲み方も少し変わりました痛み止めのフェントステープが錠剤のナルサスにロキソプロフェンと一緒に飲んでいたテプレノンカプセルを無しに便秘の時用に飲んでいたプルゼニドは頓服にその代わりにスインプロイクとラペプラゾールナトリウムに朝飲む薬は増えたけど、
滅茶苦茶痛いです今回は殺されるって思ったくらい麻酔の覚めも気づいて貰えず苦しくて苦しくて。人工呼吸から自力で呼吸の切り替えの時あの時が一番地獄です。傷も痛くて痛くてウーウー唸っていました血圧が低すぎて痛み止め入れられないと言われ耐えるしかない一日でして。ICUは一日だけ今日からまた一般病棟に移りました。コロナの影響で面会禁止いつもの私のベッドマットやら枕やら家族にセッティングして欲しかったのにそれも痛い中自分でやりました。ほんと、コロナ厄介ですよね病院側も外から来